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第二章 長い長い初夜
14 魔術師の腕比べ・再戦
しおりを挟む「……さすがは旧家ぺルラと新鋭カヴァリエリ。家臣たちの結婚式には幾度となく招かれてきたが、こんなにも豪華な余興は初めてお目にかかる」
阿鼻叫喚の招待客の中、魔術師たちを含めたごく少数の人間だけが、異様なほどに落ち着き払って部屋の中央の様子を見守っている。
ライオンが咆哮を上げて新郎にとびかかる。一際大きな悲鳴が上がった直後、当の男が涼しい顔でその鼻面を座っていた椅子で殴りつけ、床に転がした。
ぼやいた男は座ったまま、わざとらしく手を叩いてハッとヤケクソの笑いを漏らした。
「なぁ君、これ私の監督責任とかになると思うかね?」
警戒態勢に入った護衛の一人を困らせてから、王太子ヴィットリオは深いため息を吐く。半分残っていたグラスを片手でくるりと回し、一気に煽った。
妹のスピード離婚と、海を渡っての釈明旅行。無理を押しとおす再婚と、割を食う伯爵家との裏取引。それが引き起こした公開プロポーズ、怒り狂う大司教、突貫挙式、身勝手に荒れ散らし部屋にこもる妹。
そして今、目の前の光景。新婦に叱咤されたライオンは床の上で起き上がり、今度は少し離れたところから新郎を睨みつけていた。
呪われている。結婚の守護天使に、この国は間違いなく見放されている。
悪魔の都とはよく言ったもんだと、ヴィットリオはひきつった笑いを浮かべて周囲の状況を確認した。
ほとんどの客は部屋の外か壁際に退避していた。おかげで騒ぎの中心地から少し離れた場所に立っていたリカルドは、一歩も動いていないおかげで今やどの見物人よりも近くで事の成り行きを見守っている。カヴァリエリの先代夫婦も立ち上がっているがその場を動いていない。レアンドロ・ぺルラも然り。
ジーナ夫人だけは人ごみに流されたようで、壁の近くで立ち尽くしていた。
「…………まぁ、もしものときはあの辺が何とかするだろうし、出しゃばる必要もなかろ」
護衛以外の注目が自分から逸れているのをいいことに、王太子は椅子の背もたれに体を預けて足を組み、気楽な観戦体制に入った。
白目をむいて失神したぺルラ伯爵に、少しだけ同情しながら。
机と椅子を蹴散らして、白銀の獣が再び新郎に向かって床を蹴る。魔術で作り出されたそれに、はたき落された痛みも恐怖もない。
だが男は動じず、素早く口の前で右手の人差し指と中指を絡ませた。
途端、宙で伸びた獣の体が突然布のように引き絞られて細くなり、そして短く縮まっていく。
震える毛並みが押し固められた硬質な金属に変わり、顔も四肢も尾も人の腕の長さほどの、細長い筒状に収縮していく。
やがて放物線を描きながら男の前へと落ちてきたのは獣ではなく、白地に銀の装飾のマスケット銃だった。
「仕切りもないのに猛獣に変えるとは、さすがお姫様は客人にもお優しい」
嫌味と共に足で銃の端を踏み弾く。カンと音を立てて空中に跳ね上がった銃を手慣れたしぐさで掴むと、ロレンツィオは銃口を敵対術者に向けて構え直した。
向けられたフェリータは、腕を組んで鼻で笑う。
「腕力頼みの騎士殿は、魔術師に転身して何年目? 変化術はまだ難しかったかしら、ほら、銃身が曲がっていてよ」
言うと、白銀のマスケット銃は銃口から瞬く間に黒ずみ、うねり、男の腕に巻き付く蛇へと形を変えた。
銃口だった部分は頭になり、男の方へ鎌首をもたげる。
「動物ばかりに変えるのは、腕力に自信がないからか。魔術師だって最後のとどめは自分次第になるのに」
牙を備えた口を開ける前に、ロレンツィオが左手で頭を掴むと、手の内側に入った部分からピキリと固まって、やがて男の身長をも凌駕する槍に変わった。
「あらいりませんわ、腕力なんて。優秀な魔術師ならね」
野次馬たちはいつの間にか悲鳴を忘れた。最初は何の変哲もないチェスの駒だったそれが、次から次へと姿を変えていくのを、呆然と見守った。
――魔術師の腕比べが直接的な殺し合いだったのは遠い昔。時代の流れとともに、魔術師の決闘はその実力の優劣が明らかになった瞬間を決着とするように変わっていった。
その方法の一つに、変化術の掛け合いがある。最初にひとつ、何の魔力も帯びていないものを指定して、順々に変化術をかけていくもの。
二人は最初の一つをチェスの駒で合意した。
他の術者がかけた上に術を重ねるのは、暴れる相手を無理やり抑え込むのと同じように強い抵抗にあう。そこを押し切って術を重ねていくのだから、魔力と集中力の持久戦となる。雑にかければ弾かれる。
どちらかが術をかけられなくなったときが、決着のときだ。
「……筋力の話じゃない。覚悟の話だよ」
苛立たしげな一言とともに、男が槍を持った腕を半身ごと後ろに引く。
勝負の名目はあくまで変化術の重ねあいだが、わざと獣や武器に変化させて相手を勝負続行不能にしようとするのは、これが決闘である以上当然だ。
だからフェリータも、自身に刃先を向けて飛んできた槍を卑怯だとは思わない。自分も獣をけしかけていたのだから。
一年前と同じように。
****
雪が解け、海の水も輝き始めた春の日。
十か月の宮廷勤めの末、とうとう後輩が入ると聞いて、その日のフェリータははしゃいでいた。
十七歳の自分が組織の最年少なのは仕方ない。後輩も年上だという。
けれど、同僚のほとんどが自分の親世代かそれ以上の年齢なので、三つ違いなんてもはや誤差だ。
職場にも同僚にも不満はないが、もう少し世代や感覚を共有できる友人が欲しい。妹とリカルド以外にも。
そう思っていたから、見慣れない、魔術師にしては逞しい背中を魔術師棟の廊下で見かけたとき、フェリータの声にはこれからへの期待が確かに含まれていた。
「ロディリア国宮廷付き魔術師棟にようこそ、ロレンツィオ・カヴァリエリ殿」
上着の懐に手を入れて振り向いた男は、少し驚いた顔をしていた。フェリータが自分の名前を知っていると思わなかったのだろうか。少し意外な気がした。
フェリータも祖父の代からの因縁はもちろん承知している。
代々ペルラ家に護衛騎士として仕えてきたカヴァリエリ家。それが数十年前、目の前にいる男の祖父が突如、自分に魔術の素養があると言ってフェリータの祖父と揉めて、ぺルラ家の傘下から去ったことは。あげく、当時敵対していたバディーノ家の庇護下に入ったことも。
けれどそんな話は自分の生まれるずっと前のことで、これから彼とは共に国王直下の魔術師仲間だ。
事前に父親から注意されていたことはほとんど破って、娘は誰もいない廊下で男に歩み寄り、姿勢を正してにっこり笑った。
「フェリータ・ぺルラ、これでも今日からあなたの先輩ですのよ。直接お話しするのは、これが初めてでしたわね」
間近で見て、なるほど同年代から少し年上まで、未婚既婚問わずに彼を見た女性陣が熱いため息をつくのを理解した。
後ろにかきあげた黒い短髪、まっすぐな眉の下の、目尻が下がり気味の青い目、高い鼻に薄い唇。バランスよく並んだそれらは、堂々とした体躯と相まって男性的な色気を備えている。
(……残念ねぇ、オルテンシア様が連れ回していなければ、今頃貴族出身の奥様とかがいらしたかもしれませんのに)
高い位置にある顔をしげしげ見つめてそんなことを考えていると。
「……もちろん存じていますよ、ご令嬢」
新人は目を細めて見下ろしてきた。
背が高いから、上から声が降ってくるようだ。笑うと目尻に少ししわが寄って、美形が親しみのある愛嬌を備えた顔になる。
「いつもお父上か、エルロマーニ家の末息子に守られている“フラゴリーナ”。お一人だなんて珍しいですね」
「……ふら?」
賢げな大型犬を思わせる笑顔から繰り出された言葉が予想外で、フェリータは上手く繰り返せなかった。
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