1 / 92
第一章 天敵婚姻譚
1 忌まわしき挙式
しおりを挟む「ご列席の皆様、どうぞ花嫁に祝福を」
大司教の言葉で、大聖堂を埋め尽くす参列者の視線が一点に集まった。
扉の奥から現れた、楚々として可憐な花嫁に。
繊細なベールが覆う、薄桃色を帯びた金髪。
同じ色のまつげが縁取る、ざくろのように真っ赤な瞳。
純白のドレスが包む小柄な体躯が、赤い絨毯の上を進む。そのたびに、縫い付けられた真珠の粒が、光そのもののようにきらめいた。
「……綺麗だ」
誰かが漏らしたうわごとのような賞賛に、誰もが無言で同意する。
突然告知された結婚式だった。
『神様の御意志により、三日後、大聖堂にて挙式を執り行うことと相成りました』
日程も、その事情も前代未聞で、皆が驚き呆れ、好奇と憶測による噂が駆け巡った。
そんな下世話な空気は、花嫁本人の放つ神聖な空気に圧倒され、塗り替えられた。
“さすがはペルラ家のフェリータ様だ”と。
当の本人が、内心愕然として途方に暮れているとも知らず。
***
(……なんでこんなことになってしまったの?)
祭壇の前で新郎と並び立ちながら、フェリータは絶望とともに振り返る。
順風満帆の人生だった。
十九年前、名門ペルラ伯爵家の後継者として生まれると、その魔術の腕で十代のうちに宮廷付き魔術師の地位を得た。
そして、政略結婚が主流の貴族でありながら、婿候補は大好きな幼馴染みだった。
だが今はどうだ。
爵位の継承権は妹に譲られ、宮廷付き魔術師としては停職を言い渡され、三日前に決まった結婚相手は幼馴染みとは別人――というか、天敵。
フェリータは隣に立っている“新郎”の様子を暗い気持ちで窺い見た。
前髪ごと後ろに流した黒い髪、己のつむじを見下ろす高い身長、筋肉に覆われた武人じみた体格。
身長差とベールのせいではっきりとはわからないが、目尻のやや下がった青い目はまっすぐ前を向いている。引き結ばれた口元と相まって、ずいぶん真面目そうに見えた。
なんで。
なんでこの男がここに立っているんだ。
己の実家と互いに蛇蝎のごとく嫌い合う一族の、現当主であるこの男が。
いや。理由は、この場にいる誰よりも、自分が一番知っているけれど。
(……ふん、いい子ぶって。いつもはもっと底意地の悪い、嫌味っぽい表情をしているくせに)
毒づいたのは、あくまで心の中だけだったのに、急に男はその視線をフェリータに寄越してきた。
硬直した花嫁に眉を寄せ、男はごく小さく顎をしゃくった。
周囲にそうとは気づかせない、『前を見ろ』のしぐさ。
「……」
指図されたことへの苛立ちが表にあふれ出しそうになり、フェリータは堪えるのに苦労した。
この結婚、この男のせいでもあるのに、何を平然と。
「最初に、お集まりの皆様にお尋ねします。この神聖なる結婚に、正当な異議を申し立てる方はおられますか」
列席者のうち若い女性の何人かがガタガタと中腰になったが、聞いた大司教本人が「では新郎ロレンツィオ・カヴァリエリ殿」と揺るがぬ意志でもって無視してしまった。
「汝、この女を妻として、病めるときも健やかなるときも――」
何ごともなかったように続けられた宣誓文句は、三日前の忌まわしい記憶と結びついている。
それこそ、隣に立つ男、ロレンツィオと結婚するはめになった原因だ。
自己嫌悪で卒倒しそうになるが、ここで式を中断させでもしたらまた関係者に叱責されるだろう。
三日前のことは、元はと言えばロレンツィオが悪いのに、めちゃくちゃ怒られたのはフェリータの方だった。――と、フェリータはずっといじけている。
(それにリカルドにも、きっと呆れられてしまうでしょうし)
浮かんだ幼馴染みの顔に、怒りが萎え、胸がぎゅうっと痛んだ。
リカルドは友好的な公爵家の末息子で、フェリータが人生を共に歩むのだと信じてやまなかった一つ年上の青年だ。
彼は後ろの招待客の中に混じってこちらを見ているだろう。
隣に彼がいない悲しみに、フェリータは心情そのままの沈痛な面持ちとなった。
すると、男がまた訝し気に視線だけを寄こしてきていた。
なにと思って見返すと、男の口が開く。
『気分悪いのか』
声のない問いに虚を突かれたところで、さらに口が動く。
『それとも寝ぼけてるだけか』
お黙りと言ってやりたいのをかろうじて堪えていると、大司教の声が少し大きくなった。
「愛することを誓いますか?」
男の目が前を向き、平然と「誓います」と返すと、大司教は満足げにうなずいて今度はフェリータの方へ向き直った。
身長差およそ二十五センチ。視線が下へ、大幅に動く。
「新婦、フェリータ・ぺルラ殿。汝、この男を夫として――」
見るからに、穏やかで寛容そうなこの老人。
これが三日前、『よくも私の大舞台を台無しに!! まったく王女殿下といいぺルラ家といいどいつもこいつもこれだからロディリア王国は罰当たりも甚だしい!!』と荒れ狂っていたのは記憶に新しい。
そしてその勢いのまま、今日の挙式を強行した悪魔のような仲人。
もっとも、彼の立場ではそうしないと体面が保てないという事情は理解できたし、元凶はフェリータ自身なのだが。
「愛することを、誓いますか?」
それでも老人の広い額をジトッと見つめて数秒間沈黙し、フェリータは最後の抵抗を示した。
が、それも、柔和な微笑みの奥の鋭い眼光に射抜かれるまでのこと。
「……誓いますか?」
さっさと答えんかい、と、聖職者にあるまじき脅し文句が聞こえた気がした。
「……誓います……」
しぶしぶ答えると、大司教は笑ってうんうんと頷いた。
けれど試練はその後だった。
粛々と指輪の交換を終えると、そこでベールが上げられた。
誓いのキスだ。
こわばった体に相手は気づいていないのか気にしていないのか、手袋越しの武骨な指に、顎をすくい上げられる。
見上げた先に、ロレンツィオ・カヴァリエリのすました顔。見慣れない神妙な表情。
けして醜い顔ではない。むしろ整っている方だ。
それが、ゆっくり近づいてくる。
口づけのために。
「……おい」
苛立たしげな低い声。男の動きが止まり、大聖堂の空気が重くなる。
それでもなお、フェリータはブーケで口元を隠し続けていた。男の目元が剣呑になる。祭壇の向こうから、大司教の咳払いが届く。
けれども、どうしてもブーケを下ろせなかった。相手のいかにも割り切った様子も、腹立たしさに拍車をかけた。
嫌なのはお互い様でも、傷つくのは自分だけのようで。
(……本当は、好きな人と結婚できるはずだったのに)
悔しさに奥歯を噛み締めるうちにも、時は進む。
大司教は咳き込み過ぎて喉が掠れ始めたし、視界の端では同じようにロレンツィオを嫌悪していたはずの父が腕を組み圧を送ってきている。
花を降ろさなくてはいけない。
キス一つが何だというのだ。他の女だってみんな、好きでもない相手と結婚して子を産んでいる。この場にいる噂好きな女たちも、おそらく玉の輿に乗った自分の母ですらも。
そう思うのに動けない。視線が下がる。
花束を持つ手に力がこもった。なんでどうして、こんなことに。噛みしめた唇から血の味がする。鼻の奥がつんとしてきて、目頭も熱くなってきていた。
これ以上の無様は晒したくないのに。
そのとき、額にツ、と軽いものが当たった気がした。
「え?」
ぱちぱちと瞬きをする。
フェリータが我に返ったときには、周囲の空気は和らぎ、新郎の体は祭壇に向き直っていた。
「……」
「誓いますよ」
そうじゃないだろ、といいたげな大司教の視線に、ロレンツィオは先ほどと同じ言葉を繰り返した。先ほどよりも幾分、不機嫌そうに。
「病めるときも、健やかなるときも」
すまし顔が、ごくわずかに新婦の方へ向けられる。
青い目が、戸惑い固まっていた赤い目を捉える。
――お前だけはまじで絶対許さんからな。
婚礼の場に、脅し文句のような囁き。
隣りにいる花嫁だけに伝わる、口の動きのみの言葉。
とりすました無表情から、垣間見せてきた怒りの片鱗。
いつも通りの意地悪な目元。
――それがフェリータのスイッチを切り替えた。
「……こちらこそ」
ブーケを胸の前まで下げ、フェリータは低い声で短く応じた。これ見よがしに額を拭って、姿勢を正して相手を見据える。
こちらこそ、絶対許しませんから。
なんて、みなまで言う必要もない。
大司教は殺気立つ二人を見比べて、今日一番の慈愛溢れる笑顔を浮かべた。
「神よ、二人の門出に祝福を」
喜びの一報を王都中に知らせんと、がらんがらんと鐘が鳴る。
割れんばかりの拍手と安堵のため息、そして女性たちのすすり泣きに包まれて、ぺルラ家の長女フェリータとカヴァリエリ家の当主ロレンツィオは、この日晴れて結ばれた。
41
お気に入りに追加
1,296
あなたにおすすめの小説
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。
虐げられた人生に疲れたので本物の悪女に私はなります
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
伯爵家である私の家には両親を亡くして一緒に暮らす同い年の従妹のカサンドラがいる。当主である父はカサンドラばかりを溺愛し、何故か実の娘である私を虐げる。その為に母も、使用人も、屋敷に出入りする人達までもが皆私を馬鹿にし、時には罠を這って陥れ、その度に私は叱責される。どんなに自分の仕業では無いと訴えても、謝罪しても許されないなら、いっそ本当の悪女になることにした。その矢先に私の婚約者候補を名乗る人物が現れて、話は思わぬ方向へ・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【完】ええ!?わたし当て馬じゃ無いんですか!?
112
恋愛
ショーデ侯爵家の令嬢ルイーズは、王太子殿下の婚約者候補として、王宮に上がった。
目的は王太子の婚約者となること──でなく、父からの命で、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢を婚約者となるように手助けする。
助けが功を奏してか、最終候補にシャルロットが選ばれるが、特に何もしていないルイーズも何故か選ばれる。
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
人質姫と忘れんぼ王子
雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。
やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。
お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。
初めて投稿します。
書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。
初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
小説家になろう様にも掲載しております。
読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。
新○文庫風に作ったそうです。
気に入っています(╹◡╹)
【完結】あなたを忘れたい
やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。
そんな時、不幸が訪れる。
■□■
【毎日更新】毎日8時と18時更新です。
【完結保証】最終話まで書き終えています。
最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる