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37:チョコレートの祭典

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「ねぇ雛子、今度これに行って……、雛子? ペンギンのお尻撮ってないで話を聞いて。ねぇ、雛子!雛子ってば! ペンギンのお尻と私のどっちが大事なの!!」

 まるで恋人に迫る女性のような台詞に、携帯電話を構えていた雛子がはっと我に返った。
 慌てて視線を戻せば、一冊の冊子を手に美緒がむぅと唇を尖らせている。なんて分かりやすい拗ねた表情だろう。

「ごめんごめん、ちょっと熱中しちゃった。それで何の話だっけ?」
「ペンギンのお尻と親友のどちらが大事かって話……」
「だからごめんって。その話じゃなくて、なにか言いかけてたでしょ?」

 恨みがましそうに睨んでくる美緒を宥めて話を促した。


 年が明けてしばらく経ち、一月も後半に入ると新年という雰囲気は無くなった。
 そんな中、雛子は美緒に誘われて水族館に来ていた。
 広さや展示は他の水族館には劣るが、大型商業施設の中に入っているだけあり買物やレストランも多く便利な場所だ。落ち着いた雰囲気があり、見て回るにもゆっくりと話をするにも適している。
 昼は商業施設でランチをし、その後に水族館の中を見て、三時の混雑時を終えた頃合いに館内の飲食スペースの席を取った。ペンギンの水槽横に設置されたこの飲食スペースはペンギンが優雅に泳ぎ回る姿やぷかぷかと浮かぶ姿を眺めながら過ごせるので、喋っていても眺めていても楽しめる。
 そんな休憩の最中に雛子はお尻をこちらに向けて浮かぶペンギンに心を奪われ、美緒に話しかけられた事に気付かず今に至る。

「それで、何だっけ? 手に持ってる冊子はなに?」
「雛子は親友の私よりもペンギンのお尻が……」
「だからそれはもう良いって。ペンギンのお尻より美緒の方が大事! で、それは?」

 雛子が諭せば、ようやく納得したのか美緒がテーブルの上に冊子を置いた。
 茶色を基調としたシンプルでありつつも高級感漂う冊子だ。形も正方形と洒落ている。表紙には英字のタイトルと開催場所や開催期間が書かれており、それを囲む枠組みも、文字も、なにもかもが洒落ている。

「なにこれ? ……チョコレートのカタログ?」

 手に取りパラパラと捲れば、どのページにもチョコレートの写真が掲載されている。
 定番の生チョコレートや宝石が並んでいるようなボンボンショコラ、オレンジ色とチョコレートの茶色の組み合わせが目を引くオランジェット。鮮やかな色合いのルビーチョコレートに、形こそ一般的な板状ではあるがナッツが溢れんばかりに乗せられたタブレット。
 どのページを捲っても見事なまでにチョコレートだらけだで、見ているだけでふわりと甘い香りが漂ってきそうだ。

「これがどうしたの? 何か買うの?」
「それね、今度百貨店でやるバレンタインイベントのカタログなの。特設エリアにいろんなお店が出店してて、凄い豪華なんだって」
「バレンタインかぁ。この間までクリスマス、それが終わればお節だお正月だって騒いで、なのに気付けばあっというまにバレンタイン……。この時期は目まぐるしいわね。それで、これに行きたいの?」
「そう! 一緒に行こう! あのね、そのイベント、俊君も店頭に出るんだって」

 パッと美緒の表情が明るくなる。……ほんのりと頬を赤くさせて。
 その変化を見つめ、雛子は改めてカタログへと視線をやった。探してみれば確かに覚えのある洋菓子店のページがある。
 それをじっと眺めていると、検討していると考えたのか、美緒が鞄からスケジュール帳を取り出した。きっと予定を合わせようとしているのだろう。

(……俊君、か)

 美緒が合コンの後も彼と連絡を取り合い、順調に進展しているのは知っていた。頻繁に話題に出てきたし、遊びに行ったと写真を送られてくる事もあった。付き合う事になったという報告こそまだだが、時間の問題だろう。
 美緒は雛子が彼に一目惚れをした事を知らないし、雛子も話していない。あの合コンの最中には互いの心境を確認する機会はなく――いわゆる女子トイレでの「誰が良い?」「私は……」というものだ――、そして合コン後の雛子にそんな余裕は無かった。むしろ俊のことはすっかり忘れていたぐらいなのだから、はたして一目惚れと言って良いのかどうかも今となっては定かではない。
 だから別に美緒に対して嫉妬も湧かない。呼び方がいつの間にか『冴島君』から『俊君』になっていても傷つきも驚きすらもしない。……というか、もしかしたらもっと前から呼んでいたのに今になって気付いた可能性すらある。

(確かに冴島君は素敵だし、思い返しても私の好みだけど。……でも)

 ふと、雛子の脳裏に俊とは違う男性の姿が浮かぶ。
 高い背にスラリと伸びた手足、切れ長の目元もあってか一見するとクールな印象を受けるが、根は構いたがりの……。

「それでね、店頭に朝桐君も一緒に出るんだって」
「……颯斗も?」

 不意打ちにあがった颯斗の名前に、カタログに落としていた視線をパッと上げてしまう。

「そう。だからさ、一緒に見に行こうよ。雛子も朝桐君が仕事してるところ見たいでしょ?」

 ね、と美緒が明るい表情で同意を求めてくる。
 美緒はどうにも雛子と颯斗が付き合っていると、もしくはその寸前だと考えているようだ。言わずもがな、雛子が定期的に颯斗の事を話題に出しているからであり、そう考えるとお互い様なのかもしれない。
 もっとも、雛子と颯斗の関係は美緒が想像するようなものでも、彼女と俊が築いているようなものでもない。……のだと思う。多分。細かく見れば別物だ。

 もちろん、誤解と言えども本当の事など言えるわけがない。
 美緒にはアダルトグッズ会社に勤めていることは言っていない。そもそも言っていないからこそ颯斗に脅されているのだ。
 ……あと、今となっては颯斗に脅されているという事実を知った時の美緒が怖い。ペンギンのお尻に嫉妬するぐらいなのだから、怒りに任せて彼に殴りかかるかもしれない。

「……さすがにそれはどちらにも悪いわ。いや、颯斗は自業自得なんだけど、それでも……」
「ねぇ、雛子? 雛子ってば! また何か考えこんで……。何か分からないけど、それと目の前の親友のどっちが大事なのよ!」
「あぁ、ごめんね。それでバレンタインのイベントだよね、うん、行こう」

 またも嫉妬しかけた美緒を宥めて応じる旨を伝えれば、彼女の表情が一瞬で明るくなる。
 さっそく日時を決めようと話し出すので雛子も鞄からスケジュール帳を取り出した。
 バレンタイン商戦を前に仕事もだいぶ忙しくなってきたが一日休みを調節するぐらいなら出来る。チョコレートのイベントに行くと知られれば周りからお土産を強請られるかもしれないが。

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