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第二章 長い長い初夜

12 きしむ信頼

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「今までは腐っても嫡子だから、魔術師としての実力が確かな人だからと、はた迷惑な挙動にも目をつむってお姉様を立てていましたけどね、犬以下だなんて言うならこっちだって言わせてもらいます! 『ちゃんと婚約者になれ』!? どの口でおっしゃるのでしょう空耳かと思いましたが!? いいえ、これはリカルド様とのことを言っているわけではありませ、っまあその柱の陰にいらっしゃるのはご本人!? あなたまでなんて真似を、いいえ話がそれました、つまり私が言いたいのは、それができないのは誰のせいかってこと! ……家を出てっ、外に嫁ぐはずだった私がっ、そうできなくなったのはっ、水たまりより浅い思慮のお姉様のせいでしょう!? ヴァレンティノ様が婚約の話をしてくださったその日のうちに川に飛び込んだ、バカピンクのせいでしょうがぁ!!!!」

 風もないのに枝葉が揺れて、庭に飾られた石膏の壺が震え始めた。威嚇するようなそれは、フランチェスカの無意識に呼応した魔術作用。

「だいたいっ……、ぺルラ家を出た以上、もう私や家のことでお姉様に偉そうに言われる筋合いもございません! そう、あなたのおかげでぺルラ家はいずれ私のものになるのですから! 今のうちにお伝えしておきますが、お姉様の“レリカリオ”はもちろん好きになさればいいけれど、代々受け継がれてきた家宝には今後一切触らせません、保管庫にだって、いいえこの屋敷の主に嫁いだ以上はぺルラ家の敷地にだってそうそう入れませんから、そのつもりでいてくださいませ『カヴァリエリ夫人』!! 本日はどうも、おめでとうございましたッ!!」

 投げつけるような一言に、硬直したまま若干後ろへ傾いだフェリータを、そっとリカルドが押し戻す。

 華奢な肩でぜえはあと息を整えたフランチェスカは、最後に一つ、大きく息を吐くと、「お見苦しいところを見せてしまって申し訳ありません。ぺルラに貸しを作ると思って、先ほどの戯言ともどもどうかご内密に」とヴァレンティノに頭を下げ、足早に宴会場へと戻っていった。

 終始ばつが悪そうにしていたヴァレンティノも、「フェリータ様、こちらも浅慮でした。ご心配をおかけして申し訳ない」と言って、逃げるようにその場を後にする。

 残されたのは混乱しきりのフェリータと、相変わらず柱の陰に佇んだままのリカルドだけだ。

「……な、なんであんなに怒って、だってこんなところで軽率なことをして、噂になったらあの子が困るし、だいたい自分だって髪、ピ、ピンクなのに」

 妹にここまで言われたのは初めてだった。激昂して声を荒らげるのは、いつも自分の方だったのに。
 ショックを隠し切れないフェリータは、誰に求められてもいない下手な弁明をもろもろと零した。

 そこへ、「フェリータ」と落ち着き払った声が水を差す。

「僕らも戻ろう」

「えっ!」

 言うが早いか、リカルドは今来た道を戻ろうとする。フェリータは慌てて引き留めた。

「待って! は、話したいことがまだ」

「宴会場でしよう。君こそ、こんなところで僕と二人っきりでいたらよからぬ噂を立てられてしまうよ」

 取り付く島もない幼馴染みの様子に、フェリータはさっきとは異なる衝撃で立ちすくむ。
 
「な、なんでそんな冷たいこと……やっぱり、ロレンツィオと本当は仲がいいから?」

 フェリータの頭の中で、教会で盗み聞きした“学院の後輩だったから懐かれている”と言ったオルテンシアの言葉がよみがえる。
 恨みがましくなじると、遠ざかっていた銀髪がようやく止まった。

「急に、なに?」

「急なのはそっちですわ! わたくしとの婚約……の約束を無視してオルテンシア様と婚約したり、わたくしと二人っきりでいることを悪いことのように言ったり! 二人で宴会場を抜け出すなんて、今まで何度もやってきたことですのに」

 リカルドが眉をひそめる。それを見て、フェリータはうっと口をつぐんだ。

 この顔は苦手だった。わがままだとか自分勝手だとか、散々言われてきた自分だが、これでもリカルドに迷惑をかけることだけはなるべくしないよう心掛けていたのだ。
 
 運河の件は、あくまで例外だ。

「今までともう全然状況違うじゃない。フランチェスカとヴァレンティノより、今の状況の方がよっぽどアウトだろ。昼間何したか思い出して」

「覚えてますわよっ、あなたったらそしらぬ顔して列席者の中に混じってて、あのときわたくしがどんな思いで」

「花嫁姿、綺麗だったよ。ドレスも母君のを仕立て直したとは思えないくらい似合ってる」

「……それはまぁ、職人の腕が確かというか、わたくしも白はたいがい似合ってしまうというか、ええ、ここ一ヶ月いつプロポーズのお話されてもいいようにダイエットも心がけてましたし」

 ふっと和らいだ表情でストレートに褒められると、自然と頬が上がった。視線を泳がせながらもじもじと指先をいじるフェリータに、リカルドはにこにこしてからまた背中を向けた。

「あっ、ちょっと、話をそらさないで! わたくしあなたに聞きたいことが」

「フェリータ、前も言ったけど、僕たちの関係はこの先も変わらないよ。なんにも」

 虚を突かれ、フェリータの言いたかったことは霧散した。
 その言葉は、確かに十日前にカフェのバルコニーで言われたが。

「……リカルド、結婚したら、“婚約者同然の幼馴染み”なんてもう」

「そういうことじゃなくて、結婚しても、僕らは互いに大事な存在のままってこと」

 フェリータは戸惑いながら「つまり」と確認した。

「表面上は結婚していても、心はお互いに捧げたままってこと?」

 そんな小説に書かれる悲恋のような関係性はごめんこうむる。フェリータは自分でも気づかぬうちに、眉尻を下げて不安げな表情を浮かべてしまっていた。
 けれどリカルドは実にあっけらかんとしていた。

「捧げるって大げさだよ。結婚したら異性の友人全員と縁切らなきゃいけないわけでもないだろ。時と場所を選べば、今まで通り話せるんだから、そんな思い詰めた顔することはないし、わざわざ人から隠れるようにこんなところ来る必要もないってこと」

 諭すように言われても納得できない。フェリータは苛立ち、焦って口を開いた。

「リカルド、わたくしが聞きたかったのは、急にオルテンシア様と婚約なさったのはなぜかということですわ。それがなければ、わたくしたち誰にはばからずとも二人っきりでいられたはずでしょ、今まで通りに」

 だんだんと責める口調になってくると、リカルドの方もすねたように口の端を下げた。
 聞いてほしくないことを聞いたらしい。聞かないはずもないのに。

 けれどフェリータの方はリカルドの機嫌を損ねたことが心苦しくて、撤回したくなるのをぐっとこらえなくてはいけなかった。

「急な報告になったことを根に持ってるんだ。一応、誰より早く口頭で伝えたのが君だったんだけど」

「答えて、リカルド」

「殿下と会って、話して、それで結婚する気になったんだよ。僕とフェリータ、ちゃんとした婚約はしてなかったし」

「そんな風に……そんな風に、王女とロレンツィオに言いくるめられたんでしょ!」

 ちゃんとした婚約をしていなかった、とはロレンツィオと同じ言い方だ。思わずカッとなって大声を出したフェリータを、リカルドが口の前で指を立ててたしなめる。
 ハッと口をおさえたフェリータは、すぐに『なんでわたくしが注意されるの』と涼しい顔の相手を睨みつけた。

「言いくるめられたって人聞き悪い。僕の意志だよ。父上たちは戸惑ってたし、伯爵と君には悪いことをしたと思っているけど」

 悪いことをした。そう言うということは、リカルドもフェリータとの約束にちゃんと拘束力があったと認めていたのだ。

 それなのになぜ。たった一ヶ月の間に一体何度会ったのだ。まさか一回で心変わりしたのか。
 運命の恋に落ちた、というそれこそ小説のような熱量も彼からは感じられないのに。

 分からなくてつい、抱えていた疑念が口をついて出た。

「……本当は、ロレンツィオや王女様に脅されたのではないの? ……十二年前のこと、とか」

 ――途端に、庭園の空気が一変したのにフェリータは気がついた。

 それまでのリカルドが纏っていた穏やかな空気は霧散し、重く冷たいそれに塗り替えられている。

「なんでそう思った?」

 禁句を口にした女の背中を汗が伝った。口元に寄せた指先が震えた。

 蒸し返してはいけないことだと、わかっていたのに。


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