塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—歌—

尽くされた熱

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「…………ああ。本当に、いなくなってしまったんだな……」

 園山が、掠れた泣き笑いのような声を漏らして、がらんどうになった畳敷きに膝を着き、そこに引かれた光の線を、指でその温度を確かめるように撫でた。

 ……清掃を、しなければならない。『ひと』が退出したのだから。
 そう思って、園山の許可も出たから、俺も入室し、園山の隣に膝を折って、天川の身の回りの物を、目に映るものが映っていない視界で、確認しようと頭を巡らせていた。

「……処遇部の奴が、あらかたのものはもう持って行ってみたいだな。といっても、普段から綺麗に整頓されていたし、目立った私物は、そもそもあまりなかったようだ。
……これといった、趣味もなかったようだし。本もそれほど読まない、書き物は、妹さんへ主に手紙を書くくらいで。
……日中は真面目に作業してたからな。自分から志願して。物静かで、口ごたえもしない、問題も自ら決して起こしなんかしなかったし、
本当に、普段から、手本みたいに優秀な奴だったな……」

 ——……違う。天川は、静かで取りたてることがないような、ただの品行方正の『模範囚』なんかじゃない。
 純朴で、澄みきって鮮やかな感情を、形式にとらわれず伸びやかに詠んで、伸びやかすぎて句の境なんかよく突き抜けていて、
おとなしそうな顔して、若い奴らしく辛辣な口もこっそりきいていた。

 廣さんには、『あの人、あんな喋りで顔が濃いの自覚してるのか、化粧しないのは褒めてやってもいいよ』。
 ……園山あんたのことも、『何かすかしてる』『頭堅いオヤジの空気読まなそうな、強靭なメンタルしてそう』って、認めつつも、しっかり毒は吐いてた、"とおる"だよ……。

 清掃の必要が見当たらない文机を、その場のしのぎのように乾拭きする。
 園山に告げられて以来、言葉を発するにしても「…………はい」程度にしか返さない俺へ、制帽の影から、園山は表情を都度見つめていたのかも知れないが、俺の意識には入っていなかった。

 不意に、傍らからぐっ、と机に置いていた左の甲を掴まれた。
 驚いて見上げると、膝を着いている園山の、黒い眼の射るような輝きにしんをとらわれた。

「お前、諦めるなよ」

「……」
「再審請求中なんだろ? 最後まで、諦めるな。
自分の感情は捨てろ。お前を、まだ求めてくれる人達がいる限り。
感情は、その人達と、……内にしまってる奴に、生きてそのまま返せ」

「…………、」

 園山は、甲を掴んでいた右手を、下に返して、俺の掌をぐっと握りこむように掴んだ。

 温かい。ひたむきな、息づいて深淵に脈すら感じられる、熱がそこにあった。
 これは誰の熱だ。 園山の、 誰の——。


 尽くした、とでも言うように俺の掌にちからを込めて、園山は立ち上がった。
 立ち上がった彼の輪郭シルエットで、差していた陽光の柱が断たれるも、却ってきらめきが分散するように反射される。


「そう、望んでいる筈だ」

 窓へ向かい光へ目を凝らすようにしかめた園山は、誰が、とは言わなかった。

 俺に戻した園山の眼は、もういつもの揺らぎのない精神こころが見てとれる、柔和でしなやかな表情かおを浮かべていた。

「お前、この後の作業はもういい。戻ってもいいし、自由にしてくれ。俺にそう言われたと伝えろよ。……俺、この後半休を言い渡されたが、通常通り勤務するから、何かあったら、いつでも遠慮なく言ってくれ」

 澱みなく園山は言いきったが、不意にその相貌を、制帽の庇ではない翳りを負った横顔にして逸らした。

「……休んでなんか、いられない」

 ただ彼を見上げるままの俺のそれと、園山の眼が行き合う。
 同じ、『喪失』をっている。
 身の内に深い感情を湛えている、滲むような苦い微笑を見せて、園山はそう俺に応えた。

 だがそれも束の間で、別れの一瞥を潮に、職務を体現するゆるみのない官服の背を見せて、振り返らず房の外へ出た。

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