生命の宿るところ

山口テトラ

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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜

EP09 エビデンス

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     † 

 とりあえず、隣の畳部屋で座っていた。あれが得策だったとは思えないが私に言えるのはそれくらいだった。ふと恭介の親父さんのことが気になり、部屋の隅に置かれた固定電話に数字を打ち込んで受話器を耳に当てる。コール音は一二回で出た。
「はい、迫田です」
 野太いまさしく男の人という声が受話器から聞こえてきた。
「佐野です、恭介くんの………」
 そこまでいうと、まるで玩具を与えられた子供のように喜びと感嘆の混じった声色で私の会話を遮った。
「佐野くんかっ!! 恭介から聞いているよッ ううん………懐かしいな元気にしてたか? ちゃんと飯は食ってるか? 仕事は?」
 相変わらず彼はこどもみたいだ。公では公務員たる整然とした人なのなが、家族の前やその友人にはここまで砕けてしまう。だが昔お世話になった時の怒る彼はなかなかに恐ろしかったのを覚えている。
「大丈夫ですよ…………もう私も成人ですし」
 ほんの数週間前まで無職だったが、そこは言わずともいいことだろう。
「そうかそうか、もう僕たちは用済みだな。それより……どうしたんだ。僕に用があるんだろ」
「ああ、そのことんなんですが……とある事件のことを聞きたくて」
 私はできるだけ麗に関することは伏せながら、マコト先輩や麗の周りで起こったあの事件のことを尋ねた。
 彼は迷うことなく、こう放った。
「ああ、女子生徒の転落事故の件なら僕も現場に行ったからよく覚えているよ」
「本当ですか!? できる限りでいいんです、教えてくれませんか」
 しかし、彼は少し唸る。
「それがね、あの事件。途中で打ち切られてしまったんだ。僕も当時は反対したものだけど、一介の刑事がどうこうできる物でもなかったみたいなんだ。きっと何か別の大きな圧がかかったに違いない。でもどうしてそれを佐野くんが?」
 捜査が打ち切られた? 一体どういうことなのだろうか。迫田さんは圧がかかったと言っているが、誰がどんな意図でそんなことをしたというのだろうか。
 思い当たる節があるとすれば…………マコト先輩をいじめていた女子生徒達しかいない。彼女達が自分の不都合にならないように裏から操っている……映画の見過ぎと思われるだろう。しかし彼女達の家はどこも名の知れた金持ちなのだ、そのくらいの事容易にできてしまうのではないか。流石にそんなこと迫田さんには言い出せずに彼との電話は終了した。最後に新しい情報が入ったらすぐに知らせる、麗の事件も当時担当していた職場の仲間から聞いてみるとのことだった。
 こんな裏でコソコソと嗅ぎ回るようなやり方は好きではないが、あの麗が正直に全部話すとは思えない。あと警察である迫田さんの意見も気になった。マコトの事件は打ち切られてしまったらしいが、実際はどうなのか。麗の事件もまだわからないことだらけだ。
 すると、遠くから麗の呼ぶ声が聞こえ急いで和室を出ていった。

 †

 麗は目を赤くしていた。涙が出ない瞼を必死に擦ってなく演技をしていたと彼女はいった。自分が涙を流せていたならきっとこうしていたのだろうと、当時の自分を忘れないためにもこうしていないと忘れてしまいそうで怖かったと助けを求める眼差しを向けながら私に嘆く。
「でもまあ、この脳も腐ってしまったこんな習慣すら忘れてしまって…………あなたのことも忘れてしまうんでしょうね」
「そんなことは言うな。どうしたらあなたの“朽ち“を収めることができるんだ? 私にできることならなんでも言ってくれ、君は私の雇い主でもあるんだから」
「だからそれがわからないから苦しんでるんだってばっ」
「ああ、すまない」
 彼女は怒った風にそういうが、もうあの時のように睨んできたりすることはなかった。
「でも強いていうなら……ひとつ私のわがまま聞いてくれる?」
 空虚を描く切断面に一昨日まであったあの細くてしなやかな腕と手を思い重ねる。
 彼女のわがままを聞いてあげることぐらいなら私にもできるかもしれない。
「ああ、なんだ。なんでも言ってみろ」
「あ、今なんでもって言ったわね。これで約束守った許さないからね」 
 なんだか悪い予感がした私は、できる範囲でお願いすると付け足したけれどすでに聞く耳を持たない彼女には届いてないみたいだった。

「私と…………付き合ってくれませんか?」
 
 彼女は恥ずかしさを隠すように俯き気味で囁く。私の耳にはその言葉がピアノの旋律の如く心地よくすんなりと透き通り、脳の中で響き渡る。染み渡るまでに数分を要し、その言葉を噛み砕いて咀嚼した頃にはもう私の中では答えは出ていた。
「すまない、それなできない………」
 俯いていた麗の顔がゆっくりと上がり、私を見上げた。眼帯の奥に見える傷跡が私を責め立てるみたいだった。そんな顔で私を見ないでくれ、私にそんな視線を送らないでくれ、でなければ私は心を変えてしまいそうだったからだ。彼女への想いは決して忘れてはいけない。
「どうしてよ………私のこと嫌い?」
「バカが、嫌いだったらここにいないよ。しかも麗さんのわがままを聞いてやることもありませよ。嫌いだったから断ったんじゃない」
「じゃあ何? 理由を教えてよ…………性格が嫌なの? なら頑張って変えるからっ!! それともこの体が嫌なの? 私と一緒にいたら白い目で見られるのが嫌だから? なら好きにしていいからどんなことでもするから、お願い…………あなたを愛してるの」
 彼女がここまでも私のことを思ってくれているとは想像できなかった。薄々彼女の態度が変わってきていることはわかっていたが、恋愛対象として見ていたなんて……。
「すまない、私には彼女がいるんだ」
「そ、そんな……そんなのってないよっ!! 私もう死んじゃうのに、どうしてっ?!」
 麗は心底わからないと困惑の表情を浮かべていた。
「その彼女も死にかけているんだ。日々明日が来るか怯えている。実際には植物人間なんだか言葉は発せられないんだが、彼女の苦悶を浮かべた表情を見ればわかる。私はそんな彼女に寄り添える人間でありたいんだ。だから君とは付き合えない」
 彼女の頭を撫でた、睨んできたがあの時みたいに憎しみや恨みを含んだものではなかった。それは優しさを含み、すぐに笑った。
「酷いよ、こんな思わせぶりなことしておいて自分はもう彼女がいるなんて…………でももういいや、私に似ている彼女さんなのね」
「ごめん、時々彼女の……笑美の面影を君に重ねていた時があるんだ。君の思いを踏み躙ることをしてしまったことは謝るよ」
「いいよいいよ。一方的にそう思っていたのは私の方だったから……」
「にしても、どうして私なんです?」
 麗は恥ずかしそうに身を捩る。
「そりゃ、もう裸も見られてるしトイレだって見られてるんだよ? 最初は嫌だったけど心許していってたら自然と佐野さんのことよく考えるようになってて……恋愛とかろくにしたことないからわかんないけど、もうすぐ死んじゃうことも合わせると急いで言わないとって思って……」
「…………そうだったんだな」
 彼女の言いたいことはわかっている。だが私には笑美がいる。私には彼女を裏切ることはできない。
「腕無くなっちゃったけど、私には佐野さんがいるからいいやって思ったら気も楽になったの。ま、そういうことだからこれからもよろしくね」
 私は呆れてため息が出た。この人はどうしてこうも傷ついているのに笑顔でいられるのだろうか。だが私としても彼女が笑顔でいるのは嬉しい、悲しい顔を最近はよく眺めていたから笑ってもらえるのは気も楽だ。
 しかし私にはこの時、無くなってしまった両腕のことをまだ現実として受け入れられていなかった。それは彼女の方も同じだったのかもしれない。

 5 8月22日

 そうして知らされた事実は私の求めていた事実とは到底遠いものだった。

 その日は彼女の検診日が金曜日にずれて休みになった。いつも土曜日がその日なのだが、彼女が体調を崩してしまったのが原因だろう。あの告白された日から彼女の様子は少しおかしかった。熱が出ていたのは確かに私も理解していた、あの男は様子見しろとのことであまり重たく考えてはいなかった。しかしなかなか治る兆しがなく今日検診もあわせて病院へあの男と行ったのである。
 部屋でうたた寝していると恭介の親父さんから電話がかかってきた。あの日頼んだことをもう調べ上げていてくれたことに感謝しつつ報告を聞くこととなった。それが私にとって衝撃の告白出ることも知らずに…………。

「まずは私も担当したことがある女子高生転落事故について説明するよ。この前封筒に入れておいたものはいざという時のために身につけておいてくれ」
 それが始まりの言葉だった。
「まず事件は六ヶ月前の5月の中旬に起こった。その高校に四月下旬から転校してきていた当時二年生のTは先輩である三年生のAと戯れあっていた末に階段の十三段から転落。そのまま病院でAは息を引き取り、Tはまだ学生だったことと決定的な動機もなく戯れあっていただけという目撃情報もあって無罪判決。事件はそのまま幕を下ろしたとされていたが…………ちなみに僕がいた時はTの情報もなかったし、これは事件とされていた。いつの間にかTが現れて裁判も無罪……一体何があったんだか」
 私は嫌なことを考えていた。T……麗はいじめグループがやったと言っていた。しかしこの話では一人の人間がしたものとされていた。しかもTというのはタチバナ……麗の名字とも合致してしまうのは偶然だろうか。
 嫌な汗が背中をすっと流れていくのを鮮明に覚えている。
「しかしそこで第二の事件が起こった。それは女子生徒転落事故の関係者とされていたTが複数の男に強姦されるという悲惨なものだった。転落事故から数週間後に帰宅途中のTを四人の男が拉致したのちに……何度聞いても嫌な話だがTは重傷を負いながらも命に別状はなかったらしい。ここからはもっと嫌な話だが、男四人は逮捕されて裁判にかけられる前に皆じたを噛んで自殺した…………誰も裁かれることもなく事件が終わってしまったんだ」
 激しい動機とともに嫌な予感は的中した。Tは橘麗……その本人だったのだ。事件は無罪だったとしてなぜ私に嘘をついたのだ………。聞けるのなら今すぐにでも訪ねたかった、しかし彼女はタイミングよく居ない。
「犯人たちはみな口を揃えて“イプシロンがやった”と言っていたらしい」
「イプシロン? ギリシャ文字ですか」
「そうだ。これは知る人ぞ知る、いわゆる犯罪系の何でも屋って感じだな。僕たちが追いかけている事件の背後には大体こいつらがいた。こいつらの組織はみんな名前がギリシャ文字で構成されていてイプシロンはNo.5とも言われている。あいつらの足は数人を抜いて依然として掴めていない……こうして警察を名乗っているのが恥ずかしいよ」
 まるでアニメや漫画を見ているような発言……しかし私は笑美や麗の超能力に似たものを目にしているため不審には思わなかった。ただそんな組織がいる中私は生きてきたのかと驚く。
「イプシロンは証拠を残さない、自分の手を汚さない、その手のプロだ。今回の件はなんとか犯人逮捕まではいったがまさか集団自殺とは…………一体どんな手を使ったのか。麻薬の線も考えていたらしいが、不明だ」
 きっとイプシロンは笑美や麗と同じだ。超能力を持っている。
「すみません、そのTとAの名前を教えてもらってもいいですか?」
 私はまだ希望を持っているつもりだった、もしかすると同姓同名の別人かもしれないと。
「ここまで話しておきながら何をいうかと思われるかもしれないけど、私も警察だしプライバシーの問題もあるしなぁ」
 申し訳なさそうに彼の声が受話器から聞こえる。
 だが、私も引けなかった。
「大事なことなんです…………これを聞かないと私に何か起こりそうなんで……絶対後悔するんです……もう笑美の時みたいに後悔したくない。麗を悲しませたくないんだ」
「そんなに重大なことなのか?」
「はい……とても重要なんです。もう迫田さんしか頼れないんです」
 迫田さんは察してくれた………私と麗が何かしらのことがあるのだと。
「そうか。それを教えなくて後悔する佐野くんを見るのは嫌だからね。それだと僕も後悔してしまうかもしれないからね」
 彼はふっと少し笑う。私も釣られて小さく笑った。
「他言無用だよ? Tは橘麗、Aは新田真(アラタ マコト)……二人ともよく名の知れた財閥のご息女だ。警察署では持ちきりだったのを覚えてるよ」
 私の期待は打ち砕かれた。 
 やはり麗だったのだ。この転落事故でマコトを突き落とした原因を作ったのは彼女だったのだ。
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