転生したら棒人間

空想書記

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    真一郎達が蓮華の元へ向かうと同時に、憲一郎と清香は後ろ髪を引かれる思いで別行動となった。
清香は嶺衣奈の引っ越しの手伝いをするために約束していたからだ。
憲一郎は当然、自分の目的を果たすため…。
嶺衣奈を泣かせた真一郎に怒り、拳を奮わせて、殴り付けたのだが、降って湧いたようなこの好機を逃したくない…。
言い方は悪いが憲一郎にとっては正に棚から牡丹餅だった…。

    その頃、マンションでは自分の荷物を運び出す為に嶺衣奈は個人的な私物の整理をしていた。
この部屋には真一郎との思い出が沢山ある。
    とくに二人で拘りに拘って購入したバロック調の家具一式…。
嶺衣奈は白、真一郎は黒がいいと押し問答をして一つずつ吟味して時間をかけて決めた…。
同棲するに中って色々なところへ買い物に行き、生活の為に必要な物を二人で決める…。
嶺衣奈にとって幸せの絶頂期だったと言っても過言ではなかった。 目を閉じれば、「嶺衣奈さん」と微笑む真一郎の顔が鮮明に思い浮かぶ…。
    これからだったのに…。婚約して新居も整えて、あとは結婚に向かって行くだけだった…。
そのタイミングで真一郎が交通事故に遭遇し、意識不明の重体…。
医師からは、もう意識が戻る可能性は極めて低いと宣告された。
迷いに迷った家族が断腸の思いで延命措置を止めることを選択しかけた所を、涙ながらに止めたのは嶺衣奈だった…。
    トクトクと心臓が動くだけ、スースーと呼吸をするだけの真一郎にほぼ毎日付き添って、嶺衣奈は泣きながら身体を拭いた…。
そこから半年ほどが経過して真一郎の身体が透けていくという奇怪な現象が起きた…。
医学的にも前例のないその光景に、医師達を始め、親族も息を呑んだ。
「消えてしまう!真一郎さんが消えてしまう」と半狂乱になって真一郎の身体にすがりついて嶺衣奈は涙を溢していた。
    昏睡状態から目覚める前夜は本当に存在が消えてしまうほど真一郎の身体が透ける事態が起きた。
亡くなってしまうどころではない…彼の存在事態が本当に消えてしまうという絶望感に包まれた翌朝、真一郎は昏睡状態から目覚めて生還した…。


  “れんげさん”  と、知らない女性の名前を叫んで…。


    当初は気にも止めなかったその名前の女性の事で言い争い、責め立て、果てには別離してしまうだなんて思いもよらなかった…。
彼は昏睡状態の時、棒人間になっていたと言った。
その時に黄桜  蓮華という女性と会い、寝食を共にし、恋仲になったと聞いた。

    磯鷲貿易の長女として育った嶺衣奈は上流階級の人間という自覚がある。そう教え込まれ、そういう環境で育てられた。
もって生まれた家柄、天に恵まれた美貌で、お金にも男にも不自由などした事がなかった。


        持てる者と持たざる者


    嶺衣奈は、世の中はこの二通りだと思っていた。私は持っている、貴方も持っている。そこで始めて私と釣り合うというスタートラインに立てるのだと…。
スタートラインに立った者達が私の美貌に跪く…。それが至極当然だったのに、曽我部  真一郎だけは違っていた…。
自分に何の興味も示さなかった…。
悔しかった…。プライドが傷付いた…。
この男を虜にして見せると意気込んでいた筈の嶺衣奈はいつの間にか自分が真一郎の虜にされてしまった…。
曽我部  真一郎という男は今まで嶺衣奈が関わってきた男と違っていた。

持っているのにプライドが無い。
持っているのに飾らない。
持っているのに傲らない。

嶺衣奈に取っては、見た目から内面までが本当の王子様のように思えた…。
真一郎との出逢いで、自分が小さな人間かを思い知った。

如何にプライドが高く。
如何に飾り立て。
如何に傲っていたのかを知った。

真一郎は…嶺衣奈の全てを変えてくれた…。

嶺衣奈が好きなのは、持っている王子様のようなルックスの飾り気の無い曽我部 真一郎だ。

    持っているかも不明、素性もわからない、人間でもない棒人間となぜ恋が芽生えたのか嶺衣奈には全く理解が出来なかった…。 
仮に真一郎が棒人間のままで「ボクが真一郎だよ嶺衣奈さん」などと目の前に現れても受け入れられなかっただろう…。
それどころか、100年の恋も冷めるが如く拒絶していただろう…。

    それを受け入れた黄桜  蓮華の想いの深さ…。そんな状況下で、全世界で誰にも頼れない、誰も自分の事を知り得ない状況下で恋に落ちたら…。
その二人は誰にも引き裂けないほどの深い愛が芽生えるのは当然の事だろう…。

    敵わない…どんなに想ったところで結局、嶺衣奈は曽我部  真一郎だと分かる全ての条件が揃ったところでしか愛せていないのだと理解した…。
黄桜  蓮華には敵わない。
黄桜  蓮華を想う真一郎には想いが届かないと悟り、別れを切り出した…。
それなのに…。それなのに…。
なぜ別れてしまったんだろう。
なぜ別れようと言ってしまったんだろう…。
どうにもならないと悟って別れた筈なのに後悔ばかりが押し寄せていた…。


「…真一郎…さん…。真一郎さん…逢いたいよ…。真一郎さん」


    黒を基調としたバロック調のテーブルに涙が溢れては滴り、溢れては滴っていった…。
悲しみに暮れながら荷物の整理を続けようとした時、賃貸アパートなどとは違う洒落た音色のインターホンが鳴った。
インターホンに設置されているカメラを覗くと真一郎の弟、憲一郎が立っていた。
清香ちゃんはどうしたんだろうと思いながら、嶺衣奈は泣いていたのを悟られないように涙を拭き取り、エントランスのロックを解除して憲一郎を招き入れた。

    鉄治郎とほぼ同じ顔で、尚且つ自分に素っ気ない感じの憲一郎の事が嶺衣奈は苦手だった。
挨拶をしても素っ気ない。
話し掛けても素っ気ない。
いつも父親譲りの鋭い眼光でニコリともしない憲一郎…。
真一郎と婚約するに中って、関わりを持つようになった曽我部家の家族で唯一苦手な人間だった。
真一郎と別れた事は耳に入ってる筈…。彼に何かをしてもらう義理もないし、そもそも憲一郎とほとんど口を訊いた事もない…。
面倒だったが、清香とは交流があるので、嶺衣奈は仕方なく憲一郎に紅茶くらいは用意する事にした。


「ごめんね…。せっかく弟と妹が出来たと思ってたんだけど…」


「…いえ」


「今日は…どうしたの?清香ちゃんが来てくれるって聞いてたんだけど」


「…そうなんですか」


…感じが悪い。愛想も全く無い。
何を考えてるのかわからない。
出会った時から常にこの態度だ。
正直、真一郎の弟じゃなかったら絶対に関わりたくないタイプだ。
この人は何しにここへ来たのだろう…。真一郎と別れたから嘲笑いに来たのか…。
それとも婚約者ではなくなったから清香と関わるななどと言いに来たのだろうか。
それともここから早く出ていけとでも言いに来たのか…。

    真一郎と別れて何もする気が起きない身体にムチ打って荷物の整理をしなければならないのに、何故こんな人の相手をしなければならないのかと嶺衣奈は少しばかり苛ついていた…。
少なくともこの感じの悪い人とはもう関わる事はないだろうと、嶺衣奈は紅茶を憲一郎に出して私物の整理をする事にした。

    黙々と梱包作業をしている嶺衣奈の横顔はとても寂しそうだった…。婚約破棄になったのだから当然だ…。
憲一郎は好きな人にだけ素直に対応出来ない典型的な恥ずかしがり屋だ。嶺衣奈の顔なんてまともに見れないほど心を奪われている。
彼女を見ているだけで心拍数が加速する。呼吸が荒くなる…。
掃いて捨てるほど女と関わった。その全てを切り捨てた…。自分の彼女にも興味がなくなり別れた…。


嶺衣奈だけは特別。嶺衣奈だけが憲一郎を惑わせた…。


    兄の真一郎と結婚するまで諦めないという想いで今日まできた…。
言うんだ。言うんだ憲一郎。この好機を逃すな。早く言ってしまえと自分を奮い立たせた憲一郎は思い切って声を張り上げた。


「嶺衣奈さん!!!」


「な、なに?!」


    あまりの大声に嶺衣奈はビクッとして振り返った。
憲一郎の顔が耳まで真っ赤だ…。凄い顔をしている…。
…こ、怖い。何か怒ってる…?!
私は何もしてないのに…。
紅茶を出しただけなのに…。
確か憲一郎は女遊びが凄かったと伝え聞いた…。
まさか…私を襲う気…なの?
婚約破棄された上に、その弟に襲われるなんて…。そんな仕打ち、神様酷すぎじゃないの…?
兄の元婚約者だよ…私は…。
分かってるの?私は磯鷲貿易の長女なのよ?
憲一郎の目が物凄く血走ってる…。蛇が蛙を追い込むように憲一郎は嶺衣奈ににじり寄ってくる。


「…ちょっと…憲一郎君?!落ち着いて…ね」


「嶺衣奈さん!!!真一郎よりも絶対に幸せにします!!!」


「は?」


「俺と…俺と結婚して下さい!!」


「ええ…っと…どういう事…なの…かな」


「真一郎と別れたばかりで、こんなこと言うのは卑怯かも知れませんが…、初めて見たときから…ずっと…ずっと好きなんです!!!」


    結婚してください?いや、そもそも付き合ってないし、好きって何?そんなの微塵も感じなかった…。いつも素っ気なくて、怒ってるみたいで、感じが悪くて…。
憲一郎の発した言葉と嶺衣奈の感じていた憲一郎の人間像が噛み合わなくて呆然としているところに、覗き見していたであろう清香がわざとらしくリビングに入ってきた。


「嶺衣奈さん♪」


「…清香…ちゃん」


    清香の話では、真一郎と嶺衣奈が付き合うようになった時、はじめて嶺衣奈を見たその時に電流が走るほどの衝撃を受けた…。いわゆる一目惚れというやつだ。
その後、他の女に興味が無くなった為に女遊びを止め、当時の彼女とも別れた。
憲一郎の異変に気付いた妹の清香にだけ、俺は嶺衣奈さんの事が狂うほど好きになった。真一郎と結婚するまでは諦められないと打ち明けていた。
憲一郎に取っては正に棚から牡丹餅、青天の霹靂な展開になったが、嶺衣奈とは緊張し過ぎてほとんど話した事がない。
いつも表情が強張ってしまうと嘆いていた。
清香は今夜、嶺衣奈さんの手伝いに行くからと無理矢理に憲一郎を連れてきて、男らしく玉砕してこいと先にマンションへ行かせたらしい。


「…私…嫌われてるのかと…思ってた」


「全く逆…。馬鹿でしょ?コイツ」


「フフ…そうね。憲一郎君…変だよ」


    久し振りに笑えた…。私、笑えるんだ…。あの時、死ななくてよかった…。真一郎が時々言ってた  ”笑っていられれば楽しい“  っていう言葉が落ち込んでいた嶺衣奈の心に光が射すように感じた。
同時に真一郎の存在が、まだ嶺衣奈の心には息づいている事も感じた。
何かを望む憲一郎の期待には応えられなさそうな嶺衣奈は自分の想いを正直に口にした。


「…憲一郎君の気持ちは、分かったんだけどね…。…私…まだ真一郎さんの事が」


「構いません!!」


「…嫉妬深いし、独占欲強いし」


「大歓迎です!!!」


    …引き下がらない人だな。自分が思っていたような変な人ではなさそうだ…。別に関わるのは構わないかなと嶺衣奈は軽くため息をついた。


「…じゃあ…友達からで」


「…はい、頑張ります!!」


「憲兄…振られてるのに?」


「振られてるの?俺…」


   人の話し聞かないところとか…真一郎さんと似てるな。やっぱり兄弟って似るのかな…。
そう思うと何だか可笑しく思えて来た…。
顔はまんま鉄治郎なのに真一郎と被せて見てしまう。
それは憲一郎にはとても失礼な話しだ…。
けれども真一郎という存在が消えてポッカリと空いた穴は何かで塞がなければならない。
綺麗事を言えるほど現状の嶺衣奈には余裕もなかった…。
    憲一郎はスタートラインには立てている…。
利用すると言ってしまうと聞こえは悪いが、自分に好意を持っているこの人と取り敢えず触れ合ってみてから答えを導きだして行こうかと嶺衣奈は思った。


「憲一郎君…」


「はい!」


「…真一郎さんを…忘れさせてくれる?」


「はい!!」


「……私を…絶対に…幸せにしてくれる?」


「絶対に幸せにします!!」


    憲一郎にしなだれかかった嶺衣奈は、張り詰めた糸が切れるように涙を溢した。その涙の意味は憲一郎にも清香にも直ぐに理解が出来た。
誰かに包まれる事によって、感情を開放させてしまった。真一郎との思い出、真一郎との別れ…。
真一郎の名前と顔を噛み締めるように想いを巡らせ続けた。
何度も何度も同じ言葉を自分に言い聞かせるように心の中で繰り返した。


     …ありがとう…真一郎さん。
     …さようなら…真一郎さん。


    一部始終を見ていた清香は、事の顛末を母の遙香に電話で伝えた。雨降って地固まる…とは意味合いが違ってはいるが、嶺衣奈は憲一郎を選択する事で少し前に進めたような気がしていた…。
事の顛末を訊いた鉄治郎は磯鷲に電話を掛けて、真一郎の事を詫びた後に憲一郎との流れを話した。


「あのさぁ、嶺衣奈の結婚相手、真一郎から憲一郎に代わるかも」


「はぁ?」


    その一言で通話が切れた。先日、婚約破棄になったと嶺衣奈から訊いてはいた。曽我部は電話の一つも寄越さないのかと憤る周囲の声は勿論あったが、鉄治郎とは旧知の仲である事と、当人同士の問題だしとそのままになっていた。
鉄治郎はいつもこの調子だった。婚約が決まったときも「お前の娘、真一郎が娶るから」の一言だけだった。
詳細のわからない展開に嶺衣奈の父はしばらく呆然としていた…。



               -翌朝-

    久し振りの出勤だ。車は代車のマセラティ…。この車を借りた時は二人で通勤するなどとは思ってはいなかったが、昨夜、真一郎の運転してきたベントレーを鉄治郎が乗って帰ってしまった為に二人で通勤する事になった。

    二人で車に乗って通勤するのは久し振りだ…。BGMにパンクロックは無いし、愛しのC3では無くなってしまったが、最愛の彼が隣に居る…。二度とこんな事にはなり得ないと思っていた蓮華はこの幸せを噛み締めるように実感していた。
    真一郎も同様に、流れる街並み、吹き抜ける風を肌に感じ、蓮華と触れ合える事に心から喜びを噛み締めていた…。
婚約が決まったので、真一郎は蓮華の会社に寄って行くと言い出した。記憶が戻ったこともあるので、報告も兼ねて挨拶がしたいそうだ。


「おはようございます」


「蓮華さん!!お久しぶりでーす」


    元気に駆けてきた吉村はロケットのように蓮華の胸に飛び込んできて、猫のように甘える素振りを見せている。


「ちょっと!高々、一週間余りでしょ」


     思い起こせば一年半ほど前はギスギスしていた職場は和やかな雰囲気に変わっていた。この懐いている吉村とも犬猿の仲だったし、自分勝手な人が多かった。
この職場が変わったのも、当時の棒人間、曽我部  真一郎の存在は大きかったように思える。

    気付けば蓮華の周りに皆が集まってきた。事故の経緯を話す流れで、蓮華は結婚の話が決まった事を切り出す事にした。


「…実は、休んでる間に…結婚が決まりまして」


「ええ?!誰とー?!」


    突然の結婚報告に皆が湧き立つ中、真一郎が事務所の中に入ってきた。


「おはようございます」


「曽我部…真一郎?!」


    事故の相手、曽我部  真一郎が現れた…。何の用でここに来たのだろう?蓮華は無傷だし、補償や保険の事は当事者同士で話す事だ…。
集った社員が一様に訝しげな表情を浮かべるなか、蓮華は微笑んで目を合わせる…。


「お久しぶりです。皆さん」


「は?」


「黄桜BOREDOMです」


「ええーーーーーー!!!!」


    その自己紹介に、その場に居たほとんどの人間が驚愕して声を張り上げた。
棒人間の事を知らない社員達も伝え聞いてはいたので、あの話しは、棒人間がここで働いていた事は、本当の事だったのかと呆然としている。


「…棒君の蘇生した人が」


「曽我部…真一郎…?!」


「うっそみたい…」


「…そ、そそそれじゃあ…蓮華さんの結婚相手って…」


「ボクなんです」


「ええーーーーーーーーー?!」


    度重なる驚きの報告に腰を抜かすほど皆が驚く中、蓮華に告白した数人は、相手が曽我部  真一郎では太刀打ちできないと酷く落ち込んでいた。


「…本当に…玉の輿…」


「おめでとう…蓮華…おめでとう」


    普段は感情を表に出さない部長が涙を溢して祝福している。亡くなった母の友人だった部長は、親代わりとして蓮華に寄り添い、ずっと支えてきた。自分の娘のように接してきた蓮華の結婚を心から喜んでいる。
その場に居た全員が蓮華の結婚を祝福した。部長と吉村は人目も憚らず大声で泣いていた…。
窓から差し込む朝日も蓮華と真一郎を祝福するように照らし続けていた…。




……続く。






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