塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—その外へ—

朔(ついたち)

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 元旦。53回目の誕生日を迎える。
 年末年始は所内も閉じていて、外部との繋がりは途絶え、冷えた独房内で迎えるこの日に、数を数える喜びもはなから失していた。
 一緒に迎えられる日はもはや夢、けれどやがて、いつかはもしや、とそれも何度も夢見てきた。
 かつての温かな自宅へやで、あけましておめでとうだけじゃないよと、祝い箸、目の前の椀にあるものが飛び出してきたのかと、柔らかなまる餅のような頬を押しつけてきて、陽まりに抱きしめられた。 

 共に過ごすひとは減ったとしても。
 それを支えに、拘置所ここでの生活を心身をにして、目蓋を瞑って掻い潜ってきたようなものだった。
 だが、それもついえた。

 この日ほど、虚ろな半身を覆い被せたまま迎える日は、なかった。
 未景から託され、一筆をしたためたカードが懐中にある。
『お誕生日 おめでとう』
 千景の、まだ流麗な文字のかたちを保っていた筆によるもので、書けないと予期したのか、言うことは叶わないとっていたのか。
 いづれにしても見るほどにこころを抉られるが、彼女の最後のいのちの燐光が昇るようで、褪せない芯の美しさを見るような椿の写しの狭間、しるしされたその一筆を掻き抱くように身を伏せ、三が日を過ごす。

 閉所中の膳にまたひと欠片の時節の彩りが配られる。
 おせち。紅白饅頭。雑煮。鶏肉の酢が効いた照り煮。
 毎年、思い出す。今年は、特に、逢いたかった。
 三が日を経て、作業の間に間に、また彼の顔が見られたらと、仕事始めに湧く沈みを打ち消さない年は、きっとなかった。
 逢えたとして、どうするつもりなのだろう。
 まだ若木の芽のような青さも残る彼に、慰撫を求めているのか。
 出来るのなら、空虚の硬い膜を素地にしつつあった彼の、それが少しでも柔く解きほぐれてくれたらと思っていたのに。
 情けない。相当に、深手を負っているようだと自分の傷心の有り様を改めて省みる。

 銘々皿に白と薄桃の円い小さな饅頭が、揃って慎ましい寄り添いを見せている。
 餅があるのだから、一つで良いんだと、食に対する欲も慎ましやかだった彼は、何がおかしいのと屈託なく瞳を瞬かせていた。

 傷心を掻き抱いて、いつまでも蹲っている訳にはいかない。
 あらゆるものたちに選ばれて、俺はまだ、この地に残されているのだから。

 餡子が内奥した、白い饅頭を手に取る。
 一つでは、きっと足りないんだ。
 揃って、意味を成す。意味を生じさせるために、ふたつが並べられている。ひとつには、必ず他のひとつ達が添って、何かが生まれていく。

 誰かの分も、というように、大事に二つもろとも、順に口に入れて残さず、その甘みをしっかりとかみしめた。



 三が日明け早々、地方更生保護委員会の請じを受け、面接に応じた。
 本面と呼ばれる、この後異議が上らなければ、数ヶ月後には仮釈放を迎える、最後の最も重要な局面だ。
 もう少し。せめて、あともう少し早ければ、という悔やみはどうしても拭い去れない。
 更生を見定めるため、威圧的な態度をかざす面接官にも、それを触れる際には悼みの色が垣間見えた。
 私的な事情は見せない。個人としての再生を偽りなく示して、俺を信じてくれていたひとたちに、漏れなくただ還すのみだという信念は揺るがなかった。


 睦月、如月。一月は年の初めの奔流に流されるように押されて、二月は日数も少ないためか、気づいたら月の末を見るのも早かった。
 弥生。冬の厳しい寒さはなお続くが、その響きは春の朧ろを予感させた。
 季節の移ろいを見つけたくて、拘置所ここにいる時は、窓を見つければその向こうを凝らすように見るのが癖になっていた。

 作業ルームでの窓外からの陽射しを受け、職務にやがて没頭していく感覚は心地良い。
 三月は決算、年度末を控え、各部署、所員総出で不備なく業務を完遂することを暗黙の到達地点とし、邁進していく。
 作業量が増え、流れ作業にならないよう標目と金額の異和がないかを都度確認し、処理済みのフォルダへファイルを落としていくと、看守部長の山下から声をかけられた。

「高階、午後から部屋移って貰うから、急で悪いけど、休憩の時荷物まとめて貰えるか」

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