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第四章 魔力なき呪い
38 助け舟の乗り主
しおりを挟む「……どうかしたか、ロレンツィオ」
ゴンドラの縁に足を乗せたきり動かなくなった男に、魔術師長パンドラが声をかける。
御前会議を終え、対呪獣見回りのために一部の魔術師たちが運河へ出始めていたときだった。
いぶかしげな上司に構うことなく、ロレンツィオは半分船着き場に留まったまま、中空の一点を睨みつけて一言「魔力反応だ」と呟いた。
「屋敷で、誰かが魔術を使った」
低いつぶやきに、その場にいた魔術師たちの表情が変わる。
ロレンツィオは、自身が不在のときには、屋敷に通知魔術を施していた。誰かが敷地内で魔術を使えば、離れていてもそうとわかるように。
会議内容を伝える同僚の使い魔は、とっくに戻ってきている。
「フェリータじゃろ?」
ひとりの問いかけを「ありえんっ」と即座に否定したのはレアンドロ・ペルラだった。
「レリカリオが直るまで使うなと言ってある!」
「レアンドロ、十九の娘はもう父親の言うことなんぞ聞かんよ」
くわっと顔を怒りに歪ませて反論しようとしたレアンドロを、他の娘持ちたちが諌める。
「だとしても困る」
中高年たちの不毛な言い争いを無視し、ロレンツィオがパンドラに一時離脱を願い出ようとしたとき。
「僕だよ」
その一言で場を静まり返らせたのは、ロレンツィオの後ろに立っていたリカルドだった。
「使い魔でフェリータの様子見てた。すぐ引き返させるつもりが、まさかこんなすぐ気づかれると思わなくて」
「まぁ、あなたったら、なんでそんなこと」
レアンドロを抑えていた女魔術師が呆れたように問う。リカルドに悪びれる様子はなかった。
「レリカリオが無いフェリータを心配しただけだよ。かえって騒がせちゃって悪かったね」
リカルドが申し訳無さそうな笑みを向ける。
静かに、冷ややかな空気をまとったロレンツィオへ。
普段からマイペースな宮廷付き魔術師たちも、さすがにこの事態には息を潜め、固唾をのんでロレンツィオの反応を待った。
「……大きなお世話だ、引っ込めろ」
ややあって、ロレンツィオが地を這うような低い声で吐き捨てる。リカルドは取り繕うように笑って右手を掲げた。
「もちろん。ほら」
そこに小さなカラスが停まり、シュルンと収縮して消えた。
続いてエルロマーニ魔術の残滓である猛禽の羽毛が、ふわふわと舞い落ちる。
それを、ロレンツィオは手袋越しに掴んで、その手の中でボッと燃やした。
「二度とするなよ」
わずかな煤と黒い靄を手で払ってそれだけ言うと、ロレンツィオはゴンドラに乗り込み、すぐに出航させた。
リカルドの言うとおり、すでにカヴァリエリ邸から魔力の気配は消えていた。
他の魔術師たちも肩の力を抜き、それぞれ舟を出し始めた。
「もう今までと同じ感覚でフェリータにちょっかいかけちゃいかんぞ」
その言葉にリカルドも苦笑いで小さく頷きながら、自らのゴンドラに乗り込む。
「……そっちこそ、大きなお世話なんだよな」
そこで零された小さな小さなひとりごとは、誰にも聞きとがめられることはない。
ゴンドラが進み始めると、リカルドは再び目を閉じた。
屋敷の魔力感知をくぐり抜けられるよう、慎重に。
他の宮廷付きの使い魔にも、もちろんその場にいる当人たちにも見つからぬよう、集中して。
いつもどおりに、使い魔を放った。
***
「絶っ対に許さないレオナルド!! バディーノの中でも最悪の輩めそこに直れ首を刎ねてやる!!」
叫ぶと同時に、フェリータは寝台から飛び起きた。
「えっ、あ、あら、……助かった?」
寝起きの頭が徐々にクリアになっていく。
確か、自分は応接間で、レオナルドの罠にかかって意識を失った。ネックレスは――と首に触れて、そこに何もないのを確認する。ほっ、と安堵に肩が下がった。
うっすら覚えているのは、気を失うのと前後して、誰かが部屋に踏み込んできたこと。
なら、その人が助けてくれて、この寝台に己を移してくれたのか。
――まさかロレンツィオが?
業務時間中のはずだが、危機を察知して助けに来てくれたのだろうか。
(でも、気を失う前に聞いた声が、なんだか違うような)
なら誰が。
考えながら、フェリータは時計の針の音だけが響く、静かな部屋に視線を巡らせた。
「……カヴァリエリ邸に、こんな部屋がありましたのね」
瑠璃色の、天蓋付きの寝台。柱時計。黒いチェストやサイドテーブルに、長椅子。
どうやら、とても重厚で格調高い家具が揃えられた客間のようだ。
自分が使っている、白や明るい色をふんだんに使った軽やかな部屋とは、趣きがずいぶん違う。主寝室だってこんなにも荘厳な雰囲気ではなかった。
フェリータはおそるおそる寝台から立ち上がった。
足先がベッド脇のチェストに当たる。
その上に、瓶に詰められた液体や粉類が並んでいた。
薬だ。それも医師や薬師が調合するものではなく、魔力をこめてつくる魔術薬。
「体力回復や、摩耗した精神を整えるときに使うものばかり。ロレンツィオ、あんな見た目で疲れやすいのかしら?」
でもきっと、これらのおかげで自分はこんなにも回復したのだ。気絶直前に感じた頭痛や息苦しさは、跡形もない。
しかし部屋から出ると、フェリータの体は緊張にこわばった。
「……こんなところ、見たことありませんわ」
目の前に続く長い廊下に、思わず呟く。
住み始めて間もない屋敷とはいえ、一応、邸内は一通り案内されているのに。
フェリータは使い魔を放って周囲の様子を探ろうとした。
しかしレリカリオがないせいか、上手くいかない。仕方なく、足音を立てないようにして自ら廊下を進んだ。
流れる水の音が聞こえて窓の外を見る。王都を流れる運河のひとつが、屋敷を囲む高い外壁と接しているのだろう。
その外壁のすぐそばに、小さな礼拝堂が作られている。敷地内にこのようなものがあったら絶対に覚えているはず。
ここは、どこ?
――カタ。
(……今、物音が)
廊下のつきあたり、両開きの大きな扉の向こうから。
フェリータはそっと近寄り、片方の扉だけを押し開いて作った隙間から、中を覗き見た。
どうやら、当主やその妻のような、屋敷の主人格が使う寝室のようだった。
中央に置かれた天蓋付きの寝台に、女性が横たわっている。目を閉じていて、動く気配はない。
年は、自分よりずいぶん上。白い頬に、紅茶のような色の髪。
掛け布からはみ出た肘のあたりに、怪我の痕のような、横に走る線が見える。
(この方、見覚えがあるような)
もっとよく見ようと、フェリータが目を凝らしたとき。
「フェリータ様!」
ドン、と開いたのとは逆側の扉を、背後から伸びてきた手が突いた。
フェリータは驚きに息を止めて振り返り。
「こんなところにおられましたか!」
「っ、ヴァレンティノ様?」
肩で息をする赤茶の髪の貴公子に、目を丸くした。
チェステ侯爵の跡取りで、ロレンツィオの友人。
そして、フランチェスカと婚約しかけた人。
「あー良かった……。様子を見に行ったらいないので、どこにいったのかと思いました」
開いた扉を閉めながら深く息を吐くヴァレンティノに対し、フェリータは狼狽え、混乱して問いかけた。
「な、なぜあなたがここにっ。ここは、だって」
ここは。
「――まさかチェステ侯爵邸!?」
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