塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—歌—

同じ月を想って

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 季節は廻り、空気のなかに霜の柱が降りてくる厳格と広大さを感じさせる、冬が到来した。
 陰鬱さ、だけを俺は覚えない。
 空気の研ぎ澄まされた鋭さ、肺を浄化させるような清浄さは、四季のなかで最たるものだと想えるからだ。
 人は次なる季節を予期し待ち、ちからを蓄え、いのちをことほぐ喜びを知る、春を夢見ながら眠りにつくのだ。

 俺と天川は変わらず、澱みを感じさせない、たゆたうような時と季節の移ろいのなか、たわむれるようにその時の情景こころを歌に詠み、
俺の下手くそは相変わらずで、天川は時に繊細、時に大胆な、一長一短の詠歌を披露し、俺のこころを和ませて、この閉塞した塀のなかでの、ともすれば失われていたかも知れない、楽しさ、というかけがえのない感情を、笑うという喜びにして与えてくれた。

 天川は、もう殆ど俺のことを「朔さん」と呼び、視線が合うと、すぐ落ちがちだった瞳は、見守るように長く繋ぐ時間が増えてきて、
どこか満足したように、やがてそっと遠くにその睫毛を馳せるようになっていた。
 俺はというと、歳上の癖にどうも照れを捨てきれず、「天川」と無造作に呼びかけて、だけど『透』という、物静かで、穏やかなはにかみをいつも唇にしのばせた、瑞々しい情感を内奥し、けれど若者らしく案外遠慮なく毒を吐く一面も併せ持つ、
白鳥のように白くかぼそげな肢体のなかに、確実に柔らかで温かないのちが息づいている、
俺のなかの、揺るぎない存在として優しくその姿を佇まわせていた。
 きっと変わることなく。いつまでも。
 当たり前に傍に感じられる存在として、蓋をして信じていた。


 大気のうちに、温かな息吹がいつの間にか芽吹いていた。
 荒涼としていた黒い桜の樹皮のあちらこちらに、蕾が膨らみ、今にもその白紅の花弁が綻びそうだった。

 明日には、桜が花開くかも知れない。
 まだ黒茶が地肌を覆う樹を見上げ、俺はひそやかな予感に目をほそめた。
 今日は、天川に逢えなかった。
 だけど彼も、直に桜が咲くことを予期している筈だった。

 天川と一緒に桜を見る。
 互いの汚濁、罪を曝け出した俺たちにとって、それはひとつの約束であり、待ちわびた指針であったように想えた。
 いつ、露のように消えるのかも判らず、そしてそれを得たところで、何が変わるとも知れないささやかな交わし合いであったに違いないのだが。

 明日、天川と逢えたら、桜の下で、何を詠もう。
 天川は、予習を沢山してある筈だから、発句を振っても良いかも知れない。

 堅い鉄格子に閉ざされ、月も光も届かない、闇のみが浮かぶ窓を仰ぎ見る。
 新月、を感じさせた。
 月が世界から消滅した訳ではない。ただ地球ほしの裏側に隠れただけなのだ。
 新月には、果ての知れない、深淵の闇のなかから、何かがひらける兆しを昔から本能的に知覚へ感応させるような響きがあった。

 朔さんが、月になるから良いんでしょ。

 以前、天川が言ったその言葉に俺は覚えず苦笑する。
 俺は、お前を照らす月なんて、大層なものになんかなれない。
 ただ、今お前が、俺と同じ月を想って見上げているなら、それだけで俺は充ちる、を感じるんだよ。

 天川が俺と同じ月を見上げている横顔、そして明日、俺と共に桜の樹の下で、
二人並んで仰ぐ、その時のまだ見ぬ光景を、幾らでも思い浮かべて、描くことが出来るようだった。

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