転生したら棒人間

空想書記

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ボクは人間じゃないんです

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「なんで…手が無いんだ」


    何も無いところから血液を滴らせて踞る棒人間…。
取り繕いようの無い状況に呆然としていた蓮華はハッとして血相を変えて駆け寄る。
その状況を逸速く察知した蓮華のことを好ましく思っていない吉村が阻止しようと声を上げる。


「なにか…なにか訳があると思います」

    吉村が発したその一言で、会社の空気は取り敢えず落ち着いた…。
甘えるような声で涙を溢して、目に見えない掌に手を沿えると驚いたように再度、声を上げる。


「……手が…ある…透明?人間?」


    割って入った蓮華が棒人間の手を取って血液を拭き取り、何もない流血する場所に消毒液を塗って処置を施した。
もうこれ以上どうにもならないと覚悟を決めた蓮華は騒然とする社内を見渡した。
処置したばかりの棒人間の右手に注目が集まっている。
当然だ…。何もない所から出血し、何もないところに絆創膏が貼られている。
スーツの袖から離れた空間に絆創膏が浮いて見えているのだ。
    手狭な事務所の奥に腰かける部長が蓮華に説明を求めた。
ひとたび目を閉じた蓮華が次の言葉を発しようとしたその時…。
棒人間は左手の手袋を外し、頭に巻いた包帯を外してスーツとシリコンスーツを脱ぎ捨てた。


「ボクは…棒人間なんです」


     吉村を始めとする、社員全員が…(とは言っても10人ほどの人数だが…)息を呑んだ。
部長と専務が棒人間に歩み寄って棒人間を上から下まで眺める。
蓮華は棒人間の仕事振りを見て、どうしても働かせたかったと謝罪を交えながら話して、今日付けで二人とも解雇にしてくださいと申し出た。


「何で?」


「え?いや…でも」


「棒人間が働いては駄目だという法律など、どこにも無いだろ?いやぁ…長生きはしてみるもんだな部長」


「そうですね」


   専務は棒人間なんて居るんだね、これは驚いたと感嘆している。
落ち着かない状況の中で、再度専務は蓮華に包帯は巻けるのかと訊いた。


「ええ…それは出来ますが…」


「それなら問題無いだろ部長」


「彼は黄桜よりも仕事が早いので、うちでは最も仕事が熟なせてます」


「実は先日の企画書も彼が作成した物なんです」


    それを蓮華から聞いた専務と部長は更に感嘆して、棒人間がここで働くことに異論のある者はと声を上げた。
誰一人として異論を唱える者など現れず、棒人間はそのままどころか、企画書の件で会社の利益が上がっていた為、蓮華と同じ主任に昇進がその場で決定した。


「黄桜君」


「は…はい」


「これからも彼と共にウチで働いてくれるね?」


「は…はい!」


    蓮華が頭を下げたと同時に棒人間は涙声で、何度も何度もありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございますと言い続けた。
10人ほどの人間だが、棒人間が受け入れられたことが、何よりも嬉しかった。
少しだけ涙目になった蓮華が棒人間に微笑みかけると、割り込むように吉村が棒人間に泣きながら抱きついた。


「良かった。ボーダム君が辞めなくて本当に良かったよ」


   最早、BOREDOMでなくても良いのだかと棒人間は思ったが、わざわざ言うことてまもないので、そのまま聞き流しておいた。
抱きついた吉村はペタペタと棒人間の身体に触れていき物珍しそうにしている…。


「本当だ…。身体は棒なんだ~」


「はい」


「私が包帯、巻いてあげるよ」


    棒人間に包帯を巻きながら事ある毎に棒の部分に触れては棒だ~棒だ~と声を上げ、皆も触ってみなよ~と面白がっている。
困惑気味の棒人間に周りの者も致し方ないことだが、物珍しさに入れ替わり立ち替わり触りに来ていた。
蓮華も当初は物珍しさ故に触ったりイジったりしたので面目ないと思いつつ、敢えてゆっくりと包帯を巻いて見世物のように振る舞う吉村の対応には少し苛立っていた。


「手伝うよ」


    そう言って、蓮華は手早く包帯を巻いてシリコンスーツを着せ、その上からスーツを着せた。
部長がボー君とはどこで知り合ったんだと訊くと、蓮華は人差し指をコメカミ辺りに添えてバツが悪そうに苦笑いをした。


「で…泥酔していて…、拾って持って帰ったら…生きてました」


    黄桜らしいなと専務と部長は腹を抱えて笑い出した。周囲の人間も同様に笑っている。
バレてしまった時はどうなるかと思ったが、以外にもアッサリと受け入れられたのは、いい加減な零細企業という部分、いい加減な専務と部長の人間性だった。
割りとブラックな企業体質が幸いした…。ブラック企業万歳とは言えないが、蓮華と棒人間にとっては結果オーライになった。


「いいなぁ~私も拾いたい。ボー君、私の家に来てよ~」


    俺が行くよと何人かの男性社員が声を上げると、普通の人に~来てもらっても~楽しくな~いと、いつの間にかキャラ設定の話し口調に戻っていた。
その様子に蓮華は口元をヒクつかせている。


「ほ…本人に訊いてみたら?」


「ねぇ、ボー君。ウチに来ない~?」


「え…と、すみません。ボクは蓮華さんと…居たいんです」


「え~?!私、フラれちゃったよ~。でも、ありがとね~。ボー君のお陰で怪我しなくて済んだよ~」


    その日を境に、吉村は事あるごとに棒人間に接近するようになった。周囲の人間は微笑ましいという印象で見ていたが、その異様な接近振りに嫉妬する男性社員も出ていた。


「吉村さん、物好きだね~」


「恋愛は自由じゃないですか~?そうですよね~。黄桜さ~ん」


    何故、張り合うようにいちいち私に言うんだ?…鬱陶しいなと蓮華は思っていた。
蓮華の苛立ちは半分が当たっていた…。
    吉村は自分が一番でないと気が済まないタイプだ。
恵まれたルックスでどんな男でも手玉にとって来た…。
常に周りの男に注目されて、尽くしてもらうのが当たり前で生きてきた。
それは社会に出てからもブれない生き方だった…。
    棒人間が入社してきた時も包帯だらけのキモいヤツと言っていたが、思いのほか仕事ができたので、手玉に取ることにした。
甘えて仕事をやらせる事に成功していた。
    棒人間だと周囲に判明した時には、面白半分で家に誘った…。
当然、尻尾を振って来ると思っていたのに、 ”蓮華と居たい”  そう言って断った事が許せなかった。
プライドが傷付いた吉村は、あんな大して可愛くもないババアに負けるわけないと闘争心を剥き出しにしている。
   目下の吉村の目標は棒人間を惚れさせてボロ雑巾のように捨てることだ。
その日も吉村は棒人間を夕食に誘った。
ここ最近、二人で腕を組んで退社することが増えている、
蓮華はとくに口も出さず、毎回グッタリして帰ってくる棒人間の愚痴を聞きながら酒を酌み交わすのが日課になっていたくらいだ。

    いつものグッタリする夕食が終わって分かれるところで、いつまで経っても煮え切らない棒人間に業を煮やした吉村は攻めの一手に出た。
姑息だが、目眩がすると倒れ込み自宅へ送らせるという単調な手段で棒人間を自宅のアパートに招き入れた。
玄関に入るなり吉村は甘える様な声で上目遣いをした。


「私ね…ボー君の事…好きだよ」


「でも…ボクは…棒人間なんです」


「そんなの関係ないよ。私がボー君好きなの…。人は…見た目じゃないよ…」


    思いもよらなかった…。棒人間に告白してくる人なんて居ないと思っていた。けれど、棒人間に胸の高鳴りは全く無かった。
吉村はとても可愛い…。
こんなに可愛い人と付き合えたら、好きだと言われたら誰だって嬉しい筈なのに…。
同じことを蓮華に言われたらどれだけ幸せなんだろうと考えたくらいだ…。
吉村は唇辺りの包帯を外して、棒人間にキスをした…。柔らかい唇の感触…。絡みついてくる舌の感触が理性を飛ばしにやってくる。


「唇…あるんだね」


    魔性のような上目遣いをした吉村は再度、唇を合わせてきた。
棒人間の肩から胸辺りに触れては棒だねと微笑み、下腹部に手を回した。
ビクッとする棒人間の首筋に舌を這わせていく。


「コレは…あるんだね」


   蓮華には言ってなかったことだ。訊かれなかったことでもあるが、敢えて言うことでも無かった為、言ってなかった。
蓮華よりも先に吉村に知られてしまったことに、とても悪い事をしているという思いに駆られた。


「熱いよ…ボー君…」


「あ…あの」


「じゃあ…今日はここまでね。私と付き合ってね…ボー君♪」


   何だろう…ボクの好きとあの人の好きは違う…。
好きでもないのに唇を合わせ、好きでもないのに身体が反応したのが悔しくて、悲しかった…。
一般的な男性に比べて棒人間は純粋だった…。
家に帰った棒人間は力強く蓮華に声を上げた。


「蓮華さん!!!お話しがあります!!」


「な…何?どうしたの?」


「言ってなかったんですが…言う時がなくてっていうか、敢えて言わなくても良いかなって思っていて、言ってなかったんですが」


「う…うん…」


「ボクには!!チ○チ○があります!!」


「は?」


「ですから!!ボクにはっ!!!○ン○ンがあります!!!」


    フルフルと震えた蓮華はブフッと吹き出して我慢出来ずに大爆笑し出した。
棒人間は蓮華よりも先に違う女性に言ってなかったことが知られてしまったのが悔しくて、一大決心して打ち明けたのに…。
打ち明けたのに…。
蓮華はお腹を抱えてゲラゲラと笑い続けている。


「帰ってくるなりチ○チ○がありますって!!○ン○ンがありますって!!何~?!あっはっはっはっはっ!!し…知ってるよ…そんな事ー。今更。はー可笑しい」


「え?!」


「だってさぁ~包帯巻いたり、シリコンスーツを着せたりと何回、君の身体に触れてると思ってるの?そんな事、当に気付いてたよ」


「そ…そうなんですか」


「どうしたの?急に」


    冷静になればそうなのだ。蓮華と付き合ってるわけじゃない。
片想いだ…。
吉村に知られたからと、蓮華に隠し事をしていたからと罪悪感に苛まれる必要などないのだ…。
こんな事を言ってしまえば好きですと意思表明しているようなものだ…。


「チ○コでも握られたか!」


「い…や…あの、す…すみません」


「図星かー。あっはっはっはっはっ!!なんで謝るの?恋愛は自由だよ」


   恋愛は自由…。同じ言葉を吉村も言っていた。吉村が言っていても、“そうですね“としか思わなかった…。蓮華に言われると突き放されているようで、心が痛かった…。

    棒人間は蓮華への想いを秘めたまま、積極的な吉村に圧されるように付き合うこととなった。
蓮華も普通に祝福してくれた。
何度かデートも重ねた。
会社でも常に棒人間に甘えて接近し、誰が見ても付き合ってるという風に映っていた。
棒人間と付き合ってあげてる健気な女の子という好印象で…。
仮に破局したとしても、吉村はルックスで人を選ばない、内面を見るいい娘だという付加価値が付いてくる。

    吉村と棒人間の交際が三ヶ月ほど続いた。
その三ヶ月の間に沢山色んな所へ行った…。身体の関係までは行ってないものの、全ては吉村主導だが唇も何度か交わした。
…それなのに…。
なんでこんなに楽しくないんだろう…。
楽しくもないのに楽しい振りをする。
楽しくもないのに楽しい振りをする事を蓮華に悟られないようにする。

    そんな疲れる日々が続いたとある日、吉村は私と付き合ってるのに違う女性と住んでいるのはおかしいと言い出した。
戸籍もない現状で棒人間が一人暮しをすることは先ず不可能だ…。


「じゃあ、私と一緒に住もうよ」


「すみません…ボクは蓮華さんと居たいんです」


一瞬…。一瞬だけ吉村は憎悪に満ちた表情を見せたが、直ぐにいつもの甘えた感じに戻って「ざ~んねん」と笑っていた。
分かれた後、去って行く棒人間を苦虫を噛み潰したような表情で、吉村は睨み付けていた。


「何で即答なんだよ!何だよアイツ!棒のクセに!!私が…付き合ってやってるのにぃ…。まあ充分、夢を見させたから…そろそろ捨ててやるか」


    アパートに戻った棒人間は今日の出来事を話した。
一緒に住もうと言われたという話しを訊いた蓮華は少しだけ曇った表情を浮かべていた。
いつもの様に棒君の自由にしたらいいよと言うのだと思ってた。
いつもの様に背中を押すようなことを言うのだと思ってた。
その度に突き放されたような気がして棒人間は胸が痛かった…。


「駄目だよ?君は私と居て」


「え?」


「棒君は…私と居てよ」


その言葉にどんな意図があったのかわからない。
その言葉にどんな想いがあったのかわからない。
それでも棒人間には蓮華に必要とされている…。それだけで、その言葉だけで充分だった。


「はい…ボクも蓮華さんと…居たいです」


一筋の涙をテーブルに落とした棒人間を蓮華は優しく抱き締めて、頭を撫でた。


「君が居ないと…つまんないよ」


    いつものようにニッコリと微笑む蓮華の顔…。棒人間にはそれだけで充分だった。



          -翌日-

    気まずい思いで出社すると、吉村は何事も無かったように棒人間に甘えてきた。
平日も吉村と一緒に帰り、週末には普通にデートの約束もした。
もう別れた方がいいのかと悩んだが、カップルらしい付き合いもそこまで進んでいないことから、棒人間は中々言い出せず、ズルズルとよくわからない関係は続いたまま週末を迎えた。


「じゃあ…行ってきます」


     デートの待ち合わせに行くと、吉村と一緒に見知らぬ人が居た…。「乗って乗って~」と言われるがままに吉村に促された棒人間は派手な車に乗せられて、見知らぬ家に連れていかれた。
そこには二十人ほどの人間が集まってパーティーをしており、家に入るなり蔑むような笑い声で迎えられた。
吉村の笑い声と共に棒人間は紹介された。


「この人が噂の棒人間でーす」


    棒人間の想像でき得る最悪の事態だった。
群がる人々は棒人間の衣服を脱がせ、包帯を外し、濃い目のレンズの眼鏡を奪い取った…。
三十分ほど身体を触れ回され、何人もの人間に嘲り笑われ続けた…。
怖くて辛くて反抗も出来ず、涙を溢した…。
何もないところから溢れる涙が更に笑いを誘った…。
    嘲る顔と笑い声の中、吉村は写真は可哀想だから撮らないであげるねと、自分の保身丸出しの言葉を投げかけた挙げ句、私と付き合えて幸せだったでしょ?もしかして本気にしてた?そんな訳ないよね?あなた棒なんだから~。と嘲り笑って、さようならと家から追い出された。
悔しくて、悔しくて棒人間は泣き続けた…。
顔に雑に巻き付けられた包帯が濡れて色が変わっていき、顎から染みだしてポタポタと漏れだして行った…。

    アパートに着いた棒人間は蓮華に濡れた包帯を見られないように玄関で手早く包帯を外してリビングに入った。


「ただいま」


「お帰り。アレ?今日は早かったね」


「そうですか?」


   そう言った棒人間は今日の出来事を言える筈もなく、架空のデートを楽しそうに話しをする。
疲れるところもあるけど、吉村さんは可愛くて、一緒に居ると癒されますなどと話している最中、遮るように蓮華は口を開いた。


「棒君…。何があったの?」


「え?」


「君とどれだけ一緒に居ると思ってるの?声を聴いただけでわかるよ」


    その言葉に下唇をキュッと噛んた棒人間は一言だけポツリと「別れてきました」と呟いた。


「そっか…仕方ないね…。それで…何があったの?」


「…いや」


「……話して。ただ事じゃないよ…君の声」


    棒人間は対面に座る蓮華の真っ直ぐな瞳に何も言えずに佇んでいると、見透かしたように「辛かったね」と一言だけ呟いた。

その言葉に棒人間は震えながら涙を溢した。
玄関先で不自然に外してきた包帯、損傷したシリコンスーツ、乱雑に羽織ってきた衣服…。
おそらくは服を脱がされ、嘲り笑われ見世物にされたのだと理解できた。
蓮華はそれ以上の追及をやめて、優しく静かに棒人間を抱き締めた…。


「女は星の数ほどいるから」


「…はい」


「あー、でも棒を好きになる危篤な女は中々…ねぇ」


「なんですか!ボクは少なくとも傷ついてるんです!」


「そうだ!怒れ怒れ!もっと私に怒って嫌な事は忘れてしまえ!」


「……蓮華さん」


「私は…何があっても、君の味方だよ」


    棒人間は泣いた…。大声で泣いた…。
吉村に捨てられたことなんかじゃなくて…。
笑い者にされたことなんかじゃなくて…。
全てをわかっていてくれた蓮華の思いやりに…。温かさに…。嬉しくて…。嬉しくて…。叶わぬ想いのやり場がなくて…。


-翌日-


「おはよ~ボー君♪私達、別れちゃったけど~、会社では普通にしようね」


    昨日の事などまるで無かったことのように振る舞い、周囲の人間に如何にも性格の不一致で致し方なく別れたかのように話す吉村に、堪らず蓮華は手に持っていたコーヒーをぶちまけた。
突然の出来事に周囲は言葉を無くし、吉村は目を剥いて吠える。


「な…何するんですか!!」


「アンタがチヤホヤされようが、どれだけモテようが知ったこっちゃなけどさ…。」


バァン!!
周りが引く程の音を立てて、力強く壁に右掌を叩き付けた蓮華は怒りの色を見せて、吉村に詰め寄る。


「私の身内を泣かすような事をするなよ」


「な…何ですか…。わ…私がボー君と寝たから妬いてるんですか…」


「…寝てない…なんで、そんな嘘を…言うんですか」


「当たり前でしょ?棒人間なんかと寝られるわけないじゃない?」


    お前なぁ!!と語気を強めて、吉村の胸ぐらを掴み上げた蓮華を周囲の人間が止めにかかる。
キレてしまった吉村も負けじと声を張り上げた。

「棒なのに!人間じゃないのに!私が付き合ってあげたのに!!笑われて当然でしょ!!気持ち悪い!!人間じゃないんだから!!」


「お前ぇ!!」


「やめてください、蓮華さん!!…吉村さんが言ってるのは…本当のことじゃないですか」


「な…なに…言ってるのよ…」


「…ボクが…ボクが…悪いんです」


    棒人間は手袋を嵌めた拳をギュッと握り締めて奮え、ポタポタと涙を溢して声を詰まらせる…。


「ボクは…人間じゃないんです…本当に…ごめんなさい」


「なんで君が謝るのよ!!おかしいでしょ!!謝んないでよ…そんな風に…君が…君が…謝んないで…」


    騒然とする空気を部長の声が切り裂いた。コーヒーに塗れた吉村が部長に駆け寄り、棒人間と性格の不一致で別れたことに難癖をつけて来てコーヒーを掛けられ、恫喝されたと泣きついた。
    あんな怖い人とは働けないからクビにしてと泣き出す吉村を宥めながら部長は、取り敢えず謝罪するように蓮華へ促した。
蓮華は毅然とした態度で、一ミリの落ち度も無いと言わんばかりに声を張り上げる。


「嫌です!私は死んでも謝りません!!」


「そうか……じゃあ…辞めていいよ」


  あまりの即決振りに周囲は耳を疑った。それほどまでに吉村は可愛がられているのかと…。
    “ざまあみやがれ”とほくそ笑む吉村は勝ち誇ったように蓮華の顔を見据えて、土下座したら許してあげると言おうとしたその時…。


「…吉村…お前が」


「え?私?」


「黄桜とは怖くて働けないんだろ?仕方ないじゃないか」


「…なんで…」


     部長は、吉村がさチヤホヤされて甘えるだけで、その尻拭いを蓮華を始めとした周囲の人間がどれだけの負担を抱えて、尚且、どれだけの仕事を熟なしてるかを説明した。


「そもそもコイツは人前で絶対に泣かない…。その黄桜が泣いて怒ってるんだ。…お前が悪いんだろ」


「な…なにそれ、私がコーヒー掛けられて恫喝されたのに…」


「じゃあ、それだけの事をお前がしたんだろ?黄桜の亡くなった母親と俺はな…昔からの友人だったんだよ。コイツのことはガキの頃から知ってる」


     ワナワナと奮える吉村に向けて部長は更に言葉を続ける。
周囲の人間は吉村を甘やかして仕事を率先して手伝っていた。蓮華だけは手伝おうとせず、部長命令がなければ手伝わなかった。


「なぜ、黄桜がお前を甘やかさないか…なんて考えたこともないだろう?コイツはな、誰よりもお前の成長を望んでいたんだよ」


   仕事をほぼやらずに遊びに来ているような吉村と蓮華なら会社としては蓮華を残すのは当たり前のことだ…。
吉村には何度か会社から注意がなされている。全く注意を受け入れる事なく平然としていた吉村に、割りと厳しめの措置も取られるところを何度も止めていたのは蓮華だったと部長は吉村に告げた。

   あの人だけ手伝ってくれない、冷たい人だと周囲に漏らしていた。
冷たくて感じが悪くて、親切にしてくれなくて、いつも厳しくて、大嫌いだった。周りの人間に大袈裟に伝え、蓮華の評判を落とし続けた。目の敵にし続けた蓮華が水面下で自分を護っていてくれた事を知った吉村は大粒の涙を溢した。


「…ご…ごめんな…さい」


「謝るの相手は…私じゃないよ」


「ボー君…昨日は…ごめんなさい。黄桜さんも、ボー君も…思い通りにならなくて、腹が立って酷いことしました…」


「全てが思い通りになるなら…私はこの世界の大王様になってるよ」


コワッ!!黄桜さん、やっぱり恐い…
同僚が呟いた一言で笑い声が起こった。俯いて佇む吉村を尻目に蓮華は事務所に行って新しい制服とタオルを手渡した。


「解雇は…」


 「誰の?」とスッとぼけて部長は事務所の奥に消えていった。
はい仕事仕事と周囲の人間も事務所に入っていった。
手渡された真新しい制服を胸にキュッと抱いた吉村は「ごめんなさい」と呟いた。
その様子を見て、蓮華と棒人間も仕事に戻った。


-その夜-

   夕食を摂った後で晩酌をしながら今日の出来事を振り返って棒人間はよく話していた。
傷付いていない筈がないわけだが、心配をかけまいと気丈に振る舞う棒人間の様子に蓮華は胸が痛んだ…。


「ボクはね蓮華さん…」


「うん。なぁに?」


「蓮華さんに拾われて良かったです」


「私も君を拾って良かったと思ってるよ…。…ねえ棒君」


「なんですか?」


「…居てくれて…ありがとね」


    真っ直ぐに見つめる蓮華の瞳は吸い込まれそうなほど綺麗だ。
絶世の美女かと言ってしまえばそんな事はないのだが、棒人間フィルターからはこの世で最も美しい人に見えていた。
ドキィィンと久しぶりの強めの胸の高鳴りに棒人間は体温の上昇が実感できるほど紅潮していた。
その後、他愛もない話をしをして眠りについた。
夜中にふと目を覚ました蓮華は気持ち良さそうに寝息を立てる棒人間の見えない頭を優しく撫でる。


「全てが思いどおりになるなら…か…。そんな贅沢は言わないけど…もし、一つだけ願いが叶うなら…」


   蓮華は静かにベッドから降りてカーテンを開けて、煌めく夜空を仰いだ…。
月に反射する蓮華の頬には一筋の涙が伝っている…。


「…私は…君を人間にしたいよ」


     その呟きを寝た振りをして聞いた棒人間は声を圧し殺して涙を溢した…。




…続く。



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