転生したら棒人間

空想書記

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   黄桜   蓮華



「一体…誰なんだろう…。なんで…この名前を見ると…涙が…」


    考えても考えても分からないまま真一郎はいつの間にかリビングで寝てしまった。
翌朝、目覚めた嶺衣奈は寝室に真一郎が居ないことに気づいて、リビングへ静かに移動した。
    テーブルに俯せに眠っている真一郎に歩み寄って、こんな所で寝たら風邪引くよと起こそうとしたその時、テーブルに書き留めた一枚の紙切れを嶺衣奈は見つけた…。


「……黄桜……蓮華」


    下唇を噛み締めて目に涙を溜めた嶺衣奈はその紙をクシャクシャに握りしめる。
目を覚ました真一郎に気付かれないよう、いつもと同じ笑顔を振り撒いておはようと声をかけた。
起こされた真一郎はテーブルに置いた黄桜  蓮華と書いたメモが無いのに気がついて、怪しまれないようにそれとなくメモの事を訊いた。


「メモ?知らないよ?なにもなかったよ」


     そう言ってシャワーを浴びに行った嶺衣奈は浴室でシャワーを全開にして、声が聞こえないように泣き崩れた…。


「……黄桜…   蓮華…。誰…?…誰なの、この人…。誰なのよ…真一郎…さん」


    真一郎が昏睡状態から目覚めた時に叫んだ  “  れんげ  ”  という名前…。
黄桜  蓮華と書いてあったメモ…。
間違いなく同一人物の筈だ…。
嶺衣奈は黄桜  蓮華に深く嫉妬して、浴室で涙を溢し続けた…。
   真一郎は黄桜  蓮華に会えば何かが解るかも知れないと、もう一度会ってみたいと思った。
 蓮華の行動パターンを調べあげた真一郎は今日は同じ時間に出勤する日だと、やっている事はもう殆どストーカーなのにそんな自覚もなく、胸を高鳴らせていた…。


    元気のない嶺衣奈の様子に気付く気配もない真一郎は通勤の途中で、子供のようにワクワクしていた…。
後方から唸りを上げる独特なエンジン音が聴こえる…。
 蓮華という人だ。蓮華という人のC3の音だ…。
距離を縮めて来た彼女の車が隣に止まったその時だった…。
  ”  熱い  “  …なんだろう?首からかけているシドチェーンの南京錠がもの凄く熱い…。
狼狽しながら真一郎が胸から南京錠を取り出すと、橙色の光沢が増している。
ボンヤリと光を帯びているその南京錠を見た真一郎は息を呑み、嶺衣奈は声を上げた…。


「…なに…それ…光ってる」


    至近距離に居る蓮華の魂と呼応している現象だった…。
同様の事が蓮華にも起きていた。
左薬指が熱い。蓮華がそこに目をやると、光る筈の無い刺青がボンヤリと光を帯びている…。


「…棒…君?!」


    近くに居る?!蘇生した棒人間は自分の近くに居る…。
なんて言う幸運だ…。色を見る限りは蒼のままだ。
金色に変化していない為、蓮華の事は思い出してはいない。
どこに…どこに居るんだろう。
蓮華は信号待ちの最中、辺りを見渡したが、朝の通勤ラッシュのため分かる筈もない…。
    ハッキリと記憶えているのは暗闇で確かめ合った彼の身体と、彼の優しい瞳だけ…。
信号が変わった…。クラッチを切ってギアをローに入れてアクセルを踏み込む。
気魂しいマフラーの音が棒人間に呼び掛ける蓮華の叫び声のように響き渡る。
走行中も刺青の熱量と光が変わらない…。ずっと近くに居る…。
どこに居るんだろう…。
中央寄りを走る蓮華は左を見た。
隣の車を運転している男と目が合っている。
彼はすでに蓮華を見ていた…。
その瞳は…忘れもしない…。
薄暗い寝室で何度も肌を重ねた、何度も唇を重ねた、何度も見つめ合った…彼の優しい瞳…。


「…棒…君…」


    蓮華の事を思い出していない筈なのに、なぜこっちを見ているんだろう…?それより、何より、彼が居る…。二度と逢えないかも知れないと思っていた彼がこんなに近くに居る…。
高鳴る蓮華の鼓動と同時に涙が頬を伝う…。感傷に浸る刹那。


「真一郎さん!!!前!!!」


    渋滞で停車中の大型トラックのテールランプが真一郎の車の眼前に迫っていた。
目を見開いた蓮華は後続者に追突されるのを防ぐ為、ブレーキとサイドブレーキを同時に使って急減速して、ハンドルを左へ切った。
アクセルを踏み込んで真一郎の車に左ボンネットを接触させて左側へと押し出して行く。
左ハンドルで窓を開けていた蓮華は真一郎に叫び上げた。


「ロックするからブレーキを離して!!」


    大型トラックの左後方から右のサイドミラーを当て飛ばしながらすり抜ける。
右ボンネットからドアに向かってトラックの左後部にゴリゴリと削られていくコルベットC3の金属片が断末魔のような音と共に火花を散らしていく。
真一郎の車が遮音壁に衝突しないように自車を減速しながらリアをぶつけて制御し、向きを変えさせられた真一郎はブレーキを踏んで車を止める事が出来た。
    蓮華は逆ハンドルを切ってスピンターン。
スピードと衝撃をブレーキとアクセルで逃がすようにドリフトをしつつ遮音壁にぶつかった…。
ッドォオオオオンという衝撃音が響き渡り蓮華のコルベットC3が弾き飛ばされて回転する。
蓮華はクラッチとアクセルを巧みに使い回転数を合わせて、後輪を流して行くが、衝撃の勢いが消化出来ずコルベットC3はコントロールを失い、勢いを増して横に滑っていく。



              さよなら棒君         
   


    蓮華の微笑む頬から涙が伝う。コルベットC3が激突する刹那。
死神ナンシーが車内に現れ囲むように抱きつき、背中から生やした大きな黒い翼で瞬時に蓮華の身体を包み込んで衝撃から護った。
外ではシドがコルベットを片足で抑えている…。


「フーッ…間に合ったわ」


「…ナ…ナンシー…さん…?」


「大丈夫?蓮華ちゃん」


「…は…はい」


「…命を投げ出してまで彼を護ろうとした姿…。カッコ良かったわ…。これは貴女の勇気ある行動に対しての、私からの心意気よ…」


   そう言って微笑んだナンシーの後ろから、シドが「無茶するねー。死ぬとこだったよ黄桜  蓮華」そう言い残すと二人は煙のように消えて行った。


「…た…助かった」


    咄嗟の行動とは言え、護ってもらわなければ死んでいたかも知れない…。目前に迫っていた死の恐怖を改めて感じた蓮華は背筋を凍らせた…。
    周囲の人間からはシドとナンシーは見えていないので、蓮華の車が遮音壁にフワリと止まって見えた。
有り得ない現象に周囲の運転者は息を呑んだ…。
側面とボンネット、リアがひしゃげたコルベットC3が衝撃の酷さを物語っている…。
蓮華のC3によって押し出され逆向きに止まって事なきを得た真一郎は、嶺衣奈の無事を確認し、慌てて車を降りて行った。
蓮華さんという人が護ってくれた…。なぜ?そんな疑問を考えている余裕は無かった…。


「大丈夫ですか!!!」


    あれだけのスピードで衝突した筈なのにほぼ無傷の蓮華を見て真一郎は息を呑んだ…。
左手薬指に目をやると蒼色のままでボンヤリと光を帯びている…。
私の事を思い出してないと理解した蓮華は余計な事を言うのは止めておこうと思った。


「…目が…合ってたでしょ?…私に見惚れて事故られたら、寝覚めが悪いから…。なんてね」


「…黄桜…蓮華…さん」


   私の名前を知っている…。記憶が戻りかけている?
何かしらで知ったのか?何れにせよ自分の名前を知っている蘇生した棒人間に、蓮華は胸が高鳴ったが、素知らぬ振りを装った…。


「…名乗った覚えは…ないけど」


「…変な事を言いますが…、ボクは…貴女のことを…知らないのに…知ってるような気がするんです…」


    その言葉に蓮華は魂が記憶えているって…こういう現象か…。
そう思うと何だか笑えてきた。


「アハハ…全然変じゃないよ棒君」


「…ぼう…くん…?」


「…いや…ごめん…何でもないや」


「…真一郎…さん」


   真一郎の後ろから女性が駆け寄ってきた…。
清楚で可愛らしい…。ビー玉のような澄んだ瞳が蓮華の顔を見据えている。
同じ女だから分かる…。
これは…この眼は…嫉妬だ…。
なぜ?この人は何も知らない筈…。
強い嫉妬心を虫も殺せなさそうな
可憐な女性から感じる。
この可愛らしい女性が棒人間の婚約者だと蓮華は一目で分かった。


    嶺衣奈は真一郎と話す女性を見据える。
真一郎は、黄桜   蓮華さんと呼んでいた。
昏睡状態から目覚めて最初に叫んだ名前の人…今朝メモに書いてあった人だ。
芯の強そうな可愛くて綺麗な人…。
今も自分の命を省みず、真一郎さんを護った…。
同乗していた自分も護られた…。
私には…あんな運転技術はない…。あったら出来るの?あの一瞬で判断して、自分の命は省みず、迷わず命を投げ出してまで護る…。
そんな事はおそらく出来ない…。
悲鳴を上げるのが関の山だ…。
彼のために死ねる…?死ねるよ…私だって大好きな真一郎の為に命は…投げ出せる…筈…。


この人が…黄桜  蓮華…。
この人が…黄桜  蓮華という人。


嶺衣奈は命を救ってもらった感謝よりも、悔しい嫉妬心のほうが勝ってしまっていた…。


「…真一郎さん」


「…れ…嶺衣奈さん」


     嶺衣奈の呼び掛けに真一郎は狼狽して、蓮華と少し距離を取った。
蘇生した棒人間はしんいちろうっていう名前…。
名字はまさか曽我部?先日、後輩の吉村が曽我部  真一郎が車を見にきていたと言っていたことを蓮華は思い出していた。


「…お身体の方は大丈夫ですか?先刻、救急車を呼びました。私の婚約者が余所見をしていた為、大変ご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございません。危ない所をありがとうございました」


    蓮華は先制攻撃を射たれたと感じた…。婚約者と名乗ることで、真一郎には手出し無用という布石を打ってきた。
嶺衣奈は何かしらの事を知っているのか…。何かしらの理由で嫉妬し、その上での物言いだと蓮華は感じた。


「…… いえ…無我夢中で…」


「真一郎さんが、あなたの名前を呼んでいた様ですけれど、彼とは…顔見知りなんですか?」


「 いえ…   真   一   郎   君  とは初対面なんです」


    意味ありげに返した蓮華の言葉に嶺衣奈の瞳がピクンと動いた。
苛立っている…。明らかだ…。
滾る嫉妬心を物凄く感じる…。
嶺衣奈はピリピリしながら、真一郎が目覚めて最初にアンタの名前を叫んだのよ!素知らぬ振りをするなんてと憤りを隠せない様子だった。


「お車と治療費はこちらで負担させていただきます」


「嶺衣奈さん…。それはボクの責任なので…ボクがこの人と話しをします」


    そう言って真一郎は名刺を差し出した。
曽我部物産専務取締役  曽我部  真一郎。そう記してあった…。
蓮華が、金持ちの甘ったれなボンボンになど興味ないと言い捨てた人物が棒人間だった。
    それならこの婚約者と名乗る女性は磯鷲  嶺衣奈か…。
曽我部  鉄治郎の御曹司であり、青年実業家の曽我部  真一郎。
その婚約者は磯鷲貿易の令嬢。
磯鷲  嶺衣奈。
    令和の超大物カップルとして、メディアで取沙汰されている。
ニュースくらいは見ている蓮華でも知ってる大物だ。
はっきり言って住む世界が違い過ぎると思わざるをえない…。
蓮華は名刺を手渡されて酷く落ち込んだ…。
薬指の刺青は蒼色のままだった…。
   しばらくすると 警察と救急車が来た…。事故状況を実況見分した警察は、蓮華のハンドル操作の誤りによる接触事故だと断定したのを
違いますと真一郎は遮った。


「もし、追突してたらボク等は即死してたかも知れません」


    真一郎自身が脇見運転の為、大型トラックに追突しそうな所を彼女が車両を接触させて回避してくれたと説明し、複数居た目撃者からも同様の話が聞かれた為、蓮華の過失は無くなった。
    真一郎が全額負担する事で、その場で示談が成立した。
大破に近い状態のコルベットC3から、ほぼ無傷で降りてきた蓮華の様子に、警察関係者と救急隊員は「そんな馬鹿な」と息を呑んだのは言うまでもない…。
     取り敢えず検査の為と救急車に乗って行った蓮華を見送った。
真一郎と嶺衣奈は本当に無傷なので救急車には乗らず、嶺衣奈はタクシーで会社に行かせた。
真一郎は警察立ち合いの元、事故処理をして足早に蓮華の入院した病院へと向かった。
検査結果は異常無しだったが、大事を取って一週間入院することになった蓮華はぼんやりと左手薬指を見つめていた…。


「失礼します…」


「…曽我部さん」


    先刻の礼と謝罪を済ませた真一郎は昏睡状態から目覚めてからの経緯を話した。
れんげさんと叫んで目覚めたこと。
シドチェーンを外したくないという強い気持ちが続くこと。
蓮華のコルベットC3を見たら涙か出たこと。
駄目なことだと思いつつ後をつけたアパートを知っていた上、二階の角部屋に住んでいると分かってしまうこと。
勤務先も分かってしまったこと。
先刻の事故の直前にシドチェーンが光ったこと…。


「何か…知ってることがあれば…教えてほしいんです」


     言える筈がなかった…。婚約者も見てしまった。悲しみと嫉妬に満ちた瞳が、私から真一郎を奪らないでと言っている様だった…。
あんな悲しい瞳を見てしまった蓮華は何も言うことは出来なかった。

「…ただの…偶然…だと思います」


「では…なぜ…身を挺してまで…ボクを護ってくれたんですか?」


「それは…さっき言いましたよ。寝覚めが悪いって」


    それだけ?!たったそれだけで、命を投げ捨てようなどとは思わない。有り得ない…。自分で言うのも烏滸がましいがと真一郎は少し興奮気味で声を上げる。


「貴女は…自分の命も省みずに、ボクを…護ってくれた…。見ず知らずの他人にそんなこと…出来る筈が…無いです」


    知ってるよ…君の事は良く知ってるよ…。曽我部  真一郎というワードに関わる事以外の全てを知ってる。寂しがりなこと、子供のように拗ねること、よく泣くこと、楽観的なこと、優しいこと、温かいこと、私を愛していてくれることも…。知ってるよ…。いっぱい知ってる…。溢れそうになる涙を、声に出そうな言葉を飲み込んで、蓮華は下唇をキュッと噛み締めて俯いた…。


「あと…ボクの事を…ぼうくんって言いましたよね…」


「……言って…ないですよ…気のせいじゃ…ないですか」


   ある日、突然アパートに彼が迎えに来るのだと思っていた。
ドラマのように全てを捨てて来た…などと言って…。
それなら喜んで迎え入れただろう…。
棒人間が手の届かない大物だと知ってしまった。
婚約者の顔も、悲しげに見据える瞳も、嫉妬に満ちた顔も…見てしまった…。
    別れの日には、固く約束をした。相手が誰でも略奪する気でいた…。見てしまった以上、知ってしまった以上…蓮華には太刀打ちも出来ないし、略奪なんて出来ないと思ってしまった。
    私が我慢して、素知らぬ振りをし続ければ何れ魂も忘れていく、諦めるだろう…。
この人は磯鷲  嶺衣奈と結婚したほうが良い…。
私が諦めれば誰も傷付かなくて済む…。それが最善だという答えに行き着いた…。
    そう思えば思うほど、涙が勝手に頬を伝ってしまった。
真一郎は涙を溢す蓮華を静かに抱き締めた…。


「……なんで…こんな…こと」


「わかりません…。身体が…勝手に動きました…無礼をお許し下さい」


    彼だ…。彼の温もりだ…。幾度も肌を合わせた彼の温もり…。
嬉しい時も、辛い時も、悲しい時も…抱き合った彼の温もり。
蓮華は抱き締めてしまいそうに震える手を出すことが出来ずに目に涙を溜めていた…。



      …好き…大好きだよ…棒君



「また…来ますよ。蓮華さん」


「…来なくていいよ。…君は…忙しい人でしょ?」


「…蓮華さんが、また泣くといけないので」


「泣きません」


「ボクが来たいから来るんです。ボクの自由です」


    ああ…。こう言う不毛なやり取り…。間違いなく棒人間は曽我部  真一郎だと改めて確信した…。
真一郎が病室を後にして、しばらくすると入院の報せを受けた会社の上司や同僚が駆けつけた。
無傷の蓮華を見て安堵したが、あまりの無傷っぷりに皆は一様に驚いていた…。


「不死身」


「化物」


「ターミネーター」


「ゾンビだ」


「もはや人外」


…などと揶揄して、笑いながら病院を後にして行った。
最後に残った吉村は、事故の相手が曽我部  真一郎だとわかり、玉の輿狙えますよと冷やかして帰っていった。
夜になると曽我部  真一郎が再び訪れた。


「こんばんは…蓮華さん」


「こんばんは曽我部さん」


「嬉しいですか?」


「は?」


「嬉しいって言ってくださいよ」


「はい、嬉しい嬉しい」


「すっごい面倒臭そうに言いましたね。失礼な人だな」


「アハハ、ごめ~ん」


    そう言って笑った蓮華の顔に真一郎は胸が高鳴るのを感じると同時に不思議な懐かしい気分になった。
ボクはこの人と絶対に何かある…。真一郎はそう直感した。


「やっと笑ってくれましたね。笑っていられれば楽しいですから」


     笑っていられれば楽しい


    蓮華が時折使っていた言葉だ…。
魂が記憶えているんだ…。蓮華は溢れそうになる涙を俯いて瞬きをして、ごまかし、そうだねと微笑んだ。
高揚する蓮華の胸の高鳴りを一つの声が止まらせた。


「真一郎さん」


「あ…嶺衣奈さん」


「すみません…。遅くなってしまって。真一郎さんの婚約者の磯鷲  嶺衣奈と言います」


    再度、婚約者と名乗った嶺衣奈は今朝の事故の事を再び謝罪し、感謝の言葉を述べた。
口元は絶えず笑みを浮かべていたが、可愛らしい瞳は一ミリも笑っていなかった。
蓮華を見据えるその瞳は強い嫉妬心が滾っていた。
    真一郎が嶺衣奈の様子に構うことなく、蓮華と楽しそうに話をする…。
終始、嶺衣奈の瞳は笑うことなく絶えず蓮華を見据えていた。
強い嫉妬心から憎悪さえ感じるほどに…。
病室を後にする際、笑顔を振り撒く真一郎と同様に嶺衣奈も笑ってはいたが、その眼は最後まで笑うことなく蓮華を見据えていた。
帰りの道中、二人はほとんど会話することなく家路に着いた。
自宅に戻った嶺衣奈は直ぐ様真一郎に対して苛立ちを見せる。


「黄桜さんと…随分親しくなったのね…真一郎さん」


「そう…かな」


「私となんか…話してもくれないのに…。あの人が…真一郎さんが昏睡状態から目覚めた時に叫んだ…蓮華さん…なの?」


    昏睡状態から目覚めた時に、そう叫んだと聞かされた。
叫んだ記憶えは全く無いが、そうだ…。絶対そうに決まってる。
真一郎が名前を叫んだ人は間違いなくあの黄桜  蓮華だ…。
そうならば色々な違和感が全て繋がるし、そうでないなら…沢山の矛盾が生じてしまう…。
何より蓮華は身を挺して自分で助けた…。
あの人はボクの事を知っている…。
そう確信せずには居られなかったが、何の確証もない事をわざわざ嶺衣奈に言うことも出来ない真一郎は素知らぬ振りをした。


「分からないよ…叫んだことも、記憶えてないんだ」


「…うそつき」


「?」


「じゃあこの紙切れは…この紙切れは何なのよ!!!」


    嶺衣奈が投げて寄越した丸められた紙切れには黄桜  蓮華と書いてあった…。真一郎が事故の前日…昨夜に書き留めた物だった。
今朝、嶺衣奈に訊いたら知らないと素知らぬ振りをしていた…。


「…言ったところで…、信じては…くれないと思う…。ボクにだって不可解なことばかりなんだ」


「そんな事ばっかり!!退院してから真一郎さん、おかしい!!おかしいよ!!」


「…そうだね…。そうかも…知れない…。ごめんなさい」


「なんで謝るの?!なにに謝ってるのよ!!」


   涙を溢して声を上げた嶺衣奈は腕を真一郎の首に回して「キスしてよ…」と詰め寄ったが、真一郎は行動に移そうとはしなかった…。
悔し涙を浮かべた嶺衣奈は、真一郎の左手を掴んで自分の胸に手を触れさせた…。


「胸に触ってよ!!」


    真一郎は気まずそうに俯いたまま指先一つ動かそうとはしなかった…。女性としてこの上ない屈辱を受けた嶺衣奈は涙を溢して喚き散らした。


「なんで…なんで、指一本触れてくれないのよ!!!なんで私じゃ駄目なの?!好きなのに…こんなに好きなのに…」


「真一郎さんを…あんな女に渡さないから!!蓮華なんかに渡さないんだから!!!」


    寝室の扉を思い切り閉める音が、嶺衣奈の怒りと悲しみを現しているように大きく鳴り響いた…。
寝室からすすり泣く声が聴こえたが、今の真一郎には慰める術が見つからず、どうする事も出来なかった…。
     その後も真一郎は夜になると、蓮華の元を訪れた。家にいても嶺衣奈とはうまく行かず、気が重いだけだった。
うまく行ってないのは自分のせいなのだが、それでも嶺衣奈と関係を修復するより蓮華といる方が楽しかったし、安らいだ…。
ボクは…この人を好きになりかけているのか…。こんな短期間で…。有り得ないだろうと自分の心の変化に真一郎はかなり戸惑っていた…。

    婚約者の居る立場の真一郎はそんな想いを口に出せる筈もなく、蓮華もまた婚約者がいる上に、自分の事を思い出せていない真一郎に余計な事は言えなかった…。

    互いに本当の想う気持ちを口に出せないまま、一週間が経過して蓮華は退院した…。
病院から出ると真一郎が待っていた。


「真一郎…君」


「迎えに来ました」


「…なんで」


「逢いたいからです」


「…私は…別に」


「いいんです…。ボクが蓮華さんに逢いたいんですから」


    真一郎は助手席に蓮華を乗せて走り出した。
最近の高級車は音が静かなんだな…くらいにしか思わないほど蓮華は高級車に興味がなかった。
他愛もない話しをする間に、案内もしていなにも拘わらず蓮華のアパートに着いた。


「本当にウチを知ってるんだね君は」


「調べました」


「それはストーカーではないのかね」


    真一郎は悪びれる様子もなく気になっていたのでと清々しく言いきった。こう言う所も相変わらずだなと蓮華は笑みを浮かべた。


「お金持ちには狭くて窮屈だけど…上がってく?」


「い…いいんですか…」


「送ってもらったし…お茶くらい出すよ」


「狼になってしまうかも知れませんよ」


「それはそれは楽しみだね」


   明らかに嬉しそうにしている真一郎を見て蓮華は胸が高鳴ったが、既に一つの決意をしていた。
そんな蓮華の思惑など気付きもしない真一郎は室内に入って唖然とした…。
知っている…この部屋を…棚に敷き詰められたCDを…。
蓮華が泥酔して拾ってきたよく分からない物を…。


「蓮華さん…ここ…」


   その様子を見た蓮華は静かに目を閉じて、真一郎にしなだれかかっていった…。
胸が高鳴る…。真一郎はこの胸の高鳴りは異常だ…。ボクとこの人はなにかがあったと確信した。
上目使いで微笑み、Yシャツのボタンを外していく蓮華の動作を止める事が出来ずに真一郎は脱がされて上半身を裸にされた…。


「…れ…蓮華さん」


「目を…閉じて」


    言われるがままに目を閉じる真一郎を見た蓮華は一筋の涙を頬から伝わらせた…。
薬指の入れ墨は蒼いままだ…。
    死神シドの力によって取り出された蓮華の魂の色が染み込んだシドチェーンの南京錠…。
それを開けて真一郎から取り外せば忘れてしまった記憶を取り戻すこともないだろう…。


…これで…終わり


そう心の中で思った蓮華はシドチェーンの先にある南京錠に手を添えて鍵を差し込んだ…。


…さよなら…棒君…







……続く。

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