魔女退治にはうってつけな夜

あだち

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4 魔女の天秤

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 ――だが結局、ディアナは男を生かしたまま、屋敷に置き続けた。

「ちょっと、草むしりしてきて」
「掃除して」
「荷物運んで」
「料理して」
「髪結って」
「化粧して」
「脱がして」
「髪洗って」
「着せて」
「寝かせて」
「起こして」

 気が付いたからだ。
 これは命じなければ、なにもやらない人形。
 言い換えれば命じればなんでもやる人形なのだと。

 そうしてひと月もたつ頃には、ディアナはすっかり人形に雑事をやらせる怠惰な生活に浸かり切っていた。
  



「なるほどね、これが下僕のいる生活。……うん、そう、そこそこ」

 夜、大きな手に肩を揉ませながら、寝間着姿のディアナはしみじみつぶやいた。かたわらには、男に用意させたミント水が入ったガラスの水差し。

「うーきもちいい……殺さないでおいてよかったかも……」

 肩が楽になったのに満足して、ディアナは男の方を振り返った。

「これからは毎晩、あたしの声が届く場所にいなさい」

 便利だが、使い魔と違い、能力は人間のそれだ。耳に入る距離にいなくてはなにも命じられない。
 灰色の目の下僕は何も答えなかったが、ディアナはこれで充分なのだと心得ていた。下僕の額に落ちかかった前髪を手ぐしで後ろに退けてやってから、グラスを手に悠々と窓辺に寄る。なにげなく、屋敷の外の森に目を向ける。
 ――闇に沈んだ森の中で、明かりが動いていた。それはディアナに見られていることに気づいたかのように、すばやく消える。

 ハンターだ。

「追い払ってきて」

 すっかり寝支度を整えていたディアナはそう命じると、寝室を出ていく男のことはもう歯牙にもかけずに明かりを消した。




 だが、ディアナは夜が明けるより早く、間近で感じた人の気配に目を開けることになった。

「ああ、あんた……声が聞こえるところって、別に寝室に入れってわけじゃ……」

 夜目のきく目を薄く開けてぼやいたが、枕元に控える下僕が二の腕からべったり血を滴らせているのに気がついて飛び起きた。
 返り血ではない。

「た、大変! また動かなくなっちゃう!」

 こんなに便利なのに!

 焦るディアナは男に包帯を持って来させようとして、歩かせない方がいいと思い直した。
 階段を転げ落ちる勢いで往復して薬箱を持ってくるが、怪我なんて自分には縁遠かったせいで消毒液が切れていた。どうにか、太い腕を深く抉った傷を止血し、消毒して、昔を思い出しながらどうにか包帯を巻いていく。思ったより大きな傷だった。

 ほどなくして出血は止まったが、しばらく何の雑事もさせられないことは明らかだった。傀儡人形になっても利き腕というのは存在して、あいにく怪我を負った方がそれだ。
 包帯と、アルコールが床に散乱する部屋の中で、ディアナはしばし立ち尽くし。

「……くっ」

 長持ちさせるためには、メンテナンスしないといけない。
 ディアナは、世話してくれる人形を、しばらく世話することにした。




 やり始めれば、慣れるのは早い。

「ほら包帯かえるから、袖まく……いや上脱いで」
「食事よ、口開けて」
「髭剃るわ、こっち横になって。動いたら頬削ぎ落とすからね」

 小さなディアナは、物言わぬ大男をごろんごろんと転がすように身の回りの世話をしていった。

「服脱ぎなさい。ほら腕動かさないで、傷開いちゃうじゃない。そう、浴槽入って」

 もちろん日に一度は、普段着のブラウスの袖をまくり、スカートの裾をたくし上げてピンで留めて、浴室で男の身体をごしごしと洗った。

 浴槽に腰を下ろす下僕の後ろにまわり、頭と背中を洗ったついでに肩、胸へと、自身の腕を伸ばして泡を広げていく。
 洗うついでに傷口の様子を見ていたディアナは、ふと身体に違和感を覚え、自分の身体を見下ろした。

「……あっ!」

 横着してその場にとどまり、腕だけを動かしていたせいで、ブラウスの前身頃が男の濡れた背中に触れていた。水が伝ってスカートまで濡れて色が変わっている。

「ンンンンンんもぉっ!」

 唸りながら、濡れて張り付く不快な服を脱ぎ捨てる。下着すら脱いでしまえば、もう恐れるものはなくなり、ディアナは豪快に男を洗い始めた。全身泡まみれになれば、もはやどちらが洗う対象なのかも判然としないありさまだった。
 やっとの思いで泡を流し、浴槽から立ち上がった男にタオルを投げる。すると今度は、傷口から血が滲み出しているのが目に入るのだ。
「動いちゃだめ!」と飛びかかるように制止して、取り上げたタオルでせかせかと水滴を拭ってやる。

「もぉーーー、どっちが主人よこれぇ……!」

 大きな身体を両腕一杯伸ばして拭き上げるディアナは、下僕を殺意のこもった目で睨みつけた。言葉通りの『殺意』だ。
 命の危機に瀕しているというのに、下僕の顔は相変わらず彫像のように動かない。灰色の目に、冷たい眼差しのディアナの顔が映り込んでいる。

 ――とつぜん、下僕の腕が動いた。
 予期せぬ動きに、魔女はぶわっと肌を粟立たせ、とっさにその腕を切り落とそうとした。

 そんな力の入った肩に、はらりと柔らかな感触が舞い降りる。ディアナは我に返った。
 下僕は、裸でびしょ濡れのディアナにタオルを被せてきたのだ。

「……え?」

 唖然としたディアナは、下僕の太い首が、何かを探すように左右に巡らされるのを見た。そして、それはいつもディアナのバスローブが掛けてある方向を向いて止まった。

「……」

『脱がして』
『髪洗って』
『着せて』

 バスローブに向かって持ち上がる下僕の右腕を、ディアナは苦々しい顔で掴んで止めた。

 新発見だ。
 言われたことしかできないと思っていたのに、繰り返しやらせたことはちゃんと覚えて、自発的にできるらしい。
 便利だ。
 悔しいほどに。

「…………次にハンターを迎えるときは、あたしと一緒に行くわよ」

 あとこれ、あんたがさっきまで使ってたものだから。バスタオルを下僕の黒髪めがけて投げかえしながら、長く息を吐く。

 それからというもの、ディアナの中ではなにかにつけて『こんな面倒なら殺すか、便利な生活を取り戻すまで耐えるか』という天秤がぐらぐらと揺れた。
 けれど結局、『あと一回面倒くさくなったら殺す』という結論が出て、その『あと一回』は天秤が揺れた回数だけ、先送りにされるのだった。




「ゲオルク、傷見せてごらん。……ようやくふさがり始めたわね」
「食事よ。身体を作るのは肉だから、多めに食べておきなさい。くれぐれもよく噛んで。……そう」
「なぁんかその顔も見飽きたわぁ。……もみあげ、ちょっと刈り込んでみましょうか」
「……もしかしなくても、着替え、足りてないわよね」

 何も言わない下僕に、魔女は一方的に語りかけ続け。
 
「ちょっと! 治るまで動くなって言ってんのに、なにやってるわけ?」

 夜、厨房でガラスの水差しとミントを手にしている下僕を見て、目を細めて声を低くしたりもし。

「血が止まったら治った判定なの? はぁ~これだから根っからの労働階級は」

 どつく勢いで、寝床へと追い立てたりもした。




 ――そして、日々は過ぎ、夏の暑さも盛りを迎えんとする頃。

 森の奥の屋敷では、相変わらず、魔女がひとり、好き勝手に生きていた。

 そう。

「ご飯の時間よ! 今日はね、罠に鹿がかかってたからバターたっぷりでローストしたのよ!」

 好き勝手に。

「髪を切るわよゲオルク! 前髪あげて額を出して、後ろはすっきりさせて、セクシーでワイルドな男になりましょうね!」

 誰に憚ることもなく。

「新しい服を作ってみたわよゲオルク! なかなか上手でしょ、ママがパパのシャツを作ってたのを思い出してね、……ほらカッコいい、似合う、さぁっすがァ! 新しい靴と、冬に向けて外套も注文したし、届くのが楽しみねゲオルク~~~!」

 見上げるほどの大男を、目に入れても痛くないと言わんばかりにかわいがって黄色い声を上げていた。

 
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