病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで

あだち

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第二章 長い長い初夜

15 新人と呪いと言いがかり

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「仲間内で有名ですよ。ペルラ家の苺は王冠よりも手が届かないって。警護が厳重で扱いが難しいと」

「……ま、大げさな。誰も話しかけてくれないものだから、リカルドと一緒にいるしかありませんのよ」

 朗らかな笑みにフェリータもすぐ破顔して、にこにこと答えた。なじるのもすねるのも戯れで、挨拶代わりの言葉遊びに過ぎない。

 フェリータはホッとした。評判どおり、気のいい男のようだ。
 一瞬感じた違和感は気のせいだったかと思い直す。

「ああでも、父にはわたくしとここで話したことはしばらく黙っていたほうがいいかも。昔の人だから、あなたの家とのことにはうるさくて」

 フェリータは遠くを見てふう、と息を吐いた。

「昔のことばっかり気にしても仕方ないのに。話してみたらあなたとてもいい人だし、歳も近いし、きっと三人で仲良くなれますわ」

「……そうですね、あなたはお父上とは違うようで安心しました」

「でしょ?」とフェリータは機嫌よく小首をかしげ。

「すごく忘れやすいようだし」

 低く押し殺したようなつぶやきに、えっと固まった。

 ロレンツィオは笑みを絶やさず「では、後ほど議場で」と言うと、何ごともなかったかのように横をすり抜けていってしまった。男の懐中時計が腕を掠める。

「おはようフェリータ。フェリータ?」

 数分後、己の仕事部屋に向かうリカルドに声をかけられるまで、フェリータはずっと無人の廊下で立ち尽くしていた。
 



 議場に置かれた長机の上座には国王と王太子が座り、残りの椅子を魔術師十数人が埋めている。

 フェリータは顔の下半分を隠す扇の下で口をすぼませてしきりに一方向を気にしていた。

「フェリータ、お前あの若造と何かあったのか?」

「……別に」

 例の新人の短い紹介から始まった会議。やたらそわそわしている娘に、隣に座る父親が声をひそめて問いかける。
 ぶっきらぼうに返したのは、普段から『カヴァリエリとは口をきくな』と言われていたせいだ。

 もしかしたら相手も、ぺルラ家とは親しくするなと言われているのかもしれない。そんな一抹の不安も抱えたまま挨拶をしたから、笑って返してもらえたのは良かったのだが。

『忘れやすいようだし』

(……なんのこと?)

 そういえば、苺ちゃんだなんて呼び方もちょっと幼過ぎる気がしてきた。
 
「――最後に、誰か何かあるだろうか」

 女性魔術師長のパンドラがゆっくりと一同を見渡す。
 その視線を縫い留めるように、声もなく手が上がった。

「ロレンツィオ、さっそく何かあったかな」

 フェリータは目を瞠った。

「この場で言うべきか迷いましたが、やはり皆様に直接お聞きしたほうがいいかと思いまして」

 ロレンツィオは緊張した様子もなく、ジャケットの内側から片手に収まる小箱を取り出した。

「実は今朝、案内された仕事部屋に、このようなものが置いてありましてね」

 机に置かれたそれに、国王親子と魔術師たちがなんだなんだと目を向ける。

(さっき、廊下で内ポケットに入れていたアレ――……)

 しっかりした、何の変哲もない箱に見えた。が、向かいにかけていたリカルドが眉をひそめたことにフェリータは気がついた。
 
「今は、簡易ですが封印しています。外しますので、各々方どうぞお気をつけて」

 箱を机の中央に押しやったロレンツィオが机を人差し指で三度叩く。すると白い小箱の周りに黒いもやが立ち込めて、箱のふたの表面に一瞬鎖の模様が浮かび上がり、すぐに消えた。

 と思うと、突然箱がドクンと脈打つように大きく跳ねた。

(これっ!) 
 
 フェリータは顔を歪ませて扇を閉じ、先端で自分の前に横一線を引いた。箱から飛び出そうする“それ”を近づけさせないための防御盾である。

 箱は机の上でカタカタと震えていた。無意識魔術で似た現象が起きるが、それとは決定的に違う。

 やがて、ふたが内側から開いていく。だんだんと広がる隙間から、黒い、長い、蜘蛛の足のような節くれだったものがゆっくりと出てきた。血のような赤黒い液体を纏い、腐臭をじわりとまき散らしながら。

 フェリータの背にゾッと悪寒がはしり、その生理的な嫌悪感は吐き気さえ伴った。
 たまらず、自らそれを駆除しようと決意して魔力を手繰り寄せたとき。

「呪詛だな」

 国王のつぶやきを合図に、“足”は突如箱の中に戻っていった。天敵を見つけて巣穴に戻る小動物のような動きだった。
 再び隙間なく閉じた箱に、虚空から現れた金色のひもが巻き付いて二度と開かないようにときつく拘束する。

 静かになった箱を前に、パンドラがふうと息を吐いた。

「それも、命を狙うたぐいのものだ。こいつの全身を見てしまったら、明日の朝には骸だぞ」

「けれどあまり精巧な出来栄えではありませんな。本当に恐ろしいものは、標的に悪意を気取らせぬ」

 他の魔術師たちが口々に評する。
 パンドラに再封印の礼を言って、ロレンツィオの青い目が静かになった箱へと注がれる。

「見つけたときはさらに包装紙で包まれていて、ご丁寧にリボンと花まで添えられていました。箱のふたを開ける前に気が付いて封じて、ここまでもってきたのですが」

 王太子が「そなた正気か? こんな物騒なものをずっと懐に入れていたとは」と零す。

「誰に伝えようか迷ったもので。で、“お聞きしたいこと”に話を戻しますが、引退したジョルジオ殿が無関係なら、この呪詛に誰か、何か覚えはありませんかな。ぺルラの方などはいかがです」

 箱を見つめていたフェリータは、思いもかけない言葉に顔を上げた。
 まさか疑われているのか?

 しかし、父伯爵は冷静だった。

「知るわけがない。だいたい魔術師棟は入ろうと思えば誰でも入れるのに、すぐにこちらを疑うのはやましいことがあるからかね」

 ふんと鼻を鳴らす様子は、真っ先に疑われるのが自分であろうと予想していたかのような口ぶりだった。

「まぁ、もしもわしが貴殿に贈るとしたら、もっと“精巧”に用意するがな」

 意地悪く笑って付け足した言葉に、近くに座っていた女魔術師が「レアンドロ」とたしなめる。しかしロレンツィオはしれっと言い直した。

「ご令嬢の方は?」

 フェリータは指先が冷えるのを感じた。

(……なるほど? さっきの微妙な対応は、このことでわたくし達を疑っていたから)

 仲間に毒を盛るような人間だと思われているのか。それはあまりにも屈辱的だ。
 
 言い返そうとした父を制して自ら「存じませんわ」と、フェリータは冷たく言い放ち、これ以上かける言葉はないと教えるためにレースの張られた扇を口の前で広げた。ふわりとネロリの香りが広がる。

 けれどロレンツィオはまだ引き下がらなかった。

「私とお会いした時はおひとりでしたね。いつもお父上かリカルド・エルロマーニ殿と一緒に動いているあなたが、今日に限ってなぜです」

 父が『やっぱ何かあったんじゃないか』という顔で振り向いても、フェリータは無視した。

「わたくしだって一人で動くことくらいありますわ。それともなんです、廊下を歩くのに書類を出して決済を仰ぐ必要がありましたかしら」

「質問に答えてくださらないのか。リボンの結び目を花と絡める包み方は、このところ若いご令嬢がたの間で流行っている包み方では?」

 ――この男、本気で疑っている!

 頭にカーっと血がのぼる感覚がした。
 立ち上がりかけたフェリータだったが、背中の布を父にわし掴まれて阻まれたうえ、同時に国王がたしなめるように口を開いた。

「ロレンツィオ。今日に限っては余がレアンドロを朝一番で呼び出したから、フェリータは一人で魔術師棟に向かっただけだ」

「確かにフェリータと共に動くことは多いですが、別にぺルラ親子と出仕時間を合わせてはいませんよ。……二人とも朝はっやいからさ」

 リカルドもそれに続いた。ほら見ろ、という気持ちのこもった赤い目が、相変わらず疑念に満ちた青い目と衝突する。

「関係ないがね、リカルドはもう少し余裕をもって来るように。ギリギリ過ぎるぞ毎日毎日。遅刻したら公爵にチクるからな」

「妙なことを仰いますね殿下。僕は遅刻なんて一度もしていませんよ」

「してからじゃ嫌だから言っているんだ。では、その気色悪い箱はパンドラが中心になって調べて、委細を伝えるように。……そこ二人、熱く見つめ合うのもたいがいにしたまえ」 

 けれども二人はどちらも視線を外さなかった。王太子の声が苛立ち、少し大きくなる。
 
「おいそなたら、」

「ロレンツィオ殿、あなたの仰っていることは無茶苦茶ですわ。包み方が女性的だなんていかにもわざとらしいのに、たまたま一人で歩いていただけでわたくしを疑うなんて」

「カヴァリエリの人間に消えてもらいたがっているのでは? もともと俺……、私の宮廷付きへの任命にもずいぶん反対されていたそうだし」

「おい、」

「だから何? 反対していたのは父ですわ。でもこんなに短絡的なところを見ると、父の反対もただの言いがかりではなさそうじゃありませんこと? 宮廷付きの選定の決定権者であられる陛下の御前で恐縮ですが、本当に適性があるのか疑わざるを得ませんもの」

「畏れ多くも、そっくり同じ言葉をお返しいたしますよ。だいたいフェリータ・ぺルラ、あなたこそ本当に能力を買われてここに入ったか疑わしいものじゃありませんか。着任してから、なんだかんだ大きな仕事は常に父親と二人で当たっているか、父親の仕事を丸っと引き継いでいるかのどちらかだとか。パパのチェックがないと不安かな」

「なんですって!」

 タァンと鋭い音が走った。
 父親の手を振り切り立ち上がったフェリータは、力任せにたたきつけた扇が真向いの幼馴染みの前まで滑っていったのにも、王太子が顔を抑えて俯いたのにも気づかなかった。

「聞き捨てなりません! わたくしはちゃんと国を守る力がある術師だと認められてここに来ましたのよ! わたくしの実力を見てもいない、今日来たばかりのあなたにそこまで言われる筋合いございませんわ!」

「大層な自信ですね。いつも保護者がフォローしてくれたなら、そりゃ花丸もつくというわけですか」

 フェリータは絶句した。
 この仕事が縁故やいわれのない口利きで務まるわけはない。それを知っているはずなのに、暗殺を疑ったのとは根幹を別にする悪意が、男から自分に向けられている。

 なぜ?

(……わたくしが、ぺルラ家の女だから?) 

 浮かんだ答えに、言いようのない怒りが全身を駆け巡った。

「きさま若輩者と思って大目に見てやれば調子に乗り……フェリータ? おい何してる、扇はどこに」

 フェリータは返事をしなかった。父親の叱責も花の香りの記憶も、何の鎮静剤にもなりはしない。カーテンが風もないのに大きくはためき、テーブルの上の小物がカタカタと揺れ始めていた。

「よくもそんな恥知らずなことを……」
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