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第三章 波乱の新婚生活

29 新妻と四人の女友達

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 フェリータが応接間に入って十分も経つと、場は氷もないのに冷気がはびこる氷室と化した。

「素敵なお祝いの品までいただいてしまって、本当になんとお礼を言ったらいいのでしょう」

 髪を結い、昼用の水色のドレスに東方の絹のショールを肩にかけたフェリータは、にこーっと作り笑いを深くした。

 客人たちの身じろぎが止まる。腕も足も組んで家主の登場を待っていた、最初の威勢はすっかり鳴りを潜めていた。
 それどころか誰も彼も目をそらし、赤い目から逃げている。

 女ばかり、四人とも。

 冷や汗ばかり流していた彼女たちだが、フェリータが紅茶を一口飲んだタイミングで、一人が意を決したように口を開いた。

「あの、ロ、……ご主人はどこに? 私たち、式の翌日だから彼も自宅にいると思って、来た、の、ですけれど……」

 さまよっていた目も覚悟を決めてフェリータの方へ向いていたが、カップ越しに視線がかち合うと、すぐさま横へそれていった。

 どうやら夫妻まるごと相手どるつもりだったらしい。口からの出任せでないのなら。

 ――ま、こんな物をわざわざ用意してくるんだから、“男”とも喧嘩する準備は万端だったということか。

「急な仕事で朝早く出ていってしまって、まだ戻っておりませんの。ですからどうぞ、ゆっくりしてらして」

 あくまで優しくそう言って、フェリータは彼女たちが持参したケーキを指し示した。

 シロップに浸した薄いスポンジとチーズ風味のクリームを何層も重ね、上層をココア粉で覆った、サルヴァンテではありふれた菓子。

 そこに粉砂糖で綴られた優美な文字。

 “ニケ”、“ペネロペ”、“オーレリア”、そして“ベラ”。

『私を食べて』という情熱的な意味の名を持つケーキに、堂々並んだ送り主の名前。

「なんて印象的なメッセージなんでしょう」と、フェリータは改めて褒めた。

 女たちの視線が泳ぐ。泳ぎながら床に向かう。溺れていく。

「せっかくなので、この名前の順に座っていただけると、とってもわかりやすいのだけれど、よろしいかしら?」

 そう言うと、最初の五分は一番口の達者だった黒い髪の女が、我慢ならないという様子で立ち上がった。

「……奥様。お出迎えしてくれたところ申し訳ないけれど、ロレンツィオがいないなら私たちもう帰」

「座りなさい。ゆっくりしておいきと、わたくしが言っているの」

 まとう空気を一変させて低い声で吐き捨てると、女がしょぼしょぼと座り直した。気が強い割に押しに弱い。

 硬直した客人たちに、フェリータは再度「さっさとならび直して」と命じた。

「……べ、別に未練があったわけじゃないわ。お互い割り切ってたし。ただあんまり急な結婚だったからロレンツィオが心配で」

「ちょっと余計なこと言わない方がいいって!!」

 座り直した四人の女たちのうち、胸の大きな“ペネロペ”が震える声で釈明を始めると、背の低い“オーレリア”が必死の形相でたしなめた。

 フェリータは二人と、先ほど撤退を試みて撃沈した“ニケ”が「ほらだからやめようって言ったじゃない」「そんなこと言いながらこのケーキ注文したのあなたでしょ」「いいから黙って、悪魔は時と共に過ぎるものよ」とコショコショ相談するのを、扇を叩いて黙らせた。

「わたくしが聞きたいのはそんなことではないの。ロレンツィオ・カヴァリエリの祖父のことよ」

「は?」

 きょとん、とした女に、フェリータは常の態度を隠しもせず居丈高に問いかける。

「あなたたち、あの人のお友達でしょう? 殿方の友達が多いのは見てわかっていたけれど、昨日の今日で呼びたてるのも迷惑かと困っていましたの。そちらから来てくださって、本当に助かっていたところですのよ」

 ――昨日の今日で、リカルドは呼びづらいし。

 明らかに非友好的な客人への、初対面での威嚇はもう十分だろうと思って、フェリータは幾分か眉から力を抜いたが。
 
「……もしかして、このオクサマほんとに私たちのことただピクニックするだけの“お友達”だと思ってるんじゃ」

「ピロートークで何か察することとかなかったのって聞いてますの」

「ないですぅ!!」

 筒抜けのヒソヒソ声に若干声を張って問い直してやれば、女たちは声を揃えてすくみ上がってしまった。

 これでは話を聞き出せない。

 フェリータは、ロレンツィオの祖父が本当に生贄術の使用者だったのかもしれないだなんて思っていなかった。今、十人委員会で取り沙汰されているのは十中八九、父たるペルラ伯爵の嫌がらせだろう。

 けれど生贄術でフェリータは罠にかけられたばかりだ。どんなことでも、情報は集めておくに限る。

 フェリータは相手をリラックスさせるため、もう一度笑顔をみせてみた。

「本当に? よく思い出してごらん。あの人の祖父はこの家の独立の立役者でしょ、自慢したり武勇伝を語ったりしていなかった?」

「これから楽しむってときにおじいちゃんの話されたら冷めるわよ……」

「だから事の後でって聞いてるではないの」

 足を組み替えながら舌打ちすると、三人は肩を寄せ合って「うえ~んこわいよ~帰りたいよ~」としくしく泣き始めた。

 これ以上は無駄かと諦めて、フェリータは残りの一人に目を向けてみる。

 “ベラ”は四人の中で一番年上に見えた。
 フェリータと目は合わせないながらしゃんと座って、取り乱すこともない。逸らされた目は横目で三人の同行者を若干呆れ気味に見つめていた。

 波打つブロンドを緩く編んで背中に流していた彼女は、フェリータが自分を見ていることに気づくと気まずそうに唇を尖らせたが、やがて観念したように息を吐いた。

「……おじいさんのことは尊敬してたと思うわよ」

 フェリータは身を乗り出した。ベラは女性にしては落ち着いた、少し低い声をしていた。

「誘いを断られたとき、つい理由を聞いたら『祖父の命日だ』って答えられて。あたしも最初の夫の命日にはなるべく身を慎むようにしてるけど、意外とおじいちゃん子なのねって思った記憶があるわ」

 フェリータは開いた扇の影で聞きながら、改めて四人を見た。
 体型や顔立ち、髪の色、性格。どれも四者四様で、ロレンツィオの好みには一貫性がまるでないようだと思った。
 手元を見る。四人中二人は結婚指輪をしていた。

(……そもそも、四人って)

 世間知らずのフェリータだって、それがちょっと異常な人数なのはさすがにわかる。

 宮廷で貴婦人にもてはやされつつ、具体的な恋人の噂を聞かないとは思っていた。
 それはフェリータを好きだったからというわけではなく、宮廷に行く途中で相手を見つけて済ませていたからなのか。それも、四人も。

(チャラチャラチャラチャラ遊んでるって言ったの、あながち間違いでもなさそうね)

「他には? 祖父の周りにはいつも死体が転がっていたとか、血の匂いの絶えない人だったとか言ってた?」

「……それ、貴族特有の隠語? 商家の未亡人にもわかるように言ってくださる?」

 不機嫌を隠すことなく尋ねると、ベラは困ったような笑みで小首をかしげた。フェリータは質問を変えることにした。

「あの人、あなたたちの前で魔術を使ったことはあった?」

「あったわ。みんなも何度か見てるでしょ? あの子すぐ煙草のケースとかマッチとか失くすから、呼び寄せたり火をつけたりするのにこう、ちょいって」

 ベラも話し始めて興が乗ってきたのか、そこで小さく口角を上げた。

「諦めて魔術使うまで、ちょっと焦って探すのがかわいいのよね。あ、そうそう、オーレリア覚えてる? 三人でしたとき、あたしたちわざと懐中時計隠して、あのときは自力で探した後に、結構本気で怒られちゃって」

「怒った? なぜ」

「ふざけすぎちゃったからかしら。そういえばあの懐中時計も、もしかしたらおじいちゃんの遺品なのかも。古いせいか、文字盤のところが少し浮いてたものね。ねぇオーレリア」

 その言葉に、フェリータは顔色を変えた。

 それをなんと勘違いしたか、オーレリアが真っ青になって「あたしを巻き込まないでぇ」と慄いた。
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