27 / 97
—ゆるしの壁—
未来図
しおりを挟むこころのなかで、ふと、誰もいない空間で立ち竦んでいる自分の後ろ姿が見えたとしても。
生きていれば。この心臓が、望まなくとも脈拍っていれば。
時間はひとしく、変わりなく過ぎてゆく。
見えない酸素の粒子が、生物を生かすため絶え間なく流動しているように。
生きていれば。立ち留まっていても、振り返って、また脚を前に踏み出そうとしても。
狭い洗面鏡に、背を屈めて自分の顔を映す。
口角が上がる場面は確実に獲られたのに、鼻の両脇から、いつの間にか消えないままの線が引かれていることに気づく。
硬い髪に、色素の一切含まれないものを見つけることが増えてきて、
生きる希望、意志を、時折見失いそうになっても、この身体は生かされていて、
当然のように実は纏わりついていた生や時が、得がたいもの、取り戻しがつかない尊いものであることを、もう、後は老いへ向かって下降していくだけの身体であるのに、それを無知のように、遅れて知る。
もう、季節がいくつ繰り返されてきたのか、数えるのをやめてしまった。
陽まりの笑顔が心の中だけでしか再生出来なくなった瞬間から。
直の千景を、アクリル越しでしか確かめることが出来ないという諦めを認めた時から。
天川の、話しだすのに少し躊躇う間、ひたむきな視線を、もう受けとめることの出来なくなった、あの朝から。
それでも時は過ぎる。光は差す。
仮釈放へ向けた審理の気配が周囲で見え始め、保護観察官による、予備面接がなされた。
このまま、滞りなく進めば、翌年の春にはこの塀の外に出られるかも知れないという、未来図が、
ずっと夢想だと思っていたそれの、一挙に具体性を帯びた鮮やかさが迫ってきて、目の前に現れた。
面会に来た千景に、落ち着いて、急ぎすぎないように、ただそういう事実であるんだと、湧き上がりそうな胸を抑えて、伝えた。
千景は、少し間があって、泣き笑いのような吐息を漏らして聞き返し、落としこむと、
まるで少女のように顔をくしゃくしゃにし、瞳に、煌めきが滲んでいた、だけどそれを覆い隠す破顔を見せて立ち上がり、口を覆って、跳ねた。
俺も立って、手を伸ばして、アクリル添いに二人分の掌の温度が重なって、 跳ねた。
五十路過ぎた大人二人、いい年して、跳ねた。
「部屋が振動している。落ち着いてくれ」
脇の机に着いていた園山から、俺達の喜びが少しだけ退けた頃合いに、声がかかる。
机に眼を伏せ、その口許は拳で隠されていたが、端から上がった口角の顔が覗いていた。
二人、湧き上がる喜びを抑えに抑えて、互いの姿が見えなくなるまで顔を見届けて、別れた。
面会室を出て、先を行く園山が振り返ると、思わず安堵の笑みを向けるように漏らしてしまった。
「まだ早い。気を緩めるなよ」
園山はわざとのように顔をしかめてみせたが、元々上がり気味の口角の緩みを締めきれておらず、
右手を、差し出されたので、自然とこちらも腕を浮かせたら、
開いた右の掌に、彼の右掌が力強く拍ち込まれて、過ぎて爽快な響きが弾けるようで、
快活な痺れと心地良さに笑みを溢したら、眼だけは瞭かに笑んだ一瞥で応えて、園山はまた前を向いた。
顧りみれば、夏物の濃紺のワンピースから覗いた腕、真横でふわりと髪が切り揃えられた顎や白い首筋が、少し、瘦せたのでは、という印象が掠めていたのだが、
膨らむ未来図への望みが鮮やかすぎて、俺はそれから、浅はかに目を逸らしていた、のかも知れない。
1
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
泣き虫な俺と泣かせたいお前
ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。
アパートも隣同士で同じ大学に通っている。
直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。
そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。
怯える猫は威嚇が過ぎる
涼暮つき
BL
柴嵜暁人(しばさきあきひと)は
あることがきっかけで以前勤めていた会社を辞め
現在の職場に転職した。
新しい職場で以前の職場の人間とは毛色の違う
上司の葉山龍平(はやまりゅうへい)と出会う。
なにかと自分を気に掛けてくれる葉山や
先輩の竹内のことを信頼しはじめるが、
以前の職場で上司にされたあることを
今の職場の人間に知られたくなくて
打ち解けることを拒む。
それでも変わらず気に掛けてくれる葉山を意識するようになる。
もう誰も好きにならない
そう決めたはずなのに。
好きになってはいけない──。
ノンケの葉山に対して次第に膨らんでいく気持ちに戸惑い
葉山と距離をおこうとするが──?
ホテルを舞台に繰り広げられる
しっとり切ない大人のメンズラブ。
※以前外部URLで公開していたものを
掲載しなおしました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
フローブルー
とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。
高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【完結】運命さんこんにちは、さようなら
ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。
とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。
==========
完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる