塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—ゆるしの壁—

交錯するひかりと翳

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 無期は、期限を定めていないという捉えであって、無期限ではない。終身という刑自体は、この国に存在しない。
 厳粛に、償いの役務を全うすれば、仮釈放、この塀のうちから、外の世界へ戻れる可能性も生まれたのだ。
 扉が開かれた、そのあまりにも眩しい光を、享受する心境も勇気もまだとても持ち得なかったが、確かにこの掌に、空から差す微かなひかりが見えた気がしたのだ。

 時の流れは、確実に俺の内側なかを変容させてくれた。
 陽まりを喪ったこと、陽まりの生を奪ったことへの憎悪は今も消えないし、終生拭い去ることは出来ないだろう。
 だが、俺のしたことも、恨みの権化の成した、まごうことなく怖ろしい、罪深い略取だ。

 憎しみは、憎しみのくさびしか生まない。

 陽まりを轢いた害者への償いの心情を、静寂のなかしたため続ける心持ちをいつしか抱いていた。
 彼の遺族も、間違いなく奪われたのだ。

 それが少しでもどこかへ達したのか。赦しを求める心積もりは、一切なかった。
 ——彼の、年老いた母が減刑を申し出てくれたのだ。
 それが、大きな後押しと確実になった。


 光が見えたと思ったら、翳が差すのはこの世の摂理なのだろうか。
 廣さんの背に病魔の影が見え始めた頃。
 妻の千景ちかげの体に、不穏な腫瘍の芽が見つかったのだ。
 何気ない面会の最中に、あっさりと告げられ、思う以上に受け容れることを身体が拒否したようで、言葉を暫く返せなかった。
 極々初期だ、発見出来て運が良かった、元々、家系もそうなのと流れるように語る千景の肌は、これまでと変わりなく輝いていた。
 それでも、傍で支える、共に添える存在は必要だろうと、顔を歪めると、

「こんなこと言っては何だけど、今は自分一人の身体に存分に向き合えるから、正直、気は楽なの」
 俺から目線を外し、澱みない吐息のように漏らした言葉は、彼女の本音であると窺えた。

「だから朔君とまた会える時、なるべく元気でいられるようにするから。朔君も、ちゃんと元気でいて頑張ってね」
 軽やかに立ち上がり、いつも通り跡を濁さない別れを見せる彼女を、アクリル越しの俺は、なんと情けない顔で見上げていたことだろう。

「あと、余計なこと、考えないでね」


 見透かされ、釘を刺されたのに、弱気を払えなかった俺は、廣さんについ漏らしていた。

 俺のせいでは、ないのかと。
 俺が、間違いなく、傍にもいられず、身も心も健やかだった彼女を、やはり悉く追い詰めて、蝕んだせいだと。
「違うと思うわよ」事も無げに返した廣さんは、平静を通り越しすげなくさえ見えた。

「罹ったのは、勿論残念でお気の毒よ。でも申し訳ないけど、人間なんて、誰かのせいで、どころか自分の行いが巡ってくるようにも、案外出来ちゃいないわ。善行積もうが悪の限りを尽くそうが。
男にそそのかされて人に大怪我負わせて死にまで追いやったあたしが、反省もそこそこに塀の中で男に囲まれてうはうはで、こんな節制された食事摂ってきたのに、何故か糖尿悪化してるのよ。
俺のせいで、と悲愴ぶるならお好きにどうぞ。そうやって余計な負い目与えてる、病人にそういう思考が、一番面倒なのよ」
 現実に病魔に手を伸ばされている廣さんの言葉は、いたく鋭く刺さった。
 
「ただでさえ取り返しのつかなさ過ぎるやらかし犯してるのに、奥さんはそっぽ向きもせず引き戻そうとしてくれたんでしょ。大したもんよほんと。
あんたがやることは、あんたが今出来うる限りの、あんたの暗部も全て受け止めた、ありのままの奥さんの姿を受け止める、そのまんまなことでしょ。
黙ってせっせと励ましと愛の手紙でも送ってやんなさいよ。あたしにはくれたこともないけど、お得意の歌でも、添えてやったら」

 目の前にいるのは、痩せて明らかな初老の角刈りの男性なのに、その目力も相まって、年の離れた姉に大いに鞭撻されているような、竹のような霹靂を啞然と受けているような心地だった。
 深く、項垂れるように首肯して、反省した。

 ほぼ同様なことを、もう一人の存在からも言われた。


蛯原えびはら、どうだ。調子は」

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