塀のうちの字余り

蕚ぎん恋

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—塀のうちでの—

低温で生きる若者

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 身体の水分が根こそぎ持って行かれるような寒風が耳輪を突き刺し、身を竦めた。
 耳を覆う防寒具は所持していない。首許の妻が結婚前に贈ってくれたカシミアのマフラーでは、経年の素材の劣化で厳寒を防ぐには心許無くなってきた。
 事故前に買った、比較的新しいアウトドアブランドのダウンジャケットでさえ、表地のナイロン、裏の中綿を徹すほどの烈風が身に沁みた気がして、年頭の寒さはこれほどまでかと思わず目を剝いてしまう。

 元より吹きさらしのグラウンド、傍らに立つ桜の樹が覆ってくれる範囲以外は、鉄でも纏わない限り逃れることは出来ないかと、苦笑の白息を塀の上の救いのような晴天に吐きつけた。
 炊事場から直行したてで、湿り気を帯びた手が凍てつくのを庇うようにカーゴパンツへ武骨な甲を捩じ込んだが、それも長くは保ちそうにない。

 早く、来ないか。来てくれるか。
 午前中の休憩時間は10分だ。その時間表記だけで、傍から砂が流れていくような儚さを覚えてしまう。
 来たところで、厳寒の冷気に変わりはないのだが。
 直感、ではなく体感の問題だ。
 寒くても、傍に居て軽い無駄話を一握りするだけで、ひとの体温が伝わるような心の解れを、知らず予想できていた。

 道楽に付き合わされてるの? 確かにそう言われた。
 個人的な趣味の、相手には現実的になって貰っている。
 だけどあの、低温で生きる動物のような感情の起伏が鈍い若者かれの顔が、人並みに息づいている様を見るのは、年長者としてなのか、一種の和み、安穏を感じていた。

 向かいの工場から、上から白、濃灰、黒の枝のようなシルエットが現れる。
 俺に気づき、控えめだが小走りに駆けてくる姿に微笑ましく頬が緩む。

 四日前の大晦日にその顔を見たばかりだ。
 目線の下に現れた、白い顔は、その時と変わらず、駆けて来たからか気恥ずかしさのせいなのか、水気の失せた目の下の肌に、薄い朱が二つ刷けていた。

 通常なら「おはよう」だ。だがここはと、この日に相応しい挨拶を、まるで始業を迎える生徒の瞳を覗き込むように口にする。


「あけましておめでとう」

「…………おめでとうございます」

 始めは目を合わせてくれるが、すぐ首許に視線を落とす仕種は生来のものなのか。年が明けても変わらない。
 それでも、この若者と初めて迎えた年始と気づき、新鮮な喜びにまた一つ心が解れていた。

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