33 / 97
—ゆるしの壁—
聖夜、前夜
しおりを挟む
冬の深淵に降りつつある。一日を通して、寒さに皮膚の萎縮が和らぐ時間を見つけるのが最早難しい。
冬の底は、そこから長く昏い洞穴を進み続けるのに似て、寒さを脱ける匂いたつ春までは、まだ遥かに遠い。
けれども、イヴ、クリスマス、年越し。
旧い年への餞にか、世間の繁華は最盛を迎える。
塀のうちでも、ささやかな心配りか、配給の食事にその彩りが少しばかり添えられ、断たれていると決めていた世情との繋がりが、思いがけず目に見えるかたちで浮上させられる。
だが、外に家族を持つ囚人は、共に越せない虚しさ、失くした過去を想い起こすのか、それを受けとる彼等の表情は愁心を帯びたものが多い。
虚しさ、沁みいるように伝わる。だとしても、こころは愉しく、温かな頃の情景を求めるように誘われた。
陽まりに最後に贈ったクリスマスプレゼントは、何だったかな。
ティティがいなくなってから初めての聖夜で、希望を聞いて、同じくらいの大きさの、白い猫のぬいぐるみだった。
愛しさをうずめるようによく抱きしめ、嬉しそうに新しい友達にしてくれていた。
千景には、馬蹄のモチーフに星屑のようなダイヤを散りばめた、純度を抑えたゴールドのネックレスだった。
家庭を持ってからも、そこに嵌まらないものを贈ると千景に喜ばれた。
結婚前のいつかのイヴ、宵闇に泳ぐように入ったホテルのバー、そぼるような照明が半身に滴り、
深海を想わせるピーコックグリーンのカクテルドレスの襟ぐりの上、一貫して顔の小ささが際立つ顎の横で切り揃えられたボブ、白い鎖骨の窪みに一粒ダイヤのネックレスが映えていて、白ワインを傾け何かを語っていた彼女の姿は、
耳に入る内容は文字通り話半分だった、繰り返し憶え返すほど、美しく煌めいていた。
タイピングを誤りそうになり、ボックス内の式を確認するように背筋を伸ばす。
この頃の所務作業は、垣間見える仮釈放を据えて、所内の幹にまつわる経理作業や外部から委託されたファイルの編集など、より社会の実務に即したものを、園山たちが担わせてくれるようになっていた。
長らく触れる機会を逸していたパソコンも、かつての事務作業を、元いた水の感覚が血へも巡っていくような、運ぶ指のまま羅列していく文字、複数のディスプレイをまたぎ展開する画面、マウスを包む掌の感覚も違和がなくなるのにそう時間は取られなかった。
……こういうことこそ、天川にやらせてあげたかった。
『俺、何も出来ないよ。パソコンも別に得意じゃなかったし』
パソコンを扱う受刑者を遠目に、頓着しない表情で呟いていた。
あかみどり クリスマスなぜ あかみどり?
末尾に、可視化できるほどの疑問符を浮かべた黒瞳をして、寒さで少し赤剥けた鼻先と頸を傾げて見上げてみせる。
所内、共に触れた折々の事柄、それがまた時を経て重なったり、鬱蒼とした闇にこころが沈みそうになると、
自然彼を想い返すのがいつの間にか身についていて、切なさ優しさ入り混じるも、口許とこころがまた綻んでいた。
視線が繋げられたままでいた気がして、作業ルームの扉口を振り返った。
官服姿の園山が、元来の対象物を確と見定める眼をして、だのにどこか浮遊した角度で俺を認めたまま、佇んでいる。
何か……? らしくないその逸れたこころを、手首から引き戻すように俺は目で問うた。
密かに我に返ったような園山の眼に、差すような光が戻る。
「——高階、 面会だ」
真直ぐに、俺を見据える黒い眼差しは変わらない。
自負に溢れる、精気。その色は、静かに、真摯に、沈着に地へ足を着けている。
「仁科未景さん……」
冬の底は、そこから長く昏い洞穴を進み続けるのに似て、寒さを脱ける匂いたつ春までは、まだ遥かに遠い。
けれども、イヴ、クリスマス、年越し。
旧い年への餞にか、世間の繁華は最盛を迎える。
塀のうちでも、ささやかな心配りか、配給の食事にその彩りが少しばかり添えられ、断たれていると決めていた世情との繋がりが、思いがけず目に見えるかたちで浮上させられる。
だが、外に家族を持つ囚人は、共に越せない虚しさ、失くした過去を想い起こすのか、それを受けとる彼等の表情は愁心を帯びたものが多い。
虚しさ、沁みいるように伝わる。だとしても、こころは愉しく、温かな頃の情景を求めるように誘われた。
陽まりに最後に贈ったクリスマスプレゼントは、何だったかな。
ティティがいなくなってから初めての聖夜で、希望を聞いて、同じくらいの大きさの、白い猫のぬいぐるみだった。
愛しさをうずめるようによく抱きしめ、嬉しそうに新しい友達にしてくれていた。
千景には、馬蹄のモチーフに星屑のようなダイヤを散りばめた、純度を抑えたゴールドのネックレスだった。
家庭を持ってからも、そこに嵌まらないものを贈ると千景に喜ばれた。
結婚前のいつかのイヴ、宵闇に泳ぐように入ったホテルのバー、そぼるような照明が半身に滴り、
深海を想わせるピーコックグリーンのカクテルドレスの襟ぐりの上、一貫して顔の小ささが際立つ顎の横で切り揃えられたボブ、白い鎖骨の窪みに一粒ダイヤのネックレスが映えていて、白ワインを傾け何かを語っていた彼女の姿は、
耳に入る内容は文字通り話半分だった、繰り返し憶え返すほど、美しく煌めいていた。
タイピングを誤りそうになり、ボックス内の式を確認するように背筋を伸ばす。
この頃の所務作業は、垣間見える仮釈放を据えて、所内の幹にまつわる経理作業や外部から委託されたファイルの編集など、より社会の実務に即したものを、園山たちが担わせてくれるようになっていた。
長らく触れる機会を逸していたパソコンも、かつての事務作業を、元いた水の感覚が血へも巡っていくような、運ぶ指のまま羅列していく文字、複数のディスプレイをまたぎ展開する画面、マウスを包む掌の感覚も違和がなくなるのにそう時間は取られなかった。
……こういうことこそ、天川にやらせてあげたかった。
『俺、何も出来ないよ。パソコンも別に得意じゃなかったし』
パソコンを扱う受刑者を遠目に、頓着しない表情で呟いていた。
あかみどり クリスマスなぜ あかみどり?
末尾に、可視化できるほどの疑問符を浮かべた黒瞳をして、寒さで少し赤剥けた鼻先と頸を傾げて見上げてみせる。
所内、共に触れた折々の事柄、それがまた時を経て重なったり、鬱蒼とした闇にこころが沈みそうになると、
自然彼を想い返すのがいつの間にか身についていて、切なさ優しさ入り混じるも、口許とこころがまた綻んでいた。
視線が繋げられたままでいた気がして、作業ルームの扉口を振り返った。
官服姿の園山が、元来の対象物を確と見定める眼をして、だのにどこか浮遊した角度で俺を認めたまま、佇んでいる。
何か……? らしくないその逸れたこころを、手首から引き戻すように俺は目で問うた。
密かに我に返ったような園山の眼に、差すような光が戻る。
「——高階、 面会だ」
真直ぐに、俺を見据える黒い眼差しは変わらない。
自負に溢れる、精気。その色は、静かに、真摯に、沈着に地へ足を着けている。
「仁科未景さん……」
1
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる