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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜
EP10 ユマニチュード
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†
「ねえ、おじさん。橘のなに?」
彼女に問いたいことが山ほどあり、マンションの前まできたときに一人の女子生徒に話しかけられた。制服的に麗と同じ学校の生徒だろう。だがそんなことよりもなぜマンションの前で麗の話をされてるのかがわからなかった。それはまるでこのマンションに麗がいるということをわかっているみたいではないか。ここを知っているのは私とあの男だけではなかったのか。
「なんだきみは? 学生なら今学校ではないのか」
「質問に答えてよぉ、おじさん橘何よ」
腕時計を見るとまだ学校はあっているはずだ。彼女はカバンも持っているから登校していないのだろう。
「橘? 一体なんのことだか…………」
すると彼女は私の肩をぐっと押してきた。体制を少し崩しかけているのを見て彼女は笑った。
「惚けないでよ、このマンションに橘がいること知ってるから。あとその部屋にあんたが入っているのも知ってるから、嘘は通じないよ」
ここで足止めをくらっている暇はない。麗がここにいるのは知られている。変な嘘は更なる誤解を産みそうだ、ここは本当のことを言うしかない。
「私は橘の世話役をしている……者だ」
だが若干の嘘を交えた。しかし意味合い的には世話役でも間違いないだろう。
「あははっ!! そうだよねぇあんな体じゃ一人で生きてけないよね。おじさん素直」
彼女の言動に腹がった。麗のことも知らずに彼女は笑った。
「きみ、笑い事じゃないぞっ?! 彼女がどんな思いをしているか知っているのか!!」
彼女はまた一段と大きく笑った。
「あっははははっ!! 何言ってんのよおじさんこそ橘ことぜーんぜん知らないじゃん」
「…………一体どう言うことなんだ?」
私は迫田さんとの会話を思い出した。そうだ、彼女は私に嘘をついていた。
「だってぇ……橘は人殺しだよ?」
橘は人殺し………麗は人を殺した……。私は言葉をうまく咀嚼できずにいた。
「う、嘘だ。あれは事故で……」
だから薄っぺらい否定しかできなかった。
「あんなの嘘に決まってんじゃん、近くで見てた私がいってんだからほんとよ。橘は新田を階段から突き落としたんだよ」
私の中の麗が崩れていった。マコトのために泣いて、いじめていたやつを恨み、流せない涙を溜めながら殺してと懇願する、私を好きだと言ってくれた。そんな彼女が全て嘘だとうのか。
「そんな証拠…………どこにあるんだよっ?!」
もう無我夢中だった。私に刻まれた麗の記憶が崩れてしまわないように、私と築いてきた日々がドミノ倒しみたいに意図も簡単に倒れていく、その姿を必死に止める滑稽な私。
「証拠か…………確かに証拠はないかな」
ここで少し私は安堵したのを覚えている。今すぐにでも“それみろ”と言いたかった。
「でも、証人なら来ちゃったみたい」
自身ありげに指を刺す。私はその指の先をゆっくりと追った。
そこには、麗とあの男がいた。
「麗……どうして」
私の第一声がそれだった。
「聞いてたんでしょ? 聞き耳立てるなんて趣味悪いね橘。それよりこのおじさんに本当のこと黙ってたの? ずるーい」
麗は車椅子の上で驚嘆の眼差しを向けていた。それは私とこの目の前の女子生徒に向けられていることはすぐにわかった。麗も突然のことで驚いているのだ。
「う、嘘だよな。麗? あの時語ってくれた話が本当だって言ってくれ……あの時見せた涙が本当だって言ってくれ…………」
喉が枯れて今にも声が萎んでしまいそうだ。だが彼女が否定してくれたら今の話や迫田さんの話には無い何か仕方のなかった事実がまだあると言ってくれるなら……。
私は期待した。
「なーに? 橘そんな芝居してたの? 私たちと会わなくなってえらく演技が上手になったことね。ま、まんまと嵌められるおじさんもどうかと思うけどね」
うるさい、この場において邪魔な奴がいるせいだ。麗はこいつがいるせいで喋れないんだ。
「きみは黙っていろっ!! どうなんだ麗、嘘をついていたのか!?」
驚嘆の顔が曇っていき、やがて俯いてしまった。麗は今にも地の底に落ちてしまいそうな低い声で囁く。それは私の期待とは外れたものだった。
「ごめんなさい、私佐野さんに嘘ついてた…………本当は先輩を突き落としたのは私なの」
彼女の言葉に後退る。彼女本人によって嘘が証明されてしまった。これは紛れもない事実。
「嘘だ。言わされているんだろ?」
「ほんとなんだよ。先輩は私が突き落とした。でも先輩が“誰にもいうな“って言うから、それをラッキーだと思って誰にも自首することもしなかった。先輩はそのあと証言を残すこともなく死んだいったわ。彼女は病院に搬送される間ずっと“橘麗さんは何もしてない“って言い続けたらしい………彼女おかしかったのよ。自分を殺そうとした相手をずっと庇い続けたんだから。少し相手したからって浮かれて、彼女もバカだったのよ」
信じられなかった。あれほど悲しそうに語っていたマコト先輩との話は彼女にとってはこれほどのことでしかなかったのか。彼女と話している間もずっとこんな下劣なことを考えていたのか。
「佐野さんもバカよ。たったこれだけの期間で人を好きになれるとでも思ってるの? ちょっと悲しそうな顔したらすぐ信じて何でもかんでも話すんだから」
私が話す……? 一体なんのことだ。
「一体なんのことだ…………? 私が一体いつ何も喋ったんだ?」
俯いたままの彼女は何を考えているかわからない、まるで出会った頃に戻ってしまったみたいだった。これまでの出来事は全部偽善だったのか。
彼女の口から告白されたものは私にとって命よりも大切なものの事だった。
「それは、クイーンの居場所よ」
「……クイーン?」
クイーン……女王? なんだ、何をいっているんだ彼女は。
「この洽崎に存在する。四人の女王能力者。まあ、あなたが知っている名前で言うと“笑美”かしら……」
笑美? どうして今のタイミングで笑美が出てくるんだ。脈略のない登場に私は動揺を隠せなかった。いや、動揺ならずっと前からしていたのだが……。より一層嫌な予感がしたと言うことにしておこう。
「彼女の居場所を探るためにあなたは私たちに雇われたのよ。不審に思わなかったの? なんでこんなに人間がいる世界で自分が選ばれたのかって……」
麗は今までにない冷たい視線を私に送る。咄嗟に目を逸らしてしまう。
「笑美をどうするんだよ。私から彼女の情報を抜き取って何を企んでんだよ」
しかし押されてばかりではいなかった。笑美が出てきたのなら話は別だ。だんだんと拳に力が入っていくのを感じる。
「それは、イプシロン次第ね」
そういうと、私の後ろに佇んでいたイプシロンと呼ばれる女がそっと首筋に手を当ててきた。その指は人の温かみを失ったまるで死人の冷たさに似ていた。震災で私は幾度も人間の死に出会った、皆彼女と同じように死後による体温低下で冷たく冷え切っていた、そこに人間の生命はなかった。あの時と同じ状況に囚われた。
「ねえねえ、おじさん。あの病院の結界といてよ」
死の世界に誘われるようだった。冷や汗を感じるなか必死に彼女の手を弾く。
「結界? そんなの知るものか。漫画家アニメの見過ぎなんじゃないか?」
それまで笑みを浮かべていたイプシロンも呆れと失望に塗れた眼差しを向けて小さく舌打ちした。
「まあ、いいわ。あんな結界破ってやる。後悔しないようにね。お・じ・さ・ん」
彼女は瞬く間にその場からいなくなった。ここ最近非現実的なものを見る機会が多いせいか“瞬間移動“を見てもなんら驚くこともなく、それに驚くことがなかった自分に驚いた。
しかしまずい。このままではあのイプシロンとやらが何か仕出かす前にどうにかしなければならない。仮にも麗をこんな姿にする残虐性っを秘めている彼女は笑美に何をするのか容易に想像できた。
急いで笑美の病院へ向かおうとして体の方向を変えた時にあの男の声がした。
「つきましては、これにてあなた様への対応は以上となります。真実を知ってしまった以上、あなたにこれ以上麗のお世話をしていただくのは危険だと判断いたします。契約はここまでとさせていただきます…………金銭の支払いに関する詳細については、他に言及しないよう慎重を期してまいります。また、イプシロンの存在に関する情報を公にすることは避けさせていただきます」
彼らはいまだに私のことを雇っているつもりでいたらしい。ならば答えは一つ。
「言われなくても、辞めてやるよ」
今はただ笑美が心配だった。麗のことは多少心残りでもあったが、向こうはそうは思っていない取ろうと思い忘れることに専念した。
二人の間を抜けて行こうとした時に、か細く囁く声が聞こえた。
「………ごめんなさい、ごめんなさい」
それは麗が放った言葉だと思われる。振り返ろうかと思ったがやめた。今彼女にかける言葉など見当たらなかったからだ。良されていたこともショックではあったが、よくよく考えればわかることだった。私に運よくこんな仕事舞い降りてくるわけがない、そして麗が私に好きになることなんてなかったんだ。
背後で車椅子の車輪がアスファルトの上をガタガタと音を立てながら動いているのを感じ取った。私は振り返ることもせず、言葉すらもかけず、それはいじめられていたマコトから逃げてしまった麗と同じ思いに近かったのかもしれない。
†
病院の近くに着くとイプシロンが拍子抜けという顔をしながらその場に立ち尽くしていた。
近づくのも躊躇われたが、そんな心配入らず彼女はすぐに背後にいる私に語りかけてきた。
「ここの結界を張ってる人、結構優秀だ。まさかおじさんの仕業?」
結界などこの人生で漫画やアニメでしか聞いたことがなく、日常生活で聞くことはまずない。しかし今私はいる世界はまるで二次元に飛び込んでしまったかの如く、現実感がなく私の知らない用語が飛び交う。なのになぜか私はここに馴染みつつある。デジャブというのだろうか前に見たことがある、聞いたことがあると馴染み深かった存在のように思える。
もともと私たちがいた世界が幸せに塗り固められたフィルター越しの世界であって、その幕を超えてしまった途端、不自然に包まれているはずなのに現実味のある世界が見えてくる。幸せであったのが嘘でこの現実味のない世界の方が真実であると思う。理由はあの震災や能力者と言われるこの“人間“たちがそれだ。私はただその世界に一歩進みすぎた“一般人”でしかない。
「いいや、私ではないと思う。何せ能力者なんてかっこいい役は自分には似合わない」
意外にもイプシロンと呼ばれる人間はただの極悪な人間とも思えない。彼女は少しでも私にそう感じさせるほどに綺麗で可愛らしい年相応の女の子の笑顔を見せた。
「それもそうねぇ……これじゃあクイーンを連れていけないわ」
こう見ればただの女子高生にしか見えないが、その中身は麗をあそこまで追いやるほどの力がある。決して気が抜けない雰囲気を醸し出している。
「残念だが、笑美を渡すつもりはない」
ずれてしまいそうになったが彼女の目的は笑美の確保でありいわば私の敵というわけだ。
「そう、ならおじさん殺しちゃうかも。私の姿みて弱そうだと思ったでしょ? 違うんだなそれが…………」
「人を操り終いには自害させる人形か?」
イプシロンはそれまた意外そうに口をぽかんと開けたまま惚ける。
「よく知ってるわね。そこまで知ってるとは思わなかった」
「そうだろう? 私もただの一般人という枠には収まりきらないタマであるということがわかったかね? イプシロンちゃん? 聞いてたよりかは強くなさそうだな。なんてたってこんなところに君一人で来るんだからな。今こそ人形たち使ってくれば良いものを……まさか能力にデメリットがあるとか? それとも頭が悪いのか? イプシロンってそんなものなのかね」
ほとんど時間稼ぎのつもりでしかなかったが、予想上に彼女には効いたみたいだ。
イプシロンは悔しそうに舌打ちしながらそっぽを向く。
「クッソうざいねおじさん。ちゃん付けなんて十数年ぶりだわ。デメリット? そんなのあるわけないじゃない……」
明らかに動揺しているのがわかった。なんでこんな安い文句でここまでなるか今の私には知る由もなかったがチャンスは今だった。なんて言ったって能力者にはデメリットがつきものと麗から聞いていた。ならイプシロンだってそうだ。
「君たちのチームってみんなギリシャ文字で構成されているらしいいけど、みんな君みたいな能力ばっかりなのか? なら麗の能力の方が何倍も凄いと思うぜ、笑美だってそうだ。この結界を張っている誰かさんよりも弱いんじゃないか? こんな私には見えもしない結界一枚で寝たきりの人一人も連れていけないなんて…………君何しに来たんだ? 命令を下したやつも頭が弱いんじゃないか?」
みるみるうちにイプシロンの顔が歪んでいく、歯を噛み締めすぎてガリガリと歯軋りも聞こえてきた。その睨む瞳の中心にいるのは私であった。あくまでこれは病院から気をそらせるための時間稼ぎ。“あいつ”が来るまのだ。
「アルファ様を侮辱したな…………おじさんもう命ないよ。だって私おじさんのこと殺したくてしかないからさぁっ!! 橘の時よりもひどく痛めつけながら殺してやる……」
「君にろくに能力も把握せずに命令を下し恥をかかせている上官はアルファというんだな。そして命がない? なら私はあの震災の時に既に死んでるよ…………きっと貴様を打ち倒す能力も持っているはずだよなぁ…………そんなバカなアルファ様如きが能力者になれてるんだからなっ!!私が能力に目覚めないという道理はないぞッ!!」
聞こえてきた……叫ぶ私の声に隠れて遠くから“音”が響き渡ってくる。
あと少しだ…………彼らがくる。
もちろん私がイプシロンに勝てるわけがない、能力に目覚めないことなんて私の体なのだからよくわかっている。麗の時みたいに男複数人で襲われてしまったら私だって敵わないに決まっている。だからこそ彼らを呼んだのだ。
ポケットに入れた“ある物”がその存在が近くなっていることを知らせる。あの時迫田さんが封筒に入れておいてくれた……“ある物“。
「言ったな…………いくらクイーンの側近の人物であるおじさんでも、私なら殺せる……」
一歩近づく、その足元はおぼつかない。あの発言的にアルファから私を殺すことは認められていないとみれる。それならば今までイプシロンに殺されずにいることも頷ける。
「死ねッ!!」
そう叫んだ途端にーーイプシロンとは別の男の声が私のポケットから聞こえたーー
「避けろ……雄二っ!!」
言葉と同時に、左足に力を込めて右側に体をずらしながら滑り込むように避ける。それはもう認識の域を超えて反射的な物だった。こうしなければ死んでしまうかもしれないと体に言い聞かせると勝手に体が動き出して右に倒れ込んだのだった。
ひとまず自分の体に何も起きていないことを確認すると安堵する。
声の主は私の名前を呼ぶ。
「雄二……雄二大丈夫か?」
その声の主は一人しかいなかった。この無線機を封筒に入れて送った迫田さんの息子……迫田恭介だった。
「ねえ、おじさん。橘のなに?」
彼女に問いたいことが山ほどあり、マンションの前まできたときに一人の女子生徒に話しかけられた。制服的に麗と同じ学校の生徒だろう。だがそんなことよりもなぜマンションの前で麗の話をされてるのかがわからなかった。それはまるでこのマンションに麗がいるということをわかっているみたいではないか。ここを知っているのは私とあの男だけではなかったのか。
「なんだきみは? 学生なら今学校ではないのか」
「質問に答えてよぉ、おじさん橘何よ」
腕時計を見るとまだ学校はあっているはずだ。彼女はカバンも持っているから登校していないのだろう。
「橘? 一体なんのことだか…………」
すると彼女は私の肩をぐっと押してきた。体制を少し崩しかけているのを見て彼女は笑った。
「惚けないでよ、このマンションに橘がいること知ってるから。あとその部屋にあんたが入っているのも知ってるから、嘘は通じないよ」
ここで足止めをくらっている暇はない。麗がここにいるのは知られている。変な嘘は更なる誤解を産みそうだ、ここは本当のことを言うしかない。
「私は橘の世話役をしている……者だ」
だが若干の嘘を交えた。しかし意味合い的には世話役でも間違いないだろう。
「あははっ!! そうだよねぇあんな体じゃ一人で生きてけないよね。おじさん素直」
彼女の言動に腹がった。麗のことも知らずに彼女は笑った。
「きみ、笑い事じゃないぞっ?! 彼女がどんな思いをしているか知っているのか!!」
彼女はまた一段と大きく笑った。
「あっははははっ!! 何言ってんのよおじさんこそ橘ことぜーんぜん知らないじゃん」
「…………一体どう言うことなんだ?」
私は迫田さんとの会話を思い出した。そうだ、彼女は私に嘘をついていた。
「だってぇ……橘は人殺しだよ?」
橘は人殺し………麗は人を殺した……。私は言葉をうまく咀嚼できずにいた。
「う、嘘だ。あれは事故で……」
だから薄っぺらい否定しかできなかった。
「あんなの嘘に決まってんじゃん、近くで見てた私がいってんだからほんとよ。橘は新田を階段から突き落としたんだよ」
私の中の麗が崩れていった。マコトのために泣いて、いじめていたやつを恨み、流せない涙を溜めながら殺してと懇願する、私を好きだと言ってくれた。そんな彼女が全て嘘だとうのか。
「そんな証拠…………どこにあるんだよっ?!」
もう無我夢中だった。私に刻まれた麗の記憶が崩れてしまわないように、私と築いてきた日々がドミノ倒しみたいに意図も簡単に倒れていく、その姿を必死に止める滑稽な私。
「証拠か…………確かに証拠はないかな」
ここで少し私は安堵したのを覚えている。今すぐにでも“それみろ”と言いたかった。
「でも、証人なら来ちゃったみたい」
自身ありげに指を刺す。私はその指の先をゆっくりと追った。
そこには、麗とあの男がいた。
「麗……どうして」
私の第一声がそれだった。
「聞いてたんでしょ? 聞き耳立てるなんて趣味悪いね橘。それよりこのおじさんに本当のこと黙ってたの? ずるーい」
麗は車椅子の上で驚嘆の眼差しを向けていた。それは私とこの目の前の女子生徒に向けられていることはすぐにわかった。麗も突然のことで驚いているのだ。
「う、嘘だよな。麗? あの時語ってくれた話が本当だって言ってくれ……あの時見せた涙が本当だって言ってくれ…………」
喉が枯れて今にも声が萎んでしまいそうだ。だが彼女が否定してくれたら今の話や迫田さんの話には無い何か仕方のなかった事実がまだあると言ってくれるなら……。
私は期待した。
「なーに? 橘そんな芝居してたの? 私たちと会わなくなってえらく演技が上手になったことね。ま、まんまと嵌められるおじさんもどうかと思うけどね」
うるさい、この場において邪魔な奴がいるせいだ。麗はこいつがいるせいで喋れないんだ。
「きみは黙っていろっ!! どうなんだ麗、嘘をついていたのか!?」
驚嘆の顔が曇っていき、やがて俯いてしまった。麗は今にも地の底に落ちてしまいそうな低い声で囁く。それは私の期待とは外れたものだった。
「ごめんなさい、私佐野さんに嘘ついてた…………本当は先輩を突き落としたのは私なの」
彼女の言葉に後退る。彼女本人によって嘘が証明されてしまった。これは紛れもない事実。
「嘘だ。言わされているんだろ?」
「ほんとなんだよ。先輩は私が突き落とした。でも先輩が“誰にもいうな“って言うから、それをラッキーだと思って誰にも自首することもしなかった。先輩はそのあと証言を残すこともなく死んだいったわ。彼女は病院に搬送される間ずっと“橘麗さんは何もしてない“って言い続けたらしい………彼女おかしかったのよ。自分を殺そうとした相手をずっと庇い続けたんだから。少し相手したからって浮かれて、彼女もバカだったのよ」
信じられなかった。あれほど悲しそうに語っていたマコト先輩との話は彼女にとってはこれほどのことでしかなかったのか。彼女と話している間もずっとこんな下劣なことを考えていたのか。
「佐野さんもバカよ。たったこれだけの期間で人を好きになれるとでも思ってるの? ちょっと悲しそうな顔したらすぐ信じて何でもかんでも話すんだから」
私が話す……? 一体なんのことだ。
「一体なんのことだ…………? 私が一体いつ何も喋ったんだ?」
俯いたままの彼女は何を考えているかわからない、まるで出会った頃に戻ってしまったみたいだった。これまでの出来事は全部偽善だったのか。
彼女の口から告白されたものは私にとって命よりも大切なものの事だった。
「それは、クイーンの居場所よ」
「……クイーン?」
クイーン……女王? なんだ、何をいっているんだ彼女は。
「この洽崎に存在する。四人の女王能力者。まあ、あなたが知っている名前で言うと“笑美”かしら……」
笑美? どうして今のタイミングで笑美が出てくるんだ。脈略のない登場に私は動揺を隠せなかった。いや、動揺ならずっと前からしていたのだが……。より一層嫌な予感がしたと言うことにしておこう。
「彼女の居場所を探るためにあなたは私たちに雇われたのよ。不審に思わなかったの? なんでこんなに人間がいる世界で自分が選ばれたのかって……」
麗は今までにない冷たい視線を私に送る。咄嗟に目を逸らしてしまう。
「笑美をどうするんだよ。私から彼女の情報を抜き取って何を企んでんだよ」
しかし押されてばかりではいなかった。笑美が出てきたのなら話は別だ。だんだんと拳に力が入っていくのを感じる。
「それは、イプシロン次第ね」
そういうと、私の後ろに佇んでいたイプシロンと呼ばれる女がそっと首筋に手を当ててきた。その指は人の温かみを失ったまるで死人の冷たさに似ていた。震災で私は幾度も人間の死に出会った、皆彼女と同じように死後による体温低下で冷たく冷え切っていた、そこに人間の生命はなかった。あの時と同じ状況に囚われた。
「ねえねえ、おじさん。あの病院の結界といてよ」
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「結界? そんなの知るものか。漫画家アニメの見過ぎなんじゃないか?」
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しかしまずい。このままではあのイプシロンとやらが何か仕出かす前にどうにかしなければならない。仮にも麗をこんな姿にする残虐性っを秘めている彼女は笑美に何をするのか容易に想像できた。
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「つきましては、これにてあなた様への対応は以上となります。真実を知ってしまった以上、あなたにこれ以上麗のお世話をしていただくのは危険だと判断いたします。契約はここまでとさせていただきます…………金銭の支払いに関する詳細については、他に言及しないよう慎重を期してまいります。また、イプシロンの存在に関する情報を公にすることは避けさせていただきます」
彼らはいまだに私のことを雇っているつもりでいたらしい。ならば答えは一つ。
「言われなくても、辞めてやるよ」
今はただ笑美が心配だった。麗のことは多少心残りでもあったが、向こうはそうは思っていない取ろうと思い忘れることに専念した。
二人の間を抜けて行こうとした時に、か細く囁く声が聞こえた。
「………ごめんなさい、ごめんなさい」
それは麗が放った言葉だと思われる。振り返ろうかと思ったがやめた。今彼女にかける言葉など見当たらなかったからだ。良されていたこともショックではあったが、よくよく考えればわかることだった。私に運よくこんな仕事舞い降りてくるわけがない、そして麗が私に好きになることなんてなかったんだ。
背後で車椅子の車輪がアスファルトの上をガタガタと音を立てながら動いているのを感じ取った。私は振り返ることもせず、言葉すらもかけず、それはいじめられていたマコトから逃げてしまった麗と同じ思いに近かったのかもしれない。
†
病院の近くに着くとイプシロンが拍子抜けという顔をしながらその場に立ち尽くしていた。
近づくのも躊躇われたが、そんな心配入らず彼女はすぐに背後にいる私に語りかけてきた。
「ここの結界を張ってる人、結構優秀だ。まさかおじさんの仕業?」
結界などこの人生で漫画やアニメでしか聞いたことがなく、日常生活で聞くことはまずない。しかし今私はいる世界はまるで二次元に飛び込んでしまったかの如く、現実感がなく私の知らない用語が飛び交う。なのになぜか私はここに馴染みつつある。デジャブというのだろうか前に見たことがある、聞いたことがあると馴染み深かった存在のように思える。
もともと私たちがいた世界が幸せに塗り固められたフィルター越しの世界であって、その幕を超えてしまった途端、不自然に包まれているはずなのに現実味のある世界が見えてくる。幸せであったのが嘘でこの現実味のない世界の方が真実であると思う。理由はあの震災や能力者と言われるこの“人間“たちがそれだ。私はただその世界に一歩進みすぎた“一般人”でしかない。
「いいや、私ではないと思う。何せ能力者なんてかっこいい役は自分には似合わない」
意外にもイプシロンと呼ばれる人間はただの極悪な人間とも思えない。彼女は少しでも私にそう感じさせるほどに綺麗で可愛らしい年相応の女の子の笑顔を見せた。
「それもそうねぇ……これじゃあクイーンを連れていけないわ」
こう見ればただの女子高生にしか見えないが、その中身は麗をあそこまで追いやるほどの力がある。決して気が抜けない雰囲気を醸し出している。
「残念だが、笑美を渡すつもりはない」
ずれてしまいそうになったが彼女の目的は笑美の確保でありいわば私の敵というわけだ。
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明らかに動揺しているのがわかった。なんでこんな安い文句でここまでなるか今の私には知る由もなかったがチャンスは今だった。なんて言ったって能力者にはデメリットがつきものと麗から聞いていた。ならイプシロンだってそうだ。
「君たちのチームってみんなギリシャ文字で構成されているらしいいけど、みんな君みたいな能力ばっかりなのか? なら麗の能力の方が何倍も凄いと思うぜ、笑美だってそうだ。この結界を張っている誰かさんよりも弱いんじゃないか? こんな私には見えもしない結界一枚で寝たきりの人一人も連れていけないなんて…………君何しに来たんだ? 命令を下したやつも頭が弱いんじゃないか?」
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「アルファ様を侮辱したな…………おじさんもう命ないよ。だって私おじさんのこと殺したくてしかないからさぁっ!! 橘の時よりもひどく痛めつけながら殺してやる……」
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聞こえてきた……叫ぶ私の声に隠れて遠くから“音”が響き渡ってくる。
あと少しだ…………彼らがくる。
もちろん私がイプシロンに勝てるわけがない、能力に目覚めないことなんて私の体なのだからよくわかっている。麗の時みたいに男複数人で襲われてしまったら私だって敵わないに決まっている。だからこそ彼らを呼んだのだ。
ポケットに入れた“ある物”がその存在が近くなっていることを知らせる。あの時迫田さんが封筒に入れておいてくれた……“ある物“。
「言ったな…………いくらクイーンの側近の人物であるおじさんでも、私なら殺せる……」
一歩近づく、その足元はおぼつかない。あの発言的にアルファから私を殺すことは認められていないとみれる。それならば今までイプシロンに殺されずにいることも頷ける。
「死ねッ!!」
そう叫んだ途端にーーイプシロンとは別の男の声が私のポケットから聞こえたーー
「避けろ……雄二っ!!」
言葉と同時に、左足に力を込めて右側に体をずらしながら滑り込むように避ける。それはもう認識の域を超えて反射的な物だった。こうしなければ死んでしまうかもしれないと体に言い聞かせると勝手に体が動き出して右に倒れ込んだのだった。
ひとまず自分の体に何も起きていないことを確認すると安堵する。
声の主は私の名前を呼ぶ。
「雄二……雄二大丈夫か?」
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