銀に白鹿、春嵐

佐久間マリ

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決断のとき、東京2

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 晴嵐は待ち合わせの時間に少し遅れてやってきた。

 東京郊外の美術館まで足を伸ばしていたそうだ。



 ディナーはフレンチにしたが、気の張る高級店ではなくカジュアルな、盛り付け方が個性的かつ斬新だと評判になっている店を選んだ。

 おいしさだけなら追及できても、洗練されたモダンな食事となると、白銀に住んでいたのではなかなかお目にかかれない。 

 晴嵐にあるのは美食でもなく、食欲を満たしてくれるだけの量でもない。おそらくアーティスティックなものに触れたい欲求だと踏んだ。

 フレンチと聞いていまいち乗り気でない晴嵐だったが、いざテーブルにつくと芸術性に富んだ皿の一つ一つに目を輝かせていたので、春鹿の狙いは成功だったといえる。



 食事の後、「東京っぽぇどごろ案内してぐれよ」と言うので、52階建てビルにのぼることにした。

 標高でいえば、スキー場の山頂の方がもっと高いが、建物の高さとしては白銀村では考えられない。

 何より、東京中に宝石をばらまいたような百万ドルの夜景がある。



 白銀の寒さとは比べ物にならないとはいえ、それなりに寒さはあるので、空気はきりっと冴えている。



「……すげ! 同じ世界とは思えね……」



 晴嵐は眼下に広がる世界に、まるで若い女子のように頬を上気させた。



「確かにねー。村だと場所によっては灯り一つないところもあるもんね」



「だべ。真っ暗すぎで、目開げでらのが瞑ってらのが自分でもわがらね時がある」



 あるあると春鹿も頷いた。

 都会の人からすれば、逆に真の闇こそが異世界だろう。

 晴嵐は、しばらくその目に焼き付けるように熱心に景色を眺めていた。



「やっぱり東京は刺激的だべ」



「世界中の色々なものが集まるから、情報量はすごいよね」



「おめが東京にいるんだら月イチで来でもいいかもな。いや、それはさすがに金が持だねぇかぁ」



 晴嵐が東京の低く赤い夜空を仰ぐと、モッズコートについたファーと、似た色の髪がフードにくしゃりと埋まった。



「……だから、それはまだ決めてないってば」



「いづ決めるんだ? 会社的には早ぐ決めねどいげねんでねの」



「……まだ返事してない。待ってもらってる」



「なあ、ハル」と晴嵐は、身体を反転させて夜景に背を向けた。



「何を迷っでるのが知らねけど、迷うぐれなら東京さいろ。選ぶべきは東京だべ」



 柵にもたれかかり真面目な顔で言うのに、春鹿は返事をせず、しばらく黙って考えていた。



 やがて、

「私はさ、同年代なら持ってるカードを何一つ持ってないの」



「は? カード?」



「うん。結婚、パートナー、出産育児、趣味、生きがい」



 春鹿はわざと明るい声で宙に向かって指折り数える。

 東京でも息はいくらか白い。



「私が一枚だけ持ってるのが『仕事』。それだって、好きでやりがいがあるとも言えないカードだけど、それでも役職付きで正社員って、独身アラフォーがよりどころにするのには最強の手札だと思うんだ」



 だから手放せない。だから迷っている。選べない。



 晴嵐は、確固たる『何か』を持たない独身女性の肩身の狭さを理解したのか、わからないままなのか、共感も反論もしはしなかった。

 しかし、次の言葉からは、経験した者の重みが感じられた。

 もちろん春鹿だって、晴嵐の人生がこれまで順風満帆だったなどとは一ミリも思わない。にしても晴嵐のしてきた後悔の多さが思われる言葉だった。



「人生なんて、どの道を、どれを選んでも後悔はある。最善を選んでも最悪を選んでも大なり小なりは付いてぐる厄介なもんだ。だったらせめて、後悔の少ない方を選びてと俺はいづも思っでる」



「……後悔の少ない方が東京?」



「白銀を選んで後悔しだ時に東京に戻るのは難すいだろうけど、東京から白銀さ戻るのは簡単だ」



 晴嵐の言う事は尤もだ。

 それでも、迷っているのだ。白銀にとどまる選択肢を春鹿は捨てられないから迷っている。



「大丈夫だ」



 晴嵐は優しく笑う。



「白銀をおめが失うことはね。白銀村さ、どこにも行かねで、いつもそこにある。帰りだぐなったらいつなんどきでも迎えでくれる。いつでも選べる、帰れる。ふるさとっでのはそういうもんだべ?」



「ふるさとってなんか年寄りくさいなぁ……」



「そりゃ、ふるさとに帰りたぐなるなんてのは、年取って爺さん婆さんになった時だろ」



「そんなに先になるのかな?」



「おめの仕事人生をこの大都会でやり切ったとぎだべ」



「……それって、定年? うわー、もうその頃おばあさんじゃん」



「その頃には俺が自治会長さなっで、おめが暮らしやすい村にしでおいでやる。約束する」



 春鹿は何かを誤魔化すようにおどけて言ったのに、晴嵐はまったく含みのない温度で会話を続けている。

 

「俺もどこにも行がね。俺はずっと白銀にいで、たぶん、おめをずっと待っでる。それでいつか、おめがまた白銀に帰っできだら、そん時俺はまた嬉しい」



 晴嵐の優しさに、晴嵐の線引きに、春鹿の視界の夜景が潤んだ。



 人生は選んで生きることもできるが、選ばなくてもそれなりに過ぎていく。

 今のことはあっという間に過去になって、何十年も先、年齢を重ねた姿で、また去年の夏のように、白金村であっけない再会を果たす未来は簡単に想像できた。



 日付が変わる頃、夜行バスで京都まで行くと言う晴嵐を見送った。 



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