塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

文字の大きさ
上 下
94 / 97
—桜に還る—

あとは、桜しか

しおりを挟む
 腕のなかの瞳と、少しふてくされて妙なかたちに引き結ばれた唇で。言葉には現れていなくて。
 ありのままで、こころを飾ることが実に不得手な、よわいを経てもなお純朴にすら映る男の、混じり気のない感情が眼のなかでほわと開く。
 吐息のような、流石に吹き出しと捉えられるのは憚るような笑みが、漏れて目尻の皺が色濃く刻んだ。

『ごめん』

 どんな色をしていても。たとえ彼が、自分の欲しい『色』で自分を映してくれていなかったとしても。
 彼の穏やかな眼差しで、その瞳のなかで、彼から溢れる温かな感情のなかに、
自分がすっぽり埋まってその色に染まっている姿を見つけるだけで、
それだけで充分だったし、 しあわせだった。

 その彼の眼差しが、今まで知っていたものにはない濃さで、密で、ひとりの男としてのあやと熱を宿していたのを、
目前の彼の瞳に、過ぎったかどうかの刹那だった。


『子どもだなんて思ったことなんか、ないよ』

 透は、透でしか見たことなんか、ない。

 白い額を隠す濡羽色の髪が、微かな春のそよぎで揺れていて、
その下の、切れ長なのに、黒目が無音の『言葉』を潤沢に訴えてくる、純粋な墨染めの硝子玉みたいな瞳が、自分を見上げている。
 いつも、この瞳で、つよく囁いて。瞳の指で、差し伸べていて。
 いまは、もう少し屈まないと見えないけど、その白い頸の左側面にある、彼の情念の火種のような、
そののどに詰まった言葉おもいを呑みこんで、一緒になって密かにふるえている、黒子のことも、
全部、全部知っていたのに。見ていたのに。


『…………そうだな』

 ありのままに見えて、本当はまた彼も隠していた、
犯した罪に指先まで染められた自身の呪わしさ、
彼が彼であるために、この社会せかいに生きていくために、附着して身に纏っていたあらゆるもの。
 彼の奥底にある鎧われた扉の軋む音を、
同じところまでついに沈んだ彼は、その腕のなかで、
新月から漏れ兆すひかりのように、聞いた気がした。


 過ちを赦され、罪の枷を外され。
 真っさらな、何の取り繕いもそぎ落とされた、
このこころとからだしか、この身には、もう残されていないのだから。


『目の前には、もう、お前しか いないんだからな』


 あとは、桜しか、俺たちのことを見ていないんだから。

 放たれた眼差しがとらえたいと揺り動かされたのは、黒い瞳だった。
 それだけじゃない。

 空虚な呪いを吐いたことも、微笑ましいむつごとも。
 自分のために、こころをくだいてうたってくれた唇を。
 その唇で洗礼を施された右掌で、白い顎から、攫うために掬った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

年越しチン玉蕎麦!!

ミクリ21
BL
チン玉……もちろん、ナニのことです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

怯える猫は威嚇が過ぎる

涼暮つき
BL
柴嵜暁人(しばさきあきひと)は あることがきっかけで以前勤めていた会社を辞め 現在の職場に転職した。 新しい職場で以前の職場の人間とは毛色の違う 上司の葉山龍平(はやまりゅうへい)と出会う。 なにかと自分を気に掛けてくれる葉山や 先輩の竹内のことを信頼しはじめるが、 以前の職場で上司にされたあることを 今の職場の人間に知られたくなくて 打ち解けることを拒む。 それでも変わらず気に掛けてくれる葉山を意識するようになる。 もう誰も好きにならない そう決めたはずなのに。 好きになってはいけない──。 ノンケの葉山に対して次第に膨らんでいく気持ちに戸惑い 葉山と距離をおこうとするが──? ホテルを舞台に繰り広げられる しっとり切ない大人のメンズラブ。 ※以前外部URLで公開していたものを  掲載しなおしました。

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

「恋みたい」

悠里
BL
親友の二人が、相手の事が好きすぎるまま、父の転勤で離れて。 離れても親友のまま、連絡をとりあって、一年。 恋みたい、と気付くのは……? 桜の雰囲気とともにお楽しみ頂けたら🌸

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

処理中です...