生命の宿るところ

山口テトラ

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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜

EP08 尊厳死

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 †

 家に帰るなり私は恭介に電話をかけていた。
 あいつなら麗のことやマコト先輩のことがわかるかもしれないからだ。何せあいつの父親は北洽崎警察署の巡査でいわゆる刑事なのだ。この洽崎で知らぬものはいないぐらいに顔が広く私も学生の時はいい意味でも悪い意味でも良く世話になった。彼に聞けば何かしらわかるかもしれない。
 コール音が数回鳴り、恭介はでた。
「恭介か。佐野だが…………」
「おう、お前から電話なんて珍しい。なんだ? 何かあったのか?」
 食い気味に迫る彼は心底嬉しそうな声をしていた。確かに私から恭介へ電話をすることは滅多になかったが、それでここまで元気な声を出せる彼は相当お人好しなのだろう。
 私は遠慮することもなく彼に本題を告げた。
「お前に頼みがあってな。今親父さんいるか?」
「いや、まだ仕事から帰ってないと思うぞ。あの人結構帰り遅いからな」
 そう他人事のように語る彼は少し声を落とす。それはあいつの悩みでもあった。確かに顔が広く善良な人と知られている恭介の親父さんはその代償に家族との関係をうまく保てていなかった。仕事を頑張りすぎて家族との時間を作れず、やがて溝ができていき家族の中はとても良好と言えるものではなかった。それでも親父さんを誇りに思っている恭介のためになんとか仲を深めようと笑美と試行錯誤したこともあった。今ではだいぶ落ち着いた方ではあるが、当時は親父さんの存在は恭介にとってコンプレックス一歩手前というところまで来ていた。
 そんな仲であると知っていて私は今このようなことを頼もうとしている。
(許せよ……恭介)
「そっか、なら帰って来た時でいいんだが私が会いたがっていたと伝えておいてくれないか?」
「お前が親父に? それまたどういう風の吹き回しだ?」
 確かに友人が急に父親に合わせろというのもなかなかおかしな話ではあるなと思った。
「まあ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「オッケー、伝えておくよ。…………なあ、雄二。それって俺に言えない内容なのか?」
 麗のことを公にするなと、契約書には記されていた。
「すまない、本当だったら言いたい。だがこれは私の問題でもあるし、ある人の問題でもある。だからまだ教えることはできない」
 受話器から掠れた笑い声が聞こえた。
「いや、こっちも変な雰囲気にしちまったごめんな。なんだか虚しいんだよ。昔俺のことを頼ってくれていたお前が自分で行動して、自分で悩んで…………いいや、なんでもない。じゃあな、俺もう寝るよ」
 彼がなんと言おうとしたのか、私は少し察せられた。
「ああ、わかった。おやすみ恭介」
「おう」
 私は自分に喝を入れるために数回頬を叩く。
 なぜここまで彼女に……麗に深入りしようとするのだろうか。本来なら事件のことも、彼女のことも仕事だと割り切れるはずなのに、私は何が知りたいんだ。
 笑美、私は今どこへ向かおうとしているのだ。

 
 † 11月18日 月曜日

 いつも通りだった。いつも通りの時間にあのマンションへ向かい。いつも通りスーツ姿の男性と家族連れに挨拶をして四〇三号室を目指し足を動かした。
 ただしいつもと雰囲気が違うのをすでに私は感じ取っていた。それは日曜日私の元に一本の電話がかかってきたことが始りだった。大した電話ではないと思い、受話器をとった。しかし電話の相手はあの男だった。麗の仕事を私に持ちかけたあの無機質な男……電話越しに聞く彼の声はより一層ロボットのように心が灯っていない声をしていた。
 その内容に、私の眠気は一気にどこかへ飛んでいった。
 何度も私は真偽を問い、彼は沈黙を貫いた。望んでいたような回答はやってこなかった。
 そんないつもよりも気を落としている私は…………いや、私はただ感じ取っているだけだ。偽善だ。本当に気を病んでいるのは麗の方であろうに、彼女は気を落としているなんてところの話ではないだろう。
 彼女にどういう表情で会えばいいのかわからず数分間ドアの前に立ち尽くした。意を決してドアを開けた。廊下を真っ直ぐ歩き麗のいるリビングへ向かった。
「やあ、麗さん。今日もよろしくお願いします……」
 そういつもと変わりなく接してみた。もしかしたら、彼女も変わりなく接してくれるかもしれないと願った。だが当然彼女の心は深海へと沈むように暗くなっていた。
「ああ、佐野さん。きてたのね」
 昨日……彼女の体から、両腕が消えた。
 体が朽ちていってこの腕も消える。麗はこの前そう言っていた。それがまさかこんなにもはなくやってきてしまった。彼女の腕がもう動かないことには薄々気づきはじめてはいた。だがもしかすると手術で治るのではないかと淡い期待をしていたのがバカだった。そう思っているうちは私は彼女の痛みは理解できない。
 麗はなくなった腕を見渡した。その姿は今まで以上に小さく、儚く見えた。
「こんな姿になっちゃった……………気持ち、悪いよね………」
 今にも泣きそうな顔をしていた。いや厳密にはもう涙は出ていた、だがそれは枯れてしまい彼女は涙を出したくても出せないのであった。それに私は気づいた。
 彼女の体から涙が消えてしまった。
「うららッ!!」
 泣きながら麗に抱きついた。今泣いているのは厳密には私ではなく麗の方なのだ。枯れてしまった涙を私が代わりに流している。今になって気づく、これこそが皆の言う“能力”と言うものなのだろうと。
 私は、人の心に反応して感情を共有する“能力“……………。
 あまりに実用性のない能力だと思うと同時に、自分らしいなと感じる。なんの生産性のない私にぴったりな生産性のない能力だ。だがここで能力を否定してしまったら“副作用“が働いてしまうため自虐的な発言もここまでにしておこう。
「佐野さん…………わたし、わたし……どうしたらいいの?」
 私の胸の中で麗は声を振るわせながら擦り寄った。
 苦しい、自分の体をもうこの世にはない。あれだけ自由に動かせていた体が消えてしまった。何気なくペンを握っていた手、何気なくラケットを振っていた腕、何気なく歩いていた足、必要とあらば走った足、もう十数年間を共にした家族よりも親しかった体の一部が一斉にして私を見捨てた。私が何をしたというのだろうか、なぜ体を奪われなければならなかったのか。自分が能力を否定してしまったからなのか、それとも“あの男たち“襲われてしまったからなのか、それともマコト先輩に出会ってしまったからなのか。必死に考えたがどれも正解ではないし不正解でもない。かと言って偶然が重なった悲劇かと言われればそうではない、生まれた時からこうなることが必然だったとも言える。私はどうしたらいいのだろうか。誰かに助けてもらいたい、助けてほしい。
 麗の感情が流れ込んできた。これが彼女の思いか……。
 確かにこの事件は悲劇だった。だがこの事件にはなんかまだ隠されている気がしてならない。だから自分ができる範囲で事件の全貌を知りたい。そうすることが麗のためになるのだと私は考えたのだ。
「何もしなくていい。君はもう十分に頑張ったよ…………私にできることがあるなら言ってほしい。できる範囲で叶えてあげるよ」
 私はなぜこうも麗に干渉したがるんだ。彼女とはまだ出会って二週間も経っていないんだ。なのに昔から出会っていたような感覚が私の胸の奥に存在する。だから彼女に尽くしてやりたいと思う、彼女の感情を汲み取ってしまう。これは憶測でしかないのだが、それは笑美の存在が大きと思う。私は能力含め麗の境遇を笑美に重ねていたのではないだろうか、笑美に何もしてやれなかった私は似ている麗に何かできることがないかと模索してしまうのは必然と言えるだろう。笑美もきっとそう言ってくれる。誰かのために何かしてあげることはないかと考えるのは偽善ではないと彼女も言ってくれるはずだ。
「私…………佐野さんと一緒にいたい。死ぬその瞬間まで一緒に…………」
「縁起でもないことを言うな。君は死なない。今の医療は進化しているんだ。きっと………」
 そうは言ったものの、私は病院が嫌いだと常々この日記に記してきた。今その解答を出そう。笑美は生きている。だけれど死んでいる状態に等しい、いわば植物人間の状態にある。この近くにあるU病院に彼女は眠っている。医師はすぐにでも助けたいと言っていたが、それはそれに等しい金があるならの話であり、金なしでは動こうとしない……私から見ればあの医者たちの方が悪魔に見えた。私は彼女を助けようと一人で模索していた、決して一人の人間には払えそうにない金額でったのは説明するまでないが出鱈目に抵抗していようと試行錯誤した。仕事を掛け持ちしてみたりもした。だが到底辿り着きそうになかった。そうして今につながる。
 彼女はすぐに助けようとせず、ウジウジしている私を恨んでいるだろうか。彼女はそんなことを言わない性格であるのは知っている。だけれど本心はわからない。植物状態の人間は思考することはできるのだろうか。何もない空間に囚われているのか、はたまた夢のような世界にいるのか。どちらも想像でしかないが、とにかく私には彼女を……笑美を助けなければならない。
 それが私の病院嫌いの原因なのだ。金でしか動こうとしない悪魔たちのもとで眠っている笑美はさながら攫われた姫君のような存在であった。助けに行くのが私の役目であるのに私は悪魔の屋敷の前で一生右往左往するだけでその大きな門を潜ろうとすることすらせず、偵察しているだけなのだ。悪魔は私の方なのか、それとも医師の方か。
「佐野さん……私は思うんです」
 顔を私に胸に埋めたまま籠った声で麗は言った。
「なんだ、言ってみろ」
 極力彼女に刺激を与えないように努めて優しい声を出して対応する。
「この世界には“痛いのは生きてる証拠“という言葉があるけれど、この痛い思いを我慢すれば私は生きていけるの? 死なないで済むのかな……」
 私はどう返せばいいか悩んだ。確かにそんな言葉を聞いたことはあるが、笑美と件を合わせて考えるとあまりにも無責任な言葉である。痛みを感じるのは“生きている“につながるのだろうか。死ねば痛みがなくなるのだろうか。
 頭の中が混乱していく。
「私を殺して…………このまま腐って死んでいくのはやだよ……」
 助けを求めるように、懇願するように、麗はいった。助けを求めているのに殺して欲しいとは矛盾している。だがそう思ってしまう気持ちも痛く私の心に響く。彼女は日々痛みを背負っていた。いついかなる時でも自分の体が朽ちていく痛みを、感じていたんだ。
「ダメだ、君は殺せない」
「どうして……あなた言ったわよね? 他人の気持ちを共有するって……なら私の今考えていることもわかるんでしょ、ならそれに従ってよ……」
 私を見上げながらまたもや自分を見捨てたような発言を繰り返す。
「この世には自由に生きたくても生きれない人間がいるんだ。私の友人もそうだ。ならまだ生きているうちは自分の命を粗末にするのはダメなんだ」
 彼女は出会った時みたいに私を睨みつける。
「ひどいわ……私よりも痛みを感じている人間がいるっていうの!?」
「ああ、そうだ。彼女は体を自由に動かすこともできずに、まだ意識があるのかないのかそんな次元の中に囚われ続けている。まだ人生はこれからだっていうのに、無慈悲に彼女は死んでいるも同然の状態にあるんだ」
 彼女はハッとした。その境遇は自分にとても酷似しているのに気づいたからだろう。笑美もそうだった。あの環境においても必死に生きていた。死ぬことを望んでいた人間たちを励まし続けた。その人たちが集団自殺をしたときは全員の痛みを背負うかのように泣き尽くした。
「それに、わたくしの仕事はあなたの介護です。殺すことではありませんよ」
 どこか悔しそうに涙を堪えながら彼女はそっぽを向く。
「ひとりにして…………」
「わかった…………好きなだけ悩んでください。そして生きる意味を考えてください。死に急ぐことは良くない……」
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