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第三章 波乱の新婚生活

36 お留守番妻の憂鬱

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「じゃあパ、伯爵。これを預けますから、確実にエルロマーニ家にお渡しくださいね」

 帰り際のことである。
 フェリータがきまり悪げに目をそらしながら、割れたロケットを入れた細工箱を渡すと、俯いたきり顔を上げないフランチェスカを従えたレアンドロも、生真面目な顔でそれを受け取った。

「ではわたくし、これにて」

 昨夜の今でさっそくトラブルを起こした負い目もあり、そそくさと帰ろうとした。
 しかし、その背に向かって「フェリータ」と呼びかけられてしまうと、さすがに無視はできなかった。

「これが直るまで、魔術を使ってはならないぞ」

「と、当然ですわ! いつもいつも魔術を使って喧嘩してるわけではないもの」

 やけに神妙な顔つきで言われ、フェリータは気まずさに狼狽えた。おそらく、書庫でロレンツィオと一戦繰り広げたことを指しているのだろうと思って。

 その様子を、黙って見ていたロレンツィオが「伯爵」と近づいたが。

「毒漬けになった書庫の床修理代は、後日請求させていただきますからなカヴァリエリ殿!!」

 一転、レアンドロはいつも通りの尊大な態度でそう言うと、あとはもう用はないとばかりに玄関ホールから去ってしまった。
 
 その毒も自分が蒔いたのだと言い出せなくて、フェリータはまたいたたまれないのだった。

 
 ***


 翌朝、壁の陰から玄関を覗き見てくる妻は、なにやらもの言いたげな顔をしていた。

 大方、『わたくしも出仕したいのに』とお門違いな恨みを抱いているのだろう。
 無視して御前会議に出れば、ロレンツィオは思わぬ報告を受けることになった。

「オルテンシアの呪詛が、生贄術ではなく魔術によるものだった……?」

 いつも泰然と事態を受け止める魔術師たちの間に、“予想外だな”という困惑が漂う。
 報告した魔術師長は「そうだ」と悩ましげに頷いた。

 つまり、“コッペリウスの人形”の使用者と王女の呪詛者は別人の可能性が出てきたということだ。
 議場に入ったときから渋い顔を崩さない国王とヴィットリオは先に報告を受けていたのだろう。

「タイミングから考えて、二つの事件が偶然重なったとは思えない。これは魔術師と非魔術師の複数犯による犯行だ」

 パンドラの出した結論に異は唱えようもない。

「複数犯ならば計画を練るための根城があるはず。生贄を隠しておくためにも」

 魔術師の一人が言った言葉に、「憲兵の巡回を強化させよう」と案が出てくる。
 ロレンツィオは視線を斜め向かいに向けた。

 ぺルラ伯爵は、腕を組んで黙ったままだ。

「先代が生贄術の研究者だったというぺルラ伯爵はどうお思いで?」

 それとなく水を向けてみる。いつものように烈火のごとく怒りだすだろうかと予想しながら。
 しかし、相手は乗ってこなかった。

「水面下で、魔術師と非魔術師混合の反バディーノ連合が組まれているかもしれませんな。縁のある方々は、お気をつけなされ」

 仏頂面から出てきた皮肉に、バディーノ家の庇護下にあったカヴァリエリ家の当主は「どうも」と返す。つついても、何も出てきそうもないなと考えを巡らせながら。

 しかしこれだけでは敵の見当などつけようもない。ほかに情報はないのかとパンドラの方を見たとき。

「それと、コッペリウスの人形の主人。こいつが一年前にロレンツィオに呪詛入りのプレゼントを贈った者と同一人物の可能性が極めて高いということも報告しておく」

 ついでのように、なかなか衝撃的なことを言われて、ロレンツィオは呆気にとられた。
 ほかの魔術師たちも「おやおや」と顔を見合わせ、中にははばかることなくロレンツィオの方を見る者もいる。
 
「あの箱も生贄術で作られたのか。にしても、ずいぶん判定が遅くなったなパンドラよ」

「その方面は予想だにしていなかったから鑑定にかけてすらいなかった。まさか非魔術師が宮廷付きに喧嘩を売るとは思わなかったものでな。逆にリカルドとチェステの嫡子はよく一晩で生贄術と断定したものよ」

「ヴァレンティノがレアケースから潰せって言うから」

 リカルドは得意にもならなければ謙遜もないようだった。パンドラが嘆息する。

「“教会付き”は禁忌術に鼻が利くな」

 ロレンツィオは思案した。
 単純に、相手は権勢家であるバディーノ家を恨むものなのか。
 ならどうして、本家侯爵家を狙わずその周辺を狙うのか。

 それに、かの侯爵家の敵対者と言っても、これといって目立つ名前は浮かんでこない。貴族はどこも複雑で、対立と協力を繰り返している。

 それでも、しいてライバルの名を挙げるなら。

(……ぺルラなんだよなぁ)

 
 ***


 この時間は仕事をしているはずなのに。

 慣れてもいない屋敷ではやることもなく、フェリータは客間の長椅子に身を預けるしかなかった。
 コッペリウスの人形のことやオルテンシアの呪詛のことは、ついさっき連絡が来たので知っているが、実務をふられないフェリータには教えられる以上のことは何もできなかった。

 だから、思考は徐々に、ごく個人的な問題へとシフトしていった。

 “昨夜も寝室は別でしたわ問題”に。

(あの人は、全然気にしてなさそうでしたけど)

 はっきり言ってフェリータは安堵していたが、正直に言えば後ろめたさも覚えていた。
 夫婦の義務は知っている。それを、初日のみならず昨夜も免除された。

(別に、わたくしはいいのよ。子ができなくても)

 でもあの男は、跡取りが欲しいはず。
 なんならオルテンシアの言うとおり“有能な跡取り”が、要は魔力のある子どもが欲しいはず。

 なにせぺルラの舅のせいで、彼の代で爵位が来ないかもしれないから。
 たとえ本当にカヴァリエリの先々代が魔術師ではなかったという結果が出ても、ロレンツィオの次の代で魔術師が出れば、何らかの爵位は与えられる可能性が高いのだから。

(でもそれは、わたくしの子である必要はないですわね。カヴァリエリの子でありさえすれば)

 昨日会ったあの四人のうちの誰かか、ほかの愛人か。
 そのうち、誰かがこの家の跡取りを生むかもしれない。それをフェリータが引き取って養育すれば、さほど問題はない。

 問題はないが、ちょっと気にはなるのが本音だ。

 ――だって、向こうは寝室一緒にしたいんじゃないのか。

 フェリータは長椅子から立ち上がって部屋の中を意味もなく歩き回った。

 不安なような腹立たしいような、気恥ずかしいような怖いような、そんな気持ちが胸でグツグツと煮立ってきた。

 自意識過剰だの自己評価が高すぎるだの言われたが、彼の『女友達』のタイプのバラつきと、その中のささやかな共通点に一度気が付いてしまえば、もう『そう』としか思えない。香水はダメ押しだ。

 ――では、自分は。

 フェリータは足を速めた。腕を組み、眉間には無意識に力が入っていた。
 
 別に望んではいない。当然だが。
 でも義務だと知っている。向こうだって感情を抜きにしてもなるべく正妻との子を跡取りに据えた方がいいのは理解しているだろう。しかも母方に六百年の歴史を誇る大貴族の血が混ざった跡取りだ。
 自分で言うのも何だが、一気にこの家の格が上がる。

 でも彼は、今のところフェリータに義務を履行させようとはしない。
 理由は、多分、フェリータが望んでいないからだ。

 一応妻だが。
 しかも、賭けに負けたから“従順な妻”だが。
 いや別に、手を出されたいわけではないが。

 我慢してるのかなと思うと、かえっていたたまれないのだが!!

「いっそ、いっそひとおもいに襲ってくればいいのに! そうしたらわたくしだって堂々と殴って応戦しますのに!!」

 一言では表せない心情をやけくそのように吐き出してみる。およそ従順とは程遠い。
 
(こういう不安、リカルドにはまったく抱かなかったのに)

 そのうえ、頭に別の男の顔を浮かべるのだから始末が悪い。わかってはいるが、どうしても比べざるを得ないのだ。

 そう、リカルドとなら。

 彼となら、何も不安などなく――。

「……」

 フェリータは立ち止まった。

 それから方向転換し、小さなテーブルに向かい、使用人が置いていった水差しから果実水をグラスに注ぎ、口元で傾ける。

 なんだか。

 想像してはいけないことを考えたような気がした。

(それはそうですわね。相手は王女の婚約者で、わたくしはもう既婚者で)

 冷えた指先とぞわりと粟立ったうなじに(この部屋存外涼しくて、居心地いいですわね)と、先程の想像を頭から追いやろうとした。そこへ、扉のノック音が届く。

「奥様、お客様がいらっしゃいました。お会いになっていただけますか」

 女中頭の窺うような言葉に、フェリータは眉を上げた。
 もちろん、しばらくは訪問客が多いだろうとは予想していたし、対応するのも夫人の務めだ。

 しかし、今日は午後に客人が来るとは聞いていたが、これはそれとは別件のようだ。

 昨日も今日も先触れなしの訪問者。今度も嫌がらせではないのなら、それこそよほど気心の知れたロレンツィオの友人だろうか。
 なら、この時間は当のロレンツィオがいないということくらい、先方もわかっていてほしいのだが。

 知らない相手と話す億劫さに、フェリータが小さく嘆息しかけると。

「バディーノ侯爵家の、レオナルド様なのですが」

 思わぬ女中頭の言葉に驚きすぎて、息は喉でひゅっと後戻りした。
 その名は、リカルドの現婚約者の、元夫のものだったから。
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