生命の宿るところ

山口テトラ

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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜

EP07 欠損累積

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「やっぱりダメだった。私は案の定、この体にさせられてしまった」
 私は話を理解できずに戸惑った。いくらなんでも話が飛躍しすぎだ。
「なんで、いきなりそんなことに…………?」
「この前聞いたでしょ? お金さえあればなんでもする連中がこの世には存在するって」
 私は頷いた。
「私は何者かによって雇われたその“連中“によって地獄も同然の痛みを味わされた。そうして傷だらけのこんな姿になってしまった」
 麗が先週あんな話を持ちかけてきた理由がわかった。あの時私はジョークだと思って笑っていたが彼女には到底笑ってはいられない状況だったのだ。私は笑っていた自分を恨んだ、彼女はその時にも痛みを感じていたはずなのに…………。
「ここからは私の独り言みたいなもの、聞き捨ててもいいわ」
「ああ、聞くよ」
 ふっと痛みを堪える彼女の表情が見えた。それはきっと幻肢痛に近いものだった。彼女は過去の話をするたびに元凶となった“連中”につけられた痛みを感じてしまう。失った足やもう使えないほどの腕、無くなった眼球が、痛むんだ。私には何もできなかった、慰めることも痛みを忘れさせるようなことも、それは麗だけではない“笑美“の時だってそうだった。
 ーー私はいつだって無力だった。
「私は昔から、傷の治りが早い体質だったの」
 俯き気味の私にそっと彼女は言った。“傷の治りが早い体質”それはいつの日か同じことを言っていた。
「すこし治りがいいとかそう言う話ではなくって、傷ついた瞬間に治ってしまうほどの常軌を逸したものだった。昔はみんな同じだと思っていた、だけど体育の時間に怪我をした友達を見て自分が普通ではないことを知った。それから怪我をしても痛いふりをしたの、とっくに傷も治って痛くもないのに演技するのは大変だったわ…………」
 私は麗の話を聞いて動悸が激しくなった。
(笑美もそうだった…………笑美も麗の言う常軌を逸した力があった…………)

 そして笑美はそのせいで………その力のせいで私は…………笑美は………。

 落ちる、隕石のように勢いよく、対象は私たちめがけて降り注ぐ。
『雄二くんっ!! 危ないっ!!』
 もう体は動かなくなっていた彼女は最後の力を振り絞り私を押し出す、一瞬の出来事で何が起こったか把握しきれないでいる私は目の前の状況を見てただ発狂する。己を忘れ、ただ動物が鳴くのと同じように本能的に雄叫びにも似た叫び。
 発狂しながら、泣きながら彼女を探した。瓦礫に埋もれた彼女を探すのは容易ではなかった。瓦礫をどかすたびに体が傷ついていった。爪が剥げ、手を切り出血して、いずれは指の骨が折れた、やがて鉄針で手を貫いた。心が痛くなった、心が霞んでいった、心が腐っていった、心が朽ちていった、心が死んだ、心が消えた。心が……心が……体が……体が体が。

 瓦礫の隙間から笑美が見えた。彼女はまだ意識があった。彼女を見つけた瞬間に体の痛みも心の痛みも忘れて無我夢中に彼女を呼んだ。
 やがて彼女は目覚めて、私を見つめた。私は相変わらずしぶとい奴だと笑った。
 彼女は微笑み返してこういった。
『雄二くん……私死んじゃうのかな……………』
『馬鹿ッ!! 死ぬわけなかろうが…………私が助けてやる、私が…………』
 彼女の頬を撫でた。だが撫でるほどに血に濡れた。
『雄二くん血が…………血が出てるよ…………』
 そうだ、指が折れて挙げ句の果てに出血までしていた。そんな手で彼女を触ってしまった。
『そんなことはどうでもいい…………それより笑美が心配だ……』
『あはは…………雄二くんが私のこと心配してくれてる、嬉しい…………』
 こんな時になっても明るさを忘れない彼女の姿は痛々しかった。
 そして彼女の腹部が出血しているのに気づく、瓦礫が刺さってしまっていたのだろう。
 すぐに自分の服を破いて彼女の傷口に強く押し当てた。ドラマや映画で見た程度の知識でしかなかったが、出血が止まるように願いながら抑える。
『苦しよぉ…………雄二くん……もっと優しくしてよぉ…………』
 涙をこぼしながら私の腕にそっと手が触れた。彼女の手は暖かった。その温もりを感じて私の瞼もやがて熱くなる。涙が溢れて仕方がなかった。ボトボトと涙をこぼしながら傷口を抑える、手の痛みなんて気にしている場合ではなかったがやはり痛かった。でも彼女は私以上に痛い思いをしている。
『ダメだっ!! 笑美死ぬなぁ…………ダメなんだよっ!!』
 そう叫んだのを待っていたかの如く外が光った。
 救助隊だった。この震災からもう一週間たっていた。遅すぎる救助に怒りを覚えたが今はそんなことをしている場合ではなかった。早く笑美を助けたかった。
 駆けつけた救助隊たちに笑美のことを伝えて私よりも先に送ってもらった。束の間の安堵を感じた。救助隊達が来たのならもう身の危険を案ずることは無くなった。あとは笑美の容態が気になった。
 笑美はどうなったのだろうか、助かるのだろうか、それとも…………。
 私は嫌な予感を忘れるために首を横に振った。
 そうして私の番が来た。救助隊の助けだ。

 呼ぶ声がする。この世界ではない。
 呼ぶ声がする。私の名を……呼ぶ声が。だがこの世界ではない。
 呼ぶ声がする。この世界から私を呼び戻す声、いや元から私のいるべき世界はここではない。ここではないんだ。
 
 目を開けた。一瞬であの時の出来事を思い出していた。
「佐野さんっ?! 大丈夫? 苦しそうな顔してるわ……」
 呼んでいたのは麗か。もうすこしであの世界に囚われるところだった。
「ああ、すまない。少々眩暈がしただけだ…………」
「そう、ならいいんだけど」
 私のことを心配してくれたのだろうか。まだ一週間しかたっていないと思っていたが、彼女との仲はすこしずつだが縮まっているのだと実感する。
「それで…………麗さんはその力を持っていてどうなったんだ?」
 脱線してしまった話を戻そうとした。
「本当に大丈夫なの? 顔が真っ青よ?」
「ええ、大丈夫ですって」
 しつこく聞いてくる麗だったが、腑に落ちないといった顔つきで語りを再開した。
 しかしなぜ彼女は私の心配をしてくれるのだろうか。あれだけ辛辣な態度をされていたのに……まあ一週間も同じやつにあっていたらこうもなるか、と自己解決しておいた。
「だけど、“あいつら“はそんな私の体質を面白がって出鱈目に傷をつけてきた。当然私の体は再生を繰り返した……傷は治るけど痛いのには変わりないから私は地獄のような時間を過ごした。傷をつけられ、治り、また傷をつけられる。傷が治ると言う能力をここまで恨んだことはなかった。これほどまでに苦痛を味わされてしまうのなら、こんな力いらないと私は思った。だから…………」
「能力の否定は自分自身の否定…………」
  つい彼女の発言に被せてしまった。麗は驚いた顔をしていた。
「驚いたわ、佐野さん……あなたまさか……」
「いや、昔友達に麗さんの言う能力使いと言うのがいましてね。彼女は私によくその言葉を言っていました。能力を使うものは自分の力を否定してはいけない、それは自分の存在の否定であり、能力の消滅につながる。能力の消滅は自分の消滅に等しいって」
 彼女は納得した様子だった。しかし笑美以外にも能力を使える奴がいただなんてな。てっきり彼女だけの力だと思っていたが、意外とこの街にはたくさんいたりするのだろうか。ただ私達が知らないだけなのだろう。
「だからすんなり私の話を信じてくれたのね。そっか、佐野さんの周りにもいたんだ………」
 彼女は嬉しそうな顔をした。これは私の考察でしかないのだが、彼女は今初めて誰かに自分の能力について語ったのだろう。だけど話した相手は自分を否定することはなかった。だから嬉しかった。今まで隠してきたことを隠したままにしないということがどれほどキツく苦しいものだったか私には想像できない。麗も笑美もきっと同じ気持ちだったはずだ。
「それで能力の否定をしてしまった私に訪れたのは、傷の再生の停止と自分の体が滅んでいくというものだった」
「傷の再生停止……体が滅ぶ?」
「そう、傷の再生が止まって私は目と両足と両腕の傷が治らなくなった。“あいつら“は私の体の傷が治らないと知ったら傷をつけるのをやめてしまった。だから他の部位は助かったの」
 彼女はなぜそこまで痛めつけられなければならなかったのか。抵抗もできずに体を切り付けられる想像をした。傷が治ると知った“あいつら”は面白がってそういう倫理から外れた行動を取ったのだろう。きっと傷が治らないと知ったままだったら彼女がここまでなることはなかったはずだ。実際に傷が治らなくなり“あいつら”は行動をやめている、それが証拠だ。下肢を幾度もナイフで刺され血液が噴水のように噴き上りやがて足が爛れ落ちて行く、腕を枝を折るように捻られ骨にヒビが入って折れる瞬間を味合わされ、目をナイフで抉り取られた…………私の想像なんてまだまだ優しい方なのかもしれない、本当の痛みを味わった彼女の記憶に比べたら全くもって及ばない。
「そうして体の滅びが始めったわ…………何もしなくても体がじわじわと朽ちて行くのがわかる。体の遠位から腐って行くような感じを想像してもらえればわかりやすいかな。そしてしまいには内側に侵食しミイラみたいになって死ぬんだわ…………」
 自分の体を癒す能力は否定されて、自分の身を滅ぼす毒へと変貌してしまった、そういうことなのだろうか。
「いずれは、この腕も腐ってしまう。そうなると本当にあなたに頼りっきりになるわね」
 なぜ彼女はこんな時も笑っていられるのか。私を不安にさせないためか? それとも自分の痛みに嘘をついて笑っているのか? なぜだ。なぜなんだ。
「なんで君はそう笑っていられるんだ?」
「だって早く死ねば、マコト先輩に会えるし、手が使えなくなったらあなたに素直に甘えることができるから…………待ち遠しいの」
 心が彼女によって握りしめられる。彼女は私に対してそう思っていたのか。さっきからの言動は確かに他人に話せるようなものではない。ならなぜ私に明かすのか、それは…………。
「ねぇ、佐野さん。私死ぬんだよ? 死んじゃやだよ……死にたくないよ」
「麗さん」
「マコト先輩に会いたい…………でも死にたくもないの………」
 俯いた麗は叫んだ。彼女は泣いているのだろうか、それとも苦しんでいるのだろうか。見えないからにはわからないが、悲痛に塗れた感情なのは間違いない。
「ダメだ麗さん、そんなこと言ってはいけない。マコト先輩が君に一言でも死んで欲しいって言ったのか?」
 彼女はハッとして顔を上げる。
「先輩は私に楽しく生きて欲しいって言ってた…………自分が死ぬまでずっと“誰にもいうな“って言いながら私に“生きろ“って…………」
 彼女は天井を見つめた。まるでマコト先輩の幻でも見ているみたいに。
「せっかくある命なんだ…………粗末にすることは良くない。そして私もマコト先輩も君が命を粗末にするように死ぬのを許さない。だから、生きよう。私がいれば大丈夫だ」
 何か言われるかもしれないと思ったが私は麗の頭を撫でた。こうしてやることしか私にはできなかった。ただ“私がいれば大丈夫“というのは正直無責任な言葉でもあった。体が朽ちていっているのは彼女本人であり私ではない。中身が見えない私はどうにか彼女を落ち着かせれる言葉を言う他なかった。ふと彼女の表情を見た。
 麗は猫みたく目を閉じて気持ちよさそうに撫でる私の手に擦り寄る。その姿を見て思わず私はドキりとした。今まで本性が一瞬だけ垣間見えることはあったがこうも彼女の内面が現れているのは初めてだった、正直に可愛いと思った。ただ存在しない両足と白い包帯に巻かれた両腕と片目を隠す眼帯を見るとすぐに現実に戻されてしまう。
「うん、ありがとう。“麗“間違ったこと言ってたかもしれない…………」
 そう言った途端に麗は口を押さえた。確かに今彼女は……。
「自分の名前が一人称なんて可愛いところあるんですなぁ…………」
「うっさい、今の忘れて……」
 彼女は顔を赤くした。距離は確実に縮み始めていた。
 さっきまでの話とは打って変わって明るい内容へと変わった。それは安心するのと同時にまだ翳りを持っているように見える彼女の本当の姿が見れないのが不安にも思えた。
「麗さん、ひょっとして私の前だけ猫被ってません?」
「違うってばっ!! ああもう最悪…………佐野さんなんて大っ嫌いっ」
 よそを向いてしまった。
 私は心に微かな曇り空を感じた。あのタイミングで夢を見るように現れた“あの震災の時の記憶”と数奇な運命を背負ってしまった“橘麗という存在”…………神は私に何を選択させようとしているのだろうか。私にどうしろというのだ、私に何を思い出せというのだ。
 顔を赤くしてよそを向いた麗を見た。
(今は彼女に寄り添ってあげるのが私の選択だ。今はそれだけでいい、それだけで…………)
 そう言い聞かせ、また彼女の頭を撫でた。
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