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二、カールロット公爵令嬢は魔女になる、ことにした
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朝日に起こされる時間が、少しずつ遅くなっている。
夏が終わったから、厚手のガウンを用意しよう。冷たくなった鼻先を擦りながら、そう思ったのが今朝。
今、昼食を片付けた私は壁の一面が鏡に覆われた部屋で、右肩にも左肩にも布をかけられて、さながら物干し竿である。
「今の流行は青で、裾にレース模様を重ねて柄を透かせるの。花や、馬車行列なんかが華やかで人気なんだけど……でもアタシは、あなたにはこのシックな濃い緑がいいと思うのよね」
そう話す『馴染みの』仕立屋に、私は「じゃ、緑で」と即決した。
「刺繍は? レダリカ様の黒い髪なら、繊細ぶったレースより豪華な金糸が素敵だと思うけど」
「誰に見せるものでもない部屋着に金糸なんて、洗いにくいから使わないで。無地でいいわ。あと、その呼び方もやめてくださる?」
その言葉に、『王都の仕事は店の子だけでも一日くらい回るから!』と言ってやってきた仕立屋は心外そうに眉を上げた。
「あらぁ、だってまだ洗礼受けてないんでしょ? じゃ、まだ魔女の名前もないんじゃない」
「……私を様付けしてる人間、この城にはいないわよって言ってるの。だいたい呼んだ身で言うのもなんだけど、都合のつくときでいいから寄ってくれって言付けたはずなのだけど」
私は鏡に映る背後の男を見た。焦げ茶色の髪を後ろに撫でつけ、整えられた口髭の仕立屋を。
洗礼を受けると、魔女の名前をもらう。それは、生まれたときに付けてもらった名前を捨てるということ。
けれど、この魔法使い兼仕立屋は、元の名前も使い続けていた。――その名前を、この城に来る前の私も、何度も口にしていたのだ。
「いいの! 家を出ても、王都を出ても、アタシの被服イマジネーションの女神はレダリカ様なんだから、好きに呼ばせて! 仕事の優先順位も、アタシが付けるの!」
口を尖らせた男が「そもそも“こっち側”の注文はお店の子に任せられないもの」と言ってそっぽを向いた。その顎は私の頭のてっぺんよりさらに頭一つ分くらい高いところにあって、おそらくフラウリッツよりも背が高い。そういえば王都にいたころ、彼が王族の注文を受けないことについて『フェルマイナーは背が高すぎて、大昔に立てられた王宮の門をくぐれないらしい』と噂されていた。
「好きにすればいいわよフェルマイナー……じゃなかった、べネス」
ため息交じりに言ってからしまったと言いなおすと、「別に、そちらもご自由に呼んでくれて構わないわよ」と返された。笑った顔は相変わらずハンサムだ。肌も髪も艶々で、洒落た服装をよく引き立てている。
独身を貫くのは、その方が貴族女性たちの受けがいいからだと思っていたが。
「驚いたでしょ? 王都で人気の仕立屋“ジャクロス・フェルマイナー”が、実は“魔女べネス”だったなんて。でもアタシも相当驚いたのよ、大ファンだったレダリカ・カールロットが、突然病に倒れて呆気なく死んだって聞いて。呆然自失としながらフラウリッツに呼ばれて来てみたら、城の裏であなたが鶏の羽にまみれてるんだもの!」
こっちが驚いたのは、彼が希少な魔法使いのひとりであったことに加え、“心は女”だったこともだが。
「もうずいぶん上手くなったのよ、鶏を捕まえるのも、絞めて血を抜くのも。……ところで、べネス」
「ん?」
「青が流行っていうのは、ルゼの好みによるもの?」
フェルマイナーことべネスが大きく咳き込んでしまった。聞くタイミングが悪かったかしら。
「別にいいのよ。私が婚約したときは、赤とか濃い緑とか、私が選ぶ色が流行ったものね」
「……確かに、王都は今ルゼ・カールロット嬢の一挙手一投足に右往左往してるわ。ただ、アタシはあなたの黒いまっすぐな髪の方がすきよ。カラスみたいで」
「お世辞はいらな……お、お世辞にしてもカラスはどうなの」
「間違えた、黒鳥よね、フラウリッツの口癖でつい。……それにお世辞じゃなく、肌なんて今の方がずっと綺麗だもの」
言われて頬を手の甲で撫でられる。触れられて嫌な感じはしないから、本当にそう思っているのだろうと分かった。
「それは不思議ね。家にいたころとこっちに来てからの落差が一番激しいのが、肌の手入れへかける手間とお金なのに」
「あらそうなの? まぁここは森に囲まれてて空気がいいから。……もしくは、恋とかしてたり」
「あ。そういえばよく寝るようになったわ。王都にいた頃の倍くらい睡眠時間取ってる」
「…………多分それよ」
なぜかべネスが肩を落とした。でも確かに、肌の調子がここ最近すこぶるいい。手間をかけなくてすんでいたのは、荒れなかったせいだ。
皮肉だ。美しさを求めていた頃に欲しかった美肌が、今さら手に入った。
「私のことはいいの。それより言いたかったのは、私に遠慮してルゼの婚礼衣装制作を辞退するようなことはやめてってことよ」
「え?」
「私は、お式の衣装はあなたに依頼するつもりだったんだから」
『フェルマイナー』の衣装は注文者の体にぴったり合って、動くたびにきらめいて、仕立屋本人の魅力以上にその質の高さで評判だった。まさか魔の道に進んでいたとは思わなかったけど。
「まぁ嬉しい……。思えば、あなたが駆け出しのアタシを見出して贔屓にしてくれたのも、『フェルマイナー』の名前を上げた大きな一因だったわ」
べネスは感極まったように目元を大きな手でおさえた。大げさだなと思い、すまし顔で気がつかないふりをした。正直に言えば、気恥ずかしかった。
が、涙を隠すように顔を覆っていた手は次の瞬間おどけたように耳の横へ開き、口からは大きな舌がべろっと出てきた。
「なーんて! そう言われたのはほんとに嬉しいけど、アタシ魔女だから王宮に出入りできないのよね、ざ~んねん! レダリカ様ほか皆様からの篤い声援を惜しみつつ、ここはにっくきべネシア商会のオバさんにでも席を譲ろうと」
「え、魔法使いって王宮に入れないの?」
その言葉に驚いて振り返ったとき、肩から布がずり落ちるのと同時に「やあ、ちょっと私にもブーツ見繕ってくれよ」とロザロニアが部屋に入ってきた。
朝日に起こされる時間が、少しずつ遅くなっている。
夏が終わったから、厚手のガウンを用意しよう。冷たくなった鼻先を擦りながら、そう思ったのが今朝。
今、昼食を片付けた私は壁の一面が鏡に覆われた部屋で、右肩にも左肩にも布をかけられて、さながら物干し竿である。
「今の流行は青で、裾にレース模様を重ねて柄を透かせるの。花や、馬車行列なんかが華やかで人気なんだけど……でもアタシは、あなたにはこのシックな濃い緑がいいと思うのよね」
そう話す『馴染みの』仕立屋に、私は「じゃ、緑で」と即決した。
「刺繍は? レダリカ様の黒い髪なら、繊細ぶったレースより豪華な金糸が素敵だと思うけど」
「誰に見せるものでもない部屋着に金糸なんて、洗いにくいから使わないで。無地でいいわ。あと、その呼び方もやめてくださる?」
その言葉に、『王都の仕事は店の子だけでも一日くらい回るから!』と言ってやってきた仕立屋は心外そうに眉を上げた。
「あらぁ、だってまだ洗礼受けてないんでしょ? じゃ、まだ魔女の名前もないんじゃない」
「……私を様付けしてる人間、この城にはいないわよって言ってるの。だいたい呼んだ身で言うのもなんだけど、都合のつくときでいいから寄ってくれって言付けたはずなのだけど」
私は鏡に映る背後の男を見た。焦げ茶色の髪を後ろに撫でつけ、整えられた口髭の仕立屋を。
洗礼を受けると、魔女の名前をもらう。それは、生まれたときに付けてもらった名前を捨てるということ。
けれど、この魔法使い兼仕立屋は、元の名前も使い続けていた。――その名前を、この城に来る前の私も、何度も口にしていたのだ。
「いいの! 家を出ても、王都を出ても、アタシの被服イマジネーションの女神はレダリカ様なんだから、好きに呼ばせて! 仕事の優先順位も、アタシが付けるの!」
口を尖らせた男が「そもそも“こっち側”の注文はお店の子に任せられないもの」と言ってそっぽを向いた。その顎は私の頭のてっぺんよりさらに頭一つ分くらい高いところにあって、おそらくフラウリッツよりも背が高い。そういえば王都にいたころ、彼が王族の注文を受けないことについて『フェルマイナーは背が高すぎて、大昔に立てられた王宮の門をくぐれないらしい』と噂されていた。
「好きにすればいいわよフェルマイナー……じゃなかった、べネス」
ため息交じりに言ってからしまったと言いなおすと、「別に、そちらもご自由に呼んでくれて構わないわよ」と返された。笑った顔は相変わらずハンサムだ。肌も髪も艶々で、洒落た服装をよく引き立てている。
独身を貫くのは、その方が貴族女性たちの受けがいいからだと思っていたが。
「驚いたでしょ? 王都で人気の仕立屋“ジャクロス・フェルマイナー”が、実は“魔女べネス”だったなんて。でもアタシも相当驚いたのよ、大ファンだったレダリカ・カールロットが、突然病に倒れて呆気なく死んだって聞いて。呆然自失としながらフラウリッツに呼ばれて来てみたら、城の裏であなたが鶏の羽にまみれてるんだもの!」
こっちが驚いたのは、彼が希少な魔法使いのひとりであったことに加え、“心は女”だったこともだが。
「もうずいぶん上手くなったのよ、鶏を捕まえるのも、絞めて血を抜くのも。……ところで、べネス」
「ん?」
「青が流行っていうのは、ルゼの好みによるもの?」
フェルマイナーことべネスが大きく咳き込んでしまった。聞くタイミングが悪かったかしら。
「別にいいのよ。私が婚約したときは、赤とか濃い緑とか、私が選ぶ色が流行ったものね」
「……確かに、王都は今ルゼ・カールロット嬢の一挙手一投足に右往左往してるわ。ただ、アタシはあなたの黒いまっすぐな髪の方がすきよ。カラスみたいで」
「お世辞はいらな……お、お世辞にしてもカラスはどうなの」
「間違えた、黒鳥よね、フラウリッツの口癖でつい。……それにお世辞じゃなく、肌なんて今の方がずっと綺麗だもの」
言われて頬を手の甲で撫でられる。触れられて嫌な感じはしないから、本当にそう思っているのだろうと分かった。
「それは不思議ね。家にいたころとこっちに来てからの落差が一番激しいのが、肌の手入れへかける手間とお金なのに」
「あらそうなの? まぁここは森に囲まれてて空気がいいから。……もしくは、恋とかしてたり」
「あ。そういえばよく寝るようになったわ。王都にいた頃の倍くらい睡眠時間取ってる」
「…………多分それよ」
なぜかべネスが肩を落とした。でも確かに、肌の調子がここ最近すこぶるいい。手間をかけなくてすんでいたのは、荒れなかったせいだ。
皮肉だ。美しさを求めていた頃に欲しかった美肌が、今さら手に入った。
「私のことはいいの。それより言いたかったのは、私に遠慮してルゼの婚礼衣装制作を辞退するようなことはやめてってことよ」
「え?」
「私は、お式の衣装はあなたに依頼するつもりだったんだから」
『フェルマイナー』の衣装は注文者の体にぴったり合って、動くたびにきらめいて、仕立屋本人の魅力以上にその質の高さで評判だった。まさか魔の道に進んでいたとは思わなかったけど。
「まぁ嬉しい……。思えば、あなたが駆け出しのアタシを見出して贔屓にしてくれたのも、『フェルマイナー』の名前を上げた大きな一因だったわ」
べネスは感極まったように目元を大きな手でおさえた。大げさだなと思い、すまし顔で気がつかないふりをした。正直に言えば、気恥ずかしかった。
が、涙を隠すように顔を覆っていた手は次の瞬間おどけたように耳の横へ開き、口からは大きな舌がべろっと出てきた。
「なーんて! そう言われたのはほんとに嬉しいけど、アタシ魔女だから王宮に出入りできないのよね、ざ~んねん! レダリカ様ほか皆様からの篤い声援を惜しみつつ、ここはにっくきべネシア商会のオバさんにでも席を譲ろうと」
「え、魔法使いって王宮に入れないの?」
その言葉に驚いて振り返ったとき、肩から布がずり落ちるのと同時に「やあ、ちょっと私にもブーツ見繕ってくれよ」とロザロニアが部屋に入ってきた。
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