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こんなつもりじゃ……
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山田夏生は思った。
―どうしてこうなった?
意外に順調な二人の付き合いは六ヶ月目を迎えようとしていた。
春が過ぎ少し汗ばむ日も増えてきたある金曜の夜、二人は夏生の家に向かう途中だった。いつも通り楽しいセックスをして、土曜日は昼まで寝て、締めに近くのスタミナラーメンを食べて解散、その筈だった。二人が例によって言い争いをしながらコンビニから出てきた時鉢合わせたその人物は、
夏生の、父親だった。
*
「夏生さんとは同じ課で営業として働かせて頂いています。彼女は本当に頑張り屋で、優秀なんです。」
「……そうですか。」
ファミレスの四人席。にこやかにペラッペラの言葉を吐く瀬崎の隣で、夏生も必死に貼り付けた笑顔で微笑む。正面では○クザと言っても通用するようなアウトレ○ジな外見の父親が、表情をピクリとも動かさずにそれを聞いている。
「……で、お二人はどういったお付き合いを?」
きた……!!夏生の背を冷たい汗が流れる。瀬崎!!目線を合わすことも出来ず、願いを込めてその名を叫んだ。
夏生の父は、厳しい。
幼い頃から、お菓子にゲーム、友人宅へのお泊まり、全て禁止された。高校、大学でも男女交際などもってのほかだった。当然夏生はその反動で、親の目をすり抜け遊びまくった。両親の前では未だに猫を被っている夏生である。
もしここで、社内の最低野郎とセックス三昧の付き合いをしているなどとバレたら。実家へ強制送還!家から出ることも許されず、次に出るときには家同士で決められた相手に嫁ぐとき、かもしれない!!
絶望のあまり、夏生の頭には白無垢を来て田んぼ道を歩く自分の嫁入りシーンが鮮明に浮かんでいた。(※普通の一般家庭である。)
瀬崎、お願い……!今だけ!
今だけでいいから、何とかこの場を……!
頭の中で指を組んで祈る夏生の耳に、その言葉は飛び込んできた。
「実は、結婚を前提にお付き合いをさせて頂いてまして」
……な!?
なんですと……!?
唖然。夏生は一瞬ぽかんと口を開けて隣の男を仰ぎ見てしまい、慌てて照れた微笑みを浮かべて父に向き直った。ぴりり、と父から伝わる空気が更に剣呑なものに変わる。
「……結婚……、ですか。」
「一度、夏生さんのご実家にも挨拶に伺いたくて、今日は、その相談を……」
「夏生の家で?」
「いえ!まさか!夏生さんを送り届ける途中だったんです。」
瀬崎が爽やかに微笑む。
そこまで言えとは言ってない……!!
夏生の背中を汗が流れていく。ちょ、ちょっと待ってよ。そんなこと言ったら……!!
「本来は付き合う前に報告すべきなんじゃないんですか。」
「いえ、本当につい先週、僕が告白をしてお付き合いの了承を得たところでして」
照れたように笑ってから、心苦しかったんです、お会いできて本当に良かった、と続ける。じっと瀬崎の顔を見ていた父が、少し間をかけて口を開いた。
「……では来週末はどうですか。私も家内も、特に予定は無かったはずです。」
「もちろんです」
「ちょっ……」
「ん?たしか、予定大丈夫だったよね?夏生さん。」
ぽんぽんと飛び交う会話に、夏生は口を閉じるのを完全に忘れてしまっていた。平然とした様子で次々と嘘を吐く瀬崎への衝撃で頭が回らない。
こちらを見る男に慌てた様子は全く見えない。私はこいつを見くびっていたかもしれない、夏生は頭の隅でそう思った。はじめてヤッた後の、あの動揺を隠せない男とはまるで別人だ。父が違和感を感じるまでの僅かな間逡巡した夏生は、結局首を縦に振るしかなかった。
背中はもう、汗でビッショリだった。
*
都内からたった一時間半、それでも急行から各駅停車のローカル線に乗り換えてしばらくすると、外を流れる景色は田んぼの緑一色になる。瀬崎は珍しそうに窓の外を眺めていた。
「俺はじめてこっちの方来たわ。やっば、すげー田舎」
「……ねぇ、なんであんなこと言ったの」
正面に座った男の顔を睨みつける。あの後会社の中でも外でも瀬崎と話をしようとしたのだが、急いでるから、あの件なら行くからな、としか言葉を聞けず、二人きりの時間が持てないまま今日を迎えてしまった。
「ただ付き合ってますで許される雰囲気じゃなかっただろ」
「……それは、そうだけど……」
一瞬でそれを読み取ったのは流石としか言いようがない。でも、それでもあそこまで言う理由にはならない。瀬崎にだってリスクがあり過ぎる。そう思って怪訝そうに彼を見つめていると、何故か瀬崎の方が苦い顔でこちらを見て、はぁ、とため息をついた。手が伸びてきて夏生の頬をむに、と軽くつねると、また一つ息を吐いて、腕を組み目を閉じてしまった。
*
「良い方を連れて来てくれて、お母さんほんとに嬉しいわ。でもね、お父さんすっごく緊張してるし、落ち込んでもいるみたいなの。優しくしてあげてね。」
にっこりと笑う母に、結婚の話なんて実は二人の間で一ミリも出ていないんですとは言えず、夏生は曖昧な笑顔で頷いた。庭付き戸建ての二階建て、都内のそれに比べると玄関やリビングは広々としている。最近リフォームしたのだという一階の室内からは、微かに檜の匂いがした。
どっしりとリビングのソファに腰掛ける父に緊張した面持ちで会釈をし、向かい合って腰掛ける。だが、穏やかに進むように見えた雰囲気は、挨拶もそこそこに父の口から出た言葉にぶち壊された。
「夏生。お前、仕事は辞めなさい」
「……え?」
きょとんとなった夏生の前で、そうねぇ、女の子ですもんねぇ、と母が父に相槌を打つ。口を開いて反論しようとするが言葉が出せない。しばらく家を出て忘れかけていたこの雰囲気に、夏生は一気に呼吸がし辛くなったのを感じた。
「もちろん辞めたくなればそれでもいいんですが、夏生さん、お仕事すごく頑張っていらっしゃるんですよ。」
にこやかに返す瀬崎をぼんやりと見上げる。まぁ、と母が声をあげる一方で、父の固い声が響いた。
「女が仕事なんて頑張る必要はない。どうせ限界も見えてるんだから。」
その言葉に、夏生は俯いて唇を噛み締めた。いつもそうだ、ずっとそうだった。いつも勝手に決めつける、そして、どうせ何を言ったって私の考えなんか受け入れてくれない。これらもそうなんだ。家を出たって結婚したって、ずっと。ずっと……
爪先から急激に体温が奪われていく。父が何か言っているけれどそれが耳に入って来ない。あぁ、もういいや、何とかこの場はいつもみたいに嘘をついて、それで……
「すみません」
隣から聞こえた毅然とした声に、夏生はハッと顔を上げた。
「お話途中に申し訳ないです。夏生さん、実は昨日から体調が悪いみたいで。少し休ませてもらえないでしょうか」
「あら、そうだったの?夏生、確かに顔色が悪いわ。布団用意するから少し休みなさい」
冷え切った指先を擦り合わせた。話の腰を折られて不機嫌そうな父に瀬崎が頭を下げ、夏生の背中を軽く押して部屋から出る。階段を上がってすぐの所にある夏生のものだったその部屋は、勉強机とタンスが一つ、小さなぬいぐるみがいくつか置かれているだけで、家を出た時と同じように綺麗に整っている。真ん中に敷かれた布団にころりと転がると、側に瀬崎が腰を降ろし胡座をかいた。
「……ごめんね、こんなことに付き合わせて」
「いや」
「挨拶が終わったら、タイミングみて別れたって言うから」
「夏生」
「……いいんだよ」
「何が?」
「……お前、会社ではあんなに好き放題思ったこと言えるのにな」
瀬崎が夏生の額に手を置く。質問に答えない男の顔を見上げると、思ったより優しげな顔がそこにあって、見ていられなくて目を伏せてしまった。
「もうお前は親の扶養から外れた、自立した人間だ。あの人達もそれに気付かないとだめだ。でも、ここまで保ってきた価値観をそう簡単には変えられないだろうし、いきなり言いたい事を言わなくてもいい。ゆっくり伝えていけばいい。……俺が、間に入るから。」
きゅ、と唇を噛み締める。間に入るってなに?これから先ってこと?そう思うが、心臓がきゅっとなって何故か口に出せなかった。やっぱり鋭い、そして、優しい。最近、下品なのは変わらないが、瀬崎は以前に比べて優しくなった。会社で庇ってくれたあの辺りからだっただろうか。じんわりと感謝を感じていると、髪を撫でていた手がゆっくりと下がってきて、むにゅ、とそれに指を埋めた。
「胸揉まないで」
はいはい、と言って手を離す瀬崎に夏生は吹き出した。やっぱりこいつはこういう奴だ。どこか安心する。
「良いこと言ってやってんだから、ちょっとぐらいいいだろ」
くすくす、と涙ぐみながら笑う夏生の額をもう一度撫で、瀬崎は膝を立てた。
「はい、この話は終わり。終了。寝ろ、お前は寝ろ。」
バサッと上から布団を掛けられて、昨晩十分睡眠をとった筈の夏生はやけに瞼が重い事に気が付いた。実家に来るのに無意識に身体が緊張していたのかもしれない。夏生が大人しく寝る体勢に入ったのを確認してから部屋を出た瀬崎は、トントントン、と階段を降りていく。それから微かに、彼が両親と話す声が聞こえてきた。いいや、お言葉に甘えて、ここはあいつに任せてみよう。外向きの顔は誰よりも安心出来る奴なんだから。そう思って目を閉じた。
帰りの電車はほとんど貸切状態で、野球のユニフォームを着た学生がぽつりと遠くに座っているだけだった。夏生は何も言わずに瀬崎の肩にもたれながら目を閉じていた。優しく頼り甲斐のある瀬崎の姿に、呆気なくときめいていた。
*
「という訳で、労働の対価をもらうべきだろ」
翌週金曜日、お泊りの準備をして瀬崎の家に一緒に帰ってきた夏生は、そう言われて顔を歪めた。
「胸揉んだでしょ」
「足りてねぇ。なぁ夏生、お前、ちょっとイクの我慢してみろよ」
「はぁ!?」
「いっつもイキ過ぎなんだよお前」
その言葉にかぁっと顔が熱くなる。この変態!この間のときめきを返せ!あんたの方が猿みたいにイキまくってるくせに!それらを声に出そうとハッと息を吸って口を開く前に、瀬崎はニヤリと笑って言った。
「お前が我慢できるか、賭けようぜ。」
*
「やぁ、……ッ、は、ぁん……っ」
「……ッ、えっろ、……お前いま、……胸でイッた……?」
唾液が胸の先から流れてくる。突起をべろんべろんと舐め回す舌の動きに腰を上げてびくびくと震えた夏生を見下ろして、瀬崎は息を抑えて言った。
「……今のはカウント無しにしてやるよ。ほら、尻上げろ。次イッたら、お前の負けな。覚悟決めろよ。」
なにが?かくごって、なんのはなしだっけ?
興奮で頭がぼんやりして、されるがままに腰を突き出してしまう。ずぷん、と奥まで埋め込まれた衝撃を逃がそうとシーツにしがみついた。
「あぁぅ……ッ、ふ……っ」
「……いやいや、これ、イッてるだろ、お前」
あーあー、と呆れたように言われて、腰をぷるぷる震わせながら声を絞り出した。
「どうせ、胸だけが好きな……ッ、くせにぃ……ッ、あんッ、あぁん……っ」
バチュ、バチュ、と後ろから何度も腰を叩き付けられる。
「そう、だったんだけどなぁ、……ッ、どっちかっていうと、お前の、その顔、が……ッ」
グイッと顎を掴まれる。
「すっげー、……癖になるんだよな」
「ひぁ……ッ」
きゅぅんと締まった膣道に思い切り突っ込まれて、夏生はまた達してしまった。ぺたりと上半身が脱力した夏生の上で、瀬崎の荒い息が聞こえる。
「……あと一回、チャンスやるよ、夏生」
「……え?う、そ……ッ、ひん、ぁあん……ッ、やぁ、だめ、だめ、あぁぁ……ッ」
もう無理、無理、と喘ぎ達しながらシーツをぐしゃぐしゃにする夏生の耳元で、瀬崎は言った。
「お前、人のこと面白半分にオトしといて、逃げられると思うなよ」
「はぁん……ッ」
その低い声にとうとう腰が抜けた夏生の身体は、ベッドに崩れ落ちた。
*
悔しそうに顔を歪める花嫁を二度見してから、式場のスタッフが彼女をズルズルと引きずっていく。結局、結婚への話が先に進むたびにベッドの上で強引に事を約束させられて、気付けば後に引けない所まで来てしまった。夏生が隣に立つ男を睨み上げると、黒のシックなタキシードに身を包んだ瀬崎は満足そうにこちらを見下ろして口角を上げた。
「なっちゃんおめでとう!すっごく綺麗だよぉ」
「お前らなんだよ~そういうことだったのかよ~!」
綾が涙を流している。進藤と林がうりうり、と瀬崎を小突いている。
「瀬崎くんもカッコイイ!ほんとにお似合いだねっ!!」
こんなつもりじゃ、なかったのだ。
顔を赤くした花嫁を皆幸せの余り頬を染めているのだと認識したようで、微笑ましいねと声を掛けられる度に夏生の顔は更に赤くなった。夏生の心中を露知らず、二人の元には祝福を伝える出席者が次々と訪れるのだった。
―どうしてこうなった?
意外に順調な二人の付き合いは六ヶ月目を迎えようとしていた。
春が過ぎ少し汗ばむ日も増えてきたある金曜の夜、二人は夏生の家に向かう途中だった。いつも通り楽しいセックスをして、土曜日は昼まで寝て、締めに近くのスタミナラーメンを食べて解散、その筈だった。二人が例によって言い争いをしながらコンビニから出てきた時鉢合わせたその人物は、
夏生の、父親だった。
*
「夏生さんとは同じ課で営業として働かせて頂いています。彼女は本当に頑張り屋で、優秀なんです。」
「……そうですか。」
ファミレスの四人席。にこやかにペラッペラの言葉を吐く瀬崎の隣で、夏生も必死に貼り付けた笑顔で微笑む。正面では○クザと言っても通用するようなアウトレ○ジな外見の父親が、表情をピクリとも動かさずにそれを聞いている。
「……で、お二人はどういったお付き合いを?」
きた……!!夏生の背を冷たい汗が流れる。瀬崎!!目線を合わすことも出来ず、願いを込めてその名を叫んだ。
夏生の父は、厳しい。
幼い頃から、お菓子にゲーム、友人宅へのお泊まり、全て禁止された。高校、大学でも男女交際などもってのほかだった。当然夏生はその反動で、親の目をすり抜け遊びまくった。両親の前では未だに猫を被っている夏生である。
もしここで、社内の最低野郎とセックス三昧の付き合いをしているなどとバレたら。実家へ強制送還!家から出ることも許されず、次に出るときには家同士で決められた相手に嫁ぐとき、かもしれない!!
絶望のあまり、夏生の頭には白無垢を来て田んぼ道を歩く自分の嫁入りシーンが鮮明に浮かんでいた。(※普通の一般家庭である。)
瀬崎、お願い……!今だけ!
今だけでいいから、何とかこの場を……!
頭の中で指を組んで祈る夏生の耳に、その言葉は飛び込んできた。
「実は、結婚を前提にお付き合いをさせて頂いてまして」
……な!?
なんですと……!?
唖然。夏生は一瞬ぽかんと口を開けて隣の男を仰ぎ見てしまい、慌てて照れた微笑みを浮かべて父に向き直った。ぴりり、と父から伝わる空気が更に剣呑なものに変わる。
「……結婚……、ですか。」
「一度、夏生さんのご実家にも挨拶に伺いたくて、今日は、その相談を……」
「夏生の家で?」
「いえ!まさか!夏生さんを送り届ける途中だったんです。」
瀬崎が爽やかに微笑む。
そこまで言えとは言ってない……!!
夏生の背中を汗が流れていく。ちょ、ちょっと待ってよ。そんなこと言ったら……!!
「本来は付き合う前に報告すべきなんじゃないんですか。」
「いえ、本当につい先週、僕が告白をしてお付き合いの了承を得たところでして」
照れたように笑ってから、心苦しかったんです、お会いできて本当に良かった、と続ける。じっと瀬崎の顔を見ていた父が、少し間をかけて口を開いた。
「……では来週末はどうですか。私も家内も、特に予定は無かったはずです。」
「もちろんです」
「ちょっ……」
「ん?たしか、予定大丈夫だったよね?夏生さん。」
ぽんぽんと飛び交う会話に、夏生は口を閉じるのを完全に忘れてしまっていた。平然とした様子で次々と嘘を吐く瀬崎への衝撃で頭が回らない。
こちらを見る男に慌てた様子は全く見えない。私はこいつを見くびっていたかもしれない、夏生は頭の隅でそう思った。はじめてヤッた後の、あの動揺を隠せない男とはまるで別人だ。父が違和感を感じるまでの僅かな間逡巡した夏生は、結局首を縦に振るしかなかった。
背中はもう、汗でビッショリだった。
*
都内からたった一時間半、それでも急行から各駅停車のローカル線に乗り換えてしばらくすると、外を流れる景色は田んぼの緑一色になる。瀬崎は珍しそうに窓の外を眺めていた。
「俺はじめてこっちの方来たわ。やっば、すげー田舎」
「……ねぇ、なんであんなこと言ったの」
正面に座った男の顔を睨みつける。あの後会社の中でも外でも瀬崎と話をしようとしたのだが、急いでるから、あの件なら行くからな、としか言葉を聞けず、二人きりの時間が持てないまま今日を迎えてしまった。
「ただ付き合ってますで許される雰囲気じゃなかっただろ」
「……それは、そうだけど……」
一瞬でそれを読み取ったのは流石としか言いようがない。でも、それでもあそこまで言う理由にはならない。瀬崎にだってリスクがあり過ぎる。そう思って怪訝そうに彼を見つめていると、何故か瀬崎の方が苦い顔でこちらを見て、はぁ、とため息をついた。手が伸びてきて夏生の頬をむに、と軽くつねると、また一つ息を吐いて、腕を組み目を閉じてしまった。
*
「良い方を連れて来てくれて、お母さんほんとに嬉しいわ。でもね、お父さんすっごく緊張してるし、落ち込んでもいるみたいなの。優しくしてあげてね。」
にっこりと笑う母に、結婚の話なんて実は二人の間で一ミリも出ていないんですとは言えず、夏生は曖昧な笑顔で頷いた。庭付き戸建ての二階建て、都内のそれに比べると玄関やリビングは広々としている。最近リフォームしたのだという一階の室内からは、微かに檜の匂いがした。
どっしりとリビングのソファに腰掛ける父に緊張した面持ちで会釈をし、向かい合って腰掛ける。だが、穏やかに進むように見えた雰囲気は、挨拶もそこそこに父の口から出た言葉にぶち壊された。
「夏生。お前、仕事は辞めなさい」
「……え?」
きょとんとなった夏生の前で、そうねぇ、女の子ですもんねぇ、と母が父に相槌を打つ。口を開いて反論しようとするが言葉が出せない。しばらく家を出て忘れかけていたこの雰囲気に、夏生は一気に呼吸がし辛くなったのを感じた。
「もちろん辞めたくなればそれでもいいんですが、夏生さん、お仕事すごく頑張っていらっしゃるんですよ。」
にこやかに返す瀬崎をぼんやりと見上げる。まぁ、と母が声をあげる一方で、父の固い声が響いた。
「女が仕事なんて頑張る必要はない。どうせ限界も見えてるんだから。」
その言葉に、夏生は俯いて唇を噛み締めた。いつもそうだ、ずっとそうだった。いつも勝手に決めつける、そして、どうせ何を言ったって私の考えなんか受け入れてくれない。これらもそうなんだ。家を出たって結婚したって、ずっと。ずっと……
爪先から急激に体温が奪われていく。父が何か言っているけれどそれが耳に入って来ない。あぁ、もういいや、何とかこの場はいつもみたいに嘘をついて、それで……
「すみません」
隣から聞こえた毅然とした声に、夏生はハッと顔を上げた。
「お話途中に申し訳ないです。夏生さん、実は昨日から体調が悪いみたいで。少し休ませてもらえないでしょうか」
「あら、そうだったの?夏生、確かに顔色が悪いわ。布団用意するから少し休みなさい」
冷え切った指先を擦り合わせた。話の腰を折られて不機嫌そうな父に瀬崎が頭を下げ、夏生の背中を軽く押して部屋から出る。階段を上がってすぐの所にある夏生のものだったその部屋は、勉強机とタンスが一つ、小さなぬいぐるみがいくつか置かれているだけで、家を出た時と同じように綺麗に整っている。真ん中に敷かれた布団にころりと転がると、側に瀬崎が腰を降ろし胡座をかいた。
「……ごめんね、こんなことに付き合わせて」
「いや」
「挨拶が終わったら、タイミングみて別れたって言うから」
「夏生」
「……いいんだよ」
「何が?」
「……お前、会社ではあんなに好き放題思ったこと言えるのにな」
瀬崎が夏生の額に手を置く。質問に答えない男の顔を見上げると、思ったより優しげな顔がそこにあって、見ていられなくて目を伏せてしまった。
「もうお前は親の扶養から外れた、自立した人間だ。あの人達もそれに気付かないとだめだ。でも、ここまで保ってきた価値観をそう簡単には変えられないだろうし、いきなり言いたい事を言わなくてもいい。ゆっくり伝えていけばいい。……俺が、間に入るから。」
きゅ、と唇を噛み締める。間に入るってなに?これから先ってこと?そう思うが、心臓がきゅっとなって何故か口に出せなかった。やっぱり鋭い、そして、優しい。最近、下品なのは変わらないが、瀬崎は以前に比べて優しくなった。会社で庇ってくれたあの辺りからだっただろうか。じんわりと感謝を感じていると、髪を撫でていた手がゆっくりと下がってきて、むにゅ、とそれに指を埋めた。
「胸揉まないで」
はいはい、と言って手を離す瀬崎に夏生は吹き出した。やっぱりこいつはこういう奴だ。どこか安心する。
「良いこと言ってやってんだから、ちょっとぐらいいいだろ」
くすくす、と涙ぐみながら笑う夏生の額をもう一度撫で、瀬崎は膝を立てた。
「はい、この話は終わり。終了。寝ろ、お前は寝ろ。」
バサッと上から布団を掛けられて、昨晩十分睡眠をとった筈の夏生はやけに瞼が重い事に気が付いた。実家に来るのに無意識に身体が緊張していたのかもしれない。夏生が大人しく寝る体勢に入ったのを確認してから部屋を出た瀬崎は、トントントン、と階段を降りていく。それから微かに、彼が両親と話す声が聞こえてきた。いいや、お言葉に甘えて、ここはあいつに任せてみよう。外向きの顔は誰よりも安心出来る奴なんだから。そう思って目を閉じた。
帰りの電車はほとんど貸切状態で、野球のユニフォームを着た学生がぽつりと遠くに座っているだけだった。夏生は何も言わずに瀬崎の肩にもたれながら目を閉じていた。優しく頼り甲斐のある瀬崎の姿に、呆気なくときめいていた。
*
「という訳で、労働の対価をもらうべきだろ」
翌週金曜日、お泊りの準備をして瀬崎の家に一緒に帰ってきた夏生は、そう言われて顔を歪めた。
「胸揉んだでしょ」
「足りてねぇ。なぁ夏生、お前、ちょっとイクの我慢してみろよ」
「はぁ!?」
「いっつもイキ過ぎなんだよお前」
その言葉にかぁっと顔が熱くなる。この変態!この間のときめきを返せ!あんたの方が猿みたいにイキまくってるくせに!それらを声に出そうとハッと息を吸って口を開く前に、瀬崎はニヤリと笑って言った。
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「やぁ、……ッ、は、ぁん……っ」
「……ッ、えっろ、……お前いま、……胸でイッた……?」
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「……今のはカウント無しにしてやるよ。ほら、尻上げろ。次イッたら、お前の負けな。覚悟決めろよ。」
なにが?かくごって、なんのはなしだっけ?
興奮で頭がぼんやりして、されるがままに腰を突き出してしまう。ずぷん、と奥まで埋め込まれた衝撃を逃がそうとシーツにしがみついた。
「あぁぅ……ッ、ふ……っ」
「……いやいや、これ、イッてるだろ、お前」
あーあー、と呆れたように言われて、腰をぷるぷる震わせながら声を絞り出した。
「どうせ、胸だけが好きな……ッ、くせにぃ……ッ、あんッ、あぁん……っ」
バチュ、バチュ、と後ろから何度も腰を叩き付けられる。
「そう、だったんだけどなぁ、……ッ、どっちかっていうと、お前の、その顔、が……ッ」
グイッと顎を掴まれる。
「すっげー、……癖になるんだよな」
「ひぁ……ッ」
きゅぅんと締まった膣道に思い切り突っ込まれて、夏生はまた達してしまった。ぺたりと上半身が脱力した夏生の上で、瀬崎の荒い息が聞こえる。
「……あと一回、チャンスやるよ、夏生」
「……え?う、そ……ッ、ひん、ぁあん……ッ、やぁ、だめ、だめ、あぁぁ……ッ」
もう無理、無理、と喘ぎ達しながらシーツをぐしゃぐしゃにする夏生の耳元で、瀬崎は言った。
「お前、人のこと面白半分にオトしといて、逃げられると思うなよ」
「はぁん……ッ」
その低い声にとうとう腰が抜けた夏生の身体は、ベッドに崩れ落ちた。
*
悔しそうに顔を歪める花嫁を二度見してから、式場のスタッフが彼女をズルズルと引きずっていく。結局、結婚への話が先に進むたびにベッドの上で強引に事を約束させられて、気付けば後に引けない所まで来てしまった。夏生が隣に立つ男を睨み上げると、黒のシックなタキシードに身を包んだ瀬崎は満足そうにこちらを見下ろして口角を上げた。
「なっちゃんおめでとう!すっごく綺麗だよぉ」
「お前らなんだよ~そういうことだったのかよ~!」
綾が涙を流している。進藤と林がうりうり、と瀬崎を小突いている。
「瀬崎くんもカッコイイ!ほんとにお似合いだねっ!!」
こんなつもりじゃ、なかったのだ。
顔を赤くした花嫁を皆幸せの余り頬を染めているのだと認識したようで、微笑ましいねと声を掛けられる度に夏生の顔は更に赤くなった。夏生の心中を露知らず、二人の元には祝福を伝える出席者が次々と訪れるのだった。
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タイプではありませんが
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※ムーンライトノベルズ様、エブリスタ様にも投稿しています。
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