塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—彼の伏せた横顔—

静かなひと

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「……兄とは、頻繁にではありませんが、手紙やの面会を通してやりとりをしていました。
そのなかで、どうやらどなたかと、……"交流"をしていたらしいことが判りまして。
詳細は、追ってお話し出来ればと思いますので、今は控えます。
……兄は、高階さんのお名前を出すことはありませんでした。具体的に、どこの誰、と判るような伝え方もしませんでした。
規則ですので、当然他の収容者の方の情報を洩らすことは出来ません。
…………私が。私が、その方のことを知りたくて、一人で探して、……高階さんを見つけました。
きっと、高階さんだろうと。……ご出所がまもなくと知って、こちらの道には、午前中の間に出所される方が多く通られますので、近頃は、こちらに足を運んで、……高階さんのことをお待ちしていました。…………申し訳ありません」

「…………いえ」

 天川と彼女とのやりとりの内容は窺い知れないが、あの天川が身内とはいえ内部の事情をあけすけに漏らすとは考えにくく、俺を特定することは、容易ではなかった筈だ。
 そこまでして彼女が俺にたどり着きたかった理由、そして喪くしたと思っていた天川の欠片を、気が遠くなるほど時を経た今、まだ少しでもふれることが出来るのかと、その吸引が彼女の言葉へと俺をつよく惹きつける。
 楓は、爛漫と誇る花弁の群々むれむれに目をほそめ、また視線を地に落とした。

「兄は、静かなひとでした……。勉強や運動や……、特別に惹かれるものはなかった様子で、そのため秀でたものもなく、夢中になる、趣味も持っていなかったような気がします……。
ほかから見れば、大人しく、突出したものがない存在だったかも知れません。
ですが、私は兄が好きでした。兄は、三つ年かさでしたが、いつも落ち着いていて、物静かで……。頭ごなしに激昂するようなことなど勿論なく、私が呼べば、受け容れるように静かに微笑わらって、私に応えてくれる顔が、好きでした。
……小さい頃は、よく膝に乗せて、絵本を読んでくれたのです。兄の語り口調は静かでしたが、でもきちんと情感が伝わる読み方をしてくれて、とてもわくわくしました。それが大好きで、何度もせがみました。
……家には、本が沢山ありました。特に、絵本が……」
「……」
「……父は、大学で教鞭を執っていたのです。児童文学を専門として」

 『父』、という言葉と、その知られざる背景に俺の眉間と眼許へ複雑に険が刻まれたのが、伝わってしまったようだ。
 楓は音を立てずに顔を上げる。

「高階さん……。…………兄が罪を犯した経緯は、お聞きですか……」
「…………おおよそのことは」
「父のことを、……お話ししても宜しいですか」
「……天川に、繋がるのなら」
「有難うございます」

 楓の唇から、心づもりのような吐息が漏れた。

「父も、静かなひとでした。優しく、繊細で、いつも自分の世界に閉じ籠っているような……。
そんな父を、母は自分が現実社会に繋ぎとめなければならないと、躍起になっているように見えました。判りやすい伝わり方をしていませんでしたが、……きっと、どこか捉えどころのない父に、昔から本当は夢中だったのです。
娘として、父からは人並みの愛情は与えて貰っていると感じていました。
しかし、父の兄への愛情は、格別でした。……思えば、父は児童文学のなかでも、『少年』が深く描かれたものに、つよい熱を宿していたように憶えます。
星座の国の、ずっと子供のこころを持ち続ける王子様、御伽草子に現れる、前髪を乱して鬼を退治する稚児……。……"少年性"を、愛していたというか……」
「…………」
「だからといって、父は兄を、"少年"のまま留めておきたい、という訳ではありませんでした。
とおるは透のままでいいんだ』
古いしきたりになぞらえた、破られることのないまじないの様に、父はその言葉を繰り返していました。
父にとって、兄はまさに、天から授けられた再びは得ることの出来ない、煌めく宝石の結晶のような存在だったのです。
学術に長けた父を持つ身でありながら、凡庸な兄を、母は私たちの手前言葉は抑えていましたが、落胆する言動をしばしば漏らしていました。
その度父は、『何を悲観することがあるんだ。透が透であることに、これ以上素晴らしいことはないだろう』と、母を優しく諫めていました。
私も、兄自身が頓着している節がありませんでしたし、"何か素晴らしい成績を修める"兄に興味はなく、当たり前のように、兄がくれることに、空気のような安寧を覚えていました。その点では、父と想いは同じであると、"信じて"いました」
「……」
「ですから……」

「父は、 兄を"こわそう"とは、想っていなかったと思うのです…………」

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