病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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番外編

恐るべき魔導書 前

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 各国使節団の訪問が落ち着き始めた、晩夏。
 その日のフランチェスカは橙色の西日の差し込む時刻に、高台の上の屋敷に来ていた。
 無論、とらわれの占術師に会うために。

「明日から、競売が開かれます」

 いつも通りの一方的な問いかけと黙秘を享受したあと、フランチェスカは淡々と告げて、視線を長椅子に座る男から壁際のチェストへ向けた。

 そこにはフランチェスカが運び込んだ書籍がいくつかと、黒いひもでつづられた紙束が置いてある。

「出品リストには目を通されましたか」

 そう言って、フランチェスカは長椅子と向かい合う肘掛椅子から立ち、チェストの前へと移動した。書籍には目もくれず、白い紙束を手にする。

「めぼしいものは王室の方々が先に接収していると思うのですが、リストを見て父が目の色を変えていました。さすがは最古の貴族、チェステ家ですね。品目が多いので、三日に渡って行うそうです」

 この競売の収益は、先の嵐で壊された街の復興に充てられる。
 もとから貴族たちは国の非常時や大規模工事の際には、規模や権力に応じて事前に割り当てられた額の拠出金を出すことを義務付けられている。予算外の出費はたいていそれで賄われるのだが、今回の被害は甚大で、国費はおろか拠出金までがすでに底をつき、王族が足りない分を立て替えている状態であるという。

 そこで、元凶ともなったチェステ本家の、国宝にも匹敵する財宝の数々を、国内貴族や豪商に売り払って足しにすることになったのだ。
 
「……あなたが“どうしても”というものがあれば、私が落札してさしあげても構いませんが?」

 フランチェスカがリストを男の膝の上に置く。ヴァレンティノはようやく視線と口を動かした。

「ほぼ一生ここにいることが決まっている身で、宝石がいるわけないだろうに」

「思い出の品というのもありましょう。リストの後ろの方を見ると分かりますが、王家は蔵書の一部や、あなた方親子が使っていた日用品まで売り払うつもりみたいですよ」

「じゃあフィリパの母や私の母の骨も売られるのかな。……母上のは、もう父上が使い切ったか」

 皮肉とともに口元を歪めて、億劫そうにリストをめくる。無感動な薄青の目を、フランチェスカは期待はしない、と思いつつ、じっと見つめていた。

 だが。

「……え?」

 ヴァレンティノは手を止め、目を見開き、小さく戸惑いの声を上げ――次にはその表情にはっきりと焦りの色を浮かべた。

「……これも……?」

「どうかしましたか?」

 問いかけると、ヴァレンティノはそのときはじめてフランチェスカの存在に気が付いたかのような表情で顔を上げ、そしてすぐに目を逸らした。

「いや、何でもない」

「競り落とします?」

「……何もいらないと、言っただろう」

 そう言って、ヴァレンティノはリストを閉じてフランチェスカに渡した。


 ***


 競売最終日にもかかわらず、フェリータがロレンツィオと共にやってきたとき、会場は先の二日と同様、すでに満員に近かった。
 
「あら、お久しぶりです、ラウル様、マリーア様。お隣よろしくて?」 

「久しぶり、フェリータ。ロレンツィオ殿も」

 番号札を手に、すでに座っていたエルロマーニ家の長男とその妻に挨拶して隣に座る。ラウルはリカルドの兄で、次期公爵だ。

「リカルドは最後まで来ませんのね」

 “六十”と書かれた番号札を膝に乗せて、フェリータが周囲を見回しながら言うと、ラウルはリカルドと同じ緑の目を困ったように細めて笑った。

公爵家うちにある物よりいい物なんて、すでにオルテンシア様が確保してるだろうとリストを見もしなかったからね。君たちは夫婦そろって、何かお目当てのものでも?」

「ええと、それは……」

 フェリータはちらりと夫の横顔を見た。
 いたっていつも通りに見えるが、ロレンツィオが内心複雑な心境にいることは、無神経と散々言われてきたフェリータにも想像がつく。
 売られるのは、自分が追い詰めた、かつての親友の財物だ。

 あの嵐のあと、いまだ後任の決まらない“教会付き”の仕事の穴埋めに自ら積極的に従事しているこの男が、リストの表紙を苦々しく見つめていた。
 それを見て、フェリータは夫を初日からこの競売に引っ張ってきていたのだ。

 チェステ家のことを誰より気にしているくせに、フェリータの前でも、それを口にしないのだから。

(三人とも、しかるべきところに収容されたとだけ聞いているけれど、どこにいるのかはわからないままですのよね)

 その不安が夫の罪悪感を苛むのだろう。彼が罪を感じる必要性なんてないのに、愚かなことだ。

 フェリータはロレンツィオに引きずられたような物思いをかき消して、ラウルに笑いかけた。

「具体的に欲しいものがあるわけでは……ただ、何かいいものがあればと」

「そうか。……できれば、二ページにあるブルーダイヤのネックレスと耳飾りには手を出さないでくれ」

 にこにこと座っている妻を横目に見ながら、ラウルは、“四十五”と書かれた札を振りながらそう囁いた。フェリータが『それちょっと欲しかったわ』と思いながらもうなずいたところで、開幕の鐘が鳴った。

 


 司会者の声と、木槌の音が続く。
 最初は日用品など、リストの後ろの方に載っていたものだ。高価なものや珍しいものは後から出てくる。

 さして競り合うこともなく進む競売の中、ロレンツィオはじっと前を見ていたが、その様子をひそかに窺っていたフェリータは低い呟きを聞き取った。

「昨日も一昨日も、何も買わなかったくせに。わざわざこんな人ごみの中、徹夜明けで来る意味あったのかよ」

 ある。お前が未練タラタラだから。

 とは言わず、フェリータは宿直明けのロレンツィオに「だって行かずに後悔したら嫌でしょう」と、扇の陰ですまして答えた。

「宝石だって部屋が沈みそうなくらい持ってきたくせに。いくら爵位がもらえたからって、うちにはあんたの散財に耐えうるほどの蓄えはないぞ」

「あら、わたくしの給与と持参金の額をご存知ない? 元家来には見たことのない桁だったかしら」

「爺さんの代まで、どこぞの悪徳貴族に薄給でこき使われてたからな」

「は、薄給って! サルヴァンテで一番高水準でしたでしょうが!!」

「声抑えろよ、ほら睨まれた」

 フェリータは頬を赤らめて前に向き直った。ロレンツィオは面白くなさそうに息を吐き、胸元からシガレットケースを取り出しかけて、「ここ禁煙か」と小さく舌打ちした。

「俺は外に出てるから、終わったら使い魔で呼べ。……すみませんラウル殿、ご夫人。お先に失礼さ――」

 慌てふためくフェリータを尻目に、ロレンツィオが席を立とうとしたとき、司会者が朗々と声を張り上げた。

「では次は、エントリー番号二十四番。チェステ家最後の御曹司がロテリーニ高等学院の授業で書き留めた“緑の表紙の歴史授業記録集”、一万ミラから」

 その声を聞くや否や、腰を上げかけたロレンツィオの動きが止まり、目が司会者の方へ吸い寄せられた。
 そのあからさまな反応に、フェリータも急いで出品物の載せられた台に注目した。

「授業記録? ノートってことか。完全にコレクターというか、商人の中にいる貴族マニア向けだな」

 ラウルが呟いた通り、運河沿いに大きな店を構える大商会の主人が嬉々として札を上げていた。
 台の上に立てかけられたのは、緑の厚い板紙で表紙、背表紙、裏表紙を覆われた、薄い冊子に見えた。箔押しこそされていないが、貴族とはいえノートに使う装丁ではないので、使い終えたノートの劣化を防ぐために丈夫な表紙を作ったのだろう。

 持ち主の几帳面さは現れているが、授業ノートだ。なんなら、ロレンツィオだって持っていたはずだか。

「……ロレンツィオ?」

 それなのに、その目はなんだ。
 その、信じられないものを目撃したような、驚きと焦りに揺れるまなこは。

「二番の札のみですか?」

 司会者が会場を見渡した瞬間、フェリータは札を持つ手ごと夫に鷲掴まれ、高々と上げられていた。

「二万!」

 叫ぶ夫に、フェリータは仰天した。
 本気か。あれがほしいのか。
 
「はい、六十番の札で二万、二万、よろしいですか」

 フェリータたちを見た司会者が、確認するように視線を会場へ巡らせると、フェリータは夫に理由を聞こうとした。

 が。

「五万」

「っ!」

「えっ!」

 ロレンツィオが驚愕し、フェリータが目を見開いて声のした方を見た。

「はい十二番の札で五万ミラ。五万ミラです、もうよろしいですか? はい二番の方、六万、はいほかには?」

 司会者の声に、再び“十二”の札が上がる。

「十万」

 フェリータは、会場のすみを見て混乱に硬直した。
 間違いなかった。
 淡々と値を吊り上げる“十二番”の入札者は、札をもつ父親の腕を己が腕のごとく持ち上げては下ろす、フランチェスカだった。


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