銀に白鹿、春嵐

佐久間マリ

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初恋の行方1

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 晴嵐とは村でたった二人だけの同級生だ。



 高校からは電車通学で、他の学年に村の子はいたが、電車や迎えの車を待つ時間はいつも一緒で、特に大きなケンカをしたこともない。

 特別気が合うわけではなかったが、互いに理解はしあっていて、仲のいい幼馴染だったと思う。

 

 そのうちに、好きだとか付き合おうとあえて確かめ合ったことはなかったけれど、はた目にも春鹿たちは彼氏と彼女だと認識されだした。当の二人も、いつしかそのつもりになって、だから手を繋いだり、キスもした。

 付き合ってはいなかったが、好き合ってはいた。そして、ちゃんとした彼女の肩書が欲しいと思わないくらいには、日常が彼氏彼女然だった。

 年頃の男女が一人ずつしかおらず、選択肢が一つしかない状況は、いわば食糧危機に瀕していたようなもので、恋に恋していたのだろうと春鹿は思う。

 

 晴嵐はサッカー部で、田舎にありがちなかっこいいワル的なところもあって、市内の高校の女子に至るまで人気があった。よく告白もされていた(分母の問題もあったと思うが)。それでも他の子の誘いに乗ったり、浮気的なこともしたことがなくて、その点では春鹿は今なお、高校時代の晴嵐を高く評価している。



 晴嵐の父親は白銀村の銀細工のいわゆる人間国宝というやつだったが、晴嵐はコツコツ真面目に一つのことを探求するというよりは、好奇心旺盛で次々新しいことに挑戦していくタイプだったので、家業は自分に向いてないと継ぐ気はないようだった。



 しかし、高二のとき、三滝家の工房に、とある工芸作家が勉強しにやってきた。半年ほど滞在していただろうか。



『なぁなぁ、春鹿。先生さ聞いたのだばって』



『春鹿、先生さ言っちゃーのばって』



『春鹿ば、先生が作ったのば見だだな?』



『先生、海外に家ばあるんだとよ』



 当時三十代前半の飄々とした優男だったが、何が晴嵐の琴線に触れたのか、暇があれば工房に通うようになり、晴嵐は『先生』に夢中になった。それまでは部活のサッカーと原付バイクに夢中だったのに。

 村で育った世間知らずの少年に、外からやってきた作家先生のすべてが新鮮で、輝いて映ったのだろうことはわかる。

 しかし、晴嵐は先生が村を去った後も、工房に通うことをやめなかった。



 本人の言うところによれば、最初は先生への尊敬や憧れもあったらしいが、そのうちだんだんと銀線細工というものに魅了されていったらしい。

 茶色く染めていた髪が黒に戻ったころ、晴嵐は自分の将来を決めた。



『前は、おめと一緒さ東京さ行ってもいいど思っちゃーばって、俺、やっぱりこごで銀細工さ継ぎてぇわ』



『そえでいんでね? そもそも晴嵐は工房のうぢの子なんだす、白銀細工ば継いだきや、三滝のセンセもその方が嬉すいびょん?』



 晴嵐と離れることを悲しいとは思わなかった。離れたくないから村に残るなどという考えこそなく、当時、春鹿の東京への憧れに勝てるものなどなかった。そして、伝統工芸のためにこんな田舎にい続けることを選んだ晴嵐にいささか失望もした。



『この細工、本当さきれいだべ?』



『んー? まあね、キレイだばって……』



 ときおり一緒にいるときに、晴嵐が銀細工の美しさを語るのを、春鹿はやや冷めた目で見ていた。



 卒業までは、やっぱりなんとなく彼氏彼女の体で一緒にいたが、別れは意外とあっさりしたものだった。

 それからは、二人が会うのはよくて一年に一度くらいのことだった。



 春鹿は青菜を茹でながら、久しぶりに気分が上向きなその原因を考えていた。

 そして、ひらめく。



「あ、あれに似てる」



 もうずいぶん長い間着ていない昔のコートのポケットに、お気に入りだった小物とかが入ってるのを見つけた時の感じ。



 晴嵐との再会は、いい夢を見た朝の目覚めような、形のない幸福感を与えてくれた。

 恋愛として好きとは言えないけれど嫌いとも言えない、友達でもない、他人でもない。

 さすがに十何年経って、今さら何か起こると思えるほど夢見がちではないが、憂鬱しかない実家暮らしが始まる中で、あの頃の恋が再び芽吹くかもしれない予感に一人勝手に胸弾ませるくらい許してほしい。どうぜ現実が見えてくるまでのささやかな妄想だ。



 と、吾郎が仕事から帰ってきた。

 パートタイムなので夕方、早い時間に帰ってくる。



「お帰り」



「ただいま」



 玄関と炊事場のある土間は同じスペースなので、春鹿は菜箸を持ったまま吾郎に駆け寄った。

 吾郎の荷物を代わりに持つためだ。



「足、どう? 平気?」



「あんなぁ、顔見るたびに言われるのではうるさくってかなわねよ。心配すな。問題ねぇべ」



「だって……」



 確かにここ数日の暮らしぶりをみても、引きずった足のせいで動きがスムースでないくらいで著しく日常生活に支障をきたしているというわけではなさそうだ。介助が必要なことはひとつもない。運転を除けば。



 再びガスコンロに向かいながら、「洗濯するものあったら……あ、父ちゃん!」



 居間にあがる父の背中を追いかけた。



「晴嵐にバレた! 昼間、晴嵐が来た!」



 吾郎はテレビのリモコンを持ちながら、「どっこいせ」とこたつテーブルに腰を下ろし、「せいちゃんには一番に知れるどは思ってあったばってやっぱりなァ」と苦笑している。



「最初に気づいたのは、父ちゃんがジャリさん家に飲みに行ってないからだって言ってたよ。毎日行ってたの?」



 青菜の処理をキリのいいところまで終えると、春鹿も居間のテーブルにつく。茶の間に常備されているポットでお茶をいれはじめた。



「毎日でねえよ。邪魔すんのは、嫁さんが食堂の仕事さ出る夜だげだべ」



「奥さんのいないときに上がり込むって、それジャリさん家にすごく迷惑になってるんじゃないの?」



 ジャリさんこと砂利じゃり酒店は、地元住民に酒や灯油もろもろの配達を仕事にしているお宅だ。販売営業はしていないが、店舗兼住宅(というより、一部が店っぽい家のような)になっていて、一応そこには埃をかぶった化石みたいな品物がおいてある。



「とにかく、今夜でも明日でもいいから、村の人が怪しむ前に顔出してきてよ」



「だばって、今夜はおめが夕飯作ってぐれてらんだべ」



「別に大したもの作ってないから」



「そうが? おめの飯、わりと旨いべ」



「それは嬉しいけど。明日の朝、食べてくれればいいからさ」



「そうが? では今夜行ぐべがな」



「どうぞどうぞ。いってらっしゃい」



 湯気の立つ湯呑を吾郎の前に置く。



「でも、お世話になりっぱなしは申し訳なくない? 持ち寄りパーティー的なものなら、何か持って行けば?」



「急にそったもの持ってえぐど、余計さおめの存在怪すまれるってばよ」



「……それもそうだ」立ち上がろうとして、また腰を下ろす。



「あの家の嫁さんは料理作るのが好ぎなんだわ。だから、肉やら魚やら持って行ってらす。酒は店のを買って飲むがら売り上げに貢献すてるさ」



「そうなの? ならいいけど……」



 いつもは二、三人、多い時は十人くらい集まるらしい。

 飲み屋もなにもないこの村で、そのような場を提供してもらえるのは、吾郎をはじめ村の呑兵衛にはありがたいことだろう。



「せいちゃんもたまに来る」



「へぇ、晴嵐飲むんだ」



「あいづは大酒飲みだべ」



「すっかり田舎のオッサン化しちゃって」



 吾郎の夕食がいらないとなると作る気はなくなった。

 春鹿一人なら適当に冷蔵庫にあるものを食べればいい。

 しかし、作りかけの物はなんとかしなければならないと、再び、春鹿が立ち上がろうと机に手をついて、

「ねぇ、晴嵐って結婚したっけ?」



 結婚したという話を吾郎からは聞いたことがない。

 晴嵐も、春鹿と同じ来年には三十五になる。



「……ああ、せいちゃんはまだ独身だべ」



 吾郎の返事に一瞬の間があったように感じた。

 春鹿に背中を向け、テレビに見入っているので表情はわからない。

 ただ、言葉は続いた。



「独身だが……」



「だが? ……なに?」



「なぁ、ハル」



「はい?」



「わしが怪我すて、おめがダンナと別れで、この村さ戻ってぎだのも何がの縁がもすれんとは思ってら。ばって、ただの懐がしさを惚れだ腫れだの話だと勘違いするのだけはやめどけよ」



 冷水を浴びせかけられたというほどのショックではなかったが、夢見る時間はあっという間に終わり、早くも現実に引き戻されたくらいの驚きはあった。



「……わかってるよ。若くないんだし。そんな軽はずみなことしないよ」



「軽はずみでねなら好ぎにすればいげぃど。せいちゃんもいいトシだ。縁談くらいはあらばべ」



「縁談って……あいつ、そんな格式ばったおつきあいしてんの? ってか、それ以前にない。ないない。大丈夫よ。村の人に恥ずかしいようなことは絶対しないから」



 この村に戻ってきたのは、大きな目で見て一時的なものだと春鹿は思っている。

 だから、やっぱり村とは深くは関わらない。

 そもそもが積極的にかかわろうとするスタンスではなかったが、やっぱり、と改めて誓う。

 誰とも。

 晴嵐とも。



 春鹿は冷蔵庫を開けて、また閉めた。一瞬だけ、ポケットにあるスマホを意識したが、すぐにエプロンを外しながら居間を覗いた。



「父ちゃん、そろそろ買い物行かなきゃだわ。疲れてるところごめんだけど、今から乗せて連れて行ってもらえないかな」

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