塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

文字の大きさ
上 下
41 / 97
—その外へ—

門外の景色

しおりを挟む
 門外へ押し出され、そこから拡がる世界の、瞬時に郷愁へさそわれた俺は、しばし忘我に埋もれて、失われていたこの世界の、再びこの身が地に足を着け五感へ吸収されていくことへの、うちなる悦びに浸っていた。
 園山も門に敷かれたレールを踏み越え、高く昇っていく陽で満たされた蒼を仰ぎ、こちらに眼を移す。

「どうだ、久しぶりの『外』は」

「…………怖いですね。正直に」

 釈放間際から感じていた胸のうちを、偽りなく漏らしていた。
 だが彼がやって来て、そこに言葉そのままの翳りは含まれていない。
 容れるように頷き、園山は否定をしなかった。

 どの言葉を、どの挨拶を、『最重要の詰め』を、どう伝えたら良いのだろう。
 きちんと伝えきる形で、顔を合わせて、永年の謝意を必ず手渡したいと思っていた。 
 別離わかれをうやむやのまま迎えたくない、悔いのない区切りを残したいと願っていた人物が、いざ目の前に現れて、どこか互いに、口の中に言葉を含んだまま、どこから取り出したらいいのやら、伏し目と含み笑いを繰り返しながら、無言になる。

「何だよ」
 ふたりきりになったのが久しぶりで、今までも、正直他の受刑者や刑務官達に較べると、"ありのまま"のていで接してきているな、とは思っていた。
 今ふたり、『外』に出て、それがより濃厚になった不遜な腕組みで見上げてくる。

「老けたと思ってるな?」
 つい見つめていたからといって、そんなつもりな訳ない。
 何を今さら、と吹き出してしまう。「お互い様でしょう、」と。

 いやいや、と改まって目の前の彼を見直す。
 初めて会った時、彼はまだ二十代で、若いながらも入所は遅咲きのノンキャリア組、銀の階級章に銀線一本、一番下の『看守』だった。
 それでも、縦割り社会の上部との軋轢に辟易していただろうが、あの頃から先進的な物の見方と、英邁な眼の輝きは片鱗でなく覗かせていた。
 俺も罪と罰を下された三十代、自暴自棄と罪滅ぼしの懊悩を繰り返し、それでも誰かの役に立ちたいともがいていたところ、天川と出会い、彼の世話を焼きたい、彼のまだ純粋な瞳に光が灯ればいいと、仕舞っていた歌まで詠んで気を惹いていた。
 それが今、天川を、まだ若くきっと彼も深い傷みを負って見送ったであろうその姿は、金の階級章に三本の金線、その煌めき、名実ともに純然たる看守長の風格を身に纏い、堂々の威風に吹かれている。
 もう二度と、このを踏めないと棄てていたこの身が、門外でこの姿の彼に見送られる、こんな景色を見られるなんて、ひとの辿る巡り合わせの、なんて未知なことだろう。

「……こころの曲がらない若さとひたむきさは、変わらないと思います。
でも、本当に立派になられたと思って…………」

 感慨深い、という言葉をまさにこころと唇でしみじみと感じて、口に出していた。
 ふん、と満更でもなさそうだが、まだ畏まった振る舞いの俺に何か含みがあるのか、園山は眉を上げていた。

「お前も、変わってないよ」
「……」
「まあ、流石にな。昔のような張りと艶はないよ。負ってきた辛苦が凄まじいからな。常人にはない辛酸が、余計渋みを与えてるというか」
「……枯れ具合は、自分でも身に沁みて解ってますよ」
「うん。だが内の、底に墜ちても、歪まなかった心根の誠実さというか。本来の気質なんだろうな。やさしさ、温かさ、添うのをいとう気がしない心地……。こいつになら、託せるかも知れない、というものは失われなかった。……そこに惹かれる奴も沢山いたし、信じてる人たちも、だからずっといた」
「……」
「……昨年の暮れは、辛かったな。……どうしてこんなことになるんだろうと、見えもしないものを、俺も強く恨んだよ。流石に浮上することが出来るのか、ここまで来て途方に暮れるんじゃないかと、随分気を揉まれたが……」 

 千景が旅立ったことをしらされた時も、彼は傍らにいた。
 憂うように想いを馳せた視線は、だがすぐ俺の背後の蒼空ごと見上げるような、爽快なそれへと晴れる。

「まだ、いけそうだな? もう何花かは、咲かせられるんじゃないのか?」
「まさか、もうそんなことは……」
「にしては何だこの落ちてない胸筋は? 上腕筋も。脚も、全身か。これ無駄にして到底隠遁は出来ないだろ」
 五十過ぎでこの体とは、マシンもない環境で、集中した鍛錬は侮れないんだなと、真剣な顔をしながらぐいぐいひとの全身に指を押し込んで確かめてきて、
結局体力が衰えるのは嫌で、雑念の払拭にもなったし、結果復職にも備えられて続けてきただけで、
やめて下さいよと、門前で中年二人、間際に何を戯れてるんだろうと笑いが零れ落ちてくる。

「……古巣に、戻ることが出来るんだって?」
「はい……。本当に信じられないですが、当然元いた部署でも、現場でも使われはしないでしょうけど、裏でも何でも……。これからの、後任の礎に少しでもなれたら、と思っています」
「うん……。……まずあり得ないな。本来なら」
「そこに届くことなんて、所長や、園山先生たちの力添えがなければ、到底及びもつきませんでした。……有難うございます」
「俺は何もしてない。手近な場所から、突っついてただけだ」

 感謝すべきは、陰からも日向からも、残って支え続けていた人たちだろうと、
園山はまたてんを仰いだ横顔を、どこかへ馳せるように向けた。

「俺も、明日にはもうここにいないよ」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ヤンキーDKの献身

ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。 ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。 性描写があるものには、タイトルに★をつけています。 行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。

泣き虫な俺と泣かせたいお前

ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。 アパートも隣同士で同じ大学に通っている。 直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。 そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。

怯える猫は威嚇が過ぎる

涼暮つき
BL
柴嵜暁人(しばさきあきひと)は あることがきっかけで以前勤めていた会社を辞め 現在の職場に転職した。 新しい職場で以前の職場の人間とは毛色の違う 上司の葉山龍平(はやまりゅうへい)と出会う。 なにかと自分を気に掛けてくれる葉山や 先輩の竹内のことを信頼しはじめるが、 以前の職場で上司にされたあることを 今の職場の人間に知られたくなくて 打ち解けることを拒む。 それでも変わらず気に掛けてくれる葉山を意識するようになる。 もう誰も好きにならない そう決めたはずなのに。 好きになってはいけない──。 ノンケの葉山に対して次第に膨らんでいく気持ちに戸惑い 葉山と距離をおこうとするが──? ホテルを舞台に繰り広げられる しっとり切ない大人のメンズラブ。 ※以前外部URLで公開していたものを  掲載しなおしました。

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

しのぶ想いは夏夜にさざめく

叶けい
BL
看護師の片倉瑠維は、心臓外科医の世良貴之に片想い中。 玉砕覚悟で告白し、見事に振られてから一ヶ月。約束したつもりだった花火大会をすっぽかされ内心へこんでいた瑠維の元に、驚きの噂が聞こえてきた。 世良先生が、アメリカ研修に行ってしまう? その後、ショックを受ける瑠維にまで異動の辞令が。 『……一回しか言わないから、よく聞けよ』 世良先生の哀しい過去と、瑠維への本当の想い。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

恋した貴方はαなロミオ

須藤慎弥
BL
Ω性の凛太が恋したのは、ロミオに扮したα性の結城先輩でした。 Ω性に引け目を感じている凛太。 凛太を運命の番だと信じているα性の結城。 すれ違う二人を引き寄せたヒート。 ほんわか現代BLオメガバース♡ ※二人それぞれの視点が交互に展開します ※R 18要素はほとんどありませんが、表現と受け取り方に個人差があるものと判断しレーティングマークを付けさせていただきますm(*_ _)m ※fujossy様にて行われました「コスプレ」をテーマにした短編コンテスト出品作です

処理中です...