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第三章 波乱の新婚生活
30 特殊プレイ“生贄”
しおりを挟む怯える客人を気に留めず、フェリータは口元に手を置き考えに沈む。
生贄術は、命を消費する。
方法の一つとしては生き血や体の一部を使うこともあると、家の記録にあった気がする。
そしてサルヴァンテの魔術師は、基本的に親族から魔術を学ぶ。一族初の魔術師などは他家の師匠に弟子入りする場合もあるが、フェリータも祖父と父から学んだ。
ロレンツィオも、単純に考えれば父親から学んだのだろうが、もしかして尊敬する祖父の“やり方”を踏襲してはいないか。
いつも肌見放さず持っている懐中時計。あれがないと、彼は魔術を使えなかったという。
浮いた文字盤の下に、何か隠しているのではないか。
生贄の血とか。
「あなたたちの中に、血を求められた子とかいるかしら? 寝てる間に覚えのない傷がついていたとか」
「……ごめんなさい、いつから特殊プレイの話になってたの? 彼、痛めつけるのとかは興味ないと思ってたけど、されたの?」
大真面目に聞くと、ベラの方も眉をひそめて身を乗り出してきた。
四人から心配そうに全身を眺められたフェリータは忌々しげに「いないならそう答えなさい」と冷たく言い放った。
「なら……あの人と親しくなって、様子がおかしくなったり行方知れずになった人とかいる?」
問う声は最初よりずっと固かった。
魔力が多少なりともあれば、魔術の行使に生贄を要するとしても、少量の血や肉片で事足りる。
魔力がまったくない、もしくはよほど身の程知らずの難関魔術を扱うのであれば、文字通り命を奪う必要がある。
そこまでやれば、宮廷付きになるほどの力を得ることも不可能ではない。
けれどベラの方は涼しい顔でかぶりを振った。
「聞いたことないわ。あたしは再婚が決まったら連絡を絶つつもりでいたけど。様子がおかしくなるっていうのもそうね、嫉妬して揉めるような女のコとは関係を持たないようにしてたみたいだから。遊び上手っていうのは、慎重な人のことを言うのよね」
顎に手を当てて考えながら話すところに、隠し立ては感じられない。フェリータは「そう」と短く答えて、扇を閉じた。
「答えてくださってどうもありがとう。あの人の帰りは遅くなると思うから、わたくしの邪魔をしないならこの屋敷で過ごしていても構わないけれど」
「帰るに決まってんでしょ……」涙目で睨みつけてきたのはニケだった。
「なら手土産を用意させるから、少し待っていなさい」
尋問にあたって部屋の外に追い払った女中たちを呼び付け、客人用に常備させていた菓子と茶葉を包むよう伝える。
急な結婚式へ出席できなかった知人の来訪に備えておいたものだ。
土産の準備が整うまでどうしようかという空気が漂い始めたとき。
「でもあたし、なんか安心しちゃったわ」
ベラがまた、ボソッと呟いた。
「は?」
今度はフェリータが怪訝な顔をした。
冷めきった紅茶を手にした商家の未亡人は、最初のように堂々とした佇まいを取り戻していた。
「とんでもない理由で結婚させられるって聞いて、ロレンツィオのことも、あとオクサマのことも心配だったのよ。想像したくないもの、あの大男を怒らせた状態で一緒の寝室とか。怒ったところ見たことないから余計に」
自分は怒ったところのほうが馴染み深いが、言わない。
寝室も、結果的には別になったので問題なかったが、言わない。
「ま、もちろんエルロマーニの婚約者からむりやり乗り換えた貴族女の自業自得ってニケが言うのも、そのとおりかなとは思ったけど」
「乗り換えたのはわたくしじゃない!」
声を張り上げてから後悔した。これでは自分が捨てられた側だと教えるようなものだ。
フェリータが先に男を替え、翌日リカルドと王女が婚約したように見られているのも癪だが。
「怒らないでよ」と、ベラは苦笑いして波打つ髪をかきあげた。
「結果は一緒でしょ。どっちにしろ、あの子の意志を無視して一方的に結婚させたなら、ムカつくのは友人として当然だし。……それだって求婚してきた相手がオルテンシア様ならともかく、実際にはカヴァリエリと犬猿の仲って触れ込みだったペルラのお嬢様だって言うし」
何やら感慨深そうに語るので、フェリータも(やることやってるくせに友人って名乗るのね)と白けた気持ちから目をそらし、一応黙って耳を傾け続けている。
ベラは背もたれに寄りかかり、ふうっと脱力するように息を吐いた。
「でもなんか、腹立てるのもお門違いなら、心配も杞憂だったみたいね。……なーんか拍子抜けしちゃった。本命候補なんて周りに言われてたあたしも、蓋を開けてみたら髪の色のぶんしか興味持たれてなかったってわかっちゃったし」
そこで、いささか神経質なノックの音が割り込んだ。
潔く話を切り上げて立ち上がった女の髪は、ブロンドに少し赤みが入っていた。
陽光の下で見れば金色で、けれど髪の内側の影の部分はわずかに色が変わって見える。
暗い部屋では、おそらく全体が若干の桃色みを帯びて見える髪だった。
――その髪の香りの既視感に、フェリータはハッと顔をこわばらせた。
「待ちなさい! その香水、どこで手に入れたの!?」
するとベラは「やっと気付いたの」と婀娜っぽく口の端を上げ。
「さぁ知らない。贈り主に聞いてみたら、ピロートークの時にでも」
からかうような笑みとともに、ベラはほかの“友人”たちにも立ち上がるよう促した。「見送りはいらないわ。必要以上にベタベタしないのが、暗黙の了解だったもの」と言い残した背中を、女中たちが急き立てるように外へと促す。
応接間に一人取り残されたフェリータは、黙って土産のケーキを見つめていた。
コッペリウスの人形がまとっていた、市販のネロリの香水。
(それを、ロレンツィオも買っていた)
そして、近しい女性に渡していた。だからフェリータのネロリの香水が市場に出回っていないことを知っていたのか。
(なんでそんなことをしたのかしら。……なんで)
はたと考えて、フェリータは凍りついた。
握りしめていた扇から立ち上る、慣れた香り。
それは己の手に移り、そこから髪にも、首にも移っている。
いやまさかそんな。
いや。
まさかそんな。
*
「おいお前らなんでいるんだ!! お互い自宅は不可侵領域って約束だったろうが!!」
玄関付近から、今度は男の声がする。
焦りが隠しきれていないそれは、間違いなくこの家の主のもの。
「うるっさいわね、お祝いに来ただけよ。……奥さん、めちゃくちゃ怖くない?」
「ふん、あんたなんかせいぜい尻に敷かれたらいいわ、この面食い野郎」
「頼まれたって二度と来ないし、もう絶対触らせないから。この巨乳好きめ」
「まあまあみんな。胸も顔も性格もそうだけど、この子のこだわりは髪と香りよきっと。それとも、代役を見つけられなかった赤いお目々かしら?」
「帰れ頼むから!!」
言い争いから離れるように、フェリータは応接間の窓辺に寄った。
その背中へ、呼んでもいない女中が意気揚々と声をかける。
「奥様、ご主人様がお帰りになりましたわ! さぁ改めて見せつけてやりましょう正妻の気迫ってものを――ちょっ、奥さ、んぶっ!?」
フェリータは女中を魔術で拘束し猿轡をかますと、窓枠に足をかけて庭に降り、一目散に柵を目指した。
昨日ぶり、二度目の脱走であった。
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