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第1部

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「…あっちのほうに何かあるのか?」
「あっち?」

ジェイフが指さしたのは、屋敷だった。

「え?お屋敷の中?」
「いや。この家の向こうになにかあるか?」
「…私の、部屋?」

屋敷を超えると、私の部屋がある方向だった。

「そうか。そっちには行かないほうがいい」
「私の部屋になにかあるの?」
「…具体的には、外だな」
「ん」

いったい何があるというのだろうか。
強い嫌悪感が、ジェイフの顔に現れていた。
私の部屋の外に何かあるというのだろうか。
あそこは、使用人たちすら近寄らないのである。
古い上に、手入れなんてろくにされていないから、雑草や木が乱雑に生えていて、虫が多い。幽霊が出るとまで言われるほど、暗くて、誇り臭い場所だ。
私が住んでいる屋根裏をのぞけば、この家でいらなくなった家具(足が欠けたイスや小さな机、使わない食器など)が置かれている物置小屋だったから。
使用人の中には自分の家の不用品まで捨てに来た人までいたのだから、この場所は都合がよかったのだろう。
私は、家族公認で何をしてもいいと言われるような存在だったのだから。余計に。

「なにか捨てられてるなら、いつものことだよ」
「…そうなのか?」
「そうだよ。私の部屋の下。物置なの。みんなそこにいらないものを捨てに来るから汚いんだけど…」

と、言いかけてジェイフが気にしているのは、物置の汚さなのだろうか。
こんな遠くにいて、そんなことが分かるものなのだろうか。

「人が捨てられているのもいつものことなのか?」
「え」

人が捨てられている?

「そ、そんなことはないよ…。人が捨てられていたことなんてない…」
「そうか。あそこから嫌な臭いがするんだ。死んでる人間のな。お前が死体を見たがるようなもの好きなら、見に行ってもいいが」
「い、いやっ!死体なんて、見たことない。…でも、誰が死んでるの?」
「さぁな。俺は、死体がある場所は分かるが、そいつが誰かなんて知らない。この家の人間のことを知っているのは、お前とポッドくらいだろ。俺は、ここに初めて来たんだから」
「そ、そうよね…」

私の部屋の外に死体がある?
どうして?誰の死体なんだろう。下手をしてしまった使用人?
でも、この国は魔力がある人間は、平民であっても殺してしまったら貴族だろうと罰が下る国だ。この家に働きに来る人たちは、全員魔力を少なからず持っていたから、殺してしまったらすぐに兵士が来て、誰が殺したか調査されるだろう。

…誰が死んでいるのか、見たほうがいいのだろうか。

「それにこの家の中には、ほかにも死体があるな」
「え!」

この家の中ということは、家族の部屋もある。
父と母の寝室。それから妹の。
その中に死体がある?

「ど、どうして…。まさかよ、妖精が…?」
「どうだろうな。ずいぶんと時間が経っているみたいだが」
「見に行ったほうがいいのかな?」
「どうだろうな」
「この家の人たちは、いったいどこに行ってしまったのかしら。いつからこの家には人がいないのかしら。…わ、私がいなくなったから、誰かが代わりに殺されたとか…ないか」

私がいなくなったからといって、誰かが罰を受けさせられるようなことなんて、あるわけがない。だから、これは誰かがこの家に忍び込んで、殺したに違いない。
そうでなければ、この家で私以外の死体が出来るわけがない。

「もしかしたら、この国の人の死体が置いてあるのかな?死体廃棄場に使われているとか…。でも、そうしたら、家の中と外に置く意味が分からないか…ッ」

家の中は、ひどい状態だった。
照明器具は壊れ、大型の家具が壊されていた。
私のほかにもこの家に来た人がいたのか、床には何人もの足跡が色濃く残されていた。
掃除がろくにされていないから、蜘蛛の巣がすみずみにある。
それにかすかに奇妙な臭いがした。
ほこり臭い上に、何かが腐っている匂い。

「も、もし、この家にドロボウがいたらどうしよう。空き巣に入られて、襲われたら…」
「…確かに人の気配がするが」
「それは生きている人間?」
「ああ。向こうのほうだな」
「わ、私の部屋のほうってこと?」
「ああ。だが、安心しろ。そこに一人だけみたいだ。あとは誰もいない。この家にあるのは、死体だけだな」
「し、死体…」

死体なんて、見たことがない。
確認したほうがいいのだろうか…。

「おい。しっかりしろ」
「死体…見たくないけど、見たほうがいいのかな?」
「別にいいだろ。ここは、もうお前には関係ない場所なんだろ」
「う、ん」
「お前は、そもそもここに何しに来たんだ」
「ポッドの痕跡がないか見に来たの。あと、この家には神棚があって、困ったらそこにあるお守りをとるようにって、叔母様が言っていたのを思い出して…」
「おばさま?お前の味方か?」
「うん…困ったことがあったら、この家の神様に頼みなさいって、昔言われたのを思い出したの。それで見に来たんだけど…」

来るんじゃなかった。
家がこんな状態になっているなんて、思いもよらなかった。
おまけに死体が2人に、生きている人が1人いるなんて、幽霊屋敷より怖い。
ジェイフがいなかったら、私は何もわからないまま、死体と鉢合わせしていたかもしれない。

「ジ、ジェイフ…」
「落ち着けって。妖精は、この近くにいないし、外よりは安心できるだろうから」
「あ、安心!?死体があるんだよっ!?」
「死んでるんだから、何も出来ないだけ安心だろ」
「妖精って変わってるのね…。それともそういうものなの?わ、私がおかしいのかしら」
「外の世界は、お前が思ってるより怖いぜ?死体のほうが安心できるって気持ちは、おまえには理解できないかもしれないがな」
「……私も変わったのかな」

あの頃、虐げられたころの私だったら、どう思っただろうか。
死体くらいどうも思わなかったかしら。
次は、私の番だ。くらいには思ったのかもしれないけど。
厨房に近づくにつれ、においが強くなる。
生ものが腐った匂い。それになんだかひどく生臭い。

「こ、ここで私とポッドは出会ったの。この部屋の隅にねずみとりがあって、?」

こつん。
つま先に硬いものがあたった。くしゃりと、細かい毛のような感覚が靴から感じる。

「え…ひ、」

男の人の頭があった。
うつぶせになっている。胸のところには、大きく穴が開いており、そこから大量の血があふれていたらしい。
虫やネズミが男の体をむさぼっている。
おかげで、小さな羽虫が私に向かってくる。

「い、いやっ!」

私は、慌てて厨房から飛び出す。
顔は、すっかりと形を崩していて、骨が見えていた。
崩れて、変な汁がしたっていた。
私の靴に、小さな肉片のようなものと、髪の毛が付着していた。それに小さな虫もついている。
あまりの気持ち悪さに私は思わず、座り込んで小さく吐いてしまった。

「ぅ、おえっ…」
「おい。大丈夫か?さっきのは知り合いか?」
「し、知らない、わからない…顔が、崩れて…ぅ、」

ジェイフは、死体を見るのに慣れているのだろうか。
私は、完全に油断していた。
まさか厨房にあるなんて。

「……さっきのは、料理長だったと思う。服装とか…」
「そうか。魔法で殺されたようには見えなかったから、おそらく殺したのは人間だろうな」
「だ、誰に殺されたのかしら」
「あれは、ナイフだな。胸を刺されたような跡があった」
「……」

確かに胸のところがぽっかりと穴が開いていた。
ナイフかどうかはわからないが、あそこにもたくさんの虫とネズミが肉を小さく食んでいた…。

「どうりで、ネズミが多いわけだ。食料なら、たくさんあるからな」
「嫌なこと言わないでよ…」

私は、緊張でずっと体が固まっていたので、肩を軽く回した。
そういえば、家じゅうをずっとカサカサ何かの音がしていたのは、虫かネズミが走り回っている音だということに気づいた。
ずいぶんと聞いていなかった音だった。
私が屋根裏で寝ていたときは、子守歌代わりによく聞いていた音だったけど。
それにしても数が多い。
足元にも、カサカサと黒光りする虫があちこちを走り回っている。

「ジェイフ。間違えて、食べられないでよ」
「嫌なこと言うなよ…」
「ポッドも虫にかじられたことがあるって昔言ってたんだもの」
「うぇ。気持ちわる…あいつら、とりあえず俺たちの体、かじるからな。ネズミなんて、天敵だぜ」
「妖精のことだから、ペットか友達みたいな関係だと思っていたけど、違うのね」
「当たり前だろ。あんな気持ち悪いやつ、だれが友達にすんだよ。あいつらの長いしっぽに当たってみろ。簡単に吹き飛ぶぜ。ほんと、人間がネズミを飼ってるところを見たときは、心底狂ってんなぁって、何度思ったことか」
「ネズミの背に乗って走るところを絵本で見たことがあるんだけど、あれは創作だったのね。…残念。可愛いって思っていたのに」
「おえっ!なんだ、それ。悪趣味にもほどがある。そんなものを子どもが読む絵本に書いてんのかよ。きめぇ!」
「そこまでいうこと?」
「あいつらの脳みその小ささは、半端ねぇから。お前、言葉も意思も通じねぇやつ、怖いって思わねぇ?その感覚だよ。あいつら、まず俺たちのこと食い物だとしか思ってねぇから。いくら魔法で殺しても、どっからか出てくるし、まず数が異常。むり」
「人間にとっての幽霊みたいなものなのかしら。それじゃあ、虫も苦手なの?」
「虫はべつに。どうでもいい。さすがに襲わないだけの本能は持ってるみたいだし。だから、人間が気持ち悪いっていう意味があんまり分からねぇけどな」
「違いが分からない…」

ネズミを乗り物にして、どこかへ行くというのは、絵本によく書かれているし、私は虫よりネズミのほうが好きだ。可愛いから。確かにどんどん大きくなるから、少し怖い時もあるけど。絵本を見ていて、ポッドが悪趣味ってつぶやいていたのは、そういうことなのね。

「妖精は、ネズミが嫌いなのね」
「全員ってわけじゃねぇと思うけど、好きな奴は普通じゃねぇ」
「好きな妖精もいるかもしれないのね…」

聖女様が住んでいる国は、清潔だったのは、そういうこともあったのかもしれない。神様が信じられている国だから、きれいにしなくてはいけないという風潮もあったし、ネズミは、ペット用に管理されているもの以外は、見つけたら処分されていた。
妖精が嫌っているからだったのか。

「また一つ勉強になったわ。聖女様に伝えないとね。妖精は、ネズミが嫌いなんですって…あ、でもそうしたら、お友達のニッキーがかわいそうかもしれないわね」
「おい。その口ぶりだと、聖女様とやらは、ネズミを飼ってるんじゃないだろうな」
「ええ。そうよ。聖女様は、ネズミが好きなの。小さいころ、ずっと一緒にいたからなんですって。だから、ネズミのお友達もいるの。名前は、ニッキー」
「うそだろ。聖女がネズミを飼ってるなんて、聞いたことがない。早く殺すべきだ」
「そんな。かわいそうよ。ずっと一緒にいるお友達と聞いているもの」
「あいつらは、不衛生で、病気を運ぶんだぞ。仮にも聖女がそんな汚いものを飼っていて良いのか?」
「きちんと衛生管理がされたショップから飼ってきたそうだから、そこは安心して大丈夫だと思うわ。さすがに聖女様も協会の中で、病気を流行らせるわけにはいかないもの」
「聖女の認識がひっくりかえるな…。変わり者なんだな。その聖女」
「そうね。聖女様って少し変わっている方よね…でも、とっても素敵な方なの。私もいろいろと助けてもらったし、教えてもらったから」
「帰りたいか?」
「…うん。あの国ではいろいろとやり残してきたことがあるから、帰りたい。きっと帰ってきますって言って、出てきて来ちゃったしね」
「帰れるといいな。俺たちも」
「うん。みんな一緒に帰りたいね…」

ジェイフとしゃべっていると気が紛れていい。
しかし、神棚がある部屋の途中から、ずいぶんと腐ったような、あまい花のような匂いがする。この匂いは、母が好きだったバラの香水だ。
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