上 下
25 / 68
二、カールロット公爵令嬢は魔女になる、ことにした

25

しおりを挟む
「ねぇ。あんた洗礼受けたのに名前変えさせなかったって聞いたけど、本当?」

 厨房で鍋の中を見つめていると、そんな声が背後の出入り口から聞こえてきた。隣の調理台で芋の芽をとってくれていたロザロニアが、視線だけをこちらに向けてくる。
 私は振り返らずに、低い声で答えた。

「本当よ」

  靴音高く近づいてきたダリエルは、「はぁ、なんで?」と問いを重ねてきた。長くて太い三つ編みが視界に入る。彼女がすぐ横に来ていた。
 横目で見遣ると、上半身を包む暖かそうなケープの裾から白い紙製の箱がはみ出している。

 こちらにしてみれば、今日は食材を発注していないはずなのに、なんであなたがここにいるのと聞きたいところなのだけど。

「だって、名前が変わっちゃったら“カールロット家の魔女”だってことがわかりにくくなるじゃない」
「そうじゃなくて、なんでフラウリッツはそれを認めてんの? 名付けは、それまでの真っ当な人間だった過去と、これから魔の道に進む未来を切り離す区切りだってのに。それに何より、師匠が決めたら弟子に拒否権なんてないもんよ」
「……ダリエル」

 私が心の声を抑えて答えたことは、的外れだったらしい。たしなめるように口をはさんだロザロニアは、ダリエルに睨まれて口をつぐんだ。

 そう。
 本来なら、私の名前は“レダリカ”ではなくなるはずだった。
 しかし、今でも私の名前は変わっていない。どこかでそれを聞きつけたダリエルは私がフラウリッツにワガママを言ったのだと思い、物申しにきたのだろう。

 鍋の蓋を少しずらして置く。がち、と金属がぶつかる荒い音がした。ダリエルが鼻をならして矛先を変える。

「ロザロニアも、なんか言いなさいよっ。あんただってきっぱり呼び名も名乗りも、フラウリッツにもらった名前に変えたじゃないの」
「……フラウリッツがレダリカの希望を尊重すると決めたんなら、それこそ私が口出すものじゃないだろ」

 肩をすくめたストロベリーブロンドの魔女に、ダリエルは「かーっ、甘いんだから!」と頭をかいた。

「……でも、名前を変えるのは戒律で決められてるわけじゃないでしょ」

 ぼそっと呟いた私に、なんのことだと言いたげな二人の目が向けられる。
 指を何度か鳴らしてかまどの火を調節しながら、私は朝食後に行われた『魔女の洗礼』を思い出していた。



「生まれてから死ぬまでに受ける“魔女の秘蹟”は三つ。魔女として生まれ変わるための“洗礼の儀”と、一人前と見なされる“餞別の儀”。それから、亡くなるときの“臨終の儀”」
「……なんだか教会で受ける秘蹟と似通ってるわね」

 連れてこられた城の片隅に、四方を木々に囲まれた小さな東屋があり、六角形の屋根の下には大理石で作られた大きな水盤があった。

 底がカーブを描く水盤へ指示通り蜂蜜酒を注ぎ淹れる私に、フラウリッツは抱えてきた鍵付きのケースから出した銀色のゴブレットを磨きながら「そうかもねー」と軽く応じた。

「教会が行う成人の儀が、こっちでいう餞別の儀みたいなものと考えればね。ま、餞別もいずれ行うけど、王都での成人祝いみたいな華々しさは期待しないでおくれ」
「しないわよ」
「よかった。あ、でも、レダリカの成人の儀はちょっと見たかったな。貴族の女の子はみんな真っ白なドレス姿で、舞踏会が開催されるんでしょ? 綺麗だったろうねぇ」

 さらりと言われたことに顔が火照った。つい「白は、あんまり似合わないのよ。翌年のルゼの方が様になってたわ」と、かわいくないことを言ってしまった。
 私の態度にフラウリッツは複雑そうな笑みを作ると、ゴブレットを渡してきた。空になった酒瓶をベンチに置いて受け取る。植物の模様が側面を覆っているが、至ってシンプルな杯だ。

「レダリカはさ、洗礼しても、名前は変えたくないんだろ」

 ゴブレットの飲み口を指でなぞっていた私は、その言葉に弾かれたように顔をあげた。

「それは、まあ」

 口ごもるのは、それが許されることではないと薄々感じていたからだ。フラウリッツはそんな私の心の内を知ってか知らずか、普段と変わらない穏やかな瞳を向けてきた。

「昨日言ってた気持ちは変わってない? 長生きする気ある?」

 その確認は、どういう意図だろう。疑問はわいたが、素直にうなずく。……できるかどうかは、また別問題だと思うけど。

「そう。じゃあ名前、そのままにしとこうか」

 あっさり受け入れられたことに驚く私を置いて、フラウリッツはコツコツと水盤の縁を指先で叩いて注意を促した。

「洗礼の方法だけどね。僕が呪文を唱えると、この中の蜂蜜酒が赤くなる。それをゴブレットで掬って飲んでくれ。量はご自由に。ただし、必ず一口は飲み込むこと」

 説明するフラウリッツはいつも通りだが、私はいよいよだと思ってにわかに緊張してきていた。覗きこんだ水盤は、黄金色の酒に満たされている。

「洗礼って言うけど、別に蜂蜜酒を浴びるわけじゃないのね、よかった」
「浴びるよ」
「え?」
「気を付けてほしいのは、儀式を始めたら僕が『もういいよ』って言うまで、一言も話さないこと」
「えっ? えっ?」
「じゃ、いくよ。黙って」

 制するように手を向けられて、私はそれこそ魔法にかけられたように言葉を失った。それを確認したフラウリッツの手のひらが、水盤の上に移動した。

「『魔法使いフラウリッツより、古き精霊へ送る。汝この声をたどってきたならば、』――」

 低い声が紡ぐ呪文を聞くのは、初めてだ。フラウリッツは今までどんな魔法を使うときも無言で済ませていたから。
 
 こっそり聞き惚れていた私だったが、意識はすぐに耳から目へと移った。水盤の中心から、ぼこぼこと気泡が生じ、蜂蜜酒が徐々に赤く染まっていったのだ。息を飲んで見守る、というより呆気にとられるうちに、蜂蜜酒はワインより濃い赤の液体に変わった。
 
 ……私、これを飲むの?

 触るなとは言われていないのに、私は液体が手につかないよう、慎重に掬った。すると磨かれた銀製のゴブレットは、液体が触れた部分だけが黒々と変色していった。

 ……これ、毒じゃないの?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。 そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。 シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。 ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。 それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。 それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。 なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた―― ☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆ ☆全文字はだいたい14万文字になっています☆ ☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆

【完結】私じゃなくてもいいですね?

ユユ
恋愛
子爵家の跡継ぎと伯爵家の長女の婚約は 仲の良い父親同士が決めたものだった。 男は女遊びを繰り返し 婚約者に微塵も興味がなかった…。 一方でビビアン・ガデュエットは人生を変えたいと願った。 婚姻まであと2年。 ※ 作り話です。 ※ 完結保証付き

虐め? そんな面倒なことしませんよ?

真理亜
恋愛
卒業パーティーで謂われなき罪の元、婚約破棄を告げられた公爵令嬢は「虐め? そんな面倒なことしませんよ?」と冤罪を主張する。なぜなら「私がその女を目障りだと感じたら、我が公爵家の力を以てして髪の毛一本残さずさっさと始末してますよ? その女が五体満足でこの場に居ることこそ、私が虐めなどしていない証拠です」と、そう言い切ったのだった。

【完結】公爵令嬢は、婚約破棄をあっさり受け入れる

櫻井みこと
恋愛
突然、婚約破棄を言い渡された。 彼は社交辞令を真に受けて、自分が愛されていて、そのために私が必死に努力をしているのだと勘違いしていたらしい。 だから泣いて縋ると思っていたらしいですが、それはあり得ません。 私が王妃になるのは確定。その相手がたまたま、あなただった。それだけです。 またまた軽率に短編。 一話…マリエ視点 二話…婚約者視点 三話…子爵令嬢視点 四話…第二王子視点 五話…マリエ視点 六話…兄視点 ※全六話で完結しました。馬鹿すぎる王子にご注意ください。 スピンオフ始めました。 「追放された聖女が隣国の腹黒公爵を頼ったら、国がなくなってしまいました」連載中!

甘やかされて育ってきた妹に、王妃なんて務まる訳がないではありませんか。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラフェリアは、実家との折り合いが悪く、王城でメイドとして働いていた。 そんな彼女は優秀な働きが認められて、第一王子と婚約することになった。 しかしその婚約は、すぐに破談となる。 ラフェリアの妹であるメレティアが、王子を懐柔したのだ。 メレティアは次期王妃となることを喜び、ラフェリアの不幸を嘲笑っていた。 ただ、ラフェリアはわかっていた。甘やかされて育ってきたわがまま妹に、王妃という責任ある役目は務まらないということを。 その兆候は、すぐに表れた。以前にも増して横暴な振る舞いをするようになったメレティアは、様々な者達から反感を買っていたのだ。

親友と幼馴染の彼を同時に失い婚約破棄しました〜親友は彼の子供を妊娠して産みたいと主張するが中絶して廃人になりました

window
恋愛
公爵令嬢のオリビア・ド・シャレットは婚約破棄の覚悟を決めた。 理由は婚約者のノア・テオドール・ヴィクトー伯爵令息の浮気である。 なんとノアの浮気相手はオリビアの親友のマチルダ伯爵令嬢だった。 それにマチルダはノアの子供を妊娠して産みたいと言っているのです。

処理中です...