塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—歌—

見える

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 立ち止まっていた園山は、話しながら、時折進むと止まるが重なるような緩やかさで、足を進めていた。
 俺の右肩には、園山の確かな掌の感触が変わらず、力強くあった。
 間もなく、美しく陽が差している、天川がいたその房が、目の前に現れてくる。

「…………もう、お別れだって、時が来て……」
「……」
「天川の様子、見てたら……。…………俺、怒られるって判ってたけど、天川の目の前に行って、天川の腕掴んで、声かけたよ」
「……、」

「天川、また会おう」
「……」
「先に行って、ちょっと待っててくれ。別に俺なんかに会いたくないだろうけど、俺、勝手に行くから、勝手に天川に会いに行くから、だからその時は、
今みたいに俺の目を見て、また、俺と話をしてくれ」

 園山を振り返った。園山は眼をタイルに落として、まだ鎮まりがつきよう筈もない感情に、声とこころを揺るがされているようだった。
 だけど俺は、未知の喩えようもない彼の強さを知った。

「天川、手握れ。 断りもなく、もう握ってた」
「……」

「目、閉じろよ」
「……」
「俺のじゃない、誰か、会いたいとか、今この手がそうだったらと想える奴の、手だと思えよ。その熱、そいつのものだと思って、残さず全部持って行け」
「……、」
「天川は、そっとを閉じてくれた……」

「ちゃんと、しっかり手、強い力じゃないけど、握り返してくれた。…………口が、誰かの名前、呟いてた気がする……」

「…………」

「天川の手、やっぱりひんやりしてるけど、確かに温かった。天川らしい、優しくて、静かな熱だ。 天川が、そこに生きている熱、感じたよ。
…………しばらくして、目閉じながら、天川が口を開いた」


『園山看守先生……』


『今日は、桜が咲いていますか?』


「……ああ、そういえばそうだな、って。まだ外に出てなかったから判らなかったが、確かに、もう咲きそうだったなって……。
……見たかったのかと思った。一枝でも、持って来てやれれば良かったかと、そう思ったんだけど……」


——天川の感情かおを見ようとしたら、それこそ桜みたいな唇が、笑っているのが見えたんだ。

『大丈夫です』

 白い瞼が、柔らかい枝みたいな黒い睫毛で蓋をしていて、その裏側で、
まるで誰も知ることの出来ない、美しい光景が拡がっているんじゃないかと想えたんだ。


『見えます』


「…………、」

「……天川は、ゆっくり瞼を開けて、を伏せて小さく笑った。そして俺の手から、掌の熱、逃さないみたいにそっと外した。

そして、 ——もう振り返らなかった。

…………俺は、あいつを尊敬する。 あの場に居た誰よりも、あいつのことを、最もつよく尊く思う」


 園山の言葉か、天川の最期の光か、きらめきが差してきて俺は眼をほそめた。

 房に、天川の房にたどり着いて、狭く鉄格子に覆われた、厚い硝子に遮られていても、
窓から、春の息吹に溢れた陽光が降りてきていて、
そこに、確かにいた『誰か』の場所へと、命のみなもとのような、ひかりの泉を降り注いでいた。

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