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大都会の海に沈む2
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やがて、春鹿と後輩たちが仕事の愚痴で盛り上がりはじめた。
その横で、A子は日本酒を晴嵐の猪口に注ぎながら、
「春鹿は実家でどう?」
「……引きごもるようなごともなぐ、なんとが折り合いづげでけでるみだいだ。……本人にとっだら不本意なごとなんだろうけんど」
「ホント、なんなんだろうね、あの春鹿の地元コンプレックスは」
「白銀村さ、A子さんも驚ぐほどの田舎だはんで。望むごとの半分も叶わねようなとごだ」
「春鹿の実家、行ってみたいって何回も言ってるんだけど全く取り合ってくれないの」
「……本当になんも遊ぶとごがねがら。不便だし、これがらの季節は寒ぃし」
晴嵐は手元に視線を落とす。
「私、結構好きでね。トシ取ったら絶対田舎暮らししてみたいし。あ、なに? 簡単に言うなって? そんな甘いもんじゃないって?」
A子は、晴嵐の表情から何かを悟ったのか、あえて自らにツッコミを入れた。
顎で若い二人を示し、
「この子たちにしても、晴嵐くんが独身って聞いた瞬間はあきらかに目の色変わってたけど、だからって一歩踏み込むつもりはなさそうだしね」
「嫁の来手は絶望的だべ」
「村の若い人全員が独身ってわけじゃないでしょ?」
「村に残っでる男はだいたい独身だべ。近隣の村から嫁いで来で村に住んでる子はいるけんど、ほとんどは近くの町に出てそこで暮らしでる。村だと子どもの学校さも苦労するがら」
「思ったより深刻なんだね」
「ま、えがったら一度遊びに来てけ。俺は歓迎するで」
やがて後輩二人が先に帰ると言い出した。
春鹿もA子もその場で見送るだけだ。
常に交通手段があるということはこういうことなのだと晴嵐は思う。
基本、アシがない田舎の場合、誰かが車で送るしか方法はないので、一人だけ先に帰るということがあまりない。
三人だけになったタイミングで、テーブルの上に置いてあった春鹿のスマホが震え、「ごめん、ちょっと電話」と席を立つ。
二人残されたA子が、
「ところで晴嵐くんと春鹿は、not恋愛関係でOKなの?」
「あ!?」
晴嵐は声が出た。すぐ落ち着きを取り戻して、
「まあ、うん」
と頷く。
「でも、晴嵐くんは春鹿が好きでOK?」
「まあ……」
再び、肯定の頷き。
さすが都会の女だ。観察眼が鋭い。
「昔、二人は付き合ってたんだよね? 春鹿は大学からこっちだから、村を出て十六年、になるか。ずっと好きだったの?」
「いんや、それはさすがに重すぎるべ。……感情には、昔に一旦キリさつげた」
「それなのに、まさかまさか春鹿が離婚して帰って来て。まさかのチャンス到来だ?」
晴嵐は言葉を詰まらせる。
「……俺の好意は、春鹿さ白銀に縛り付ける鎖みでなもんだがら。あいづが、本当に本心がら白銀さ戻りでと思ってらんなら、まだ余地もあるばって……」
テーブルの上にちょうどあったおしぼりをぐっと握る。
「……なんが今の春鹿は、戻って来だというよりも、休むだめに帰っで来た、そった気がする。心ここにあらずな時が、たまにある」
元気は元気だ。
しかし、大嫌いな実家で文句を言いながら過ごす方がまだ春鹿らしい。
昔の春鹿にはなかった、憂いとも取れないほどのわずかな陰は、ただ大人になって聞き分けがよくなっただけなのか。
それとも、春鹿の弱さに付け込んだ何かに少しずつ蝕まれているのか。
「晴嵐くん」
A子が言いかけた時、春鹿が戻って来た。
「ああ、春鹿。おかえり」
スマホを、必死、という形容がふさわしい握り方で持ち、表情を曇らせている。
「どうしたの? 仕事? トラブル?」
A子が尋ねるのに、春鹿は首を振った。
「率が」
数秒の沈黙の後、
「元夫が……熱出してるらしくて」
「はあ? 今の電話? で? 春鹿に看病に来てくれって?」
「……午前中に率にラインしたの。いつもすぐ返事が来るのに、既読にもならなくておかしいなって思ってたら」
「あいつは、前からかまってちゃんじゃん」
A子は腕を組みなおした。
春鹿は立ったまま、なぜそんな顔をしているのかわからないが悲壮な顔をしている。
「行く義理もないんだけど、行く必要もないんだけど、今さら私が行く意味も分からないんだけど……。けじめつけなきゃって今朝思ったばっかりなんだけど……。率、頼れる友達とか新しい恋人もいないみたいで……実家にも勘当されてて、かなり高い熱で、せめて飲み物とか薬だけでも……」
「もういいがら」
言葉の途中で、晴嵐は春鹿の手にバッグを握らせた。
財布スマホあるな、と確認し、優しく春鹿の肩を押す。
「いいがら。行げ」
*
真っ暗な部屋で、煙草に火を点ける。
ビジネスホテルの窓からは大したことのない夜景が見えた。
それでも、ネオンやビル明かりの類に縁がない晴嵐にとっては十分都会の夜の景色と言える。
「……あいづの部屋だら、もっとまともな夜景さ見えるんだべか」
春鹿は十二階だと言っていた。晴嵐の部屋は六階だ。
その部屋に、今春鹿が帰っているのかはわからない。
ベッドサイドのデジタル時計で時刻を確認すると、ちょうどあと一分で午前二時だった。
残された居酒屋で晴嵐はA子と二人で少し飲み、その後、通りかかった立ち飲み屋に入り、一人でまた少し飲んだ。
「……全ぐ眠ぐね」
咥え煙草でベッドに仰向けに転がる。
ひどく酔っていたが、頭は冴えていた。
晴嵐は何もない天井をしばらく見つめていたが、やがてサイドテーブルの灰皿に煙草をもみ消して、目を閉じる。
ホテルはしんと静かなようで、その実、正体不明の音で静かにうるさい。
次に目が開いた時、すでに朝日が昇っていた。
ポケットに入れたままだったスマホが震えて、目が覚める。
『おはよう。チェックアウトしました。今から会社行く』
時刻は七時半。
春鹿からのメッセージだ。
『私は今日の帰りは夕方になる。先帰っててくれていいから』
『俺も夕方になる。一緒さ帰んべ』
晴嵐はそう返信すると、今度は布団をかぶって目を閉じた。
その横で、A子は日本酒を晴嵐の猪口に注ぎながら、
「春鹿は実家でどう?」
「……引きごもるようなごともなぐ、なんとが折り合いづげでけでるみだいだ。……本人にとっだら不本意なごとなんだろうけんど」
「ホント、なんなんだろうね、あの春鹿の地元コンプレックスは」
「白銀村さ、A子さんも驚ぐほどの田舎だはんで。望むごとの半分も叶わねようなとごだ」
「春鹿の実家、行ってみたいって何回も言ってるんだけど全く取り合ってくれないの」
「……本当になんも遊ぶとごがねがら。不便だし、これがらの季節は寒ぃし」
晴嵐は手元に視線を落とす。
「私、結構好きでね。トシ取ったら絶対田舎暮らししてみたいし。あ、なに? 簡単に言うなって? そんな甘いもんじゃないって?」
A子は、晴嵐の表情から何かを悟ったのか、あえて自らにツッコミを入れた。
顎で若い二人を示し、
「この子たちにしても、晴嵐くんが独身って聞いた瞬間はあきらかに目の色変わってたけど、だからって一歩踏み込むつもりはなさそうだしね」
「嫁の来手は絶望的だべ」
「村の若い人全員が独身ってわけじゃないでしょ?」
「村に残っでる男はだいたい独身だべ。近隣の村から嫁いで来で村に住んでる子はいるけんど、ほとんどは近くの町に出てそこで暮らしでる。村だと子どもの学校さも苦労するがら」
「思ったより深刻なんだね」
「ま、えがったら一度遊びに来てけ。俺は歓迎するで」
やがて後輩二人が先に帰ると言い出した。
春鹿もA子もその場で見送るだけだ。
常に交通手段があるということはこういうことなのだと晴嵐は思う。
基本、アシがない田舎の場合、誰かが車で送るしか方法はないので、一人だけ先に帰るということがあまりない。
三人だけになったタイミングで、テーブルの上に置いてあった春鹿のスマホが震え、「ごめん、ちょっと電話」と席を立つ。
二人残されたA子が、
「ところで晴嵐くんと春鹿は、not恋愛関係でOKなの?」
「あ!?」
晴嵐は声が出た。すぐ落ち着きを取り戻して、
「まあ、うん」
と頷く。
「でも、晴嵐くんは春鹿が好きでOK?」
「まあ……」
再び、肯定の頷き。
さすが都会の女だ。観察眼が鋭い。
「昔、二人は付き合ってたんだよね? 春鹿は大学からこっちだから、村を出て十六年、になるか。ずっと好きだったの?」
「いんや、それはさすがに重すぎるべ。……感情には、昔に一旦キリさつげた」
「それなのに、まさかまさか春鹿が離婚して帰って来て。まさかのチャンス到来だ?」
晴嵐は言葉を詰まらせる。
「……俺の好意は、春鹿さ白銀に縛り付ける鎖みでなもんだがら。あいづが、本当に本心がら白銀さ戻りでと思ってらんなら、まだ余地もあるばって……」
テーブルの上にちょうどあったおしぼりをぐっと握る。
「……なんが今の春鹿は、戻って来だというよりも、休むだめに帰っで来た、そった気がする。心ここにあらずな時が、たまにある」
元気は元気だ。
しかし、大嫌いな実家で文句を言いながら過ごす方がまだ春鹿らしい。
昔の春鹿にはなかった、憂いとも取れないほどのわずかな陰は、ただ大人になって聞き分けがよくなっただけなのか。
それとも、春鹿の弱さに付け込んだ何かに少しずつ蝕まれているのか。
「晴嵐くん」
A子が言いかけた時、春鹿が戻って来た。
「ああ、春鹿。おかえり」
スマホを、必死、という形容がふさわしい握り方で持ち、表情を曇らせている。
「どうしたの? 仕事? トラブル?」
A子が尋ねるのに、春鹿は首を振った。
「率が」
数秒の沈黙の後、
「元夫が……熱出してるらしくて」
「はあ? 今の電話? で? 春鹿に看病に来てくれって?」
「……午前中に率にラインしたの。いつもすぐ返事が来るのに、既読にもならなくておかしいなって思ってたら」
「あいつは、前からかまってちゃんじゃん」
A子は腕を組みなおした。
春鹿は立ったまま、なぜそんな顔をしているのかわからないが悲壮な顔をしている。
「行く義理もないんだけど、行く必要もないんだけど、今さら私が行く意味も分からないんだけど……。けじめつけなきゃって今朝思ったばっかりなんだけど……。率、頼れる友達とか新しい恋人もいないみたいで……実家にも勘当されてて、かなり高い熱で、せめて飲み物とか薬だけでも……」
「もういいがら」
言葉の途中で、晴嵐は春鹿の手にバッグを握らせた。
財布スマホあるな、と確認し、優しく春鹿の肩を押す。
「いいがら。行げ」
*
真っ暗な部屋で、煙草に火を点ける。
ビジネスホテルの窓からは大したことのない夜景が見えた。
それでも、ネオンやビル明かりの類に縁がない晴嵐にとっては十分都会の夜の景色と言える。
「……あいづの部屋だら、もっとまともな夜景さ見えるんだべか」
春鹿は十二階だと言っていた。晴嵐の部屋は六階だ。
その部屋に、今春鹿が帰っているのかはわからない。
ベッドサイドのデジタル時計で時刻を確認すると、ちょうどあと一分で午前二時だった。
残された居酒屋で晴嵐はA子と二人で少し飲み、その後、通りかかった立ち飲み屋に入り、一人でまた少し飲んだ。
「……全ぐ眠ぐね」
咥え煙草でベッドに仰向けに転がる。
ひどく酔っていたが、頭は冴えていた。
晴嵐は何もない天井をしばらく見つめていたが、やがてサイドテーブルの灰皿に煙草をもみ消して、目を閉じる。
ホテルはしんと静かなようで、その実、正体不明の音で静かにうるさい。
次に目が開いた時、すでに朝日が昇っていた。
ポケットに入れたままだったスマホが震えて、目が覚める。
『おはよう。チェックアウトしました。今から会社行く』
時刻は七時半。
春鹿からのメッセージだ。
『私は今日の帰りは夕方になる。先帰っててくれていいから』
『俺も夕方になる。一緒さ帰んべ』
晴嵐はそう返信すると、今度は布団をかぶって目を閉じた。
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