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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜
EP11 インシデント
しおりを挟む歪み始める、小さな電流を放ちながら裂けていく空間から恭介が現れた。
私がここに来る前からそこにいた。こいつは昨日のうちからずっと見張りをしていたのだ。来るかもしれない脅威に備えて。
「ああ、なんとかな……にしてもお前の登場は学生の頃から豪快だな」
今はなぜ恭介が能力者なのか、どうでも良かった。ただ私はなんとか助かったことに安堵するので精一杯だったからだ。
「イプシロンは?」
慌てて聞くと車から恭介とは別の男がドアを開け登場する。その強大な体つきに未だ圧倒されながらもその背中の逞しさにより安堵する。
「佐野くん、君のおかげでイプシロンを捕まえられた……ほんっとうにありがとう」
「迫田さんもきていたんですね……ということは二人はやっぱり……」
迫田さんはイプシロンの元へと近づく。
イプシロンの周りには直径二メートルほどの立方体の透明の“バリア“が出来上がっていた。
「ああ、僕はもともと能力使いだった。息子の恭介はそんな僕の遺伝子を受け継いだのだろう」
「まあ、そういうことだ雄二」
二人の存在がとても頼もしかった。能力の使えない私にとって彼らは唯一信用するに値する人間なのだ。
「イプシロンは? もう逃げられないのか?」
彼女はその“バリア“の中で叩いたり喚いたりしてはいるが全くびくともしない。内側の存在は音すらも遮断されているのか。もちろんのこと“バリア“はそう簡単には割れはしない。
「ああ、僕の能力は一度たりとも破られたことはない。それでもデメリットがあって今まで捕まえることはできなかったのだが」
そのデメリットとはまず生成までに時間を要すこと、そして打ち出すためには彼専用の拳銃から発射するしかない。つまり捕獲ネットのような物なのだ。彼女らはその隙に逃げることは可能なのだ。そして二つ目のデメリットは周りに人がいると巻き込まれてしまう可能性があること、まさしく私がさっきはその犠牲者になるところだった。
「言い方は悪いが、佐野くんが囮になっていたのが成功した要因かもしれない」
彼がその“バリア“に触れると二メートルほどあったはずのものが手のひらに収まるコンパクトな大きさまで変化する。中にいたイプシロンがそうなってしまったのか見当もつかないが物理法則を無視したその原理に今は驚愕するしかなかった。
「雄二、そんなところで転んでないでさっさと立てよ」
驚愕していると恭介の声が聞こえた。どうやら彼は運転手をしていたみたいだ。車の窓から顔を覗かせて私を小馬鹿にする目で眺めていた。
「それじゃあ、この病院の結界はやっぱりお前か?」
恭介は小さく頷いた。
やはり、笑美のことを知っていて尚且つここの病院に入院していると知る人間はそんなにいない。私と迫田さんと恭介、この病院の関係者ぐらいだ。だからこの結界を張っているのは私の身近な者と推測していた。
「親父は閉じ込める結界、そして俺は寄せ付けない結界。なんとかイプシロンを捕まえたのはいいものの俺たちは今日から追われる身だ」
「私たちが追われる身?」
「正確には俺と親父だけだ。イプシロンが捕まったというのはすぐに向こうにも伝わるだろう。雄二も関わったという点では今日から身の安全は保証できない、なるべく家から出ないようにしろ」
迫田さんは助手席に乗り込み、恭介が車を発進させようとハンドルを握りアクセルに足を乗せる。
「待ってくれ恭介っ」
呼び止めると恭介はまた窓から少し顔を覗かせる。
「どうした?」
そういう彼はいつもの恭介と違っていた。やはり私は何か別の世界に迷い込んでしまっていたみたいだ。麗と出会ってから……もっと言えば笑美と出会ってからか……。恭介はいつもはこんなやつじゃない、もっと気が利いて優しいけどちょっと嫌なやつで憎めなくて、相談にいつも乗ってくれてあの時私を殴ってくれた。だがここにいる恭介は恭介であってそうではない、根本的な何かが違うのだ、私の知っている恭介とは……。
世界の真実に近づきすぎたからだろうか。だから私の見えていなかった頃まで見えてしまう。今までの私は恭介の表面しか知らずに、何も知らなかったのだ。知ったつもりでいただけだった。
「笑美を助けてくれてありがとう。お前の結界がなければ今頃どうなっていたか……」
いつものような話し方ができない。笑いながら話し合うことができなくなっていた。
「勘違いするなよ。これはイプシロンを捕獲するためにやったことだ。それとクイーンを守らなければならないのは能力者全員の責務だ。感謝されるようなことはしてない」
やはり彼は私に辛辣な態度をとる。
「そうか、それでもありがとう」
私はただ感謝を述べることしかしない。
「じゃあ、俺たちは行くから何かあったらまたその無線に知らせてくれ……」
窓を閉めるとゆっくりと車は発進していく。やがて見えなくなる頃その場にはこの強力な結界と私だけが残された。未だ病院の前で佇む私は人知れず舌打ちをした。
†
ハンドルを握りながらさっきまでの雄二との会話を思い返していた。
(あいつ……びっくりしているだろうな)
何も知らされていない親友をあんな態度で接したのは初めてだった。本当だったらすぐにでも車に乗せて家に返してやることぐらいしたかった。流石に過保護すぎるか。
「本当にあれで良かったのか?」
隣に座っているのは俺の父親、もう数年前からこの組織を一緒に追っている。俺たちのタッグは素晴らしかった。どんな凶悪能力者でも俺たちが出れば相手ではなかった。しかしそんな俺たちを徹底的に打ちのめしたのがこの組織……自分たちをギリシャ文字で呼び合う謎の人間たちだった。そして俺たちはプライドまでも叩きのめされ終いには震災で生き残れた母親と妹を殺された。せっかく生き延びれた彼女らを……あいつらはいとも簡単に……。
「どうした? 大丈夫か?」
父親の声が聞こえてハッとする。
「すまない、昔のことを思い出していた……」
その心境を察してか父親も居た堪れないように目を伏せた。
「雄二はあれで良かったんだよ。俺はあの二人の関係には邪魔だからな。早く俺のこと忘れてもらったほうがいいんだ」
「そうか、ならいいんだが」
何か高揚感なるものがあると思っていた。ずっと追ってきた復讐相手を確保したというのだから達成感か高揚感が芽生えると想像していたが、復讐というのは思っていたより報われるものではなかった。
「イプシロンを捕まえたのにちっとも嬉しくないな。お袋と風香の仇だっていうのに」
心の中あで考えても答えが見つからないと思った俺は横に座ってる父親に同じことを聞いてみた。答えが少しわかるかも知れない。
「復讐は達成すれば嬉しいものじゃない。仇を捕まえたって何も変わらないさ」
思っていた答えだった。この人らしいと思った。
「じゃあ、親父はなんでこの組織を追う? 復讐じゃないならさ」
父親は窓の外を眺めている。通り過ぎていく風景に何を感じているのか。
「強いていうなら使命感だな。こいつらを野放しにしていると僕たちみたいに家族を失って復讐を目論む人間が出てきてしまう。そして彼らはいずれ犯罪を起こす。だからそんなことを終わらせるためにはこういう奴らを放ってはいけないんだ……」
こいつら……ポケットにいるイプシロンのことだろう。
確かにそう思えば俺もこいつらを追っていくうちに復讐という感覚を忘れていた。今思い出せば復讐から始まったというだけだ。気付かぬうちに俺も父親と同じように連鎖的に続く悲しみの連鎖を断ち切る役割を背負っていたのかも知れない。
「母さんも風香も復讐したって帰ってはこない。悲しいがそれが現実だ」
「そうだ。そうだよな……風香もお袋ももういないんだよな」
イプシロンという構成メンバーの一人を捕まえただけに過ぎない。俺たちの戦いはまだまだ続いていくんだ。きっとメンバー全員を捕まえ終わった後も永遠にずっとだ。
「なあ、親父」
窓の外を眺めていた父親は急な呼びかけにこちらを眺める。
「イプシロンを預けたら、久しぶりに風香たちの墓参りに行こう。最近は張り詰めてばっかりだったし、きっと寂しがってる」
そう提案するとふっと笑みを浮かべる。
「ああ、そうだな」
するとどこからともなく音が聞こえた。この機器馴染みのある音はまさしく父親の携帯電話から流れている着信音だった。その携帯を取り出すと液晶に刻まれた文字を眺めた。
「雨宮さんからだ」
知っている名前の人物で安堵する。今の俺たちは危険なものを持って移動している。本来なら車の移動は危ないと思っていたが、公共交通機関を使うのは周りの被害を出しかねないという理由で仕方なく車に変更していた。どこから狙われているのかわからず落ち着かない気持ちでいたのはイプシロンを捕まえてからずっとだった。
父親はボタンを押して携帯を耳に当てる。
「…………………」
しかし違和感に気づいたのは電話に出始めた父親が黙りこくった時だった。
「親父? どうした? 雨宮さんはなんと言っている……」
雨宮さんは別行動をしていた同業者の人でイプシロンを捕まえた後に落ち合い、回収してもらう予定だったのだ。同僚との会話でここまで静かになることがあるのだろうか。
やはりおかしいと父親の体を揺らそうとした途端に、目の前に黒いものが向けられた。
ーーそれは、腰のホルダーから出された拳銃で父親自らが俺に向けて銃を構えていたのだ。
その黒く深い銃口を目にした瞬間に俺はハンドルを勢いよく回していた。堀を乗り越えようとした車体はうまくいかずに体を反転させながら反対車線へと倒れ込んだ。
そこでようやく理解した高速道路の堀を超え反対の車線に来たということは、いずれは車が突っ込んでくるということ。あとはその人がどのくらいの距離でブレーキを踏むのか、それとも気づくのか。それが事故の衝撃を変えるだろう。
「ああ……」
思っていたよりも相手は近かったらしい。俺たちが堀を超えて車体だ倒れ込むのと相手の距離は十メートルもなかった。向こうからしても迷惑な話だっただろう。普通に高速道路を走行していたら目の前に車が飛び込んできたんだから。
「俺のミスだったか…………」
衝突寸前、世界がゆっくりと流れていくのを感じ取った。これは今まで墓参りに一度も行かなかった俺たちへの罪なのだろうか。風香と母親は怒っているのかもしれない。あの震災が起こる前の当たり前の生活が繰り広げられていた頃を思い出す。よくやんちゃしていた俺と雄二は母親によく怒られていた。風香は俺なんかよりも雄二によく懐いていて遊びにくる時に限ってお気に入りの服を着ていた、それを面白くバカにしている自分と恥ずかしがる風香。それすらも当たり前と思っていたあの時に戻りたかった。このスローモーションの世界は自分へ残された時間の消費だ。母親は厳しくて父親なんかよりも男勝っていたが優しい人で笑顔を絶やさず尊敬されている人だった。俺もそんな母親を誇りに思っていた。風香だってまだまだこれからという時に震災を経験して生き残ったはいいものの当時の明るさを隠し、物陰に隠れる性格になってしまった。だがそんな居た堪れない姿を雄二に見られまいとする姿勢は当時からは変わっていなかった。そんな二人をたった数時間のうちに失ってしまった。全ては俺のミスだった。俺があの時“あんなもの”を見なかったら良かったのだ。たった一つの好奇心で家族を壊滅へ導いた。もうこれ以上は人へ被害を出さないようにしようと思っていたが、俺は死ぬ時まで他人に迷惑をかけて死んでいくのだ。
隣で気を失っている父親を見た。きっとあいつらの罠だったのだろう。出なければ彼が俺に銃を向けるはずがないのだ。
そして、残された時間は無くなった。
†
私は病院の中へ入り、笑美の顔を一目見ておこうと思った。
久しぶりに入る病院の中は前ほどきつくはなかった。麗と一緒にいれば嫌でも医薬品の匂いを嗅ぐことになるから慣れてしまったのだろう。
迷路のような院内を地図を見ながら潜り抜けていき、笑美のプレートがついた病室を見つけた。ここに入院するのも金がかかったのだが、私と恭介の二人で出し合ったのを思い出す。あいつはこの病院に結界も張っていたし苦労をさせてしまった。自分が不甲斐ない、とても今の私じゃ笑美に顔向できない。だがそんな駄々を捏ねていたら恭介にまた殴られかねない。
一息置いて病室の中に入った。
質素な部屋に太陽の光が窓の大きさほど降り注ぐ。真っ白な壁に囲まれた部屋の真ん中にポツンとベッドが置いてあり、人が寝ている。伸び切った髪の毛、しかし整えられているため看護師さんが手入れしてくれているのだろう。さながら眠る顔は綺麗だった、あんな出来事がなかったのではないかと思わせるほどのいい笑顔である。少しでもあの悪夢を忘れられるのであればこのままでもいいのかも知れない。それが入院した当初に恭介に打ち明けた思いだった。だが今ではそんなバカなことは思わない。だってこの寝顔を潰すかのように彼女の体に繋がっているチューブと機械が彼女を早く助けてあげてほしいと言っているからだ。
「笑美…………絶対なんとかするから…………」
全く当ても根拠もない発言だが、そう言わずにはいられなかった。
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