塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

文字の大きさ
上 下
43 / 97
—その外へ—

それでもあなたが

しおりを挟む
 刑務官は原則笑みを湛えない。所内の保安と秩序維持を主幹とし、囚人の鑑となるよう、己も厳しく律する必要がある。
 受刑者に間隙すきを掬いこまれないように。『情』を前面に押し出した応対は、まず履き違えている。
 園山も、聡明な顔貌が冴える能面を常に貫いていたが、そこからは、生きた揺らぎや信念がまぎれもせずに仄見えていた。——今も。

「法務大臣から執行命令が出て、天川の執行に携わることになって、五日間、遠くからあいつのことを視ていた。
執行は、事前に対象者に気取られることは、何としても避けなければならない。俺は担当じゃなく、取りたてる接点もなかったから、問題なかった。
俺にとっても、初めての係わりだった。余計な私念にとらわれず、あいつも、俺も、五日をやり過ごして、少しの滞りや労苦も取り除き、異状なくその日を迎えて『遂行』しさえすれば、良いのだと……」
「……」
「改めてあいつを見つめているうちに、……気づいたことがある」
「……」
「あいつも、人間ひとだと。受刑者である前に、ひとりの人間だと。
当たり前だが、特に何も起こらない、変哲のない日々だった。単調にその日をやり過ごしていく時間……。
だがそれでも、あいつの、天川の身体には、日々ささやかな生命いのちが確かに息づいていた。
……俺は本当に目先が暗いな。単調にも見えるその繰り返しも、かけがえのない塊だったんだ。
……知ってたかどうかは判らないが、そのなかでも、あいつが唯一人間らしい感情というか、温かさや恥じらい、若い皮膚から溢れでるような、素の表情をほどいて見せていたのは、お前の前だけだった。
というか、他の奴なんかそもそも眼中に入れていない、離れていても、お前のことしか見ていなかった」

 どこを見つめていいか判らず、ただ空を睨む。
 澄みきる、ひかり。温かさ。
 誰かも見ているのか。その誰かのような澱みのないきよらかな空気を肺に取り入れて、
この胸に去来する熱い揺るがしを、彼の静謐さで満たして、鎮めようとする。

「……俺は、徐々に惑ったよ。このささやかな生命いのちを、受け止めることが出来るのか。もうその時には機械のようにあいつを送り出すことは、嫌だと思っていた。
あいつの苦しみ、怖れを、少しでも拭い払い平穏な境地で充たしてやれるのか。そして俺は、俺も、その時平常でいられるのかと」
「…………」
「判らないまま、その日を迎えた。……あとは、あの朝に伝えた通りだ。結果として、至って問題は起こらなかった。あいつが、至極立派だったからだ。
……讃える、という言葉をいくら使っても足りないくらい、偉かったなあ。本当に。
俺だって怖ろしかった。情けない。あいつの方が何千倍も怖ろしかったろうに。だから握ったよ。あいつの。構わないから、望む限り連れて行けって思った。
……恥ずかしい話だが、『園山! 天川を動揺させてどうするかあ!』と主任からは叱責されるし、俺の方がよっぽど切羽詰まった状態になっていた。
天川の方がぽかんとしてて、穏やかだったな。静かだった。とうに、自分のこころを一度定めていたんだろうな。
俺の方が受け容れられた気がして、そして、託されたよ。しっかりと。
——それは、お前に残らず渡しきった」

 眼の前に掲げていた右を凝らすように見て、それを握りこみ、園山は俺に眼を移した。
 憶えている。今も知っている。残っている。
 忘れたことはない。ふたり分の温もり
 そして、俺には成し得なかった、あなたが天川の傍にいて、その掌をつよく包んだ、それがあったから、間違いなく彼はひかりのなかへと発つことが出来たんだ。
 園山に眼を合わせなくとも、この左掌を握りこむことで、彼に応えて、それを伝えられていると信じた。

「天川の熱はなくしたくなかった。この熱は、俺のなかに残して、未来さきへ繋げていく必然になる。
ここに蠢いている奴等の生命いのち……。それに添うことで、ひいては、この生きる社会へ還元されていくものになるのではないかと。俺の心持ちが、水を流れるようにそう辿った。
天川が、いのちを以て注いでくれた……」
「……」
「あとは、個人的な事情で悪いが、……紡希つむぎが生まれたのは大きかった。もう俺だけの生じゃないと。己を滅してでも、添わなければいけないもの、その存在いのちを護らなければならないものがある。
お前の調書にもよく目を通したが、何度も胸に問われるものがあった。果たして、俺がお前と同じ立場なら、『対極』でいられるのか。お前に、ことわりのみの審判を下すことが出来るのかと」
「…………」
「そうやって、関心ないと切り捨てていた受刑者お前達に揺り動かされて、今、この位置にいる。ずっと、惑って問うたままだよ。
導かれてるのは、きっと俺だ。……だが、ひねた性根は中々直らないんでね。他人の人生に深入りはごめんだ。あくまで俺は道の脇で観ている域を超えない。その考えは変わってないよ。
……職務だけはこなして『看守長』の皮を被ってる、こんな奴に、先導する『先生』と呼ばれる、謂われはないんだよ…………」

 曲がらない精気。彼の凛然とした立ち姿に、揺れ動くこの身はいつも皮膚から締まる思いがした。
 それが、常に敷かれていた鉄線が僅かに解かれて、苦味を帯びた自嘲の素の笑みで、湛えられている。制帽の陰で。この門外で。

 答えは、変わらない。うちでも外でも。
 鉄線を纏っていた彼に、覚えず俺は、ありのままの姿で、見せてばかりいたようだった。
 最後まで、それは変わらず、いつの間にかこの内の楔が融解していた俺は、こころからの言葉を、気負いなく彼に手渡していた。

「それでも…………。それでも、あなたが俺の『先生』であるのに、変わりはないですよ……」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

年越しチン玉蕎麦!!

ミクリ21
BL
チン玉……もちろん、ナニのことです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ヤンキーDKの献身

ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。 ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。 性描写があるものには、タイトルに★をつけています。 行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

処理中です...