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婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから

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その日、届いた請求金額を見て、私はついに堪忍袋の緒が切れた。
いくらなんでもあの女、他人の金だからって使い過ぎだ!!!

その日、私はルーカスを呼び出し、椅子に座らせた。

「どうして、私が呼び出したか分かる?」
「いや…わからない…それより要件はなんだ?僕は、早く彼女のもとに行かなくてはいけないんだ」
「そう…」

ふぅ。
落ち着いて、息を整える。落ち着け。冷静になれ。これでも一応は、婚約者なのだ。(仮)がつくけども。
そわそわと私の婚約者(仮)は、落ち着きがない。よほど愛しの彼女に会いたいのだろう。
婚約者(仮)よりも傍にいたいと思える女性がいるというのに、よくもまぁ、婚約(仮)をしたものだ。全く意味が分からない。
どうせ、お金目的だったんだろうな。最初から。
そう思うと、腹の底からマグマが噴き出してくるように怒気が喉元までこみあげてくる。

「あのね。ずっと言いたかったんだけど…赤の他人の医療費をなんで、私が払わないといけないの?」
「それは、彼女は病気なんだ。仕方ないだろう」

…?
最初、彼が言っている言葉が分からなかった。
私は、医療費のことを言っているのに、なぜ仕方ないんだ?

「論点は、彼女が病気か、じゃないわ。正直、彼女の病気のことは、気の毒に思わないわけではない。お金の話をしているの。高額な医療費をどうして、全額私が負担しているのか。ねぇ、私の言いたいことが分からない?」
「どういう意味だ?全く分からない」
「本当に言ってる?」
「ああ」
「どうして、私が赤の他人である彼女の医療費を払わないといけないのって聞いているのよ」

私が医療費を出しているという女性は、婚約者(仮)の幼馴染だ。つまり、私とは本当に何の関係もない。彼の家族ならまだわかる。だが、幼馴染である。

「彼女は、僕の大切な人だ」
「知ってる」
「だから、君にも彼女を養う義務がある」
「はあ?…いえ、100歩譲って、医療費は、出すとしましょう…全額は絶対に嫌だけど。でも、どうして私が自分の服を我慢して、彼女の服…いえ、あれはもうドレスね。ドレスやら化粧品やら挙句の果てには、宝石!!!そんなものまで買わないといけないのよ!」
「彼女は、外を自由に出歩けないんだ。せめて、そういった楽しみは、あってもいいだろう」

どうして、こんなに話が通じないんだろう。
腹が立つ。ムカつく。殴ってしまいたくなる。

「別に彼女が何を楽しみにしてもいいわ!そうじゃなくて、どうしてそれを私が払わないといけないのよ!」
「なぜって、君だって彼女のことが大切だろう」
んなわけないじゃない!
「なっ!?ぼ、僕の幼馴染だぞ!」
「だからって、せめてお礼の一つも言えないわけ?」

そう。お礼を決して言わないのだ。彼女だけじゃない。彼女の両親までもが、なぜ金を出している私ではなく、婚約者(仮)にお礼を言っている。
私の存在なんて、まるで無視だ。
それも苛つく。
なんなんだ。金は出して当然なのか?私の稼ぎが少しばかりいいから?だからなんだ。それが金を出す理由になるのか?そしたら、金を持ってるやつは、皆、持ってないやつに渡す義務があるのか?お礼を言わなくていいのか?当然の義務なのか?違うだろう!

「どうして、お金を出している私ではなく、貴方にお礼を言うの?びた一文も出していない貴方が!しかも、二人っきりになったら、私のことは無視して、二人っきりの世界に入ってるし…」
「そうか…君は、妬いているんだな。すまない」
「… …はぁ?」

そろそろ、頭の血管がぶちぎれそうだ。こいつぶっ殺してやろうか。

「確かに君をおろそかにしていたかもしれない。だが、分かってくれ。彼女は、僕にとって、とても大切な人なんだ。だから、それをどうか…分かってほしい。なぁ、分かってくれるだろう?」

… … … …何を???

私は、思いきり息を吸う。
怒りで、全身が震えている。私は、今までよく耐えたと思う。

「ねぇ」
「なんだい。分かってくれたかい?」

なにが分かってくれたかい?だ。気持ち悪い笑顔で言うんじゃない!腹が立つ!

「婚約破棄します」
「え?」

呆然と見つめているルーカスの顔が、なんともまぬけで、見ているだけで苛々する。
あぁ。顔を見るだけ苛々してしまうほど、私はこの男に愛想をつかしてしまったのか。そのことが少しだけ寂しい。

「こ、婚約破棄だって…?」
「ええ。これでいつでも貴方の最愛の幼馴染と一緒にいられるでしょう?また後日、改めて貴方のお父様にも連絡させてもらうわ。だからもう、行っていいわよ」
「なにを言っているんだ」
「だから、愛しの幼馴染が待っているんでしょう?早く行ってあげなさいな。寂しがって、貴方の帰りを今か今かと待っているに違いないから」
「僕は、婚約破棄の話をしているんだ!真面目に聞けよ!」
「真面目に聞いてないのは、どっちのほうだ!!!」
「ひっ!」

―ダンッ!

私の振り下ろした拳が机にたたきつけられ、その衝撃で、乗っていたカップがカチャカチャと音を立てた。
今まで、こちらが話していた内容なんて、どうでもいいみたいな顔をして、今更何を被害者ぶるんだ。こっちは、会って早々、幼馴染のもとに帰りたがる男とこっちから縁を切ってやろうって話をしているだけである。

「ま、待ってくれ…急になんだ。僕たち、今まで上手くやってきたじゃないか」
「上手くやってきた?どこが?」
「お互い、支え合ってきただろう?」
「支え合ってきた?」

あまりにもバカバカしい言葉を馬鹿みたいな顔で言われて、ついに怒りを通り越して、笑えて来る。

「あははは」
「な、なにがおかしい…こっちは真剣に話してるんだぞ!」

急に笑い出した私に何を思ったのか、妙に高圧的だ。

「あんた、支えるってどういう意味か知ってて、使ってる?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、あんたが私を支えてくれた時って、何かあった?」
「それは…、」
「分からない?考えたこともない?…だって、本当に支えたことなんて、一度もないものね?」
「違う!だ、誰がこの家を掃除していると思っているんだ。洗濯だって、僕が…料理だって」
「掃除って、週に一回、気が向いたらすればいいと思ってる?洗濯だって、毎日する必要がないと思ってる?」
「それは、仕事が疲れて…」
「仕事で疲れてたら、しなくていいの?そしたら、私もしなくていいってことになるけど」
「それは、君の仕事は」
「僕より楽?お給料は、私より低い貴方の仕事のほうがつらいって言いたいの?」
「な、なん、大体、君は、僕のことをずっと見下しているじゃないか。僕より稼ぎがいいから、偉いみたいな顔しやがって、これだから、女は嫌いなんだ。男より出来るみたいな顔しやがって、誰が支えてやってると思ってるんだ」

もう、無理。

「誰もお前は、支えてねぇんだよ!!!」

立ち上がって、元婚約者の顔-今では、赤の他人となった馬鹿でまぬけな男の顔を見下ろす。
変な劣等感で、ぶつぶつ言うこいつが、私は大嫌いなのだ。
男も女も関係ないだろう。

それなのに、努力もせずにうだうだして、なにかあれば、すぐに泣きごとを言う。

「もう少し頑張ってみたら」と言えば、「出来るやつはいいよな。そうやって、出来ないやつの気持ちが分からない。頑張れば、すぐに出来るやつは、僕の気持ちなんか分からない」とか言い出すし、放っておけば「これだから、働いている女は、優しさがない。働いているからって、自分が偉いと勘違いしてるんだ」とか言い出す。

「今すぐ、出ていってちょうだい」
「な、なにをいっているんだ。この家は、誰の持ち物か分かっているのか」
「私の家よ」
「はっ!?名義を僕に変えるって言ったじゃないか!」
「結婚したらって言ったでしょう」
「この嘘つきアバズレ女!元から、そのつもりだったのか!」

何をそんなに怒っているんだ。
一周回って、冷静になり、そして、私は叫んだ。


「金も出さねぇ奴に所有権があるわけねぇだろ!!!!」


この婚約は、ルーカスの父親から持ちかけられたものであった。

ルーカスの父は、私の上司であった。面倒な客の注文やクレーム処理を進んで代わってくれる人であった。職場では、数少ない女性社員の私にもよく気を下ってくれる優しいおじさんだった。その人から、自分の息子に会ってみないかともちかけられたのは、入社して3年目の頃である。

職場の上司から、もちかけられる縁談など、面倒だな。と最初は思った。これでうまくいかなかったら、気まずいばかりではない。だが、この人の息子であるならば、良い人なのではないか、という、今思えばとても安易な気持ちから引き受けたのである。
周囲から、良い人はいないのか、としつこく聞かれて辟易していたのもある。

「うちの息子は、とても優しくてね。まぁ、それだけが取り柄みたいなものなのかもしれないけど」
「そんなことないでしょう。お仕事は、何をなさっているんですか?」
「ん…、少しばかり前に仕事を辞めてしまってね…。今は、求職中なんだ」
「へぇ」

深くは突っ込まなかった。
そして、今にして分かる。この父親もまた息子を持て余していたことに。

「初めまして。父親からは、貴方のことはよく聞いてますよ」
「初めまして。私もお父様にはいつもお世話になっております」

出会いがしらに思ったことは、確かに優しそうだなぁ。いい人そうだなぁ。
ふわふわと笑う顔がなんだか、少年ぽさを残していて、可愛く思った。
後にそれは、単純に世間に揉まれていないからであることを知った。責任を持たない人間の顔は、いつまでも幼いのである。若いのではない。子どもっぽいのだ。
それを他の人が、どう思うかは知らないが、顔にもその人の人生が表れるのだなと、勉強になった。
そんな感じで、最初は良かったのである。

世間ずれしていない、いつまでも少年のようなルーカスに私は、次第に惹かれていってしまった。なんなら、私がしっかりしなきゃ、みたいなことを思っていた。
周りにいない男性だった。

そのあとも私たちは、よく会い、話すようになった。
私は、副業で書き物の仕事も始めていた。
それが上手くいくか分からない不安や愚痴、将来の話をよくした。
家は一軒家がいい。
書斎を作り、壁一面を本棚で埋め尽くすのだ。と私が言うと、それはいいねとルーカスも笑いながら言ってくれた。
この時は、幸せだった。
ルーカスの仕事は、決まらなかった。
でも、私を支えると言ってくれた彼の言葉を無条件に信じた。
確かに幸せだった。



「お金を貸してくれないか。幼馴染が病気なんだ」

この言葉を聞くまでは、確かに私は幸せだったのだ。


「病気?幼馴染って?
「ずっといってなかったけど、僕には幼馴染がいるんだ。ずっと昔から一緒で、とても大切な人なんだ」
「そ、そう」

とても大切な人。その言葉に、一瞬もやっとした。

「貴方がそういうなら、とてもいい人なのね」
「ああ。彼女はとても優しい人だよ」
「彼女?女の人なの?」
「ああ」
「… …そう」

幼馴染。女の人。大切な人。
この辺で、もう嫌な予感は、プンプンした。
小説や漫画であれば、私はあきらかに後半で「やっぱり彼女の方が、僕には大切なんだ!」とか言われちゃうパターンである。そして、その予想は見事に命中するけども、そのことを今の私が知る由もなく、もやもやとしながらも、自分を無理やり納得させていた。

「そんなに大事なら、どうしてその人と付き合わないの?」
「彼女には、もう付き合っている人がいるんだ」
「そうなのね」

本当は、彼女が好きで付き合いたいけど、彼氏がいるから付き合えないと…。

「それで、お金だけど」
「彼女の家族はいらっしゃるの?」
「?ああ」
「…だったら、その人たちが出せばいいじゃない。彼氏もいるんでしょう?貴方が出す必要があるの?」
「お金が足りないらしくてね…」
「… …、それで、いくら出せばいいの?」
「100万ほど」
「ひゃ、100万!!??」
「手術をするらしくてね。それくらい必要らしいんだ」
「ちなみにどんな病気なの?」
「分からない」
「はぁ?」

言葉が荒くなってしまったのも無理はない。
どんな病気かもわからないのは、さすがにあやしい。100万は、大金である。見知らぬ他人にポイッと貸せる金額ではない。

「彼女は体が弱くて」

理由になっていない。

「だったら、金貸しにでも行って、借りて来ればいいじゃない。少しずつなら、返していけるでしょう?」
「断られてしまって」
「ああ…」

そういえば、仕事してないんだから、稼ぎがあるわけじゃないものね。

「君は、貯金をしているだろう」
「…ええ」

家が買いたくて、貯金してるけど、それがなんだ。

「だから、お金があるじゃないか」
「?」
「あるなら、貸してくれてもいいだろう」
「… … …」

問題。この時、私が思ったこととは、何でしょうか。

答え。お前に貸すために貯金してるわけじゃねえ!

「… … …」

百年の恋も冷めるとは、このことだろうか。
お金が絡むと、人は冷静を取り戻すらしい。

「条件があります」
「条件?」
「お金は貸しましょう。ただし、貴方が働いてくれるのであれば」
「え?」
「なんでもいいです。バイトでも正社員でもなんでも。どうかしら?」
「それは…」
「貴方の最愛なのでしょう?なら、愛の為に頑張ることくらい出来るでしょう?」
「それは…」
「出来ないのであれば、お金は貸しません」

私の顔を見て、絶対に譲らないと思ったのか、渋々と言った感じで、小さくつぶやいた。

「分かった…働くよ…」


「みんな、紹介するよ。新人のルーカス・トレーヴィング君だ。皆、仲良くするように」

時期外れの新入社員に周りは、ざわついていた。

「なんでこの時期?」
「よく人事も雇ったよね」

その顔を見て、呆然とした。
この男、自分の父親の会社で、働くのか…。確かにどこにも雇ってもらえないとは、ぼやいていたけど。父親もわざわざ自分の会社に息子を働かせるなんて…。
ああ、そういえば、この人、人事部とも仲いいんだっけ。だから、こんな時期でも入社出来たのか。まぁ、どこでもいいと言ったのは私だけどさ。

「ラスター君」
「はい」

ラスターとは、私の苗字である。
上司にちょいちょいと、手招きされる。もうすでに嫌な予感しかない。

「息子が働きたいと言ってきた時は驚いたよ。しかし、これも愛のなせるワザかな?私としても嬉しいよ」
「はぁ」

愛は、愛でも、相手が私ではないんで、別に私は嬉しくないですけどね。

「息子は、不慣れなことも多いと思うから、君がフォローしてやってくれ」
「… … …はい」

上司の息子で、婚約者。
しかも新人社員で、部下とか。属性もりすぎ。面倒くささしかない。

「トレーヴィングさん」
「なんだい。リリア」
「ここでは、ラスターと呼ぶように。仮にも私は、貴方の先輩になるのですから」
「名前ぐらい良いじゃないか。隣の国では、部下も上司も名前で呼ぶのが普通らしいよ」
「それは、隣の国の話でしょう。うちは、基本的には、名前呼びはしません」
「でも、それって職権乱用じゃないの?」
「は?」

つい、苦笑いしてしまった。
名前呼びを禁止するだけで、職権乱用とは…。
確かにうちの会社でも名前呼びしている社員はいる。
だが、それはそれなりの期間、一緒に仕事をした上で信頼関係なり友好関係を築いたからである。入社したばかりの新入社員に突然、名前呼びされる私の身にもなってみろ。
色々と勘繰られる。

「職権乱用って意味は、ご存じですか」
「名前呼び禁止なんてひどいよ」
「意味が分からない」

―ハッ。
思わず、口に出してしまった。

「このことは、父に報告するから」
「え?どうぞご勝手に…」

本当に勝手にどうぞって感じ。
私は、口に手を当てたまま、去っていく彼の後ろ姿を眺めた。

…って、え?あれ?これから仕事教えようと思ったんですけど?
ってか、挨拶して早々、父親にチクるとは、うーむ。これは、不安しかないぞ…。

そんな私たちの様子を見ていた同輩が、心配そうに近づいてくる。

「あの人、大丈夫?」
「いやぁ。自由な人ですよねぇ」
「笑ってる場合か。あの人、仕事出来るの?」
「知らない」
「まだ仕事内容も説明しないうちにどっか行くとか、ありえないんだけど」
「そうですね」

いや。
本当に。


「ねぇ…まさか。もしかして、トレーヴィングって、トレーヴィングさんの息子だったりする?」
「え!?」

入社して早々バレそう。
いや。まぁ確かにあの親子そっくりさんだからな…。
ルーカス、完璧に父親似すぎて、私も最初びっくりしたから。

「苗字一緒だし、この時期に入社したのは、あきらかにおかしいよ。ほら。あの人、人事と仲良かったじゃん」
「なにより顔似すぎ。そっくりさんにしては、二人とも距離おかしいし。あれで、血がつながってなかったら、逆に面白い」
「で、どうなの?」
「いやぁ、ははは」
「リリアとか言われちゃってさ。もしかして、これ?」
「あんた、そのしぐさもう古いわよ。若い子にはもう伝わらないって!で?どうなの?」
「いやぁ…ははは…」




… … …私。
ごまかすの下手過ぎ選手権優勝間違いなしだわ。


「トレーヴィングさん。昨日もそのミスをしましたよね」

私が、呆れを通り越して怒っているのが、分かるのだろう。
彼は、私の目を見ない。

「し、仕方ないじゃないか…。僕は、まだ入ってすぐなんだから」
「確かにまだ一か月ですから、ミスは仕方ありません。ただ、同じミスを毎回するな、と言っているんです。この前もそのことで、私に丸投げしましたよね。いい加減、覚えてください」
「君は、僕の上司だろう?だったら、部下がミスしたら君が責任をとるのは当たり前じゃないか」
「確かにそうですが、私が言っているのは、同じミスをするな、です。フォローはします。最初であれば、説明だってします。分からなかったら、何度だって教えます。だから、貴方もそれに応じた仕事をしてください」
「ぼ、僕は、今まで仕事をしてなかったんだから、仕方ないだろう…僕が馬鹿だって言いたいのか」
「違います。一度で教えた内容が出来ないのは、当然です。そうではなく、一か月間、同じミスを繰り返すな、と言いたいんです。ところで、昨日は何で休んだんですか?休む時は、必ず連絡するように伝えましたよね?」
「… … …」

私とルーカスは、まだ同じ家に住んでいない。
家を買ったときに一緒に住むと決めているからである。この調子では、どうなるか分からないけど。

「それは、起きたときには、もう夜だったから…」
「無断欠勤、および当欠(当日欠勤のこと)多すぎです。週に3回は休んでますよね?毎日、遅刻してますし」
「まだ体が慣れていないんだ。仕方ないだろう」
「努力してください」
「ぼ、僕だって、頑張ってるんだ。仕方ないだろう」
「せめて、遅刻はしないようにしてください。電車で来てるわけじゃないんだから。せめて、連絡くらいはしてください」
「と、隣の国では、社員は自分の時間で入社するんだ」
「じゃあ、隣の国で働けばいいでしょう」
「言ったな!」

突然、叫びだすルーカスの姿に、「またか」と周りの目が生ぬるくなる。
隣の国とやけに比べるくせして、返すと騒ぎ立てるのだ。
何がしたいんだ。

「君は、僕をここで働かせたくないんだ!」
「別にそんなことはありません」
「だったら、僕を別の人と組ませてくれ!僕は、君とは仕事が出来ない」
「いいですよ」
「え?」
「私、来月から有給なんです」
「有給?それはなんだ?」

有給の説明は、しているはずなんだけど。この人、聞いてなかったな…。

「簡単に言うと、有給は、休んでいる間にもお給料がもらえることですよ」
「なんだ、それ。職権乱用だ!」
「一生懸命働いた人間に与えられた当然の義務です」
「僕は、もらっていない!」
「出勤率5割を下回っている。挙句の果てに入社して1か月の人間に与えられるものじゃないんで」
「そんなの職権乱用じゃないか!」
「どこが?」

こんな人を教えないといけないとか、かわいそうに…。
今までの私がきちんと教えていなかったとか言われそうで、なんだか嫌だな。
それでも、1か月、この理不尽の塊と付き合ってて、私の方が精神的に死にそうだ。ここは、ありがたく休ませてもらうことにしよう。
人間、きちんと休むことが大切なのだ。

積んである本の消化に、ちびちびと書き進めていた原稿を本腰入れて書けるぞ!
どっかの馬鹿な婚約者がミスしたせいで、顧客のクレームに連日頭を下げ、処理に追われていた私は、この日ばかりは、少しわくわくしながら、仕事をした。

「お休み中にごめんなさい。トレーヴィングさんが全然出勤してこないの。連絡もとれないし…貴方なら、連絡先知っているかと思って、電話させてもらったわ」
「… …なるほど」

28時間、ぶっ続けで原稿を書き、先ほど眠ったばかり。
電話の音に飛び起き(コール音で飛び起きてしまうのは、社会人の習性というか、もはや反射であると思う)、意識も覚醒しないまま、電話口に出たところ、これである。
ぶっちゃけ、まだ頭が回っていない。

「とりあえず、後で私の方から連絡とってみます。お手数かけてすみません」
「貴方が悪いわけじゃないわよ。あの人、本当に働く気あるのかしら?」
「さぁ?」

あるとは、到底思えないが。

「うーむ」

ベッドに飛び込み、目を閉じる。

―そういえば、あの人なんで働くことになったんだっけ?





けたたましいノック音、それから呼び出しブザーの音で、無理やり起こされた。
時計を見る。
お昼。13時。
ぼぅっとしている間にも騒音は、続いている。

「リリア!ここを開けないか!君がいるのは分かっている!!!」
「なに…?」

声は、ルーカスのものである。
会社に行っていないのに、私の家に来る神経はどうかしているとしか思えない。

「なに?」
「なに、ではない!約束だろう!」
「約束?」
「金を貸すと言っただろう!!!あれは嘘だったのか!?」
「金を貸す?… …あぁ。そういえば、そうだった…」
「なっ!?忘れていたのか!なんて奴だ!呆れた!君のせいで、僕はあんな会社で働くことになったんだぞ!」

あんな会社で悪かったな。
お前の父親も私もそこで働いているんだぞ。

「ん!」

手のひらを突き出してくるルーカスに首をかしげた。

「ん?」
「本当に察しの悪い女だ!金を早く貸せ、と言っているんだ」
「それ、大きな声で言う事ではないと思うよ。しかも、なにその偉そうな言い方。私が金を貸すのよ。貴方に」
「土下座でもしろというのか?」
「言い方ってものがあるでしょう」
「だが、約束は約束だ。早く通帳とカードを貸せ」
「…はっ。貸すわけないでしょう」
「なっ!嘘をついたのか!?」
「…あー!もう、うるさいな!通帳とカードなんて貸すわけないでしょう!金は貸すわよ!用意したら、連絡するから今日は帰って!」
「今すぐ必要なんだ!」
「はぁ?」

金が今すぐ必要ってどういうこと?

「サラが、今すぐ100万が必要と」
「今すぐ100万が必要…どんな状況よ…それ、はは」

なんだか、楽しくなってきた。
いや、状況は全然楽しくなんてないんだけど、今すぐ100万が必要な状況ってなんなんだ…。もう、笑うしかない。
入院費にしては、急すぎるし。

「どうして必要なの?」
「理由は分からない」
「あー、出ました!本日、最初の分かりません!」
「なんなんだ…馬鹿にしているのか」
「馬鹿にしているのは、どっちのほうよ。もう、今日はお金は用意できません。帰ってちょうだい」
「な、僕がせっかく来たのにか!」
「金を借りに来ただけの人に来てもらっても、私は嬉しくないわ。ところで、会社に連絡はしたの?」
「なんのことだ」
「だから、今日も無断欠勤したんでしょ?」
「やめた」
「は?」
「だから、辞めたんだ。僕が働いたら、お金を貸すという約束だろう」
「なるほど」

確かに働き続けろ、とは言っていないけど。
まさか辞めるとは。

「これからどうするの?」
「君は、家を買うんだろう」
「うん?」
「君は、主夫という言葉を知っているか?」
「え、まさか…?」
「あぁ!僕は、君の主夫になってやろう。君は、働き続けたいようだし、僕は家にいるほうがいい。これなら、お互いの助けになる」

… … …。

世の中には、ニート、ヒモって言葉もあるんだよ。
と、満面の笑みを浮かべているこの男に伝えようかと思った。

家を買った。

… … …というのは、もちろん嘘である。
ルーカスには、買ったと言ったが、家の所有権がどうのこうのって言ってくる時点で、嫌な予感ばかりするので、賃貸で、平屋の一軒家を探して契約した。
家を買ったと言ったとたん、荷物をまとめて、ルーカスが転がり込んできたのは、驚いた。この図太さは、ある意味感心する。
こんな男、どう育てたら、こう育つんだろう。

―あの人、常識人っぽく見えるのになぁ。

頭に上司の顔を浮かべる。
息子には、だいぶ甘いのだろう。
あれから、ルーカスが辞めた後、周りの社員に「なぜ、新人を虐めたんだ!可哀想だろ!」と怒鳴りつけていたと知った時は、驚いた。あれだけ柔和な性格だった上司も自分の息子が関わると、盲目になってしまうらしい。
証拠もなく、ルーカスに言われたことを鵜吞みにしたであろう、言い分には、正直がっかりした。

あの後、ルーカスには100万を貸した。念のため、借用書まで書いてもらった。彼の父親にも確認してもらった。返してもらえるとは、思っていないが、後々トラブルになっても面倒だ。それに何かあった時の脅し…いえ、双方の確認にも必要なものだと思っているので。

「なんでこんなものを書かないといけないんだ。僕たちは、いずれ夫婦になるのだから、こんなものは必要ないだろ」
「夫婦間の仲といえど、全てを共有するわけではないでしょう?」
「は?夫婦になったら、お金はもちろん二人のものに決まっているじゃないか」
「それは全額?」
「当たり前だろ」
「個人のお小遣いは?」
「5千円に決まってるだろ」
「貴方の?」
「君のだ。働いている人間のお小遣いは、5千円って決まってるだろ。僕の父がそうなんだから」
「… … …」

働かないくせして、やけに金には汚いな。
稼いだ金が全額共有って…しかも、お小遣い5千円って…子供のお小遣いか?ってか、トレーヴィングさん、お小遣い5千円なの?可哀想…。

「お金は、私が管理します」
「なっ!?お金は家を管理するものが、管理するものだ!君の通帳もカードも僕に渡すこと!いいな!」
「よくありません。必要なものは、私に報告してください。その都度、考えます」
「なっ!?馬鹿かっ!君は!そんな夫婦がどこにいるっ!」
「大前提として、私たちまだ夫婦じゃありませんよね?」
「そっ!… … …それは、そうだが…いずれなるだろう」
「… … そろそろ時間では?」
「行ってくる」
「はい。いってらっしゃい」

夫婦になんてなるつもり本当にあるのかしら。
ルーカスは、未だ大切な幼馴染と会っているらしい。今も意気揚々と出かけていった。最愛の幼馴染様は、私と違って文句も言わないし、お金にも汚くないのだから。
そりゃそうだ。
お金は、出していないのだから。むしろ、こっちからむしり取っているのだから、汚くないはずがない…いや、むしり取っているのだから、ある意味汚いか。自分の手を汚さず、こちらの金を奪っているのだから。

「潮時は、いつかしらねぇ」

クレジットカードまで、作っちゃって。
毎月届く請求書を見つめる。
これの支払いも今は、私がしている。
ルーカスが働かないからだ。

あれだけ、鼻息荒く家事は僕がやる。家の管理は僕がしている。とか言う割には、ほとんど手を付けていない家の惨状に私は、ため息をつく。
まぁ、分かっていましたけど。

家のチャイムが鳴る。

「はい」
「お荷物でーす… …すごい重いですので、気を付けてください」
「ありがとうございます」
「中身、全部本ですか。凄い読まれるんですね」
「ははは。これ、私が書いた本なんですよ」
「えっ!ご自分で書かれたんですか!作家さん?」
「それの卵です」
「うわー。すごい!」
「よかったら、一冊差し上げましょうか?…あー、でも、今の若い子は本なんて読まないか」
「読みます読みます。あっ!サインください!自慢します」
「自慢できるほど、有名になれるか分かりませんけどねー。有名になったら、この本、高く売れますね」
「絶対売りません!…とは、断言出来ません…お金がなくなったら、売っちゃうかもしれません…」
「素直でよろしいです。好きな時に読んで、困ったら捨てるなり売るなり好きにしてください」
「わぁ。ありがとうございます」
「配達ご苦労様でした」
「はい!先生も頑張ってください」
「ありがとうございます」


ふぅ。
私もそろそろ新しい働き口を探そうかしら。

この原稿は、新しい家で書いている。

あれから、一年が経った。
私は、彼の父親がいた会社を辞めて、別の町へと引っ越した。
きっかけは、ルーカスがクレジットの上限を上げてくれと言ってきたからである。そのころ、ルーカスは、私と結婚した気になっており、安心していたのであろう。すっかり幼馴染のところへ入り浸りになっていた。帰ってくるのは、四日に一回くらい。

「クレジットの上限をあげてくれないか」
「毎月、10万使っておいて、まだ足りないの?」
「ああ。仕方ないだろう」

これを言ったら、とっとと家を出ていってしまったルーカスを見て、ついに全てが面倒になった。私は、さっそく不動産屋に電話をかけ、来月で、契約を切りたいと話した。
そして、次に住む町を決め始めた。
この町からは、離れよう。
愛着もあったが、この際、実家に帰るのもいいのかもしれない。ルーカスには、実家の住所を教えていないので、おそらく訪ねることはないだろう。
いや、でも新しい町というのもいいかもしれない。心機一転。全てをやり直すには、ちょうどいい。

カード会社にも電話をかけ、利用を止めることを話した。
理由を聞かれたが、そこはぼんやりとはぐらかした。
これで、勝手に使われることもないだろう。

会社に行き、退職届も提出した。

「また急だねぇ」
「新しい仕事を見つけましたので」
「へぇ。今の家から、次の職場までは近いの?」
「契約を切ります」
「え?家を買ったんじゃなかったの?」
「賃貸です」
「き、聞いてないよ!そんなこと!それじゃあルーカスも一緒に連れていくんだよね」
「いえ。婚約は解消します」
「そんな困るよっ!」
「…なにがです?」

ルーカスの口調は、父親譲りか。
なんだか、甘えたような口調だ。ルーカスを思い出して、少しうんざりする。顔も似てるし。

「婚約したんだから、結婚してくれなきゃあ!」
「婚約は、あくまでも約束なので、合意がなければ、別に構わないでしょう」
「ルーカスは、どうするんだ!あの子が可哀想だろ!」
「そのルーカスは、幼馴染の女のところに行って、帰ってこないのですが、これは浮気ととっても構いませんよね」
「そんなの言い訳だろ!お前に女の魅力がないからいけないんだ!お前に甲斐性がないから、ルーカスが逃げてるんだろ!家も買ったとか嘘つきやがって!」
「失礼ですが、家を買っただなんて、私一言も言ってません」
「引っ越ししたって言ったら、家を買ったと思うだろ!しかも婚約者と一緒に住んでるって言ったら」
「私、婚約者と一緒に住んでるなんて、一言も言ってません。やっぱりルーカスと定期的に連絡し合ってるんですね」
「親子なんだから、別にいいだろ!」
「はい。そこは別に構いません」
「慰謝料とるからな!」
「構いません。私も弁護士を雇います。浮気の証拠もありますし、彼には、お金を貸して、借用書の準備もありますので、抜かりありません」
「なっ…、な、証拠だと?」
「探偵を雇って、きちんと浮気の証拠を集めさせてもらいました」
「なっ!?プライバシーの侵害だぞ!」
「婚約解消するとき、もめると思いましたので。こちらが有利になるよう働くのは、当然のことでしょう?」
「…あ、ルーカスは、とてもいい子で…」
「いい子は、浮気しません」
「…優しい子で」
「優しかったら、家事の一つでもやってくれていると思います」
「男は、家事なんてするわけねぇだろ!家事なんていうのは、女の仕事なんだよ!男を台所に立たせるんじゃねぇ!」
「その理論ですと、男は黙って働けってことになりますけど、お宅のルーカス君は、どこで何をしているんでしょうかね?」
「うううう、うるせぇ!あーだこーだこっちの言葉を返してきやがって、うるっせんだよ!このアマ!!!!殺すぞ!」
「おや」

この上司、頭に血が上りすぎて、ここが職場だということをお忘れのようですね。
ルーカスもそうだが、頭に血が上りすぎると周りが見えなくなるのは、欠点ですね。この上司も前は素敵に思えたのに、今ではもう残念にしか思えない。



そして、私は今この原稿を書いている。
まだまだ作家業だけでは、収入が少ないので、昼間は会社員として働いている。
この私の実体験は、なぜかフィクションとして取り上げられ、話題になっている。
(ノンフィクションなのに)
ちなみに本の帯は、「こんな男がいるなんて(笑)」である。本当にいるんだよ。こんな男(笑)。
ファンレターにも、

「まさか、これ本当の話じゃないですよね?」

とか、

「他人に金払うとか作者バカすぎ」

とか送られてくる。
うるせー。100%実話だよ。

ああ、そうそう。

最後に吉報を一つ。
ルーカスと婚約者になってからというものの良いことなど一つもなかった私だったが、これの印税で、今まであげた&貸したお金は利子も含めて全て帰ってきたとだけ伝えておこう。
あとは、もう何も言う事はない。
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