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「ニース様。たとえお傍にいられなくても、私の愛は、永遠にあなたのものです」
 ミラベルが考え込んでいる間もふたりは盛り上がっているようで、今度はエミリアのそんな声が聞こえてきた。
(もしかして、本当にお芝居の稽古だったりして……)
 思わずそんなことを考えて周囲を見渡してしまうくらい、エミリアの方も熱のこもったセリフを口にしている。
 ある意味、ふたりはお似合いのカップルかもしれない。
 ミラベルがニースを愛していないように、ニースだってミラベルに特別な感情は持っていないだろう。
 けれどこの結婚がどれほど大切なものか、彼だってさすがに理解していると思っていた。
 とくにディード侯爵家にとっては、家の将来にも関わるかなり重要なものである。
 それなのに、こんな場所で他の女性に愛を囁いている。いくら政略結婚であっても、自分の置かれている状況がこんなにもわからないような人と、夫婦になりたいとは思えない。
(しかも、それをしているのが王城で開かれている夜会ってことだけで、もう駄目な気がする……)
 そう思っているうちに、ふたりの言葉がまた聞こえてきた。
「でも、あなたには婚約者が……」
「ミラベルのことなら気にしなくていい。家のために彼女と結婚しなければならないが、エミリアのことは大切にする」
 どうやら、ミラベルとの婚約も解消するつもりもないらしい。
「君のために、屋敷を用意するよ。寂しい思いをさせてしまう代わりに、不自由はさせないと約束するから」
 そんな勝手な約束ばかりしている。
(たしかに、ちゃんとしたドリータ伯爵家の当主になれば、愛人のひとりくらい囲えるだろうけれど、私と結婚しても、伯爵家の事業は継げないのに)
 たしかにニースはひとり娘の婿として、ドリータ伯爵家を継ぐことになる。
 けれど父は最初から、素人同然の彼に事業を任せるつもりはなかった。それを明言したことはなかったが、伯爵家の状況や父の様子を見ていれば、大抵の貴族なら察することができるだろう。
 婿入り先だというのに、ニースはそんなことさえ知ろうとしなかったのか。
 ミラベルの叔父には、ふたりの息子がいた。
 父は、その弟の方をいつも連れて歩いている。
 従弟はルーカスといい、叔父よりもミラベルの父にそっくりで、金儲けのことばかり考えているような人間だった。
 父は誰がミラベルの夫になろうとも、事業は従弟のルーカスに任せるつもりである。
(勝手な約束をしているけれど、結婚してもニースに愛人を囲う余裕なんてないと思う)
 むしろ彼も、この政略結婚のための駒にすぎない。
 それなのに、ミラベルが聞いていることも知らずに、ふたりは互いに愛を囁いている。
 それを聞いているうちに、急に何もかも嫌になってしまった。
 結婚前から愛人を囲うつもりのニースに、今から父の後継者としてふるまっている従弟のルーカス。
 どちらも、ミラベルをないがしろにすることはわかりきっている。
 それに今、貴族の女性達の間では恋愛小説が流行っている。
 悲劇的な運命に引き裂かれた運命の恋人の話なんて、大抵の女性は夢中になってしまうだろう。
 このふたりの恋がもし周囲に知られたとしても、そんな恋愛小説のように悲恋として、美談として噂になってしまう恐れがある。
(そんなの、冗談ではないわ)
 婚約者がいるのに、他の女性に愛を囁くような行為を美談にしないでほしい。
 これには、ミラベルとニースが政略結婚であることなど関係ない。モラルの問題である。
 しかもニースは結婚後もエミリアと別れるつもりはないのだ。
 そんな人と結婚するのも嫌だし、このままだとミラベルは、運命のふたりを引き裂いた悪役になってしまう。
 ニースとの結婚を回避し、脳内お花畑のふたりに自分達がどれだけ愚かだったのか、思い知らせてやりたい。
(でも、それにはどうしたらいいのかしら……)
 下手に強硬手段を取ると、こちらが悪役にされるだけだ。
 しばらく思案していると、ふいに名前を呼ぶ声がした。
「ミラベル?」
 顔を上げると友人のソレーヌが背後に立っていた。
 心配そうな顔をしているところを見ると、彼女も「あれ」を見てしまったようだ。
「あ、ソレーヌ」
 ソレーヌはサザーリア公爵家の令嬢で、第一王子であるロランドの正式な婚約者だ。
 ゆるくウェーブを描く美しい銀色の髪に青い瞳。柔らかな雰囲気の美しい女性で、ミラベルの親しい友人である。
 彼女もまた恋愛小説が大好きで、誰よりも多く読んでいることを知っている。
 だが、現実と小説を混同してしまうような人ではないので、相談するには最適かもしれない。
「あの、少し相談があるの」
 そう切り出すと、彼女は察したように深く頷いた。
「ミラベルも、あれを見てしまったのね。あのふたりに報復するなら、喜んで力を貸すわ」
 そう言って、ソレーヌはミラベルの両手をぎゅっと握りしめた。
 彼女からすぐに報復という言葉が出てきたことに、少し驚く。
 たおやかで美しい容姿をして恋愛小説を好んでいても、やはりソレーヌも上位貴族の令嬢である。
 商売に力を入れていて、権力争いとはあまり縁のなかった家に生まれたミラベルからすると、恐ろしいような頼もしいような、少し複雑な気持ちだ。
「ここではゆっくり話せないわね」
「ええ、そうね」
 そう言われて、頷く。
 ニース達のように、誰が聞いているのかわからない場所で大切な話をするつもりはない。
「王城内に休憩室を用意してもらったの。そこに行きましょう」
 彼女の提案で、その部屋に向かうことになった。
「ああ、もしかしたらお兄様もいるかもしれないけれど、大丈夫?」
「リオ様ですか?」
 ソレーヌの兄のリオは、サザーリア公爵家の当主だ。
 彼女の婚約者であるロランド王子の側近で、ソレーヌと同じ銀髪碧眼の美しい青年である。
 だが人当たりの良い妹とは違って、リオの評判はあまりよくない。
 目的のためには手段を選ばない、冷酷な男という話だった。
 家柄だけだと言われていたサザーリア公爵家も、今となっては、第一王子派閥の筆頭である。
 ソレーヌがロランドの婚約者となったのは、今から二年前。
 当時、隣国との関係が悪化して、その血を引くロランドは第一王子にも関わらず冷遇されていた。
 サザーリア公爵家も名家ではあるが、権力とは程遠い存在だった。
 リオとソレーヌの両親もすでに亡くなっていて、リオはまだ十七歳のときに当主となっている。
 ふたりの婚約の根回しをしたのは、第二王子の母である側妃らしい。
 家柄だけは立派だが、後ろ盾も権力もない公爵家の娘。
 だからこそ、側妃は自分の息子を王太子にするべく、ソレーヌをロランドの婚約者に選んだのだろう。
 いずれロランドとソレーヌは、いずれ第二王子派によって排除されるのではないか。そう言われていたし、実際に色々な事件があったようだ。
 そんなときに動いたのが、ソレーヌの兄であるリオだ。
 彼は妹と第一王子を守るために、手段を選ばなかった。その結果、ロランドを追い落とそうとした家は、逆に追い詰められ、潰されてしまった家もあるらしい。
 第二王子派閥のニースの家とは、まさに敵対する関係と言える。
 だがそんなニースの婚約者であるミラベルに、リオはいつも優しかった。ミラベルが、彼の大切な妹のソレーヌの親友だからだろう。
 ミラベルの父も、ソレーヌとの付き合いを咎めることはなかった。
 向こうが公爵令嬢であり、咎められるような立場ではないこともある。
 でも父はニースとの婚約が成立してもまだ、結婚が成立して完全に第二王子の派閥に入るまでは、少し様子見をしているところがあった。
 それは僅か数年でロランドの立場をクレートと同等に押し上げた、リオの存在があるからだろう。
 これから状況がどう変わるのか、まだわからない。
 そう考えて、世間には娘の親友だからと言って、サザーリア公爵家との繋がりを保っている。
 でもミラベルは父の思惑や世間の評判はともかく、優しく接してくれる彼を嫌っていない。
「もちろん、リオ様がいらしても大丈夫です」
 そう答えると、ソレーヌは嬉しそうに休憩室に案内してくれた。
「お兄様?」
 彼女がそう呼びかけると、中から答える声がした。
「ソレーヌか。ダンスはもう終わったのか?」
「ううん、まだよ。でもミラベルと会ったの」
 そう答えながらソレーヌは部屋に入り、ミラベルにも入室を促す。
「失礼します」
 小さくそう言いながら部屋に足を踏み入れた。
 思っていたよりも広く豪奢な部屋だった。
 部屋の中央には高級そうなソファーが置かれていて、そこにリオが座っている。その前にテーブルがあり、書類が山積みになっていた。
「もう、お兄様ったら」
 ソレーヌは呆れたように兄を見る。
「王城の夜会にまで仕事を持ち込まないで」
「……急ぎだったからな」
 リオはようやく書類から目を離すと、顔を上げる。
 彼は当主として公爵家の仕事をこなし、さらに第一王子ロランドの補佐もしている。
 積み重なった書類から察すると、かなり忙しいようだ。
「ああ、ミラベル。久しぶりだな」
 ソレーヌと同じ銀髪に、彼女よりも色素の薄い水色の瞳。
 氷のようだと評される美貌が、親しい者にだけ見せる柔らかな表情を浮かべた。
 ミラベルにとっても彼は、優しい兄のような存在だった。
「はい。御無沙汰しております」
 笑顔で頭を下げる。
 だがこの関係も、ソレーヌが正式に第一王子妃となり、ミラベルがニースの妻になれば変わってしまうかもしれない。
 そう思うと寂しかった。
 だが父の思惑はともかく、今のところミラベルには、このままニースと結婚したくない。
「ふたり揃ってどうした? 内緒話なら俺は席を外すが」
 書類を片付けながらそう言うリオをソレーヌが引き留める。
「ううん。お兄様にも聞いてほしいの」
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