最果てからきた魔女

北路 洋

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「レヴィナ」

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 時刻は少々遡る。
 鎮守八幡の神社で一休みした後、猛虎は少女と飯を食いに行くことにした。
 わけありのクシェル人少女を連れて飯を食うなどと随分危なっかしいことをしているように思えるが、少女は腹を鳴らすほどに空腹だったし、猛虎も激しい食前運動をしてしまったおかげで直にでも何か飲み食いしたかった。
 どんな状況であっても、誰と一緒にいたとしても腹は減るのだし、飯は食うのだから、一々気にする必要の無いことであると割り切ることにした。
 但し、飲食店街に戻れば少女の金髪や民族衣装が人目を引くに決まっているので、さっきのような撮影の対象にされてしまっては堪らない。
 しかも、少女は猛虎が身振り手振りで散々優しく言い聞かせたにも関わらず、未だ右腕をロックしたまま離そうとしないので、所謂バカップル並みの超密着状態で人混みを歩くのはさすがに恥ずかしい。
 (裏通りで、目立たず、ゆっくり出来る店を探すのが良いな。)
 目立たずというわけにはいかないと思うが、人目が少なければ対処のしようもある。
 「ああ、ここにしよう。」
 猛虎が見付けたのは小さな焼き鳥屋である。
 一人でいる時には秋田ならではの郷土料理を食べるつもりでいたが、クシェル人少女が一緒ではそういうわけにはいかない。クシェル人の食習慣が分からないし、少女が慣れない味に戸惑って、何も食べられなかったら可哀想である。
 焼き鳥なら基本的に肉を焼いただけだし、塩味なら異世界も含めて万国共通に違いないので、最も無難な食べ物だと判断した。
 それに、その焼き鳥屋のキャパはカウンターとテーブルを合わせて一四、五席ぐらい。先客は一〇人ほどいたが、街中で混み合った店に入るより遥かに人目は少なくて済む。
 「のんき」という店の名前も、何となく二人の現状に合っているような気がした。
 クシェル人少女と内閣情報調査室の関係者が、二人で田舎町の焼き鳥屋で飯を食おうとしているのだから、これは如何にも呑気な話である。
 「ヤ・キ・ト・リ? 」
 神社から焼き鳥屋まで移動する間、少女は猛虎が驚くほど多くの日本語を話し始めていた。元から知っていて隠していたのではないかと疑いたくなるほどの習得速度である。
 既に自己紹介も終わっていた。
 少女は自分のことを、レヴィナ・フェルトスと名乗った。レヴィナが名前、フェルトスは姓らしい。
 猛虎も自己紹介したのだが、名字のクルマが発音し辛いらしく、レヴィナはタケトラと名前で呼び始めた。出会って間も無い少女に名前を呼び捨てにされるのは少しだけ抵抗を感じたが、「さん」とか「君」とか付けさせるのも説明が面倒臭いので、じぶんもレヴィナと名前で呼ぶことで相子にした。
 焼き鳥屋「のんき」の暖簾を潜るなり、レヴィナは興味深げに店内を見回し、鼻をヒクヒクさせ始めた。突然の金髪少女の来店に驚く店主や先客たちを尻目に、彼女は彼方此方のテーブルやカウンターの上に並んでいる他人の料理を覗き込んでは「ホウホウ」と感嘆するような声を上げていた。
 (アイスを奢った時も、こんな感じだったっけ? )
 食は文化の象徴であり、その国を民度や国力を映す鏡とも言うので、クシェル王国の外交使節の一員ならば日本を知るために食に興味を持つのは当然だと思う。だが、レヴィナの場合、単に日本の料理を積極的に試してみたいだけなのかもしれない。
 いつの間にか、レヴィナは目に入る料理全てに夢中になってしまっていて、あれほどガッチリと固定されていた右腕が自由になっていた。
 猛虎は苦笑しながら、放っておけばいつまでも狭い店内をウロウロし続けていそうだったレヴィナの手を引いて、空いていた二人掛けのテーブルに向かい合って座らせた。
 「いらっしゃーい。外人のお嬢さんが来るなんて始めてだからビックリしたよぉ。」
 直に人の良さそうな奥さんが注文を取りにきたので、猛虎はメニューにある焼き鳥の中から適当に一〇種類選んで一本づつ頼むことにした。そうしておけばレヴィナが何を好むか分かりやすいだろう。
 他にはお試しのつもりで煮込みと焼おむすび、米代市のB級グルメだと勧められたので豚軟骨塩焼き、そして最後に、
 「俺はビール、この子はジュースでも・・・ 」
 と、飲み物を頼んだのだが、
 「ワタシもビール! 」
 レヴィナは、今まで話していた中で最も上手な日本語で割り込んできた。
 「お嬢さん未成年でしょう。日本じゃ子供はお酒ダメなのよ。」
 お店としては当然の注意である。猛虎も思わず頷いた。
 その身体の要所要所に於ける発育はたいへん良好のようだが、明るい店内で改めて見たレヴィナの顔は中学生ぐらいの年頃である。クシェルではどうだか知らないが、日本では飲酒させるわけにはいかない。
 ところがレヴィナは、
 「ワタシ、ミセイネンじゃないよ。」
 と、またまた上手な日本語で言い返した。
 猛虎はレヴィナが未成年という単語の意味を知らずに否定しているのだと思った。たぶん、ビールやお酒が何なのかも知らす、猛虎の真似をしているに違いない。
 「それじゃあ、お嬢さんは歳幾つなの? 」
 猛虎も焼き鳥屋の奥さんも、レヴィナが無邪気な我が儘を言っているのだと思い、
 「うーん。」
 と、宙を見詰めながら計算を始めた彼女の様子を見て微笑んでいたのだが、
 「ワタシはニジュウハチ! 」
 「嘘つけ! 」
 猛虎は即時に否定した。
 何やら見る見るうちに日本語が上達していくレヴィナだが、歳の誤摩化し方は杜撰なようである。言うに事欠いて二八歳などとは、例え異世界の住人であったとしても有り得ないことだと思った。
 猛虎は、これまで仕事の上で国内の「来訪者」と何度も面会してきたが、三十路前の女性が中学生に見えたりするほど極端な相違には出会ったことは無い。若く見える男女がいたとしても、日本人の常識から大きく逸脱する者はいなかった。
 クシェルでは年齢の数え方が根本的に違うのかもしれないが、焼き鳥屋の中でそんなことを深く追求する気はなかったので、問答無用でコーラを頼んでやった。
 「ミセイネンじゃないのに! ニジュウハチなのに! 」
 レヴィナは膨れていたが、クシェル人でも不満を現す時には頬を膨らますらしい。
 ところで、始めて日本の食事を試すレヴィナにコーラの炭酸はキツいかもしれないと思ったが、まるで駄々っ子のような彼女を見ていたら少し悪戯してやりたくなった。
 (一口飲んで吹き出したら、オレンジジュースに取り替えてやるか。)
 ところが、
 「ホウ! オイシイ! 」
 レヴィナはコーラを一口飲んでから直に気に入ってしまったようである。
 中ジョッキに並々と注がれたコーラを一気に飲み干してしまい、氷までバリバリと噛み砕いた。大きなゲップが出たのには驚いていたが、めげずにお代わりを頼んでいた。
 続いて、焼き鳥や煮込みが運ばれてきたが、レヴィナは何の抵抗も無いどころか、
 「オイシイ! ヤキトリ! ニコミ! サイコウ! 」
 と、たかが居酒メニューに一々賛辞を与えながら、次々に口に運んでいた。
 (こいつ、味覚が柔軟過ぎるぞ! )
 最初に運ばれてきた全てのメニューを問題無く受け入れて、さらに新しいメニューにも挑戦を始めた。中でも一番のお気に入りはマニアックなB級グルメの豚軟骨塩焼きだったが、店主にタレ味を勧められると、それにも躊躇無く齧り付いていた。
 「ナンコツ! サイコウ! 」
 そう言って、お代わりまでしていた。
 レヴィナの食べっぷりに驚いているうちに、どんどん皿の料理が消え、空の串が増えていくので、猛虎も慌てて後に続いた。
 そうこうして、二人の腹が十分に膨れた頃、
 「とっても美味しかったよ。猛虎、ありがとう。」
 レヴィナの日本語が完璧になっていた。
 発音にも違和感は無く、全くネイティブな日本語を話せるようになってしまっていた。
 「お前、元から日本語話せたんだろ? 」
 そう思って当然の急激過ぎる上達ぶりだったが、
 「違うよ。猛虎やお店の中にいる人の言葉を聞いているうちに覚えたの。」
 と、超天才的なことを平然と言う。
 「マジですか? 」
 「うん。変かな? 」
 明らかに変なのだが、猛虎は自分がクシェル王国のビックリ天才少女と話しているのではないかと思った。この少女ならクシェル王国の外交使節が同行させても不思議は無い。日本語の通訳も完璧にこなせるだろう。
 「ところでさ。この後、レヴィナはどうするつもりだった? 」
 何故一人で繁華街に座っていたのかについては、未だ理由を聞いていなかった。
 かなり複雑で危なげな事情がありそうだったので、急がずにレヴィナの心を十分に開かせてから慎重に聞き出すつもりでいたのである。
 しかし、現在の時刻は午後一一時。そろそろ、レヴィナが今晩泊まる場所を考えてやらなければならないし、それについては彼女の意向も聞いておかなければならない。
 「船に戻るつもりだったのか? 」
 それは無いとレヴィナは言った。
 「もう、船には戻れなくなるもの。」
 「戻れなくなる? レヴィナは船から逃げてきたのか? 」
 もしかしたら船内で酷い目に遭って、それで逃げ出したのかと思ったが、
 「違うよ。私は皆にも船を降りるように言ったけど、誰も言うことを聞かなかったから一人で降りてきたの。だから、もう戻ることはないの。」
 レヴィナはクシェル船を放棄するように乗員たちに警告したと言うが、その理由については話そうとしなかった。
 「私は猛虎と一緒にいるよ。」
 レヴィナは、何の迷いも無い、歯切れの良い日本語で言い切った。
 しかも、レヴィナの真剣な眼差しは、彼女が猛虎に対して全幅の信頼を寄せているということをハッキリと表していた。
 だが、やはり猛虎にしてみれば妙な感じである。
 レヴィナに信頼される理由が分からない。いくらなんでも、アイスと飯を奢っただけで彼女に信頼されるはずがない。
 「どうして、俺なんかが信用できるんだ? 見ず知らずの男と一緒にいて、不安じゃないのか? 」
 猛虎は、若い女の子なら当然そうあるべきではないかと質問した。
 「私は、猛虎と一緒にいることになってるの。そう決まってるの。」
 その言葉にも一切の迷いが無いが、猛虎には一層わけがわからない。
 「そう決まっているって、誰が決めたのさ? 」
 その質問にもレヴィナは応えなかった。
 クシェル船の乗員たちに船を降りるように警告した理由を言わなかったのと動揺に口を噤んでいた。


 猛虎はレヴィナを伴って自分が宿泊しているビジネスホテルに戻るつもりでいた。
 シングルの空き室は複数あり、急な宿泊者にも十分対応できるだろうし、田舎のホテルにしては小綺麗で快適な作りだったので女子を泊めるのに不都合は感じられなかった。
 それに、米代港に近接しているホテルなのでクシェル船の様子を窺うには都合が良い宿泊先だと思ったのだが、
 「ダメ! 」
 と、レヴィナは拒否した。
 さらには、
 「猛虎も戻ったらダメ! 」
 焼き鳥屋「のんき」を出て、ホテルに向かって歩き出した猛虎を引き止めた。
 「どうして? なんでホテルに戻っちゃダメなんだ? 」
 その理由をレヴィナは話そうとせず、
 「絶対にダメ! 」
 非情に強い口調で自分の言うことを一方的に聞くように迫った。
 「んな、いきなり言われたって・・・ 」
 猛虎が戸惑っていたら、
 「良いから来て! 」
 レヴィナは再びロックしていた猛虎の右腕を強引に引っ張りながら、ホテルから遠離る方向に歩き出そうとした。
 「おい! ちょっと待てよ! 」
 猛虎は怒った顔をして見せて、レヴィナの意味不明で突発的としか思えない行動を制しようとしたのだが、
 「え? 」
 振り返ったレヴィナの顔を見て驚いた。
 今にも泣き出しそうなほどの深刻な表情を表しているではないか。
 「お願い・・・一緒に来て。」
 青く大きな瞳が涙で潤み、一切の説明が無いので理由は全く理解できないが、言葉にできない差し迫った状況を訴えようとしていることだけは伝わってきた。
 「あ・・・えっと、その? 」
 猛虎は思わず情に流されてしまいそうになった自分に気付いて、慌てて踏み止まった。
 泣かれたとしても、理由もわからずに黙って従うことはできない。
 それに、レヴィナがどんなに力を込めたところで、少女の力では猛虎に無理矢理言うことを聞かせるのは不可能なので、いっそ、言うことを聞かせたいのならば全ての事情を包み隠さずに話せと、この場で詰め寄ってしまおうかとも考えた。
 しかし、
 「えっ! えぇーっ! 」
 レヴィナは泣き出してしまった。
 猛虎の右腕ロックを一時的に解除し、両手で顔を抑え、肩を小さく揺すりながら、如何にも切なさげで、途切れ途切れな声で、悲しみを訴え始めた。
 「ちょっ! ちょーっと! 」
 ここは焼き鳥屋の真ん前。人通りは少ないがゼロではない。
 ただでさえ人目を引く三十路男と金髪美少女の組み合わせなのに、これに涙が混じったら様々な妄想を掻き立てる格好の素材にされてしまう。
 案の定、焼き鳥屋に出入りする幾人かの客が二人に好奇の目を向けてきた。
 絶対に親子に見えない二人、あまり人相の宜しくない三十路男が十代の美少女を泣かせている図。そこから想定される状況は、誘拐、痴漢、児童買春など、明らかに猛虎が絶対的に不利である。
 (これって、俺が完璧に悪役じゃん! )
 この状況を脱するために最も手っ取り早い方法は、レヴィナに従うことである。
 「分かった! ごめんなさい! 泣くな! 行く! 行きたいとこは何処だ! 行ってやる! 行きます! 連れてって下さい! 」
 土下座しそうな勢いでレヴィナに縋る猛虎だったが、その間も通行人はチラチラと不審人物を見るような目を向けてくる。
 居たたまれなくなって、
 (俺も泣きたいよ! )
 と、猛虎が心の中で絶叫した時、漸くレヴィナの泣き声が徐々に収まってくれた。
 そして、少ししゃくり上げながら、
 「猛虎・・・一緒に・・・来て・・・くれる? 」
 レヴィナは、その細く白い指で頬を流れ落ちる涙の雫を拭い、潤んだ青い瞳を揺らしながら猛虎をゆっくりと見上げた。
 「もう分かったよ、一緒に行くからさぁ。」
 猛虎は子供の我が儘に付き合わされる父親の気持ちが分かったような気がして、ヤレヤレと溜め息を吐いた。
 そして、徐にポケットからハンカチを取り出して、涙で濡れたレヴィナの顔を拭いてやろうとしたのだが、
 その瞬間、息を飲んだ!
 (き、綺麗! )
 僅かに小首を傾げながら自分を真っ直ぐに見上げている少女の瞳の中に、胸に突き刺さり、心を掻き乱すような大人の女の色香を感じてしまったのである。
 「・・・レヴィナ、君は? 」
 猛虎は我が目を疑ってしまった。
 レヴィナの瞳や口元が醸し出す表情からは、少女らしい未成熟で中性的な透明感が鳴りを潜めていた。今、猛虎を見つめている彼女は、人生経験を積み重ね、異性を愛する気持ちを覚えた、成熟した大人の女の顔をしている。
 顔立ちは幼い少女のままでいて、内からは大人の女の艶かしさ溢れ出していた。
 そのアンバランスで危うげな魅力は男心を揺さぶるほどに強く、しかし、触れると消えてしまいそうな繊細さと儚さも兼ね備えている。
 (信じられない! )
 正に不意打ちだった。
 無防備な猛虎の心の中を衝撃は瞬く間に駆け巡った。
 今更言うまでもなくレヴィナは美しい。
 鮮やかな青い瞳、真っ直ぐに通った鼻筋、薄紅色の小さな唇、白く滑らかな輪郭、それらを包み込む金色の髪。その容姿に幼さとあどけなさを残しながらも、完璧に整った顔立ちは時々人間離れして見えることもあるほどの美少女だった。
 (それでも、子供だ。)
 意外に大きかった胸の膨らみを右腕に押し付けられた時には迂闊にも女を感じてしまった猛虎だったが、それだけでレヴィナが子供であるとの認識を改めたりはしなかった。
 ところが、今、猛虎はレヴィナに女を感じてしまっている。
 念のため断っておくが、猛虎はロリコンではない。
 少女に異性を感じたりはしないし、感じてはいけないという倫理観も持っている。
 だから、レヴィナが少女である限り、彼女を異性として認識し、恋愛に至る感情を抱くことなど無いはずだった。
 だが、今、猛虎を見上げているレヴィナは少女ではない。
 彼女の美しい顔は相変わらず幼いままだったが、そこから溢れ出す感情には紛れも無く大人の女が愛しい男に向ける熱い想いが込められていた。まるで、一〇〇年も恋い焦がれ続けた男に漸く再会した女が二度とその手を離すまいとするような、一途な気持ちさえも感じられていたのである。
 これまでも、猛虎はレヴィナに向けられる全幅の信頼と強い親しみに戸惑っていたが、それどころではなくなってしまっていた。
 レヴィナの瞳の中に、猛虎に対する成熟した大人の女の恋愛感情を見てしまった。
 そんなレヴィナを前にして、猛虎は自らの理性と自制心の危うさを感じていた。
 相変わらず無防備に身を寄せてくるレヴィナが、堪らなく魅力的な女に見えてしまっていたのである。
 (それは、いくらなんでもマズい! )
 どんなに大人びた表情を見せようと、レヴィナが少女であることに変わりはない。
 猛虎は脆くなった理性の盾で、高まり続ける胸の鼓動を悟られまいとした。
 レヴィナの小さな身体を思い切り抱きしめたい! 金色の髪を指で?惜き上げてみたい! 薄紅色の小さな唇を奪ってしまいたい! 真っ白な項に顔を埋めてしまいたい! 
 次々に沸き上がって来る激しい感情を必死で押さえ込もうとしていた。
 目眩がするほど多くの衝動に襲われながら、
 ふと気付いた。
 (俺はレヴィナを愛おしいと思っているのか? )
 猛虎にはレヴィナが理解できない。彼女が自分に向ける信頼と親しみが何に起因しているのか分からず、彼女の潤んだ瞳の中にある熱い想いにも納得できずにいた。
 だが、それ以上に不可解な感情が猛虎の中で芽生えてしまっている。
 それは、レヴィナが自分に向ける感情以上に理解できない原因不明の感情である。
 レヴィナと出会ってから未だ半日も経っていないし、彼女がクシェル人であるということ以外には何も知らない。しかも、つい今し方まで、猛虎は彼女を少女と認識していたのである。
 レヴィナに大人の女を感じ、彼女を魅力的に感じたのはホンの少し前のこと。
 その瞬間の驚きが、僅か数十秒を経て愛おしさに変わってしまっていた。
 その気持ち、決して如何わしい肉欲などではない。
 (単なる肉欲なら、却って理解しやすいかもしれないが・・・ )
 猛虎が必死に押さえ込もうとしている全ての衝動の中に純粋な愛情が自覚された。
 (それに! )
 どうにも理解し難いことがある。
 レヴィナに対する愛おしさが、新たな感情とは思えなかったのである。
 それは心のデジャヴュとでも言うべき奇妙な感覚。
 出会う前から既に抱いていた深い愛情。懐かしささえも感じられるほどに全てを知り尽くした大切な恋人の記憶。それらが蘇ってきた感じである。
 (いったい、どういうことなんだ? )
 どれだけ頭を悩ませても、そうした感情の出所が分からなかった。
 考えれば考えるほど、自分自身の心の動きが読めなくなった。
 だが、レヴィナに不審を感じたり、彼女を拒絶しようなどという考えは全く思い浮かばなかった。
 それが、どんなに不可解な感情であったとしても、レヴィナを愛おしく想う気持ちは確かなものであり、彼女の存在がこの上なく大切に感じられていた。
 「行こう。」
 と、レヴィナは猛虎の手を取った。
 彼女の手の温もりによって、猛虎の迷いは打ち消された。
 目の前に掛かっていた戸惑いの霧が晴れ、視界が澄み渡ったような気分がした。
 レヴィナの小さな手、それが自分の求めているものであるような気がしていた。
 その手を絶対に離したくないと思った。
 (この手を離せば、俺は絶対に後悔する! )
 そのことに、何故だか確信があった。
 だから、猛虎はレヴィナに黙って従い、彼女に手を引かれるまま歩き出していた。
 彼女はクシェル船から少しでも遠離ろうとしているようであり、米代港とは反対の方向へ只管歩き続けた。
 繁華街からも大きく離れ、住宅街も通り越して、街灯が疎らになった米代市の郊外に出ても、さらに歩き続けようとした。
 相変わらず、彼女は自らの事情を明かそうとはしない。
 全ての謎を置き去りにしたまま猛虎に寄り添い、その意思を貫き通そうとしている。
 (これから何が起こるんだろうか? )
 猛虎はレヴィナに手を引かれながらも腑抜けていたわけではない。
 レヴィナが抱えているであろう厄介な問題に、いずれ自分も関わることになるだろうと覚悟を持ちながら従っていた。
 但し、その心境は最前とは異なる。
 当初に抱いていた、思い掛けず手に入れたトラブルを楽しむ、スタンドプレーの持ち駒としてレヴィナを見る、などという自儘で軽薄な思惑は失せてしまっていた。
 レヴィナが決して害されることの無いよう、自らの手で守り通すつもりでいた。
 そうした決心が、彼女への愛しさに起因していることも承知していた。
 それが当然の行動であり、そう思う自分に何ら違和感を感じていなかった。
 今、この瞬間、猛虎は内閣情報調査室の意を受けて動く自身の立場、現在も待機中であるはずの任務、それら全てを振り返らなかった。
 どういうわけか、猛虎には根拠不明な自信があった。
 自分の取ろうとしている行動に間違いが無いことに確信があった。
 何故そう思えていたのか、この時の猛虎には知る由もない。
 ただ、レヴィナを守り通すことが自分に与えられた任務のような気がして、それが自分の立場を鑑みても理にかなった行動であると信じているだけだった。
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