生命の宿るところ

山口テトラ

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とある男の手記〜両手足のない少女との介護生活記録〜

EP06 回想法

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それからも自分の内をあまり打ち明かさず“上”の存在の彼女達の会話に参加した。話が合うように流行りのドラマを見たり、なるべく肯定しつつ自分の意見も言いながら話の同調にも苦労しながらもなんとか乗り切った。自分の家の話をされた時は本能的に“測られている”と感じた。自分が試されている、そう思うと緊張で固まりそうになりながらその場を流してきた。
 そしてもうそろそろ自分の階級が決まるというのにも気づいてきた。彼女達の対応を見ていればなんとなく察せられるのだ。誰がこの順位を決めてそうするように命令しているのかはわからなかった、そしてそれを知ろうとも思わなかった。
 現実の厳しさに目眩を覚え、授業を抜け保健室を目指していた時に“それ”は来た。
「あ、あなた…………ちょっと待って」
 聞き覚えのある声に不意に振り向いてしまう。そこにいたのはあの時にいじめられていたマコト先輩だった。
「マコト先輩…………こんにちは」
「ええ………こんにちは…………」
 お互い挨拶を交わす。彼女とは実に三日ぶりの再会だった。お腹を抑えている彼女は元気はなかったし苦しそうな顔をしていたがあの時みたいに悲しそうな顔はしていたなかった。ただ腹痛か何かで保健室に行っていたのだろう。
「先輩も保健室に行っているんですか?」
 うんと頷く。同じ目的で行動する先輩がなんだか嬉しくなり並列で歩いた。ここでなら“上”の連中も授業でいない。
「マコト先輩、よく保健室に行っているんですか?」
「そう、昔から体が弱くて……」
 そういうと先輩の体が急によろめいて私の体にもたれかかるような体勢になる。
「先輩っ大丈夫ですか?!」
 急な出来事に私も驚いたけど不思議と嫌な気持ちはしなかった。
「ごめんなさい…………体に力が入らないの、なんだかフラフラしちゃって…………」
「全然大丈夫ですよ……とにかく早く保健室に行かないと…………」
 その時はただ先輩の役に立てて嬉しかった。いじめられていた時に何もできなかった自分がこういうことで先輩にすこしでも何かできているのだと思うと罪悪感も抜けていきそうで気持ちが軽くなったというのも理由の一つだ。最低な理由だとわかっていた、でも本当にその頃は先輩に何かしてあげたかったという罪悪感に押しつぶされてしまいそうな自分の気持ちの休める場所が欲しかった。それが本人も前でできたことで心底救われた。
「着きましたよ」
「あぁ…………助かったよ、ありがとう」
 保健室には先生はいなかった。先生はいざという時に生徒が来たらどう対処するのだろうか。だがこの場に先生がないのは都合が良かった。
 先輩をベッドまで連れて行くと“もう大丈夫”と手で制してきた。ベッドの端に腰掛けて深呼吸をした。私も向かいのベッドに同じように腰掛け先輩を見つめた。あの時はあまり顔を見れなかったけど今は安心して先輩を見れた。これも周りの目がないという安心感からだろう。
「ねぇ、嫌じゃなかったらだけど…………私とおしゃべりしてくれない?」
 それは私にとってもありがたい提案だった。その頃はマコト先輩について知りたくなっていたからだ。彼女の存在に惹かれていた、それはある意味では弱肉強食の世界で弱者とみなされたもの同士の傷の舐め合いということでもあった。
「もちろんっ!! 私も先輩のこともっと知りたいですっ!!」
「ふふっ………ありがとう」
 先輩はとても上品な人だった。何事に対しても相手を思い、あの時逃げてしまった私に対しても責めるような発言を一切せず。楽しそうに笑い、ただ時にお腹を抑え苦しそうな顔をするけど私に気をつかってかすぐに笑顔を見せる彼女はとても健気にすら感じる。そんな時にどう言葉を返していいかわからず“大丈夫ですか”と気の利いた発言をすることはできなかった、当然遠慮深い彼女は“うん”と頷くことしかしなかった。こんなことで彼女を知ったつもりでいようとする自分は逆に遠慮のない、図々しい人間なのかもしれない。
 私はさっきまで感じていた目眩もどこか遠くに行っていた。マコト先輩になぜここまで接触したいか、さっきも記したように傷の舐め合いと表現してもいい。だが根幹にはもっと何か違うものがあったはずだ。それは興味や好奇心の域を超えた、“一目惚れ”に近いものだった。すこしボサボサとした髪も目の下にできたクマも健気に笑う彼女が愛おしかった。私には役目は務まらないだろうが、守ってあげたいと思ったのがその感情の始まりだ。
「そう、麗さんっていうのね。順序がめちゃくちゃだけど、たくさんおしゃべりしてくれてありがとう。こんなに人と話したのも久しぶりだったわ………麗……綺麗な名前ね」
「ありがとうございます……マコト先輩だってかっこよくて綺麗だと思います」
 お互い笑いあう。保健室の先生はまだ帰ってはこない。
 そして私は彼女に踏み込んだ話を持ちかけることを決意した。それで先輩を知ることになるとは思っていない、ただそれを聞いて自分にできることがないか考えたかった。マコト先輩を守りたいと思う気持ちがそうさせたのかもしれない。
「先輩は…………どうしていじめられていたんですか?」
 先輩は嫌がるかと思ったが別段気にしている様子もなかった。今思えばただ感情として出していなかっただけで内側では何か思っていることがあったに違いない。
「私は順位が低いから…………あと私が抵抗しないからだと思う。都合よくストレスを発散ができる道具か何かだと思われているんじゃないかな」
 順位という言葉に少しドキリとした。
 先輩は自嘲気味に笑った。
「どうして抵抗しないんですか? どうして誰にも言わないんですか?」
 率直に思ったことを口にしてしまった。
 彼女はやはり悲しそうな顔をした。この表情はいじめに関わる話をする時にする顔なのだと理解する。
「みんな私に構ってくれて嬉しいじゃない。忘れられてないんだって思う時があるんだ」
 マコト先輩の発言は私が思っているものとは違った。彼女はあくまでいじめてきた連中のことすらも肯定してしまうような人間だったのだ。
「じゃあ、なんで悲しそうな顔するんですか?」
 つい口が軽くなっている私は先輩への追求をやめなかった。
 その二つのクマの上にある双眼は私の目を見つめている。それはある種諦めに近い眼差しに感じる。私は何も言ってくれない先輩に困惑の表情で返すことしかできなかった。
「なんで、笑っていられるんですか? 悲しい顔をして苦しそうな顔をして……なんで誰かに助けて貰おうって思わないんですか?」
 さらに続ける。だが見つめる目は一向に変わらない。
「誰かに助けてって言えるなら言ってるよ。でも私のことを誰も助けようとはしてくれないでしょう?」
 何も言えなかった。いじめられているわけでもないのに失礼なことを言ってしまったこと、彼女の発言には反撃する意味もなかったこと、そして何も私が先輩を責める権利なんてなかったこと…………先輩の一言で気づかされた。
 でも……と言いたかった。私がいるって言いたかった。しかしそれは偽善であるような気がした図々しいとも思われるかもしれない。そう考えると言うのを躊躇ってしまった。
 だがマコト先輩は違った。今にも彼女の目線から逸らしたい気持ちでいっぱいの私と違い、ずっと見つめている先輩には私の感情などすぐに読み取れてしまうのだ。
「私がいるって言いたそうな顔ね…………」
 なんて言われるか、嫌われてしまうかもしれない、怒られるかもしれない、色々なマイナスの感情が溢れ出てついには目線から逸らしてしまう。そして先輩はいった。
「頼りになるわ…………いざという時は助けてね麗ちゃん………」
「え…………」
 彼女は怒ってなどいなかった。しかも笑っていた。
「この前も助けてもらったし、今日もここまで助けてくれた。もう頼りっぱなしなのにえらそうなこと言ってごめんね。でも本当に信じてるから、だから麗ちゃんも私を信じて欲しいな」
 
 †

 そう言い終えると麗は語りを止めてしまった。
「どうかしました? 急に黙り込んで」
 彼女は、いや……と一言こぼしてやはり何も言わない。
「これで終わりですか?」
「いや……終わりではないんだけど、何から語ればいいかわからなくて」
(なるほど、迷っていたんだな……)
「なら私が質問して行くから、それに麗さんが答えて行くってのはどうです?」
 その提案に彼女は頷いた。
 にしても彼女の過去にそんなことがあったのかと私は興味深い気持ちになる。今の彼女からは感じられない雰囲気も少なからずあり、学校であったこと、彼女が苦悩していたこと、話を聞かなければ本当にわからないのだ。今日私が聞かなければ知らずに介護を続けていたかもしれない、だがこれを知っているのと知らないとで変化があるとは思えないが。
「マコト先輩だっけか、彼女はどうなったんだ?」
 彼女は悲しそうな顔をした。さっきの語りにもマコト先輩は悲しそうな顔をしていたと言っていたがきっと今の麗みたいな顔をしていたに違いない。
 マコト先輩の特徴である、髪が少々ボサボサで目の下にクマができている……これだけの情報では私はどんな姿をしているのかなかなか想像できなかった。
「マコト先輩は亡くなった。私がこうなるすこし前に…………」
 麗が悲しそうな顔をしたのも理解できた。私もまさか亡くなっているとは思わずに驚いた。
「どうして………」
「いじめられた末に階段から落とされて…………最初は意識はあったんだけど病院に着いた頃にはもう息を引き取っていた」
 彼女は元から体が弱いと語りにもあったが、それのせいで先輩は体がふらつき階段から落ちて亡くなったことにされたそうだ。いじめていた奴らはまだ学校に通っていると麗は悔しそうに歯を噛み締めていた。だがそう語る反面、麗は動揺しているふうにも見えた。
「それは、嫌なことを思い出させてしまったな。でもどうして何も言わなかったんだ? 聞く限りだと君は事件の真相を見たか聞いたかしているわけだが、誰かに言おうと思わなかったのか?」
 麗は深呼吸を一回すると言った。
「誰にも言えるわけなかったの…………それは自分の“順位”を下げてしまうから…………」
「そんな時まで“順位”とか“上”とか気にしてたのか? 人が一人死んだんだろ…………しかも君の信頼していた先輩なんだろ? どうして………」
 私は笑美について思い出していた。彼女はなんの罪も犯していないのに………人に尊敬されるような人間だったのに…………この大地すらも大切に愛するような優しい人間だったのに…………無慈悲にもこの大地によって人間によって人生を踏み躙られた。マコト先輩もそうだったに違いない、決して神にすら罰せられることのできぬ人間性を持って生きていた。笑美もそうだった。
 そう問い詰めると麗は泣き始めてしまった。だが私は彼女が泣こうとも慰めの言葉は用意していなかった。彼女の言葉が欲しかった。彼女が人間の命をどう言うふうに見ているのか試していた。
「マコト先輩が…………誰にも言うなって言うから……先輩が初めて私に助けを求めた瞬間だったの…………言いたかった、あいつらがやったって言ってありたかった………でも先輩が私を止めたの………だからっ言いたくても言えなかった」
 私は言葉を失った。マコト先輩が残したその願いは笑美が私に託した言葉の意味に似ていたからだ。
『誰も恨まないで…………全部私がいけなかったの、全部………』
 誰も恨むな、誰にも言うな。なぜこの二人は自分で責任を負おうとするのだろうか。罰せる相手はたくさんいるのに助けられる人間は一人もいない。自分すらも助けられない、そしてその願いを託された者も一生自分を恨み続ける。言えばいいのに言えない、それは私も同じだった。私に麗を責める権利はなかった、自分も同じ罪を持っていたからだ。
「すまない、泣かせてしまって……………」
「いいの、私が黙って何も言わなかたのが悪いから、もしかしたら先輩の事故を事件にできたかも知れないのに…………あ、また佐野さん泣いてる」
 彼女に言われて初めて自分が泣いていることに気づいた。あの時と同じだ、一週間前と同じで彼女の感情と同化してしまった。以降泣くことがなかったから油断していた。
「そして、彼女の死を知りつつも黙っている自分を恨みながら今まで通りに日常が始まった。
………はずだった」
 涙を拭いながら彼女の語りを聞いた。
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