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「きゃあああ!」
 ここは、フェレス学院。社長令嬢れいじょう財閥ざいばつ令息れいそくたちが通う、優雅なたたずまいの中高一貫校である。
 朝もよから隣のクラスより響く叫びに、風紀委員の腕章をつけた箕輪志乃みのわしのは、忍者走りで疾風はやてのごとくける。くせの強い髪をなんとかショートボブに切りそろえた彼女の黒髪が、さらっ、となびいた。
「なにごとでござるか!?」

 ガララっ、と扉を引くと、そのいになんとものんびりとした艶麗えんれいな男の美声がこたえる。
「やぁ、志乃チャン。おはよ~」
 声の主は、空木涼哉うつぎりょうや。彼は優雅にその長いあしを組み、椅子にしている――という名の、椅子に。
「どうもおはようでござる~、って、コラァー!! 空木殿! 何度山城さんをはずかしめるなって言えばわかるでござるか!? 執事さんの人権を守る会は発足ほっそくさせられたくないでござろう!?」
「え? 辱めるなんて人聞き悪いな。山城にとってはこれ、ご褒美業務だよ??」
 空木の言葉通り、今年43歳を迎える屈強な体つきの男・山城すすむは、つん這《ば》いのまま、至極うれしそうに息をあららげていた。彼は空木付きの執事で、よくこういった所業のターゲットになっている。
「言ったでしょー、ウチの山城はおれのどS面接を耐えぬいた真性しんせいのどMなのー」
「どMと腰の強さはイコールではないでござるっ。いろいろないでござるか、山城殿!!」
「ふ……ふふ、この至福で腰など、わたしはりませんぞ……!!」
「腰が要らないってどういうこと!!? そもそもこういう変態行為はお家でおやんなさいでござるよ!?」
 くわっ、と空木に向きなおると、彼は山城の上で脚を組み替えつつ、優雅にんだ。
「えー? これはどうしても必要な実験なんだけどなー。志乃チャン、おれの親がなんの会社回してるか、知らないわけじゃないでしょ?」
 声に邪気を一切含まない質問。だがしかし、志乃は耳まで赤くなり、蚊の鳴くような声で返す。
「お、おとなの、叩かれたり叩いたりがすきなひと? のおもちゃ屋さん……」
 真っ赤になった志乃を堪能たんのうするように眺め、空木はにこにこと続けた。
「そー。おれってば親孝行だから、開発に必要なデータをとってあげてるの。今回のテーマはズバリ、『健全な学び舎における場違いな人間椅子の興奮パラメータ』。いやー、研究にかせそうな気しかしないなぁー」
「ぐぅ……っ、おいえのためならやむなしでござるが……でも……ぐうう……っ」
 みずからも『おいえの事情』でこの学院にいるゆえに、志乃。
 そんな志乃を見遣みやり、元凶である空木はにいっと美しい笑みを浮かべた。この奇行がただ単に今日空木が思いついただけであることを、志乃は知るよしもないのだ――。
 それでも諦めきれなかった志乃は、勢いよく顔を上げ、
「そうだっ、クラスの皆さんだっていい加減困りきってるでござろう! ほらほら、おのが行いを恥じるでござ――」
 意気揚々とクラスを見渡せば、そこには。

「あああ、眼福がんぷくだわ……ッ。空木様のふつくしいお顔しかワタクシにはもう見えない……ッ!!」
「お待ちになって、あのエンジェリックスマイルで悪辣行為あくらつこういを働いているところまでがセットでございましょう!!?」
「ぼくも踏んでください空木様ァアアァ!!」

「ヒエエ……ッ。おいたわしや、でござる……っ」
 皆が皆、この美形に侵食されきっているさまに、志乃が痛々しげに目をらしていると。
「そのくらいになさいな、空木くん」
 凛々しさと可憐さが同居するその声に、志乃はぱあっと顔を輝かせる。
燕子嬢つばめこじょう!」

 陸燕子くがつばめこ。このクラスの学級委員長である。
 品行方正、頭脳明晰。綿菓子わたがしのような見た目にはんし、中身は大和撫子を絵に描いたような美少女だ。唯一空木に毒された様子がないのため、志乃は尊敬いっぱいに接している。
「志乃ちゃん、いつもお騒がせしてごめんなさいね。お詫びといってはなんだけれど、昨日作ったクッキー食べる?」
「そんな! 燕子嬢はカケラも悪くないでござるが、でも……えへへ、燕子嬢のクッキーだいすき! いっただきまーすでござる~」
 満面の笑みでクッキーをさくさく頬張る志乃へ、空木はぽそりとつぶやく。
「ふーん。それ、使えるかも……」
「んぇ?」
「あのさ、志乃チャン――」

 そこへ、スーツ姿の男が教室へ入ってきた。彼はクラスの状況に気づいたかと思うと、溜息をつきながらある意味部外者である志乃へ、
「おーい、箕輪。すまんがそろそろ、ホームルームの時間だぞー」
「わああ、となクラの先生かっこ※36歳独身かっことじ!」
 隣クラ(※隣のクラスの意)の先生はこめかみに青筋を浮かべながら涙を流し、口元は笑みをという、なんとも複雑な表情を見せ、志乃へ命じた。
「……自分のクラスに帰れ、風紀委員かっこ※16歳独身かっことじ……ッ!」
「ひゃああ、ごめなさいでござるっ。燕子嬢、ごちそうさまでござるっ」
「あっ、志乃ちゃ……」
 志乃があわてて燕子へ手を振り、隣クラの先生かっこ※36歳独身かっことじから退避しようとすると、それを空木の上機嫌な声が追った。
「ねー、志乃チャン。昼休み、楽しみにしててー♡」
「??」


✿✿✿✿✿


 昼休み。手入れが行きとどいた中庭の隅にある、繊細な細工が施されたベンチに志乃と空木は座っていた。

 志乃の手の中には金箔きんぱくがついた大きなおにぎりが収められており、それをもきゅもきゅ、と夢中で彼女はほおばっている。その様子を、にこにこと満足げに眺める空木。志乃の隣をちゃっかりとキープすることも彼は当然忘れない。
「どーお、志乃チャン。『ま~ぼ~ろ~し~★購買限定デラックスツナおにぎり』のお味は♡」
「はぐっ、とってもとっても美味びみでござる~! すっごくお高くて今まで雲の上のメニューでござったから……!」
 ハムスターのように小さめにかじっては口に運ぶ志乃に、空木はぽそっとつぶやく。
「おれも、食べちゃいたいな……」
 その言葉に、志乃はびくんと反応し、おにぎりを必死にかばうような仕草をする。
「えっ、ええー! やだっ、おに子ちゃんはまるまる拙者のでござる!」
「そっちじゃなくて。ていうか、自分がらってるモノに名前つけてるの……?」
 伝わらないなぁ、とため息をもらした空木は、より大切そうに『おに子ちゃん』完食にかかった志乃へ、しみじみといった様子で語りかける。
「志乃チャンも大変だよねぇ。風紀委員やってるのって、家業の忍者が関係してるんでしょ?」
 おにぎりの最後のひとかけをこきゅん、と飲みこむと、志乃は空木をちらりと見遣って答えを返した。
「そもそも学院長を通して、要人ようじんのお子さんだらけのフェレス学院生をおまもりせよとのめいが、忍びのおさからくだったでござる。年頃というのが大きいでござるが、長直々じきじきの特命は誉れでござる、拙者、超強運! 風紀委員は悪徒あくとへの目眩めくらましになるし趣味だから、大変と思ったことはないでござるな。まあ……皆さん、思った以上にふわふわされてるから、警護は骨が折れるでござるけど……」
「……そんな大事なこと、他人に教えちゃっていいわけー?」
「空木殿だから話すでござるよ。それだけ信用してるでござるからな」
「え」
「ふふふ、きちんと話したら、空木殿はいい子になってくれそうな気がするでござる! ザ・忍びの勘!!」
「……ネタばらししたら効果薄れない??」
「こ、こほんっ、とにかく! 拙者の一番の悩みのタネは貴君きくんでござるよっ、空木殿!」
「えー? おれ?」
「もうっもうっ、いつも悲鳴が唐突に大合唱するから、なにごとかと思うでござる! 拙者には倒錯場面とうさくばめんを見せつけられて興奮する趣味はないでござるよ!! この超ど級サディスト! いじわる男!!」
「…………おれさー、ほんとにすきな子には優しいよ?」
 ヒートアップしかけた志乃の髪をさらり、とすくいとる空木。彼のつややかなくちびるが、そこに触れる。志乃の髪型はショートボブなので、当然ふたりの距離は限界まで近づいて――。
「ぐっ!?」
 それは、空木のうめき声だった。志乃が光の速さで頭突きをめたからである。
「~~このっ、たらし! 変態! エロリスト・オブ・エロリストっっ!!」
 声を張りあげ、きびすを返す志乃。さらさらなびく髪からのぞく、普段は健康的な色をしたそのうなじは、ゆでだこのように赤く染まっていた。そのまま走り去り、捨て台詞のように空木へ言葉を投げる。
「おにぎりはごちそうさまっ!!」
「……ははっ」
 空木は思わず、緩みきったその口許くちもとを隠し、誰にともなくつぶやいた。

「あー、しんど。かわいすぎるでしょ……」


✿✿✿✿✿


 翌週の三時限目。空木たちのクラスである一年F組は、調理実習のため家庭科室に集合していた。各々エプロンを身につけ、調理台の前で教師の言葉に耳を傾ける。
「ハーイ、いいザマスか~。こちらの超高級食材を使って、なぁんでも思い思いに芸術的お料理を作りあげるザマスよ~」
 逆三角めがねに真っ赤な口紅、お団子頭というステレオタイプの『ザマス系』家庭科教諭(ちなみにふりふりエプロン)が、ぱんぱん、と軽やかに手を鳴らしたのと同時に、生徒たちは大きなホワイトボード前にある台の食材を品定めする。
 伊勢海老に鯛、霜降り和牛や九条葱、マンゴーに至るまで、ありとあらゆる分野を網羅したラインナップだ。

「志乃チャンはどんなの作ったら喜ぶだろー?」
 山城を家庭科室後ろのロッカーへ放置した空木が(今日はそういうテーマで『研究』するらしい)、鼻唄まじりに食材へ歩みよろうとすると、その前にざっ、と仁王立ちする者がいた。
 鬼の表情で彼をめつけるは、他の誰でもない。学級委員長の陸燕子であった。
「――やってくれたわね、空木くん」
「なにが?」
 燕子はくわっ、とその愛らしい八重歯を剥きだし、吠える。
「大人しくする代わりに志乃ちゃんと毎日ランチする約束したんですって!? どうしてくれるのよ、お陰であの小動物系天使との接点がなくなっちゃったじゃないっ!! 志乃っ、志乃志乃志乃ちゅん♡♡と逢瀬できるからあなたの愚行を見逃してあげてたのにいいぃぃっ!!」
「大丈夫? キケンなおクスリはキメてないよね??」
「失礼ね! まあ? 志乃ちゃんへの甘い恋という名の良薬にはお世話になっているけれど?!」
 八重歯と一緒に本性まで剥きだした燕子に若干のドン引きを覚えた空木だが、これくらい彼には想定内だ。
「やっぱりねー、委員長、志乃ちゃんを視る目、たまにやばかったもん。だから先手、打っちゃった♪」
 空木は気づいていた。彼女が志乃に向ける、熱を帯びた眼差しに。同類のことは同類が一番よくわかるとは、よく言ったもの――。

 一方の燕子は、びしぃいっ、と空木を指差し、高らかに宣告する。
「こうなったら決闘デュエルよ、空木くん! お料理でより志乃ちゃんを喜ばせられたほうが、志乃ちゃん自身を『わーお♡』な意味でいただける!!」
「本人の同意なしで??」
 空木のつっこみもむなしく、勢いよく牛肉とワインをつかみとった燕子は、びたーん!! と牛肉をフライパンに叩きつけ、息荒く調理をはじめる。
「フランベは初めてするけれど、愛の力でどうとでもしてみせるわぁああ!!」
「愛の力過信しすぎじゃない?」
「そぉおおい!!」
 募る想いと共に、勢いよくワインをフライパンへ注ぎこむ燕子。火の扱いにも造詣の深い空木は、その様子をの当たりにし、あせったように語気を強めた。
「危ないッ!」
「え……きゃああっ!!」
 凄まじい火柱があがり、驚いた燕子は弾かれたようにフライパンを放りだす。炎の塊となったそれは床に落下し、あっという間に辺り一面が燃えあがり――。
「いやああぁつ、火事よー!」
「お父様ぁ―!」
 パニックになった生徒たちに、空木はスマートフォンを取りだしてなにか操作をしながらも、教室後部へ向かい鋭く命じた。
「山城、放置プレイ実験終わり!! 皆を外へ!」
「御意っ」
 素早くロッカーから飛びだした山城もまた、胸ポケットに入ったスマートフォンにれようとするような動作を見せたが、彼はその手を止め、ひとまず非常ベルめがけて駆けた。
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