病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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第五章 星の血統

55 祝福の贈り物

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 グィードは、窓から現れた元主へ剣を向けかけたことを詫びたが、フェリータはまったく気にしていなかった。

 そんなことより、固まる母の膝に取りすがって泣き喚くのに忙しかったからだ。

「も、もう、もう、わたくしがどんだけの恥と屈辱と葛藤を乗り越えて思いを告げたと思って、それを、あの男はあっさりと~~~~」

 運河から魔力をバネに直接バルコニーへと飛び移ってきたフェリータは、涙ながらに数時間前の出来事の顛末を語った。
 リカルドの罠から、ロレンツィオと思いを通じ合わせ、そして置いていかれたことまで、つぶさに。

 部屋の窓が、魔術師の嗚咽に合わせてカタカタと揺れた。

「あの男はわたくしの価値をまっったくわかってない!! なまじ労せず結婚できたものだからありがたみがうっすいんですわ!! 許せない、このわたくしをおろそかにすることの罪深さ、出家してわからせてやらねば気が済みませ、っぶ!!」

 そこまで話すと、突如、妹からの遠慮ない平手打ちが見舞われた。

「ななな何するの!?」

「いえ……なんか、なんかすごいムカついてしまいまして。そんな理由で出家だなんて言ういい加減さもそうなのですけど、何? こちらの心配なんてまったく無駄だったということ? お姉様はあの垂れ目とイチャつくためにヴァレンティノ様が危機に陥っていてもいいと?」

「あなたもロレンツィオも考えすぎですわ、リカルドは報復なんてしませんもの!」

 今にも舌打ちしそうな妹に、フェリータが泣きべそで睨み返す。

「リカルドが執着して極端な行動を起こすのはわたくしが絡んでるときだけ! 疑うならパパにお聞き、彼が脱走したかどうか!」

「それはそれで、裏切られた割にすごい自信だねあんた……」

 母の苦笑いに、フランチェスカはふんと鼻を鳴らした。

「それでも今回に限ってはロレンツィオ殿が正しいです。リカルド様に殺されかけたのならなおさら、ご友人を心配されるでしょう。……あのお二人、大層仲がよろしいそうですし」

「妻はわたくしなのに!?」

「愛妻歴数時間のくせして、七年越しのご友人に張り合います……?」

 呆れかえった妹の指摘を受けて、フェリータは濡れた頬を母の膝に押し付けたまま、しばし考えた。

 そして、少し自分の言動を反省した。

「……確かに、ヴァレンティノ様がロレンツィオに協力してくださったことには感謝しなくてはいけませんけど」

「当たり前です」

 フランチェスカは手厳しかった。フェリータはむっとしながら、床に転がる未開栓の酒瓶を適当に拾った。それを見た母が何気なく問いかける。

「このお酒、勝手にカヴァリエリさんちから取ってきたの?」

「……主寝室に置かれていたのを片っ端から。どうせ飲まないならと」

 落ち着いたのに加え、夫の友人たちからの贈り物を勝手に飲んでいたことに罪悪感が沸いてきた。

「ああ、だからメッセージカードが付いてるのね。いいじゃない、少し飲んでから帰れば。形式上はフェリータへのお祝いでもあるんだし、カードとボトルを一緒にしておけば、誰が何くれたかはわかるんだからお礼もできるでしょ」

 ジーナはそう言ってフェリータを膝からはがすと、立ち上がって、すっかり放って置かれたチェス台を迂回して部屋の隅のテーブルに向かった。そこには高級な酒類やグラスが常備されている。

「そういえばパパは?」

 酒を眺めて、ふと思ったことを呟くと、フランチェスカが肩を竦めた。

「リカルド様のことで、残業がさらに長引いて帰れないそうです。なんでも容疑を一部お認めにならないとか」

「一部?」

「オルテンシア様への呪詛とコッペリウスを使っての護衛騎士の襲撃はやっていないと。要はママの呪詛しか認めてないそうです。……私室から、先に回収された頭部とぴったり合うコッペリウスの体が見つかったと言うのにね」

「……そうなの」

 フェリータは床の上の、自分が持ってきた酒のボトルに視線を落とした。

(確かに、オルテンシア様を呪詛したと言われると違和感がありますわね)

 彼は王女との婚約を利用しただけで、別に恨んではいなかったように思う。以前はその言動に眉を顰めてはいたが。

(それにしても、いくらわたくしを突き放すためとはいえなぜよりによって王女様と婚約を――)

 考えて、“もしや、利用しても心が痛まない相手だからか?”と可能性が浮かんで顔をしかめた。
 そしてオルテンシアもそれを知りながら、フェリータを『何もわかっていない』と笑いとばしたのだとしたら、もう二人の関係は理解の範疇を超えている。リカルドは人の心がないし、オルテンシアは献身的なんだか狂っているんだか。

「……あらこれ、メッセージカードがない」

 そこで我に返り、フェリータは他より小さな、美しい青のラベルのボトルが誰からの贈り物かわからないことに気がついた。なくしてしまったのだろうか。

 カシスの酒だとしか書かれていないそれを前に、フェリータは慌てた。後でお礼を贈らないといけないのに、これは本当にロレンツィオに呆れられる。

 しかしそこへ、グラス三つと水差しを手に戻ってきたジーナが「あら、夫婦酒だ。かわいいラベル」と口を挟んだ。

「……は?」

「婚約期間が無かったフェリータは知らないか。昔は身分の高い人の結婚のお祝いって言ったら、新郎用と新婦用の、小さい瓶のお酒を二本セットで贈るのが習いだったんだって」

 グラスを一つずつ娘たちに渡すと、ジーナは床に並んだ他の酒瓶から、同じくらい小ぶりの瓶を選んで手に取った。
 フェリータが持つものと様子が似ていて、ラベルの色が赤だ。ボトルの首に、紐で通されたメッセージカードがぶら下がっている。

「大昔は、初夜にベッドに入る前に、お互いにお酒を半分ずつ飲んで、ことがすんだら残りを交換して飲んで眠るって流れだったんだって」

 フランチェスカが目を剥いたが、フェリータは「ふーん」で済ませた。

「新郎用には滋養強壮剤が混ぜられていて、新婦用にはうすーい催眠効果のある薬が混ぜられてたんだって。あからさまだよねー」

「催眠?」

「夢見心地の間に済ませてもらえってことでしょ」

 さすがにこれにはフェリータもぎょっとして、フランチェスカは低く「最低……」と呟いた。

「やーねぇ昔の話っていったじゃん。これにはさすがに薬とか入ってないでしょ。まだ戦争とかしてて、とにかく子どもをさっさと作らなきゃいけなかったり、政略結婚が今より顕著で昨日まで敵だった相手と結婚しなきゃいけなかったりしたから……」

 そこでジーナもぷつっと黙った。“昨日まで敵だった相手”と結婚した娘が目の前にいることに気がついたのだろう。

 しかし本人から「なんで半分交換するの?」と嫌悪半分興味半分で尋ねられ、結局、気まずい半笑いで続けた。

「……終わったら、新郎は嫁に無理させずさっさと寝て、新婦は自分の疲労を回復させろってこと。とっくに形骸化して、あたしのときもこんな感じの、二本セットの美味しいお酒いっぱいもらったし贈ったけどね……フェリータ、それ開けちゃうの?」

「開けますわよ。初夜なんて、うちの場合いつ来るかわかりませんもの。ママ、それも開けて。小さいから三人だとすぐなくなりますわね」

 生々しい由来を一蹴するべく、この二本はこの部屋で中身をなくすとフェリータは決意した。

 けれど開栓と同時に、カシスの芳醇な香りが立ち上って、嫌悪感とともに開けたことをすぐに申し訳なく思った。香りだけでも気分の華やぐ、上質な酒だとすぐにわかった。

「初夜初夜って繰り返さないでください、不快です……あ、いい香り。苺のお酒ですね、色もきれい」

 フランチェスカも母から「あんたはちょっとだけね」と注がれた酒に、それまでのしかめっ面を消して表情を明るくした。

「別になんも入ってない、ただのお祝いの、いいお酒よぉ。きっとこっちがフェリータ用だったんじゃない? 新郎新婦の髪色に合わせたのかな、そっち黒っぽいもんね」

 ジーナの言うとおり、フェリータの持つ酒はグラスに注ぐと濃い紫色で、並々注ぐと黒に近い色味になった。

「さ、さっさと飲んで帰るのよ、空けるの手伝ってあげるから!」

「ママったら自分が飲みたいだけでしょうに……」

 フランチェスカと同じものを己のグラスに注いだジーナは、乾杯するようにそれを掲げたが、フランチェスカはぶつぶつ呟いて先にグラスに口をつけた。

 フェリータも妹に続こうとしたが、直前で『あっ』と思い出して母に顔を向けた。

「これは、どなたからの贈り物でしたの?」

「んー、これはねぇ……」

 グラスを半端に掲げたまま、ジーナが赤いラベルのボトルを引き寄せたとき。

「きゃっ、……グィード!? 何をして、っ!」

 突然、フェリータは自分の横を前触れ無くすり抜けていった騎士に驚いて声を上げた。
 そして男が間一髪、椅子から床に倒れ伏そうとしていたフランチェスカを寸前で抱きとめたことに、顔色を変えた。

「フランチェスカ!?」

 フェリータは叫び、グラスを放り投げて母とともに騎士の腕の中の妹に飛びついた。

 まさか、また呪詛か。嫌な動悸に、胸元のレリカリオを握りしめたとき。

「……眠っておられます」

「……へ」

 グィードの言葉に、フェリータは間抜けな声を漏らした。

 確かに、フランチェスカは顔色も変えず、健やかな寝息を立てて目を閉じていた。脈も変わらず、変な汗もかいていない。ちらっと胸元の服を持ち上げて肌を覗いたが、何も浮かんではいなかった。

「……ず、ずいぶん疲れていたのかしら?」

「ま、まあ真面目な子だし、あたしのことで心配もかけたから、夜眠れてなかったのかもしれないけど」

 拍子抜けする母子だったが、眠るフランチェスカを寝台に素早く運んだグィードの気難しげな視線がジーナの手の中のボトルに向かったのに、フェリータは気がついた。

「ま、まさか」

 ――新婦用にはうすーい催眠効果のあるものが……。

 催眠どころか、熟睡であるが。

「…………さ、さいってーーーですわ!! 誰がこんなものを! いえそれなら、カシスの方にも下劣な混ぜものがっ、……」

 叫び、ついさっき投げ捨てたグラスを振り返ってみる。

 ――そこでは、転がるグラスからこぼれた赤黒い液体が絨毯に広がり、ジュウウウウッという音と白い煙を上げていた。

「…………え?」

 予想外の光景に絶句したフェリータは、「お嬢様」と固い声で呼ばれて、蒼白の顔を騎士に向けた。

「こちらは毒です。致死性の、即効性のもの」

 険しい顔のグィードの手には、さっきフェリータが栓を抜き、中身の一部を手ずからグラスに注いだボトルがある。

「……ママ、これ、誰から?」

 真っ青になったジーナは答えず。

 ただ、赤いラベルの小さなボトルの首に、流麗な文字で綴られたメッセージカードが揺れていた。








 “どうか二人のこれから先の未来に、永遠の幸福が訪れますように。

 ――ヴァレンティノ・チェステ”

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