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02:ひと段落と留守番

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 駆け付けた救急隊員は流石と言える手際の良さであっという間に静香を運んでいった。まさにあれよと言う間で、凪咲が出来た事はと言えば去ろうとする救急隊員に静香の携帯電話を渡すぐらいだ。
 病院に着いたら娘を呼ぶと言っていたので携帯電話は必要になるだろうと考えての事である。むしろあまりに突然のこと過ぎてこれぐらいしか考えられなかった。
 そうして救急車のサイレンが小さくなるのを聞いて、凪咲はようやくほっと安堵の息を吐いた。
 静香からしたらまだ災難は続いているが、ひとまず隣家の住民として凪咲がすべき事はこなせた。後は緊急隊員と、向かった先の病院にいる医師達と、そして静香が呼ぶと言っていた彼女の娘に任せるだけだ。

 ……と、そこまで考え、凪咲はまだ自分にやるべきことが残されているのを思い出した。

「乃蒼ちゃん」

 ポツリと名を呼べば、救急隊員が静香を運んでいる最中邪魔にならないようにと部屋の隅に座っていた乃蒼が「なぁに?」と立ち上がった。ちょこちょこと近付いて凪咲を見上げてくる。
 そう、乃蒼が残っているのだ。
 静香の様子を考えるに娘を呼ぶのが精いっぱいだろう。乃蒼の両親に連絡できるかはわからない。それに連絡をしたとして、親が戻って来られるかも、ましてやそれまでの時間を乃蒼が一人で留守番出来るかも分からない。

 となれば、ここは自分が乃蒼の両親に連絡を取るべきだろう。

「乃蒼ちゃん、お父さんかお母さんの連絡先は分かる? 緊急時……、えっと、大変な時に『ここに電話して』って言われてない?」
「乃蒼、お父さんとお母さんは居ないの。一緒に暮らしてるのは武流おじ様」

 あっさりと乃蒼が話し、次いで「おじ様の連絡先は電話に入ってるわ」と電話へとパタパタと駆け寄る。
 そんな乃蒼に対して、凪咲は小さく「えっ……」と声を漏らしてしまった。

 父親と母親が居ない。一緒に暮らしているのは叔父。
 つまり凪咲が何度かエントランスで見かけたのは父親ではなく叔父という事か。

 だとすると両親はどこに?
『いない』とは?

 意図せず込み入った事情の片鱗を聞いてしまった。
 これにはどう反応して良いのか分からずに居ると、さっさと電話をかけ始めた乃蒼が「間宮乃蒼です!ごきげんよう!」となぜか優雅な挨拶を受話器に向けて元気いっぱいに放っていた。

「武流おじ様……、間宮先生に代わってもらえますか?」

 電話口で乃蒼が叔父を呼ぶ。
 少し待つと乃蒼が「おじ様!」と声をあげるのでどうやら叔父と繋がったらしい。

「あのね武流おじ様、さっき静香おば様がおやつを用意してくれてね、でもクッキーを落としちゃって、拾おうとしたら『うっ』って言ってね、それで座っちゃって、乃蒼が『どうしたの』って聞いても痛いって言うだけでね」

 乃蒼は事情を説明しようとしているが、一から全て細かに説明しようとするあまり情報過多になっている。
 これはと考え、凪咲は乃蒼に近付くと小さな肩をトンと叩いた。「変わって」と小声で告げれば、乃蒼が最後に電話口に「お隣のお姉様に変わるね」と告げて受話器を渡してきた。
 受話器のスピーカーから『乃蒼!? お隣ってどういうことだ?』と混乱する男性の声が聞こえてくるが無理もない。

「すみません、電話変わりました。隣に住む柴坂と申します」
「え……、柴坂さん? なんでうちに。熊谷さんは』
「それが……」

 ……。
 …………。

 凪咲が事のあらましを手身近に説明すれば、電話口の男性――間宮武流が落ち着きを取り戻した声で『そうでしたか』と返してきた。

『お手数をおかけして申し訳ありません』
「いえ、そんな気になさらないでください。それより乃蒼ちゃんの事なんですが」
『俺が今すぐに帰ります。短時間なら乃蒼も待っていられるはずなんで……』

 だから、と武流が話す。だがそれに対して更にその奥で『先生』だの『この後は』だのと話す女性の声が聞こえてくるあたり、仕事を抜けられる状態ではないのだろう。『先生』と呼ばれる彼がどんな職業に就いているのかは分からないが、それでも相応の立場にあり、抜け出せない仕事だということは伝わってくる。
 乃蒼の留守番に関しても出来るとは言いつつも歯切れが悪かった。不安は残るがそう言わざるを得ないのだろう。
 ならば、と凪咲はチラと乃蒼に視線を落とした。大きな瞳がじっとこちらを見つめてくる。

「もしよければ、私が乃蒼ちゃんのことを見ていましょうか?」

 乃蒼を見つめたまま提案すれば、『えっ……』と躊躇いの声が受話器から聞こえてきた。
 乃蒼もまたこの提案は意外だったのか、大きく可愛らしい目をぱちくりと瞬きさせている。
 子供らしい幼さのある可愛い顔付き。だが緊急時には隣家に助けを求めるだけの聡明さもある。それでも一人で留守番をさせるのは不安だ。
 凪咲の心境としても「それじゃぁ留守番頑張ってね」と乃蒼を置いていくわけにはいかない。このまま自宅に戻ったとしても壁一枚挟んだ先の部屋が気になって仕事どころではないだろう。

『ですがそんな……、更にご迷惑をかけるようなことは』
「たいした事は出来ないので、ただこのままお邪魔して一緒に過ごすだけです。お仕事大変なんですよね、無理なさらないでください」
『……そう言って貰えると助かります。正直に言うと、今日はどうしても外せない仕事が入っているんです』

 電話の向こうから僅かに安堵した気配がする。
 次いで武流は改めて感謝の言葉と共に乃蒼を託してきた。家の中の事やアレルギーの有無などを話し、そうして最後に乃蒼に変わるように頼んできた。
 良い子で留守番しているように、とでも言われているのか、乃蒼が「はい」「分かった」と繰り返している。

「私は大丈夫だから、おば様のことよろしくね。お仕事頑張ってね」

 そう告げて乃蒼が受話器を電話機に戻した。
「あっ」と凪咲が声をあげたのは、その言葉で熊谷静香の事を思い出したからだ。
 彼女は凪咲が乃蒼を預かる事になったとは知らない。もしかしたら今頃病院で乃蒼の事を案じ、乃蒼の伯父や、他に預かってくれる人はいないかと連絡しているかもしれない。もしそうなったら余計な労力を掛けさせてしまう。

「乃蒼ちゃん、熊谷さんの携帯電話の番号わかる?」
「静香おば様の電話番号なら三番よ」

 乃蒼が電話機の短縮ダイヤルのボタンを指差す。一番は武流の携帯電話、二番は彼の職場、そして三番目に熊谷静香の電話番号が入っているのだという。
 それを聞き凪咲が電話を掛けようとする。だがそれを察した乃蒼が「大丈夫よ」と止めてきた。

「おじ様が、乃蒼はお隣のお姉様と一緒にお留守番してるって伝えてくれるわ」
「叔父さんが電話してくれるの? 忙しそうだったけど大丈夫かな。私から連絡を入れるって言っておけば良かった」
「電話じゃないわ。運ばれてきたら看護師さんに伝えてもらうって言ってた」
「運ばれてきたら?」

 どういうこと? と凪咲が首を傾げるも、乃蒼は「お片付けしないと」と流し場へと向かった。
 お菓子が散乱している。それと割れた皿の破片も。

「乃蒼ちゃん危ないよ。片付けは私がやるから、破片が無い所で待ってて」
「クッキー食べて待ってていい?」
「クッキーが安全なところにあるならね」
「大丈夫!」

 許可が出るや乃蒼が棚へと向かい、一番下の引き出しを開けた。どうやらそこがお菓子入れらしく「クッキー、クッキー」と呼ぶように探しだす。
 そうしてお目当てのクッキーを見つけるやダイニングリビングのソファにポスンと腰を下ろした。そこで大人しくしていてくれるなら安心だ。

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