22 / 97
—歌—
透
しおりを挟む「な……っ……」
想いが、解き放たれた気がした。
彼がひめていた、やさしい想い。
俺と天川を繋いでいた、言の魂の緒。
とても、ただただ無垢なことばで。
天川は、想いを押し殺して旅立った訳じゃない。
本当は、ずっと、そうかも知れない。
そう、気づいていた。
彼の物言わぬ、何よりも言葉を語っていた、黒い瞳で。
でも、俺は甘えていた。彼の澄み切った優しさに。
その優しさに、芯から触れるのがおそろしかった。
優しさがあまりにも無垢で、きよらかだったから。
そしてその深くの彼の渇望を埋め、真摯に受け止めて容れることが出来るうつわも、きっと持っていないだろうと。
そう、いつも言い訳にしてごまかしていた。
『久しぶりに俺のなかの疼き、再燃しようとしたんだよ』
『それでも、こんな俺とでも、歌を詠みたいと思いますか?』
『——……朔さん、て呼んでもいい……?』
あの時の、きらめいた魂の緒のように繋いで見せた、瞳差しも。
臆病な俺が、眩くて受け止めてやれなかったその想いを、
だけど天川は、こんなにもうつくしく優しい歌にこめて、はにかんだ笑みにくるめて、解き放ってくれた。
「なっ…………、……何な、……だよ…………っ」
心臓を、熱く押しつぶすような情動が喉元から迫り上がってくる。
目の血管を、熱い奔流が押し寄せてきて痛い。
痛いとともに、熱い泉のような塊りがぼろぼろと瞼から湧き上がって、
天川の歌が見えなくなって、それが嫌で、でも抑えきれなくて、目のそれを振り払ってもどんどん溢れてきて霞んで、
その樹を、天川を、腕のなかに抱えこみたいのに出来なくて、天川の歌に指を這わせながら、崩れ落ちそうな脚を支え、俺はまたも傍の幹を力のない腕で打った。
「奥ゆかし……っ、にも、ほどがあるだろっ…………」
あれほど、優しくあたたかさを秘めた歌を贈ってくれたのに、
救いようなく愚かで、何もかも手遅れな俺は、その慎ましさを、詰らずにいられなかった。
『高階さんはそのうち、出られる気がするよ』
『俺は、もう駄目だけどね……』
『そういう、奥ゆかしいのが、好きなの……?』
触れても、いなかったんだ。
ただの、指一本も。
手を伸ばしたい、伸ばそうとしたことは、何度もあった。
冷たい風に身を竦めて眉を顰めている時。
何のために、今生きてるんだろう。
不意に己の内なる闇に向かい合い、空虚な瞳に墜ちている時。
歌が上手く詠めなくて、俺に笑われて膨れている時。
伏せていたのに、その瞳を繋げてきて、安堵したように、微笑んだ時。
いつだって、ささやか想いをその澄んだ瞳であらんかぎりに伝えていたのに。
「馬鹿…………、もう……っ、……本当に、……馬鹿だよ…………っ」
一等に馬鹿なのは、本当に俺だ。
でも、同じくらい彼を責めたくて仕方なかった。
何やってんだよ、もう。
自分を、もっと解き放って、見せてくれて良かったんだ。
模範囚の天川なんかじゃない。想いと字数、あり余る透だろ。
罰なんか、幾らだって受けて構わなかったんだ。
抱きしめてやることくらい、出来たよ。
解っている。繋いだ瞳で満ちたりて、俺の心も優しさに染めてくれたんだ。
俺が、逃げていただけなんだ。
眩い朝陽に染まった、千景の笑顔をうつくしいと思った。彼女の繋いだ手と、ともに歩んで生きたいと願った。
血潮に染まった身体全てを震わせ、声を振り絞る陽まりの生命をうつくしいと思った。どんどん生きる煌めきを見つけていく彼女に、ひとの喜びはこれほどかと知った。
白い頸。浮かぶ黒子。揺れる髪と同じ、何ものも混ざらない深い瞳の水面が揺れた。
『天川透です』
怖じた視線。はにかんだ唇。やさしくまっさらな、歌。
透。
名の通り、瞳も、歌も、想いも。何もかも透きとおって、
この世の得がたい、何ものにも代えがたいうつくしい存在がいたことを、俺は知った。
馬鹿みたいに俺の方が怖じて、ろくに呼んでやれなかった、今、最もうつくしいその名前を、
桜の樹に刻まれたその歌が、彼であるかのように、その文字のかたちをなぞりながら、俺は歪んで濡れる頬をふるいたたせて、笑顔を見せた。
「透、ありがとう。 透、ごめん……。ごめん、透…………。
透、透。 ありがとう。ごめん…………、」
彼の歌に、想いに応えたくて、呼び続けたのに俺は崩れ落ちた。
咽び哭いた俺を、頭上の桜はどこまでも厳かで、まだその花の灑涙を降らすことなく、
品格と、気品と。何もののふるえも受け容れる壮麗さで、いつまでも静謐に見守っていた。
3
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
泣き虫な俺と泣かせたいお前
ことわ子
BL
大学生の八次直生(やつぎすなお)と伊場凛乃介(いばりんのすけ)は幼馴染で腐れ縁。
アパートも隣同士で同じ大学に通っている。
直生にはある秘密があり、嫌々ながらも凛乃介を頼る日々を送っていた。
そんなある日、直生は凛乃介のある現場に遭遇する。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる