病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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第三章 波乱の新婚生活

28 おしゃべりな白い鳩

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 郵便配達や卸業者で早朝も賑やかな運河を、黒塗りのゴンドラが一艘、粛々と進んでいた。

「……そう、嫉妬だよ」

 同乗者にしつこく聞かれた男がよこしたのは、どこか憎しみのこもった肯定。

 それを聞いて、フェリータは黙った。

 言いたいことは色々あったが、謝りたくない自分には、最初に言うべき言葉がわからなかった。

 


 結局、夫妻はろくに言葉を交わさないままカヴァリエリ邸に戻った。

 またあの寝室に行くのかとわずかに緊張したフェリータをからかうように、女中頭はフェリータを用意の整えられた客間へ案内した。

 仮眠のつもりの休息から起きて知ったのは、ロレンツィオは例の主寝室にほんの数時間こもったのち、すぐに出仕していったということだった。



 ***
 


「ではバディーノ侯爵が反対するから、わたくしはまだ復帰できないということなの!?」

 朝を通り越して、昼前。
 カヴァリエリ邸の窓辺にやってきた白い鳩に向かって、フェリータは愕然として声を上げた。

「なぜですの!? まさかオルテンシア様への暴……冤罪のことで!?」

「さてね。まだ運河の一件で反省の色が見られないだのなんだの言っとったらしいが、わしにはお貴族どもの考えていることなぞ、とんとわからん」

 同僚の宮廷付き魔術師が送ってきた使い魔からは、流暢な人間の言葉が聞こえてくる。

 野生の鳩を、端的に言えば乗っ取る術だ。自分が使うこの客間に女中の一人でもいれば、口を開けて指を指していたことだろうが、フェリータは彼女たちを一人残らず追い出していた。

 宮廷付きの仕事の話は、基本的に他人の耳に入れてはいけない。

「わからないってそんな脳天気な! 会議場に呼び出して説明させなさいな、なんならわたくしが一対一で説得します!」

「わからんてのは君のやったことだって含むからな。運河飛び込みは言わずもがな、なんで結婚式を挙げた夜に屋敷を抜け出してオルテンシア殿下と遭遇するんだ。そんな状況作るから反省してないとか言われる」

「それはロレンツィオがひどいことを言うから!」

「まあお前さんらに何があったかは、わしらとしてはどうでも良いんだ。喧嘩なんていつものことなんだから。あ、でもまた一戦交えたらしいな、今度は君が派手に負けたとか」

「は、派手じゃありませんでしたわっ、誰がそんな言い方を!」

「本題はここから、オルテンシア様の呪詛そのものについて。お手柄だったな」

 フェリータは怒りを抑え込んで、頭を切り替えた。
 お手柄と言われても、素直に喜べはしない事態だった。

「お父君は顔色真っ白にして『信じられない』てな顔だったぞ。後で陛下から君のところに使者が来るだろう。ただ、今回のことは秘密裏に調査を進めるから、表立って褒章を与えるわけにゃいかなさそうだが」
 
「別に、当然のことをしたまで。……オルテンシア様、宮殿に戻ってからの体調はどうなのかしら?」

「侍女は言われるまで呪詛受け帰りとは思わなかったくらい、ふっつーだったらしい。部屋の守りは当直だったベネデットが固めていたから問題なかったさ。夜中、一回突破された以外は」

 突破されたと聞いたフェリータが目を剥くと「ブチ切れ状態のロレンツィオにな」とさらっと付け加えられる。

「アロンソ、からかっているの」

「いやいや重要なことだろうて。呪詛するには相手の一部を手に入れるか、近くに呪物を置くか、どちらかせねばならん。つまり、普段騎士や魔術師に守られている王女に堂々近寄れる人物が、怪しいっちゅうことだ」

 フェリータは戸惑い、眉間にしわを寄せた。

「まさかあの男、疑われているの? 呪詛は生贄術によるものではなかったの?」

 確かに、ロレンツィオは側近の割には主人格たるオルテンシアに敬意よりも苦々しい思いを抱えていそうだとは、最近見聞きして感じていたが。

 しかしフェリータの懸念を、白鳩の向こうにいる魔術師はあっけらかんと否定した。

「別に疑われてはおらんよ。ただ、万全だと思っていても意外なところで危険が忍び寄ってくるもんだなと言う話になっただけで」

 なんだ、よかった。

(……何がよ)

 自問自答して、胸のうちにモヤっとしたものを感じながら、フェリータは気分そのままの苛立たしげな声を出した。

「そもそも、王女様が護衛を振り切って遊び歩いてたら守りようもありませんわ。元ご夫婦とはいえ親戚同士で会うのに、あんな時間、あんな場所でなくてもいいでしょうに」

「王女様のなさることだ。我々の理解を超えておる」

「わがまま女のわがまま勝ちですわね。普段から身勝手に動いているから、もしものときにも“あの人はああだから仕方ない”で済ませられては、振りまわされるこちらはたまったものではありませんでしょう」

「高貴な生まれの若い子ってそんなもんなんだろってみんな言っておるよ。きみら含めて」

「は?」

「でな、呪詛の源が魔術か生贄術かどうかはパンドラ女史が確認するから少し待てとさ。王女様が戻り次第な」

 声を低くしたフェリータは、相手の最後の言葉に耳を疑った。

「戻る? ……あんなことがあってからの今日なのに、ご公務に出てらっしゃるの?」

「いやお友達連れて海辺へ乗馬しに行ったらしい。若いから元気よな」

「じょっ……!」

 フェリータは文句を言おうと口を大きく開きかけて、教会で相対したときの様子を思い出した。

 結果、“あの女ならさもありなん”に行き着いて、「……そうですわね」と吐き捨てるしかなかった。
 
 なるほど、“あの女だから仕方ない”の精神はこれか。

「会議が終わり次第ロレンツィオも来いって伝令が来とった。護衛も兼ねて最後まで付き合うだろうから、旦那さん帰るのもう少し遅くなるじゃろうな」

「帰ってくる気があるなんて残念ですわ。そのまま王女様もろとも海を渡って逃避行なされば、」

 嫌味ったらしく言いかけて、途中で言葉に詰まった。
 
『好きですよ』

 追い詰められたロレンツィオが、無防備に晒した言葉。

 ずっと前から。五年前から。

 フェリータが口を閉ざしたことを、鳩は特に気に留めなかった。

「恐ろしい、乗っ取り妻じゃな。さて、わしからの伝言はこんなもんだ。今度はちゃんと起きて聞いてたろうな? 質問はあるか?」

 無いわ、と言いかけて、フェリータは腕組みしたまましばし黙り込んだ。
 ややあって、気長に待ってくれていた同僚の使い魔がいる窓枠に近づいて、神妙な顔で問いかける。

「……アロンソは、ロレンツィオがわたくしのこと好きだったってわかってた?」

「また寝ぼけてたのかいお嬢ちゃん。もっかいイチから説明すっぞ」

 鳩が去ったあと、フェリータは釈然としない気持ちで窓辺から肘掛椅子に移った。

 なんてことだ。夜遊びの末に死にかけた王女が朝になったら乗馬して、それを助けた魔術師は仕事をさせてもらえないだなんて。

 昨日苦しんでいたのはなんだったのか。そのあとのことも含めて、結婚式のあとの疲労が見せた夢だったのだろうか。
 夢じゃないからオルテンシアの遊びの様子が会議で取りざたされたわけだが。

「ロレンツィオもロレンツィオよ、飼い犬のように言うこと聞くなんて。気難しい相手にこそ、側近が働きかけて理性的な行動を取らせるものでしょうに! 教会ではズバズバ物を言っていたのだから……」

 ――祖父の魔術が生贄術だって……。

 脳裏に、聖アンブラ教会で盗み聞きしたロレンツィオの怒りに満ちた声が蘇る。

 生贄術は、コッペリウスとは比べ物にならない禁忌だ。その知識や歴史の資料は古くから続く一部の家の中で守られ、けして市井には出回らないよう厳重に見張られている。

 ただ、失うものが大きい分、得られる力は並の魔術師を凌ぐ強大なものだという。

 コッペリウスの人形にかけられた生贄術の痕跡。この島に、生贄術の使い手がいるのだろうか。

 この事態に、リカルドはどう思うだろう。

 十二年前の出来事と、関係はあるのだろうか――。

「ひどいわ、こっちはロレンツィオの友人としてお祝いを言いに来ただけなのに!」

 思考を遮ったのは、離れたところから響いた不機嫌な女性の声だった。

 フェリータは複数人の言い争う声の出どころが玄関のあたりだと見当をつけると、客間の外の廊下に控えていた女中たちに事情を尋ねた。

「ごっ、……ご心配には及びません。奥様がお気を煩わせる必要のないことですから」

「それはわたくしが判断します。お、……っん、ごほっ。……あの人のご友人がお祝いにいらしたのに、玄関で追い返すなんて恥知らずもいいところ」

 夫、という言葉はこんなにも発音が難しかっただろうか。なんだかすごく喉に絡みつく。

 しかしそんなことは問題ではなかった。フェリータと顔を合わせるなり青ざめた若い女中たちが、赤い目に射すくめられて黙り込む。

 フェリータはなんのためらいもなく「応接間でお待ちいただいて」と言いつけて、鏡の前に移動した。


 
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