9 / 25
番外編「幼き二兎、視界は紅く染まる」(前編)
しおりを挟む
二兎が幼い頃は、見るもの全てが赤かった。
それは、怒りのせいで起こったことでもあるし、実際、額から流れる血のせいで視界が赤く染まったからでもあった。
色狂いの母親から産まれ、気性の荒い父親と名乗る男が二兎を引き取って3年が経つ。
その間、二兎は母親に会うこともなかったし、父親は代々暗殺者として生計を立てていた。
幼き頃の二兎の玩具は短刀、槍、毒草で作ったぬいぐるみだった。
父親は、二兎の本性を見抜いていたのだろうか。二兎が歩けるようになると同時に日本刀を渡し、剣戟を徹底的に教え込んだ。それは、睡眠以外の時間全てが費やされた(二兎は、夢の中でも刀を振るっていた)
二兎は、父親に認められたかった。剣戟が出来れば、きっと褒めてくれるだろう。認めてくれるだろう。
明くる日も明くる日も、刀で森に住む獣を狩った。
本来なら、可愛がる兎さえも血に染めた。産まれたばかりの兎すらただの的に過ぎなかった。
山に籠もって何年経っただろうか。
珍しく雪が深々と降り積もり、吐く息は白く、対照的に刀を握る二兎の手は赤切れで血に染まり、真っ赤だった。
寝ている場所も雪で埋まってしまい、火も消え、暖がとれない。
薄い襦袢だけで震えている二兎を見て父親は言った。
「これを渡す」
渡されたのは、今後二兎の相棒となる「絡繰」だった。
受け取り、次の指令を待つ。
「狼を5頭狩ってこい。それまで、帰ってくるな」
父親はそういうと、山の麓にある実家に帰っていった。
雪に段々と消されていく父親を見て、心の中で何かが爆ぜた。
「あれが、覚醒のきっかけだった」
のちに、二兎はそう語る。
襦袢に草鞋を履いただけで、雪山を駆ける。
ビュンビュンと耳元で風が唸る。
狼が見えた時、笑い声が聞こえた。誰だろう、と思ったが、すぐ気がついた。
二兎は生まれて初めて大声で笑っていた。
「丹色に染めてやる!」
狼がこちらに気付くよりも早く、異能力「初雪確認」を発動する。
一瞬、二兎の姿が雪に薄れる。狼が辺りを見渡している間に、ボスと思わしき狼の首筋に「絡繰」を串刺しにする。
吹き上げる血は温かく、少しもったいないな、と思ってしまう。
向かってきた雌の狼の顔に「絡繰」の鞘を殴りつける。
刃にも、鞘にも毒が塗ってあったらしく、狼たちの血は止まらない。
2時間もしないうちに、狼の群れの8頭を屠った。
それらの死骸を一旦置いて、季節外れの山葡萄を見つけ、蔓から引きちぎって、ガツガツと食べた。
狼の血と混じって、鉄くさく、酸っぱかったが空腹には勝てない。
キノコもあったが、昔、毒に当たったのを思い出して、辞めた。
「美味しい…」
空腹を満たし、狼を担ぐと、雪を踏みしめ、実家に帰る。もう、何年振りだろうか。
竹で出来た玄関を蹴り開けて、目の前にある食堂で笑顔で食を摂っている父親、見たこともない女に、「絡繰」で切った狼の臓物をぶち撒けた。
湯気を立てていた汁物も、川魚も白米も真っ赤に染まった。
「お父さん、ちゃんと狩ってきたよ」
その日から、偉そうにしていた父親は、二兎の顔色を伺うようになった。見たこともない女は、父親を平手打ちして、いなくなった。
一方、二兎は全く喋らなくなった。元々、綺麗に澄んでいた瞳を黒く濁りきった。
それを見た村医者が父親に問うたが、狼の一件ではないと父親は主張した。
あまりにも騒ぐ為、二兎は父親の酒に微量の毒を混ぜ、まともに言葉を発せられない状態に陥れた。
二兎は当時、6歳だった。
血塗れの着物のまま、山で薬草を採っていると、日に焼け、作務衣を羽織った若い男が声を掛けてきた。
「君、大丈夫?」
一度も労いの声をかけられたことのない二兎は、戸惑った。
「大丈夫」の意味が判らなかったのだ。
首を傾げていると、男は黄金色に光る小さな飴を二兎に渡した。
それが銃弾に見えて、脇に差していた「絡繰」に手をかけた。
「これは、お菓子だよ、食べ物。食べていいよ。わしが作ったんだ」
飴を見つめる二兎を見て、笑った男は自分も懐から飴を出して、ヒョイ、と口に入れた。
それを見て、二兎は生まれて初めて飴を口に含んだ。
「…美味しい。山葡萄より、酸っぱくない」
「山葡萄を食べていたのかい?ありゃあ、酸っぱいよ。もっといいものが食べたくないかい?」
「お前、人攫いか?」
二兎が「絡繰」の柄に毒草をねじ込み、ガチャガチャと調合する。
「いいや、わしは三弥砥。この山の麓に住んでおる。『九想典』で働いている。君、『九想典』に来ないかい?」
「にとは、人を殺すのが仕事だ。それ以外は、何も出来ない」
「自分で自分の限界を決めちゃダメだよ。…毒草も、悪事に使うのかい?
「…悪事」
二兎は、ポツリと呟いた。人殺しを悪事だと思ったことは一度もないし、止められたこともない。
むしろ、推奨されていたのだ。
生まれてから、決められた概念は簡単には変えられない。二兎は、生まれながらにして、呪いをかけられていたのである。
「一度、わしの家に来ないかい?嫁が胡桃餅を作ったんだ。とても美味しいよ」
二兎は、家で寝ている父親のことを思い出した。
胡桃餅を持っていけば、喜ぶかもしれない。
二兎は、愚かというか、純粋というか、ここまで来ても、まだ父親に褒められるのを心から望んでいたのだ。
「…行く」
二兎は、毒草を「絡繰」に全て詰め、三弥砥と並んで歩き出した。
それは、怒りのせいで起こったことでもあるし、実際、額から流れる血のせいで視界が赤く染まったからでもあった。
色狂いの母親から産まれ、気性の荒い父親と名乗る男が二兎を引き取って3年が経つ。
その間、二兎は母親に会うこともなかったし、父親は代々暗殺者として生計を立てていた。
幼き頃の二兎の玩具は短刀、槍、毒草で作ったぬいぐるみだった。
父親は、二兎の本性を見抜いていたのだろうか。二兎が歩けるようになると同時に日本刀を渡し、剣戟を徹底的に教え込んだ。それは、睡眠以外の時間全てが費やされた(二兎は、夢の中でも刀を振るっていた)
二兎は、父親に認められたかった。剣戟が出来れば、きっと褒めてくれるだろう。認めてくれるだろう。
明くる日も明くる日も、刀で森に住む獣を狩った。
本来なら、可愛がる兎さえも血に染めた。産まれたばかりの兎すらただの的に過ぎなかった。
山に籠もって何年経っただろうか。
珍しく雪が深々と降り積もり、吐く息は白く、対照的に刀を握る二兎の手は赤切れで血に染まり、真っ赤だった。
寝ている場所も雪で埋まってしまい、火も消え、暖がとれない。
薄い襦袢だけで震えている二兎を見て父親は言った。
「これを渡す」
渡されたのは、今後二兎の相棒となる「絡繰」だった。
受け取り、次の指令を待つ。
「狼を5頭狩ってこい。それまで、帰ってくるな」
父親はそういうと、山の麓にある実家に帰っていった。
雪に段々と消されていく父親を見て、心の中で何かが爆ぜた。
「あれが、覚醒のきっかけだった」
のちに、二兎はそう語る。
襦袢に草鞋を履いただけで、雪山を駆ける。
ビュンビュンと耳元で風が唸る。
狼が見えた時、笑い声が聞こえた。誰だろう、と思ったが、すぐ気がついた。
二兎は生まれて初めて大声で笑っていた。
「丹色に染めてやる!」
狼がこちらに気付くよりも早く、異能力「初雪確認」を発動する。
一瞬、二兎の姿が雪に薄れる。狼が辺りを見渡している間に、ボスと思わしき狼の首筋に「絡繰」を串刺しにする。
吹き上げる血は温かく、少しもったいないな、と思ってしまう。
向かってきた雌の狼の顔に「絡繰」の鞘を殴りつける。
刃にも、鞘にも毒が塗ってあったらしく、狼たちの血は止まらない。
2時間もしないうちに、狼の群れの8頭を屠った。
それらの死骸を一旦置いて、季節外れの山葡萄を見つけ、蔓から引きちぎって、ガツガツと食べた。
狼の血と混じって、鉄くさく、酸っぱかったが空腹には勝てない。
キノコもあったが、昔、毒に当たったのを思い出して、辞めた。
「美味しい…」
空腹を満たし、狼を担ぐと、雪を踏みしめ、実家に帰る。もう、何年振りだろうか。
竹で出来た玄関を蹴り開けて、目の前にある食堂で笑顔で食を摂っている父親、見たこともない女に、「絡繰」で切った狼の臓物をぶち撒けた。
湯気を立てていた汁物も、川魚も白米も真っ赤に染まった。
「お父さん、ちゃんと狩ってきたよ」
その日から、偉そうにしていた父親は、二兎の顔色を伺うようになった。見たこともない女は、父親を平手打ちして、いなくなった。
一方、二兎は全く喋らなくなった。元々、綺麗に澄んでいた瞳を黒く濁りきった。
それを見た村医者が父親に問うたが、狼の一件ではないと父親は主張した。
あまりにも騒ぐ為、二兎は父親の酒に微量の毒を混ぜ、まともに言葉を発せられない状態に陥れた。
二兎は当時、6歳だった。
血塗れの着物のまま、山で薬草を採っていると、日に焼け、作務衣を羽織った若い男が声を掛けてきた。
「君、大丈夫?」
一度も労いの声をかけられたことのない二兎は、戸惑った。
「大丈夫」の意味が判らなかったのだ。
首を傾げていると、男は黄金色に光る小さな飴を二兎に渡した。
それが銃弾に見えて、脇に差していた「絡繰」に手をかけた。
「これは、お菓子だよ、食べ物。食べていいよ。わしが作ったんだ」
飴を見つめる二兎を見て、笑った男は自分も懐から飴を出して、ヒョイ、と口に入れた。
それを見て、二兎は生まれて初めて飴を口に含んだ。
「…美味しい。山葡萄より、酸っぱくない」
「山葡萄を食べていたのかい?ありゃあ、酸っぱいよ。もっといいものが食べたくないかい?」
「お前、人攫いか?」
二兎が「絡繰」の柄に毒草をねじ込み、ガチャガチャと調合する。
「いいや、わしは三弥砥。この山の麓に住んでおる。『九想典』で働いている。君、『九想典』に来ないかい?」
「にとは、人を殺すのが仕事だ。それ以外は、何も出来ない」
「自分で自分の限界を決めちゃダメだよ。…毒草も、悪事に使うのかい?
「…悪事」
二兎は、ポツリと呟いた。人殺しを悪事だと思ったことは一度もないし、止められたこともない。
むしろ、推奨されていたのだ。
生まれてから、決められた概念は簡単には変えられない。二兎は、生まれながらにして、呪いをかけられていたのである。
「一度、わしの家に来ないかい?嫁が胡桃餅を作ったんだ。とても美味しいよ」
二兎は、家で寝ている父親のことを思い出した。
胡桃餅を持っていけば、喜ぶかもしれない。
二兎は、愚かというか、純粋というか、ここまで来ても、まだ父親に褒められるのを心から望んでいたのだ。
「…行く」
二兎は、毒草を「絡繰」に全て詰め、三弥砥と並んで歩き出した。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる