塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—塀のうちでの—

朔と桜を

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 暮れ方の気配がする。一日を閉じようとする晩秋の寂しい風が、皮膚からうちの貧しい肉へ染み込んでいくようだ。
 幕が、閉じればいいのに。俺と天川が、自ら自分の身体を塗りつぶした汚濁や罪も、薄闇の幕のなかに溶け去って、茫漠たる闇のうちの、粒にもならない融解した塵へと、なり得てしまえたならいいのに。

 天川は、もう俺から視線を外し、その真直ぐな睫毛が瞼の先へ伏せられていた。

「……実際、自分の命を以って償えと下された罪に、優も劣も何もない。
俺だって腐ってる。生きていてはいけない存在だと、そう裁かれたし実際そういう身だと沁みて解っている。……俺のことはどうとでもいいんだよ。
だけど、天川あまがわは。
生きていてはいけない、なんて奴は本当は筈なんだ。
少なくとも、俺にとって天川は、そんな奴じゃない。
生きていてはいけない、奴なんかじゃない。頑張って字余りでも詠んでくれる天川は。

天川だって、とおるだって、生きてたっていいんだ。生きる喜びを、感じたっていい筈なんだよ。
…………限りのある、たとえ、汚濁に満ちた世界いのちだとしても……」

 そうだ。俺たちは、いつこの身が尽きるのか、それは明日の朝とも知れない、露のような存在いのちなのだ。
 出口のないベルトコンベアの上を廻され続け、ふと、そのレーンから摘まみあげられたら、あとは廃棄口に続くゲートへの直進が、待っているばかりだ。
 再審請求中であろうと変わりはない。
 ひとたび法務大臣の命が下されば、五日以内に死刑は執行される。
 そしてその順序や意図も、決して明かされることはないのだ。


 まだ蕾さえ見えない木の下で、樹皮のように黒い天川の瞳が、俺を見つめた。

「…………レンガの家建てるの、付き合ったから?」
「……まあ、うん……」
「再燃した妙な疼き、こっそり抱えてても……?」
「…………個人の自由だろ」

 自嘲したように天川は笑い、白鳥のように白く、ささやかな種を乗せたほそい頸の、儚い横顔を見せた。
 
「高階さんはそのうち、出られる気がするよ……」

「だって、どう考えても高階さん、命をそんな奴に返すほど、悪いことしてないでしょ。皆そう思ってるから、信頼も置いてるし。……もう少し頑張れば、こんな塀のなか、きっとて行ける気がするよ。
……陽まりちゃんも、犬と遊んで、ゆっくり待っててくれるよ」

 俺は、控訴を望まなかった。自身のなかに明確に存在した『殺意』の、強固さを否定する気力も、信念も持ち得なかったからだ。
『貴方は、陽まりちゃんにお父さんを、"怖いこと"をした人だと認めてしまっていいのですか』。弁護士の先生にも、散々諭された。
『朔君、もうやめて』。朔君までいなくなったら、私はどうしたらいいの。気丈な千景が、あの時はアクリル窓の向こうでついに涙を流していた。
 皆が俺の首の皮を繋ぎとめようとしてくれている。
 それでも、俺の罪深さは重い。


 俺は、もう駄目だけどね……。その呟きが聞こえて、俺は闇を見つめる天川を見た。

「……かえでには、ひとりきりにさせて、悪かったと思ってる」
 露と消える身でありながら、妹の名を口にする天川を、俺はやはり腐蝕している奴だとは思えなかった。

「俺、生きていて良いのかな……」

 出会った時光を映していなかった瞳に、硝子のようだが、うっすらとした煌めきが浮かべられている気がした。
「これまで、人間扱いされないまま、生かされてた気がするけどね……」

 闇に沈もうとする天川の手を取るように、俺は言葉の輪郭を明確にして告げる。


「桜、一緒に見よう」

 天川の硝子の輝きが、瞳の奥でひかりを過ぎらせた。

「ここでの桜、俺はまだ見たことがない。一緒に観て、どんなのか、天川のこころを聞かせてくれ」
 表現は歌で、と付け加えると、やれやれ、と大分歳下の相手から、世話を焼かれたように吐息を漏らされる。


「——……さくさん、て呼んでもいい……?」
 ん? と見返すと、慌てたように瞳を逸らされた。

「……名前。二文字で、……ずっと格好良いって思ってた」
「ああ、有難う……。全然良いけど。……俺は気にしないけど、さんとか君付けだと呼びづらいとか、『朔』って、新月って意味だから、月のない真っ暗闇で、不吉って言われることもあるんだ」
「何もない暗闇から始まるんでしょ。……格好良いじゃん」

 朔さんが、月になるから良いんでしょ。
 それも聞こえた気がして、思わずこちらも照れを感じ、紛らわすように話題を転じる。

「じゃあ俺も、透って、さっきどさくさに紛れて、呼んだけどな」

 やっぱり、改めて呼ぶと恥ずかしいな。年嵩らしくなく笑っていると、物静かな、それこそ月のように透った瞳を緩めて、穏やかに微笑んでいた。

 花見のお題、予習しておけよ。
 すっかり時も経って、そう強引に締めて、またいつものように、目を見交わして別れた。

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