塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—ゆるしの壁—

手紙

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 千景の身体は、長く寛解の状態が続いていた。
 発見が早期だったこともあり、手術、薬剤療法、自分の身体に正面から向かい合い、たった一人で挑んで、弱音も一切漏らさず耐えきった。
 幸いなことに予後は良く、体調が戻ってからは介護や美容の接客業にも復帰し、側らで俺に向き合うこと、俺への支援のため方々へ奔走することも最前で怠ることなく、
陽まりの部屋は、まだあるの。陽まりのもので愛しくあふれた清潔な部屋を一角に残し、家を守ることを大前提として、
 帰る場所がある。
 俺が、このさき生きていくうえで、最も希求し、安寧を得られる敷布を整えておくことを一番にはかり、常にこころを砕いていてくれたのだ。

 本当に、本当に頭を上げることが出来ない。

 罹患が判明するまでは、頻繁に訪ねに来てくれたため、俺もそれに甘え手紙でのやりとりは薄かった。
 判明してから、というのも浅慮だが、廣さんからの厳しい激励も得て、手紙を書いた。
 俺の心情をこめたい、示したいという意思もあり、下手くそな歌も恥じらいを丸めて添えた。

 病室に在ること、部屋で身体を息める状態が増えたためか、千景も手紙を手に取り、想いを馳せる時間が自ずと生まれたようで、返しの便りも間を空けず寄越してくれた。


 朔君、お手紙沢山ありがとう。
 手紙は不思議ですね。朔君と会う、直にその姿、顔、声を、感じることが何より一番だと思っていたけれど、
そこに安心して、案外自分のこころ、見せていなかったかも知れない。
 朔君の手紙を見るようになってから、今、自分の体とも向き合っているんだけど、こころも、振り返ってじっくり見つめることが増えた気がします。
 それにしても朔君の歌、素敵ですね。
 私には歌心がないので、お返しが出来ないし、上手い下手は勿論解らないのだけど、朔君の歌は、おおらかで優しくて、朔君らしいんだけど、知らない朔君の一面も見つけるような気がして、とても好きです。沢山詠んでください。

 ところで、こういう歌はもしかしたら既に、気の合う誰かとやりとりをしていたの?
 そうだったなら 少し、くやしいかな。 先を越されたようで。


 集中的に治療に臨んでいた時期は、こうした手紙のやりとりが盛んだったが、復調して、また面会に訪れてくれるようになってからは、自然、それも絶えた。
 数年、彼女の顔を定期的に見て、穏やかで平坦といえる月日ときが続き、
彼女のなかに潜んでいた芽は、もう、消失したのではという捉えを、暗黙にして身勝手に仮想から現実へ引き寄せていた。 

 だが、予備面接の終了を報告してから、喜びの陰に、どこか靄のような気の掛かりを感じていて、
同調するように、週に数回あった千景のおとないは、少しずつ減少を辿っていった。

 何か、ある。静かな本能のなかで、抱えていた靄が、鈍く、だがその奥行きを深めていた。
 こちらから連絡をとろうかと思案していたところ、答えのように千景から一通の手紙が届いた。


 ごめん朔君。実は去年の暮れに、また見つかっちゃったの。
 華奢な身体の内部。その奥の奥。匿う必要などあろう筈もないのに、それを潜めていた、沈黙の器官。
 進行にも、沈黙を守っていた。循環器系にもいつと知れず伝っていて、現実として、分が悪い。


 透明ななたで頭を殴られたような感覚が沈みこんだ。
 地に着いていた半身も、既に透けて均衡をなくしていくような。

 でも、全然元気なの。流石に少し落ちこんで、言い出すのに時間がかかって。でも朔君が出て来られるかもと判って、安心して、だから私も勇気出そうと思ったの。
 千景は俺の肩を叩くような言葉を書き連ねていたけれど、もう既に俺の眼からその字、便箋が外されていて、
ただ振り子のような腕にそれを手にしたまま、狭い窓からの光を光だと認識せず、それを仰いでいた。

 俺の心象を、もう委細知っているように、千景は直ぐに面会に訪れてくれた。

「だって、拘置所ここ駅から結構歩くでしょ? 日陰もないしさ。ちょっと、疲れちゃって」
 また少し面会の頻度が減るだろうことを詫びながら、アクリルを隔てた千景の笑顔は、変わらず少女のような生鮮な小生意気さも含んでいて、
俺はうん、うんと頷き、第一である彼女を励ますということもおざなりにして、
瞳許に、小さな皺が滲むようになった、でもそれもどこか初々しく、
彼女がまだ見せてくれる瑞々しい生命の煌めきに、心から安堵しながら、彼女が伸ばしているその手に、掌を重ねていた。

「だから、また手紙、書くからね」

 透明な壁を伝って、俺のなかへ溶けていくように、彼女の温もりが流れる。
 そして、その言葉。

 俺は、本当に何をやっている。
 彼女を、ただ彼女を支えてやりたい、この壁を抜けて、ただ彼女のその身体を抱きしめてやりたいだけなのに、
無力さ、甲斐のなさすぎる自分への憎しみを通り越して、それすらも包みこみ、
千景は、俺が与える筈の優しさ、強さ、目を閉じて浸ってしまいたくなるような温かさを、ただ惜しみなく俺に注いでくれる。

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